チェンマイ変貌

神原克收
ykambara@kcc.zaq.ne.jp
        目    次  (1)(2006年−1月)
信号がついた
犬が減った
喫茶店が増えた
値上げラッシュ
コンドミニアムが増えた
コンビニが増えた
高級スパが増えた
メータータクシーと路線バスの登場
         
        目    次  (2)(2006年−3月)
     9. ローイ・クラトーン 15. ゴールデントライアングル
   10. 美人コンテスト 16. 国王誕生日に思う
   11. 美人コンテストに関連して 17. チェンマイの生活
   12. 阿片博物館 18. 女子高生のインタービューを受けた
   13. 皇太后の別荘 19. 良心的なチェンマイのゴルフ場
   14. 中国人村ドメイサロン 20. 親切なタイ人
                         
                          目    次  (3)(2006年−4月)
   21. バンコック通勤ラッシュ 23. 日本の常識は世界の非常識 (1)
  22. 消え行く電話ボックス 24. 日本の常識は世界の非常識 (2)
 信号がついた

チェンマイは2年ぶりの訪問である。外国はどこに行っても「来た」と思うが、チェンマイでは「帰ってきた」と感じる。2年振りのチェンマイは大きく変化していた。その変化を一つずつ見てみよう。

チェンマイは車社会で人よりは車優先である。従って幅の広いメーン道路を横切るのは緊張感を伴う。最近この道路に横断用の信号が出来て少し便利になった。日本の押しボタン式と同じだが、こちらは押すと1〜2秒で青信号になり、あと何秒青かという数字が出る。大抵の場合10秒程度と短く、健常者でも横断するには急がねばならない。

 信号が付いたからといって安心は出来ない。信号が青になっても突っ込んでくる車やバイクがいる。青信号で渡っている目の前をスピードも落とさず通過する車にヒヤリとしたことは度々ある。車が止るのを確認しようと止って見ていると、「横断する意思なし」と勝手に突っ込んでくる車がいる(特にバイクは要注意)。だから確認しながらも速やかに横断する必要がある。チェンマイの合理的なことは、歩行者が横断すると車は信号がまだ赤でも平気で通り過ぎる。

 日本でもチェンマイでも早朝の散歩は欠かさないようにしている。日の出前の街では信号が赤でも、若干のスピードダウンはするものの止らない車が圧倒的に多いから注意が必要だ。日中でも路地を入った裏道ではこうした現象がしばしば見られる。

 チェンマイの信号についてもう少し追加しよう。日本では東西が青なら、南北は赤になる。チェンマイでは主要な交差点ではそうはならない。東西南北の一方向だけが青になり、他の三方向は赤である。従って一旦赤になると、青になるまで相当時間が掛かる。その代わり青の時は直進だけでなく右折OKというシステム。因みに左折は信号が赤でも注意して進行出来る。これが出来ないのは私の知る限り日本だけである。


正月3日に心斎橋そごうに家族で建て替え後初めて行きました。驚きの連続で何も買わないのに2時間もうろうろ歩き回ってしまいました。

何といっても明るくてきれいなこと。それもとても洗練された美しさで、誰が店舗デザインしたのか、日本にもこんな才能を持ったデザイナーがいるのかと嬉しくなり、とても気分のいい正月でした。

 犬が減った

 チェンマイの治安は頗る良い。人は勿論のこと、ゴロゴロしている犬達も昼間は吠えもしなければ飛び掛ってくることはない。しかし夜になると野生の本能が戻るのか、番犬としての役割を思い出すのかよく吠える。一匹が吠え出すと他の犬達も連鎖で吠え出す。これではメイン通りはともかく、裏通りは怖くて歩けない。以上が一昨年までの状態。

 何故犬が多いかというと、一つには仏教国で殺生はしないという国民性による。しかし政府が「観光立国を目指すには犬の排除は不可欠」と犬の不妊手術を計画したことがある。実行寸前に国王の「犬が可哀そう」の一言で計画が潰れた経緯がある。加えてお寺の僧侶が托鉢で得た食料を犬に与えるので生活の心配もない。

 ところが今回チェンマイにきて犬が大幅に減少しているのが目についた。日本のように野良犬は皆無というわけには行かないが大幅に減った。バンコクも同様大幅に減っていた。どんな政策転換がなされたのか、国王を誰かが説得したのか、どんな手段を用いたのか、誰に聞いても確かな返事は得られない。一説には国王の「観光のためには犬を何とかしなければ」の一言が効いたと言うが噂の域を出ない。何はともあれ犬の減少で我々外国人の安心感が大幅に増したことは間違いない。

 以前は日課の散歩がままならなかった。早朝は犬が怖くて出歩けない。日中は暑いのとメインの通りは排気ガスがきつくて散歩向きではない。裏通りは日中でも犬が怖くて敬遠せざるを得ない。結局思うように散歩が出来ず困っていた。

 それが今年は早朝暗いうちでも大きな通りは犬の心配はなくなった。路地裏通りにも恐々挑戦したが特に問題はなく、今では安心して散歩している。観光立国を標榜しながら、犬対策に何の手立てもしないタイ政府に不満が募っていたが、ようやく重い腰をあげてくれたようで有り難い。

まだ暗いチェンマイ大学構内で撮影のため画面が暗くボケています。
3 喫茶店が増えた

 チェンマイは来る度に西欧化が進んでいる。5年前には探すのに苦労したパン屋が至るところに現れ、味も年々向上し現在では日本ほどではないが、相当レベルまできている。パン屋と同じく喫茶店(勿論こちらでの名称はコーヒーショップ)も数件しかなかったものが、場所によっては日本並近くに増えている。コーヒーの味も5年前のとても飲めない味からまぁまぁのレベルにはなってきた。

扱うのはコーヒー・紅茶が中心だが、中には日本茶や中国茶も揃え「お茶専門ハウス」を売りにしている店もある。喫茶店では日本同様コーヒー・紅茶・ジュースなどの飲み物にサンドウィッチやケーキの品揃えが一般的。中には簡単なタイ料理を置いているところもあり、カレーやチャーハンもある日本の喫茶店という風情だ。

 店構えもオープンカフェ中心から、総ガラス張りを含め室内店舗の洒落た店へと変貌している。それでもコーヒーの値段は30B(90円)前後と安い。安いといっても30Bあれば屋台なら昼食が食べられるからやはりコーヒーは贅沢品には変わりはない。

 喫茶店やパン屋だけでなくマクドナルドやケンタッキーフライドチキンなどのファーストフードの店も徐々に増えつつあり、食の西欧化が急速に進んでいるように思う。このままいけば10年もしない内にスタイルのいいチェンマイ美人が肥満化することが心配される。

(喫茶店の写真を撮るのを忘れましたので写真はなし)

4 値上げラッシュ

2年前と比べて全ての物価が上がっているのにビックリした。
2年前と比較すると凄まじい値上げラッシュである。これでも日本より遥かに安いので価格的な魅力は未だ衰えていない。
しかしこの調子で行くと10年もしないうちにチェンマイも価格的には魅力のない街になるのだろう。
以下気がついたものをランダムに列挙してみよう。
項      目 2年前 今年 値上がり率
空港タクシー1台 100B 120B 20%
乗合タクシー 1人 10 15 50%
ホテル ジラン (スイートルーム) 3900 4800 23%
ホテル チェンマイプラザ (デラックス) 1600 1700 6%
ホテル アマリリンカム (スーペリア) 1300 1550 19%
キャディのチップ 100 120 20%
マッサージ (私の行きつけのところ) 200 300 50%
運転手つき雇用車 (10人乗り) 1500 1800 20%
ガソリン (L) 17B台 25B台 47%

こうした中でも2年前と変わっていないものもある。例えば

・ インターネットカフェ 20B/時間

・ コンドミニアムも相場的には上がっていない

・ ビール

・ サイモンショウ(おかまショウ)

・ 布地   

などである。やはり需給関係によるのだろう。

チェンマイの物価とは関係ないが、今年は円が安いのでこの面からも物価高を感じる。また近年日本の物価が衣料・飲食・航空券・ツア旅行など大幅に下がってきたので、それとの比較において相対的に価格が接近してきたと感じる面があるのかもしれない。いわばダブルパンチ或いはトリプルパンチである。

 こうした状況でも依然としてチェンマイは買い物天国、生活天国であることに変わりはなく、海外ロングステイヤーのトップ人気が続いている。

 コンドミニアムが増えた

 チェンマイは元々城壁とお堀に囲まれた都市であった。今も城壁の一部と一辺1.9Kmの正方形のお堀は残っていてチェンマイのシンボル的存在だ。そのお堀の外の北西部に多くのロングステイヤーが住んでいる一帯がある。住まいの形態はコンドミニアムが圧倒的に多い。
 2年前にもこの地域には沢山のコンドが存在していたが、今回来て見て新しいコンドが林立しているのには驚いた。目見当で2倍以上にはなっているのではないか。2年前にはコンドが不足気味で、最低でも6ヶ月以上でないと契約に応じて貰えない所が多かった。今回は新しいところが増えたお陰で1週間でも、1ヶ月でも契約に応じてくれるところが多くなった。勿論長期契約は安いが、短期契約が高くつくのは致し方ない。

 今回私が滞在したのも1年前に完成した新しいコンドである。ワンルーム・バスタブあり・キッチンなし・家具寝具付き・無料インターネットラン付き・NHKテレビ付きで月額5,500B(16,500円)である。この近辺なら2ベッドルーム・キッチン付きで15,000B(45,000円)程度が普通。

 以前はコンドの部屋ごとにオーナーが違い、従って仕様も違うケースが多かったが、最近のものは一棟まるまる同一オーナーで同一仕様というケースも増えている。以前は金持ちが別荘感覚で保有していたものが、ロングステイヤーの増加に目を付けた金持ちがコンド建設に乗り出した結果ではないかと素人分析をしている。

 なお、外国人のみならずタイ人向けのコンドも沢山増えている。タイの経済発展とともにチェンマイの都市化が進んでいる証であろう。
6 コンビニが増えた

 5年前チェンマイへ初めて来た時は「地方都市」という印象が強かった。その印象は年とともに変化してゆき、着実に大都市へと変貌をとげつつある。5年前は珍しかったコンビニが至るところに出現し、私の散歩コースだけでも10軒は下らない。若者の24時間化が進んでいる証拠であろう。中でもセブンイレブンの勢いは絶大で、およそ10軒に9軒は占めている。

以前は見られなかった徹夜で飲み・語り明かす学生の姿を今年は初めて見た。朝散歩しているとき明らかに徹夜と判るグループが語り明かしているのに出会った。彼らが語り明かすのは路上であったり、コンビニの店頭やレストランの屋外席の無断借用であったりする。こうした行動を支えているのもコンビニなのであろう。

コンビニの品揃えは日本と良く似ているが、まだまだ日本のようなきめ細かさは感じられない。タイの外食文化を支えてきたのは圧倒的に屋台である。特に早朝は屋台の独断場であった。ここにコンビニが割り込んでくればチェンマイの朝の風景は10年を待たずして確実に変化してゆくのだろう。事実若者がコンビニの前で飲食している姿が散見されるようになった。
7 高級スパが増えた

 チェンマイの魅力の一つにマッサージがある。タイの古典的な技で2時間たっぷりと揉んでくれる。バンコクは高いがチェンマイなら2時間で200〜300B(600〜900円)+チップ50〜 100Bと安い。マッサージ店は町の至るところにあるので、探すのに苦労することはない。勿論店により技術の巧拙、店の清潔度に大きな差があるので、行く時は地元の人に評判を聞いて行くことをお勧めする。
 店舗を構えて営業するのが一般的だが、ホコテン(歩行者天国)の時は道路わきに椅子を並べてタイ式マッサージや足ツボマッサージをしている。いわば屋台マッサージである。これは30分60B(180円)でチップ不要と更に安い。

 この伝統的なマッサージに割って入ってきたのが高級スパである。2年前までは高級リゾートホテルでしか見られなかったものが、今では街のあちこちで店や看板が目に付く。値段もタイ古式マッサージの5〜10倍と高いが、これだけ急増しているところを見ると客はいるのであろう。しかし、日本のロングステイヤーには高級スパ利用者は皆無に近いし、ましてバックパッカー中心の西欧人に利用者が多いとはとても思えない。後は金持ちタイ人か日本の若い女性旅行者くらいしかいないと思うのだが、日本の若い女性はチェンマイにそれほど関心を示さない。これで経営が成り立つのかと心配になる。ケチな小生には理解し難い高級スパの増加ではある。

まさかバリ島での高級スパの盛況を見て、二匹目のドジョウを狙っているのではないと思うが・・・。そもそもチェンマイにはバリ島ほど日本の若い女性を虜にする要素は少ないと思う。
8 メータータクシーと路線バスが登場

 チェンマイのタクシーと言えばソンテウという乗り合いタクシーである。ツクツクという三輪タクシーもあるにはあるが、値段が交渉制で鬱陶しいのと、悪徳運転手も多く次第に淘汰されたのか、今回は大幅に減っていた。

ソンテウはピックアップトラックの荷台の両サイドに座席を設け、幌を掛けただけで窓にはガラスはなく風も排気ガスも入ってくる。造りはお粗末だが便利なことこの上ない。価格も10Bが15Bに上がったとはいえ、それでも45円で希望のところまで運んでくれる優れものである。

 チェンマイの市内には路線バスも走っていないのに立派なバス停が随所にある。これは数年前市営バスを走らせたが、ツクツク(三輪タクシー)やソンテウの運転手や業者の猛烈な抵抗で廃止に追い込まれた経緯がある。立派なバス停はその時のものが撤去されずに残っているのである。

 ところが今回驚いたことにメータータクシーや路線バスが走っている。タクシーは空港にしかいないし、市内ではめったに見られない。バスも僅かに6路線のみと少ないが、路線内であれば手を挙げればどこからでも乗れるし、どこででも降りられるので随分便利だ。しかも値段は30円ととても安い。どちらもまだまだ少ないがこれから徐々に増やす計画と聞く。今度はよもや前回の轍を踏むことはないだろう。ツクツクやソンテウの業者も近代化の波には抗し切れなかったのであろう。
 ローイ・クラトーン(現地ではロイカトーンと発音)
念願のロイカトーン(灯篭流し)を見物した。ロイカトーンは11月の満月の夜、バナナの葉と茎、様々な花で作られた灯篭(クラトーン)を雨期明けで満々と水をたたえたピン川に流し、水の精霊に感謝の意を表すと共に、自らの罪や災いを流し魂を清めるという行事で、13世紀のスコータイ王朝時代から続いているお祭りである。
我々も家内が半日掛けて作った立派な灯篭を願い事をしながらピン川に流した。日本で灯篭流しというと静かに情緒を楽しむイメージだが、チェンマイでの灯篭流しは日本の風情とは程遠い騒々しさ。兎に角凄い人出でピン川沿いは人・人・人で歩くのもままならない。
騒々しさの一番の悪役は爆竹で、煩いだけでなく危険そのもの。昨年まではけが人続出で、「今年から禁止され、規制が大幅に強化された」らしいが、それでも爆竹、花火のオンパレードで、騒々しいことこの上ない。
これとは違ってロイカトーンの魅力を引き立てているのが「コムローイ」という小型熱気球。これは紙又は布で作った円筒形の下の部分に油を染み込ませたものがセットされ、そこに火を付けて気球を上げる仕組みで、コムローイが上昇すると下からはオレンジ色の炎が見え、それが凄い勢いで上昇する。このコムローイは沿道至るところで一ケ150円〜300円で売っていて観光客も含め大勢の人が揚げるので膨大な数になる。その膨大なコムローイのオレンジ色が夜空に星となって輝き、その美しさは日本では絶対に見られない壮観さ。
                                  ただし、キレイなだけなら問題ないが、中には円筒形の紙が破れていて、充分浮力が得られず途中で火が付いたまま落下するものも数多くみられる。事実、私たちが見ている目の前で落下したコムローイが樹木を燃やしているのが目撃出来た。数年前バンコクのお寺がコムローイが原因で炎上したため、バンコクでは禁止されているらしいが、実際かどうかは定かではない。チェンマイのこの風景を日本の役人が見たら腰を抜かすこと間違いない。消防関係者なら卒倒ものであろう。
何はともあれ満月をバックに灯篭を流す風流、爆竹に花火の騒々しさ、コムローイの神秘的な美しさ、それに物凄い人出に露店の物売り、これらが混然一体となって南国の夜を彩る。一度は経験してみたいお祭りではある。
10 美人コンテスト

日本では美人コンテストが廃止されて久しい。ここチェンマイでは大きなイベントの度に美人コンテストが実施され、われわれお堅い国からの客の目を楽しませてくれる。

今回もロイカトーン(灯篭流し)のお祭りに際して盛大に行われ、その模様を見学した。応募者は当然のことながら甲乙つけ難い美人揃いで、あとは審査員の個人的な好みによって決まるのだろう。驚くのは応募者全員の背が高いことだ。ハイヒールを履いているのである程度は割り引いて考えなくてはいけないだろうが、それでも全員170cm以上はある。

少々物足りない感じがしたのは、全員が同じ服装・髪型で変化に乏しかったことだ。服装は正装の民族衣装だから仕方がないのだろうが、髪形は全員がアップの丸髷でまるで相撲取りの髷を見ているよう。中にはロングヘアやショートカットがいてもおかしくはないと思うのだが、全員同じスタイルだ。主催者からの規制かも分らないが、見るほうは今ひとつ変化に乏しい。

日本で美人コンテストが行われなくなったのは「生まれつきの体で美醜を競うのは差別だ」ということらしい。ならば身体能能力を競うオリンピックは差別ではないのか、とへそ曲がりは考えてしまう。「スポーツは訓練を積み重ねてその結果を競うから差別ではない」。では美人はそうではないのか?美人がその美貌や容姿を保つためどれだけ涙ぐましい努力をしているか、我々から見れば病的と思えるぐらい努力していることは賢明な皆さんならご存知の通りであろう。「幾ら努力してもどうしようもない人もいるからやはり差別だ」。ではオリンピックはそうではないのか?私が死ぬほどの努力をすればオリンピックに出られるか?スポーツでも幾ら努力をしてもどうしようもない人の方が圧倒的に多いのだ。

差別だ!差別だ!と声高に叫んで、何にでもイチャモンをつけるのが進歩的と思うのはそろそろ止めにしたほうが良いと思うが、如何?やはり美人コンテストはあった方がいいよねぇ。

11 美人コンテストに関連して

 日本では美人コンテストが無くなって久しい。原因はそれが差別を助長するというもの。日本では差別排除の名のもとにおかしな現象が拡がっている。その最たるものは小学校の運動会であろう。

 我々の小学校時代、運動会では必ず「徒競走」なるものがあって、勉強は嫌いだが飛んだり跳ねたりするのは得意な悪ガキたちにとって、運動会は存在感を示す絶好の機会であった。今はどうか?徒競走で「順位を付けるのは差別」という理由で、50m走とか100m走といって、ただ走るだけで順位は付けない。

 世の中は競争時代、社会へ出たらどこに行こうが、何をしようが競争はついてまわる。義務教育というのは基礎的な学力をつけると同時に、社会に出て適応出来るように訓練をするところではないのか?

世の中は競争社会、学校は競争排除、どこか狂っていないか?これではひ弱な人間しか育たないのではないか?これではタフな中国人には絶対に太刀打ち出来ない。美人コンテストの廃止、学校では競争排除。声高に差別差別と叫んでこうした状況を作る人も人なら、それに負けて受け入れる方も方である。

序でに申し上げるなら、学校の先生が生徒に加える体罰もおかしな方向に向いてしまっている。昔は体罰を加えるよう、親から願い出ることはあっても、クレームをつけたり訴えたりする親は皆無であった。我々の時代、先生は怖い存在であったし、先生の言うことには従った。先生は情熱をもっていたし世間からも尊敬される存在であった。今は生徒が傍若無人に振る舞い、先生が体を張って正そうとすると、「暴力教師」のレッテルを貼られ、挙句の果ては訴えられて犯罪人にされてしまう。これでは情熱のある先生は去ってゆき、ますます教育現場は荒廃する。美人コンテストを見ながら、つい脱線してしまった、お許しを。

12 阿片博物館

    タイ北部にラオス・ミャンマーと国境を接している(ゴールデントライアングルと呼ばれている)小さな町チェンセーンがある。その昔14世紀にチェンセーン王国の首都として築かれた町で、19世紀には中国貿易の中継点として栄えた町である。 この一帯はケシの栽培が盛んだったところで、この町の郊外に阿片博物館がある。2年前は小さな博物館ながらこじんまりと要領よく展示がまとめられ、阿片に就いての理解が大変し易い優れた博物館であった。入場料も20~30Bと手頃であった。

 ところが今回これを探しても見付からない。聞くと新しく立派な博物館が出来ているというので出掛けて行った。先ず300Bという高い入場料にビックリ仰天。次に建物の巨大さと豪華さにビックリ。大阪千里にある国立民族博物館より大きく豪華な代物である。更に入場して解り難い展示に3度ビックリすると同時に腹が立った。芸術家の独りよがりな趣味ばかりが目立って、肝心な阿片に関する理解はとても得られない。以前は言葉は分からなくても写真で充分理解出来たし、英語表記もしっかりしていた。今回は馬鹿でかい上に独りよがりな展示と映像、言葉が解らないと何も解らない。

 片田舎の町でこのような贅沢な芸術家のお遊びが出来るくらい、タイの経済が発展したという証明ではある。それにしてもこうした独りよがりな無駄使いはどこの国にもあるものだと変に納得した次第。それにしても300B!あぁ腹立たしい!

13 皇太后の別荘 (ドイトン御殿)

 タイは30日以内ならビザなしで滞在出来る。今回は40日滞在でビザが必要だが、ビザを取るのが面倒だったのでビザ無しで来た。従って一度はタイ国外に出なければならない。一番簡単なのはミャンマーのタチレクという町へ瞬間でも行ってくればいい。こうしたニーズは長期滞在者に多く、チェンマイからミャンマーまでの日帰りツアがある。

 今回日帰りではもったいないので一泊で行くことにし、お陰でドイトゥンという皇太后の別荘へ再度行くことが出来た。

 ドイトゥン御殿は皇太后が88歳のときに建てられたもので、94歳で逝去されるまでの6年間を過ごされたところである。ドイトゥンはこの御殿と広大な庭園、そして皇太后顕彰館で構成されている。

 先ず御殿はスイス様式と北タイ山岳建築様式の折衷による簡素な建物である。簡素ではあるが実に上品な落着いた建物で、皇太后の人柄を偲ばせるものだ。この御殿内の展示物と顕彰館の展示を見ていると皇太后がいかに国民に、とりわけ地元民に慕われていたかがひしひしと伝わってくる。

 広大な庭園は花を中心に据えた庭園で、季節ごとに咲く花の種類が変わり、何回行っても楽しい。この庭園を見るだけでもドイトゥンに来た甲斐があるというもの。

 それにしても感じるのは、国王にしろ皇太后にしろ実によく国民の敬愛を集めているということである。日本の天皇も敬愛を集めているには違いはないが、その拡がり・深さはタイの方が遥かに上を行っている。そしてそれがタイ国民の精神的バックボーンになっているような気がしてならない。想像をたくましくすれば日本も明治天皇のときは似たような状況であったのではないだろうか。

14 中国人村ドメイサロン

 タイ最北の街チェンライから車で1時間くらい急峻な山の中に入ったところにドイメーサロンというところがある。最近この地が観光客の脚光を浴びている。オーバーな表現をすると人跡未踏の地にある中国人村である。行っても何があるというわけでもないが、1Km以上に亘って中国人村が連なっている。周辺は茶畑でお茶が主要な産業であることが分る。道路に沿って茶を売る店や土産物店、食堂が続き中にはリゾートホテルもある。

 驚いたのは「よくぞこんな山奥に住み着いたものよ」というくらいの山奥である。どれくらい山奥かというと、運転手付車のチャーター代2500B/日がここに行くだけで3000Bに跳ね上がる。それくらい山奥なのだ。

 では何故こんな山奥に住み付いたのか?第二次大戦終了後、中国では共産軍と国民党軍が争い、国民党軍が台湾へ敗走したことはご存知の通り。その国民党軍の残党がこの地に逃げ込み、住み付いたのがそもそもの始まりである。祖谷に逃げ込んだ平家の落人の話は1400年も前の話だが、こちらはたかだか70年ほど前の話に過ぎない。敵の追討を振り切って生活するにはこれくらい山奥でないと安心出来なかったのであろう。

 彼等の生活が艱難辛苦の連続であったことは察するに余りある。しかしいつまでも貧しい少数民族と違い、追手の心配がなくなった1987年武装解除に応じてからは苦しいなかにも、お茶を中心に生活を立て直し、百年を経ずして平均的なタイ人以上の豊かさを築き上げた中国人のパワーは見事と言う他はない。今後は観光地化に伴い急速に発展を遂げるであろうことは想像に難くない。

 こうした中国人のバイタリティを見てタイ人が発奮したという話はついぞ聞いたことがない。経済的にはアジアの優等生と言われるタイではあるが、経済は完全に中国人に牛耳られていてタイ人の陰は薄い。ドイメーサロンという新しい観光地もこの実態を裏打ちする事例が一つ増えたということでしかないのだろう。

15 ゴールデントライアングル

 この言葉は誰でも聞いたことはあるだろう。しかしこの地を訪れたことのある人は意外と少ないのではないだろうか。タイ最北部のチェンセーンという町の近くである。

ゴールデントライアングルは文字通りトライアングル、即ちタイ・ラオス・ミャンマーの3国がメコン川とルアク川という小さな支流を挟んで一望できるところから来ている。タイからドライバーショットでラオス・ミャンマー両国に打ち込むことが出来る距離だ。(少々オーバーか)
 タイ側からスピードボートに乗ってミャンマー沖まで行き(上陸は出来ない)、更にラオス側の島に上陸することが出来る。但し、ここにはイミグレがないのでパスポートは不要でビザ更新の足しにはならない。ラオス側でショッピングも出来るが全てタイバーツでの取引である。

 ゴールデントライアングルのもう一つの意味は麻薬地帯を表す言葉である。今(タイ・ラオスは除く)も昔もここは麻薬地帯である。昔はここの東西南約100Km一帯を麻薬王と言われたクンサー(シャン族)が押さえていた。彼の武力は相当なものでタイ・ラオス・ミャンマー政府共に手出しが出来なかった。その後クンサーは突然タイ政府に投降し、タイ政府は一挙にこの地域のケシ畑を破壊して麻薬撲滅を図った。タイ・ラオスでの麻薬は撲滅出来たがミャンマーは今でも有力な外貨獲得手段としているらしく、タイの貧しい山岳民族がその運び屋として働き、タイとミャンマーの関係は今でも緊張が続いているという。この近郊に麻薬博物館があり、この地が麻薬地帯であったことを示す証左であろう。

 それにしても国境警備は見たところ緩フンで、これならラオス・ミャンマーからの密入国はそんなに難しくないだろう。その辺りをタイ政府はどのように考えているのか、ミャンマーからの密入国者がどれくらいいるのか、機会があれば聞いてみたいものだ。

16 国王誕生日に思う

 125日はプミポン国王の誕生日で国の祝日である。当日は様々な式典や行事が行われ、TVで実況中継された。

7時から政官財のリーダーを集めて行われた式典で国王は約80分演説。演説の長さも驚きだが、原稿やメモは全くなしというのはビックリした。日本なら官僚が作った原稿を読むが、こちらは自分の口で直接語り掛ける。彼我の差は誠に大である。

午後の表彰式(日本の叙勲のようなものか?)で国王自ら100名を超える受賞者に直接賞状やメダルを手渡しされる。受賞者は正装した者が多いが中には学生服やシャツのみで上着無しの人も多々あった。この風景は日本では絶対にあり得ない姿であろう。

夜は国王の誕生日を祝う集会が各地で行われた。メイン会場は当然バンコクでTVに映し出された参加者は1万人は越えていたのではないか?TVを見ているとリーダーが国王へのお祝いを唱え、参加者がそれに続いて唱和する。その状況がTVで実況中継され、各地ではその中継を見ながら参加者がバンコク同様お祝いを唱和する。

私の住まい近くのオーキッドホテルでは従業員が玄関先に集合し、このお祝いの集会をしていた。また、近くの広い空地では高さ8mくらいの巨大な国王の写真を掲げ200人くらいの人が集まっていた。バンコク会場ではお祝い行事の最後に華々しい花火を打ち上げていた。チェンマイでは誠にささやかな花火が上がった。

このお祝い集会は中国や北朝鮮のように政治的に誰かが強制したものではなさそうで、参加者はあくまで自発的に参加しているように見える。日本でも天皇誕生日には皇居等で記帳が行われるが、国民のお祝いの行動の広がりは日タイでは大きな開きがある。

タイでは全国で毎日定時に国歌が流れ、学校の始業、映画館での上映前、式典や行事の最初などあらゆる場面で国家が流れる。その時国民は夫々の場所で立ち止まって国家を唱和している(しない人も沢山いるが)。また国旗と国王の写真は至るところに溢れている。

国歌や国旗=戦争に直結と喚きたてるどこかの国とえらい違いだ。イラクやかってのカンボジャなどのように内戦に明け暮れる国ほど惨めなことはない。しかし、今日の日本のように天皇・国歌・国旗・道徳といった言葉を発しただけで、やれ戦争賛美だ、やれ戦争への道だと騒ぎ立てるマスコミを抱えた国も内戦に負けず劣らず困った国になったものだ。

17 チェンマイでの生活

 皆さんから「チェンマイで毎日何をしているの?」という質問をたくさん受ける。チェンマイでの生活をご紹介しよう。

 毎日決まった行動は朝の散歩のみ。朝5時半起床、5時45分から散歩に出掛け、7時には帰宅する。NHKの7時のニュース「おはよう日本」の再放送を見ながら朝食を摂る。チェンマイでは屋台は早くから開いているが、レストランや喫茶店は早くても8時にならないと開かないので、朝食だけは自宅で摂る。和食とパン食を半々にしている。簡単な掃除は毎日、コインランドリーによる洗濯は一日おきくらい。

 日常家にいるときはネットサーフしたり、パソコンでチェンマイ通信の原稿を書く時間が結構多い。TVはニュースを見るくらいであまり見ない。空いた時間は読書にあてるが持参した本は半分くらいしか読めない、それほど時間は余らないということ。家内は手芸と読書が中心。

 外出で多いのは圧倒的に食事会。知り合いの日本人と誘い合って出掛けることが多い。昼食の時もあれば夕食の時もある。最近喫茶店が沢山できてきたが、喫茶店でお茶を飲む回数はそれ程多くない(週1回くらいか)。日本人宅に招かれてお茶を飲むことも時々ある。

 次に多いのはショッピングや服の仕立てなど。ショッピングをすると決めて出掛けることもあるが、殆どはぶらぶらしていて衝動的に買うことの方が多い。

ゴルフは週2回くらいで、その間家内は奥様方とショッピングや食事会に出掛ける。それが無いときは家で手芸をしている。マッサージ(2時間コース)には週1〜2回は行く。碁会所もあると聞いて出掛けて行った。たまたま私と同じくらいの棋力の人がいて、打ったら運良く勝つことが出来た。時間が許せばもっと行きたいが、残念ながらそんなに何回も行けない。

その他我々は殆どしないが、エアロビクス、フィットネス、水泳、ダンス、ボーリング、カラオケ、コンサートなど遊ぶネタには事欠かない。

以上が日常的に過ごしている内容だが、非日常的な生活も列挙してみよう。

        日本からの友人知人の来チェンで、臨時ガイド業

        友人と近郊のリゾートホテルに1泊で出掛ける

        近隣の外国へ遊びに2〜4泊くらいで出掛ける。(ラオス、ミャンマー、カンボジャ、中国、ベトナム、マレーシアなど)

       タイ国内を1泊2日で旅行する。(バンコク、アユタヤ、スコータイ、チェンライ、ゴールデントライアングル、メーホンソン、パイなど)

以上が大まかな生活内容だが、日本にいるときのような雑用は殆ど無いので、昼寝をしようと思えば、それくらいの時間はいつでも取れる。日中歩くと暑いが、日陰に入れば実に爽やか。美味しい食事に楽しい会話、することはいくらでもあるが、しなければならないことは何も無い。この至福は何にも替えがたい。

部屋もキレイ、インターネット使い放題で快適だが、狭いのが玉に傷

18 女子高生にインタービューを受けた

 ある日滞在しているコンドミニアムのオーナー夫人から電話が掛かってきた。「少々時間を貸して下さい」というので、小さな事務所に出向いて行った。そこには5人の女子高校生がいてインタビューしたいという。彼女達は高校2年生で「日本語を勉強している。研究発表に使いたいので質問に日本語で答えて欲しい」とのこと。

 質問は10項目ほどあったが、内容はありきありで特に何と言うこともなかった。その中で「チェンマイの魅力は?」と聞かれたので治安・気候・食事・マッサージ・ゴルフ・物価などを挙げ、最後に「チェンマイの人は優しい。特に女性がきれいで可愛い」と言ったらキャーキャーと喜んでいた。

そのあと3名の女子高校生と1時間以上雑談を楽しんだ。逆インタビューである。言葉は日本語・英語・タイ語のチャンポン。その中で印象的なことをいくつかご報告しよう。

1全員が将来の進路希望を明確に持っていることに驚いた。即座にロイヤー、サイコロジスト、宝石クリエーターを挙げた。日本の高校生がここまで明確に進路希望を持っているだろうか?

2高校卒業後は全員チェンマイ大学(日本の京大に相当)に進学希望。バンコクの大学へは行かないのかと聞いたら、「親が絶対に認めてくれない。理由は危ない、物価が高い。」本人達もバンコクよりはチェンマイが良いと口を揃えた。

3「恋人はいるの?」と聞いたら、「高校生は禁じられているのでいない」。「でも思いを寄せる人はいるのでしょう?」に全員声を揃えて「いな〜い」。

4国際結婚に就いて聞いたが全員が否定的で、結婚はタイ人とするという。これも少々予想外であった。理由は「文化の違いを克服するのは大変だから」。しっかりしてるぅ。

5「日本についてどう思う?」と聞いたら「親切、優しい、金持ち、物価が高い、ハイテク、高品質」などのキィワードがでてきた。それ以外に「日本のファッションに凄く憧れる」「日本の歌は大好き」「日本男性の目の細いのが魅力的」と返ってきた。「私も目は細いよ」と茶化したら「あなたは年寄り過ぎる」と真面目な答えが返ってきた。

19 良心的なチェンマイのゴルフ場

 乾季のチェンマイで初めて本格的な雨に出会った。明け方から激しい雨で、しかも夜が明けても止まない。雨期でもこんなに長時間降り続くことは少ないらしい。たまたまこの日はチェンマイ滞在の友人からゴルフ会に誘われていて、会そのものは中止になった。しかし中止連絡の後直ぐに「4人だけでやろう」と電話があり出掛けることになった。ゴルフ場に行く時には雨も止んでいて何の問題もなくスタートした。ところが一ホール終了時点でまた激しい雨が降り出し、クラブハウスに引き上げ雨宿りをする羽目になった。暫く待っても止まないので諦めて上がることにした。

 ところがキャディが「払戻しがある」と言って4人のカードを持ってフロントに行き、2200Bを持ち帰ってきた。支払ったのはメンバーフィ400B×2人+ゲストフィ1,100B×2人=3,000B(12000円)だから、何と73%も返金してくれたことになる。日本でならスタートしたら最後、一切の返金は期待でいない。

 乾季のチェンマイでこんなに激しい雨に長時間降られる経験が初めてなら、タイでゴルフを途中で切り上げたのも初体験。しかも7割以上の返金は日本も含めて長いゴルフ人生で初めての経験。初物尽くしの雨のゴルフでした。日本のゴルフ場も見習って欲しいなぁ。

20 親切なタイ人

 日本でもアメリカでも田舎へ行けば底抜けに親切な人が多くいる。タイでも例外ではない。

今回滞在中に経験した事例をいくつかご報告しよう。

 チェンマイ滞在中のI氏夫妻に誘われて片田舎のリゾートホテルに1泊で出かけた。経営者は日本人で奥さんはタイ人。3000坪強の敷地に客室はツインルームのコテージが僅か4棟のみ。実によく手入れが行き届いた広い庭園(果樹園と言ったほうが適当か)の奥の方に4棟が配置されている。部屋もとても清潔で浴室は広々。これが朝食付で一部屋2700円。夕食は結構立派なフルコースの定食で450円/人。

 経営者夫婦・7歳の娘・メイド・犬3匹が総出で心温まるもてなしをしてくれ、全ての面で大変満足度の高い宿泊であった。

1)  チェンマイでは早朝散歩していて人に出会ってもお互いに挨拶はしないが、ここでは出会う人殆どが声を掛けてくるか、無言ながら笑顔を投げ掛けてくれる。

2)  村の中を散歩中、極薄の掻き餅(ライスペーパー)を作っている夫婦と娘がいた。作っている様子を写真に撮ったりしながら興味深く眺めていたら、母親が作業中の娘に指示して作業を中断させ、掻き餅を3枚持ってきて焼いて食べさせてくれた。これが素朴で何とも言えず美味しい。余談ながらカメラを向けると母親が急に髪の乱れを直してカメラに笑顔を向けてくれたのが実に可笑しかった。よれよれの作業衣姿の60歳代の田舎のオバチャンが作業で汚れた顔でありながら、咄嗟に髪の乱れを直すのは、どこの国でも、何歳になっても女性の本能かと可笑しかった。

3)  この村は木彫りで生計を立てている家が多く、村の至るところでノミを打つ音が聞こえる。その作業中のところへ入って行くとどこでも笑顔で迎えてくれ、言葉は解らないまでも色々と説明してくれる。だからといって物を売る意思は全くなく、どこまでも親切だ。

4)  チェンマイへ帰る際、ホテルから町中のバスセンターまでソンテウ(乗合タクシー)で行った。ソンテウに乗ると米が3表積んであり、途中寄り道をして運転手の自宅?へその米を降ろし、その後本来業務に復帰した。その時家から冷えたミネラルヲーターとグラスを持って来てどうぞとサービスしてくれた。

以上いくつかの例を紹介したが、私の表現力では村人の溢れるような親切がどうしても伝えられない。あとは賢明な皆さんの想像力に期待するしかない。
21バンコクで通勤ラッシュ経験
 バンコクに地下鉄が出来たのでバンコクに行った際体験乗車に出掛けた。その際同時にBTS(高架鉄道)にも乗った。

 地下鉄・BTS共に新しく快適な乗り物である。驚いたのは早朝の出勤時間帯で日本並み(それ程でもないか)の通勤ラッシュに出会ったことである。この時間帯に通勤ラッシュは当たり前で驚くに値しない、と思われる方が多いだろう。しかし驚くだけの理由がある。

 タイは日本と違い階級社会である。金持ちと低所得者に明確に区分されている。金持ちの通勤は自家用車(運転手付も多い)、低所得者はバス(15円程度)と決まっていた。4〜5年前、BTSが開通当初は交通渋滞が激しいにも拘らず、ガラガラに空いていた。理由は料金が中途半端なためであった。金持ちは対面上あくまで自家用車に乗るし、庶民には料金(距離制で100円前後)が高過ぎてとても手が出ない。結局快適な乗り物でありながら、乗る人は非常に少なくいつもガラガラであった。(地下鉄の料金もほぼBTS並)。

 ところが今回乗ってみて大変な混雑振りに驚いた。金持ちが交通渋滞に音を上げ、対面をかなぐり捨ててBTSや地下鉄に転向したのか、それとも経済発展に伴い中間所得層が増加したのか定かではない。恐らく両方の要因が影響しているのであろう。今後日本と同様これらの乗り物が主要な移動手段になることは間違いないと思われる。

22消えゆく電話ボックス

 日本ではケイタイの普及により急速に公衆電話が減り、何かの時に電話しようと思ってもなかなか公衆電話が見付からず困ることがある。タイでも事情は同じで日本ほど急ではないが、それでも確実に日本と同じ歩みを辿りつつある。

 チェンマイではホテル、スーパーマーケットなど人が大勢集まる所や幹線道路沿いの一定間隔に公衆電話が設置されている。しかし、もともと公衆電話の設置数が日本ほど密ではないので、まだまだ目立って減少しているという実感はない。

ケイタイの普及もここ2〜3年爆発的に増加している。大学生や高校生は勿論のこと、小学生まで持っているのを散見する。ショッピングモールなどで一番目立つところに店舗を構えているのは大抵ケータイ屋である。但しケイタイメールはないわけではないが、日本の若者のように座ればメール、歩きながらでもメールという状態とは程遠い。

こうしたケイタイの普及は当然のことながら公衆電話を追放する。私が毎日散歩しているチェンマイ大学構内(公園のように市民が大勢利用している)にも公衆電話ボックスが設置されていた。それが今年は電話が撤去されていて、あぁやはりなぁ、と感慨をおぼえた。タイの面白いことは電話は撤去したが電話ボックスはそのままということである。ボックス自体はまだまだキレイで設置してから幾ばくも日は経っていないように見える。今日のケイタイ化を読めなかった役人気質が垣間見え、役人はいずこも同じかと可笑しかった。

(電話機のない電話ボックスの写真を確かに撮ったのですが、どうしても見当たらずご覧いただくことができません)

23日本の常識は世界の非常識(その1)

 この言葉は竹村健一氏がしばしば使う言葉である。チェンマイに暫く滞在するとこの言葉を実感することが多い。世界の非常識かどうかは知らないが、少なくとも「タイでは非常識」と思われるものを拾ってみた。

1 清潔志向

 日本人の清潔志向は殆ど病的で、特に女性のそれは病気そのものと言える。レストランに着席すると濡れチッシュで手を拭く。チィッシュで皿やスプーン・フォークを拭く。テーブルに溢したものは食べない。タイでは「一流レストランでも屋台でも味は同じ」とよく言われる。屋台ではそれだけ美味しいものが安く食べられるということだが、残念ながら屋台で食事を楽しめる日本人は少数派であろう。

2 時間にシビア

 タイ人と待ち合わせをすると遅れることは日常茶飯事である。車を雇車しても時間通りに来ない運転手は数多いる。いや時間通りに来る方が少ない。遅れてきても「ごめん」も言わない。約束時間の少し前になると日本人はケイタイで「今どこ?」と聞くが、タイ人は絶対にそんなことはしない。こちらが聞いてくれと頼んでも「そのうちに来る」と言って取り合ってくれないことが多い。日本人の時間観念は素晴らしいと思うが、それも程度ものと思うようになったのは、私のタイ化が進んだ証拠か?

3 せっかち

 レストランで注文して少し遅いと「未だか?」と催促するのは決まって日本人だ。ウエイターに用事を頼んで直ぐにしてくれないとイライラするのも日本人のみ。タイ人に限らずヨーロッパでも二つのことを同時にこなす習慣は無いように思う。一つの用事が終わってから次の用事を聞くのが常識。日本人はその辺りのことを無視して自分の都合だけで何事も頼む。

エレベーターに乗ってcloseボタンを押すのも日本人の専売特許。

4 割り勘

 日本では割り勘のことをダッチアカウントという。何故そういうのか判らないが、オランダ人がこのことを聞いたらどう思うか、機会があれば是非聞いて見たいものだ。

 割り勘は実に合理的な習慣で日本の優れた文化だと思うが、タイのみならずアジアではこの習慣は無いように思う。習慣どころか割り勘という概念がない。タイ人は一緒に食事をした人の中で一番の金持ちの人が勘定を払う。誰が金持ちかは議論するまでもなく判るようだ。日本人が食事後割り勘をしているのをタイ人は奇異な目で見ている。割り勘習慣は日本が階級社会でない証拠であろう。

 中国でも食事に誘った人が払うのが当然で、誘いながら割り勘にしたら人間関係にヒビが入る。場合によってはヒビに止まらず人間関係そのものが壊れることになるので注意が必要だ。

24日本の常識は世界の非常識(その2)

5 潔癖さ

 タイに限らずアジアでは「袖の下」文化である。この文化の良否を問えばNOに決まっている。しかし袖の下がこの国の日常生活の潤滑油になっていることは事実である。

 問題はこの習慣に日本人が真っ向から批判するのは如何なものか?口だけならまだしも、その批判を実行に移すとなれば少々お節介が過ぎると思う。ある日本人が役所で袖の下を要求され、それを「けしからん!」と警察に通告し混乱を巻き起こしたことがある。

あくまでも我々日本人はタイに「住まわせていただいている」のであって、日本人社会を作ろうとしているのではない。従って日本の価値観を押し付けることは厳に慎まなければならない。本人の潔癖さは是とするも、それを外国で声高に叫ぶこともないと思うが如何?

6国旗

 今まで多くの国(45カ国)に行った。どこの国に行っても国旗は至るところで目に付く。トルコ、アメリカ、韓国では特に目に付いた。ここタイでもトルコほどではないが、アメリカや韓国に負けず劣らず多く見られる。どの国の国民も国旗に誇りを持つことはあっても、日本のように忌み嫌う人々やマスコミには出会ったことがない。非常識の最たるものであろう。

7 酔っ払い

 日本では酒席で乱れ不穏当な発言をしても、「酒の上のことだから」と大目に見てくれる場合が多い。タイでどのように考えられているのか解らないが、少なくとも酒を飲んで乱れている人の姿は見たことはない。酒を飲まないイスラム圏は当然としても、欧米や中国でも浮浪者以外で酔っ払いは見たことがない(韓国はどうであったか記憶が定かではない)。

 「酒の上のことだから」は世界から見ると非常識なのであろう。

8 セクハラ

 最近日本でもセクハラに対する世間の目は厳しくなったが、それでも「性」に関する日本人の感覚は異常に見える。

 今でもアジアへ買春ツアに出掛ける人が後を絶たない。フィリピンほどではないがここタイでも然り。それも社会的地位の高い人(高かった人)も多く含まれている。それを空港やレストランで声高に喧伝している馬鹿が何と多いことか!恥を知れ!と怒鳴りたくなる。

 買春までいかなくてもゴルフ場でキャディに対して、酒の席でウエイトレスに対して日本と同じ感覚でお尻に触ったりする人もたまにいる。親愛の情を示した積もりかも知れないが、絶対にそうは受け取ってくれないことを銘記すべきであろう。やはり世界の非常識なのである。

長らくチェンマイ通信をご高覧下さり有難うございました。チェンマイ通信は今回で打ち切り、暫くお休みを頂きます。4〜5月中国、5〜6月ブルガリア・ルーマニアを旅しますので、何らかのご報告をさせていただく積りです。

                                                        神原克收

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