中国通信−2
2006年(平成18年)
1 〜 17
 神原克收
           目    次 (クリックで開きます)
道路は素晴らしい
埃りっぽい
車の信頼性
とにかく騒々しい
自分さえよければ(その1)
自分さえよければ(その2)
自分さえ良ければ(その3)
老人の扱い
中国にあって日本にないもの(その1)
10 中国にあって日本にないもの(その2
11 中国にあって日本にないもの(その3)
12 証券会社の熱気
13 炭坑に入った
14 温泉に入った
15 中国あれこれ(その1)
16 中国あれこれ(その2)
17 中国あれこれ(その3)

中国へ出掛けている間お休みしていた「少年探偵団通信」を再開いたします。

しばらくは「中国通信」をお送りします。

今回行ったのは北京の西の山西省、北京の南の河北省が中心で一部河南省にも足を伸ばした。

中国では日本と比べてマイナス点が目立ち、どうしても辛口のコメントになる。せめて最初だけでもすばらしいところから始めたい。 神原克收

 道路は素晴らしい

中国の市街地の幹線道路はどこへ行っても広々している。片側3車線+自転車用道路(2車線分くらい)+歩道(これも2車線分くらい)。車道と自転車用道路は並木で区切られている。並木の美しさは日本以上のところが多い。市街地を外れると自転車用と歩行者用の道路がなくなり車道のみとなるが、こちらも片側3車線が一般的。ここでも並木の緑が素晴らしい。

高速道路の整備も2年後に迫ったオリンピックを目指して急ピッチで進んでいる。こちらも片道3車線が一般的。高速道路ではまだ車の量も少なく、まことに走りやすい。

道路は立派なのだがメンテは十分とは言えないようだ。新設の道路はともかく古いところでは路面の損傷が目立ち、補修の遅れが目に付く。日本では補修のための工事が至る所で行われ渋滞の原因になるが、中国では新設工事は目につくものの補修工事はほとんど見掛けなかった。

幹線道路は立派だが、それ以外の道路はひどいところが多い。未舗装のところが多く、メンテもされていないのでガタガタ道でマイクロバスの最後尾の座席ではバウンドした拍子に体が完全に宙に浮くくらい跳ね上がる。油断していると怪我でもし兼ねない。ホコリも凄いがこれに就いては後日詳しく言及したい。

 




      違った角度からの写真
 埃っぽい

 今回訪れた山西省は北西部でモンゴルと接していて、周辺にはいくつかの砂漠が点在している。これらの砂漠は日本へやってくる黄砂の発生源でもある。山西省自体もセミ砂漠で乾燥しており、緑があるのは一部地域に限られている。おまけにこの地域は風が強く、いつでも砂が舞っている状態である。州政府挙げて植林運動を展開しているようだが、広大な面積を抱え、目覚しい成果を挙げているとはお世辞にも言えない。

 この地域では降雨量は極めて少なく、晴れた日が多いにも拘らず青空は一度も見ることが出来なかった。常時霞んでいて、晴れているのか曇っているのか判然としない。空と雲の区別も全くつかない。15日間の旅行中この区別がついたのは最後の北京だけであった。

 季節によっては青空を見ることが出来るのかも知れないが、こちらの子供は青空を見たことがないのではないかと心配になる。街はいくら清掃しても常に埃っぽく、とても日本のような清潔感は望むべくもない。

 中国は沿岸部の大都市ではスモッグで、北部の乾燥地帯では埃で、どちらにしても大気汚染が深刻な問題であることは、中国を歩いてみればよく分かる。

 車の信頼性

 中国は急速に車社会に突き進んでいる。世界の主な自動車メーカーも中国で揃い踏みをし、技術力の向上も相当なものであろう。しかし、現状は質より量が優先されるのであろうし、車検制度もないので、勢い車の信頼性は日本のように高くはない。

 今回も15日間ずっと雇車で回ったが、初日からエンコに見舞われ、深夜の高速道路で全員で車を押す羽目になった。深夜12時にホテルに到着予定が車の故障で着いたのは翌朝6時。2回目の故障は4時間ほど修理工場へ入れたので、半日の観光を棒に振った。

 故障だけではない。エンジンが悪いのかスピードがさっぱり出ない。高速道路といえども、少しでも登りになると時速30〜50kmになり、ホテル到着がいつも予定より1〜2時間遅くなり、お陰で今回はインターネットカフェに行く時間がほとんど取れなかった。

 これだけ急速に車が増え、しかも信頼性がないとなれば故障車が多いのは自明の理である。しかしよく出来たもので、道路沿いや街中には至る所に修理屋が軒を連ねていて故障車のご来店を待ち受けている。また、運転手も少々の故障なら何とか自分で直せるだけの技術は持っている。今の日本では考えられないことである。

前回車の信頼性についてリポートしました。中には中国の車が全てそんな状態かと勘違いをされている方もおられるようですが、決してそんなことはありません。たまたま、そんな車に出くわしたとご理解下さい。ただ、車検がなく修理屋が多いのは事実です。

明日から暫く海外に出掛けますので、その間中国通信はお休みします。6月中旬から再開します。

                                                           神原克收

 とにかく騒々しい

 中国を旅行された方はよく分かると思うが、中国人はとにかく騒々しい。

        人と人が通常に話している場合でも、日本人には喧嘩をしているのかと思われるほど大きな声で話しをする。1対1の場合でもそうなのだから、複数の人たちの会話はまさに騒音の坩堝と化す。ケイタイ電話でもところ構わず大声で話をする。

        食堂に入っても従業員の大声に圧倒され、とても落ち着いて食事を楽しめない。

        人だけではない。車も必要もないのにむやみやたらとクラクションを鳴らす。北京では相当減ったように思うが、地方へ行けば依然として警笛の嵐だ。

        極め付けの事例をご紹介しよう。大同の郊外に中国で一番古い1000年前の木製の塔があり、多くの観光客が押しかける。駐車場と塔の間に土産物店が軒を連ねているのはどこも同じ光景だ。そこの店々がスピーカーを道路側に出し、大音量で客引きのテープを流している。煩いことこの上ない。これでは何を言っているのかさっぱり解らない。その店のスピーカーの真ん前に行かないと言っていることが解らない。これでは広告効果はゼロで、ただ騒々しいだけである。私の説明だけではあの騒々しさはとても再現出来ないのが残念。

 自分さえよければ(その1)

 中国は伝統的に官僚社会である。その役人は人民に奉仕するよりは私腹を肥やすのに熱心である。日本でもその例はあるが中国の役人はもっと徹底していて、今の共産党独裁時代にあってもその伝統は生きている。従って国民の「お上」頼みは一切ない。日本人は昔から「お上」頼みで、何でもかんでもお上頼み、お上の責任である。

 こうした伝統のなかで「自分さえよければ」という思考回路が定着するのもやむを得ない。しかし、その徹底振りには柔な日本人にはとても理解出来ない。いくつか事例をご紹介しよう。

 先ずは車の運転から。中国の幹線道路は片側3車線と広いがいくら広くても渋滞は発生する。渋滞すると渋滞の激しい方の車がセンターラインをオーバーして反対側車線にはみ出す。それが1車線分、2車線分となり、ひどい時は全部を塞いでしまう。当然反対車線の渋滞も激しくなるので、その先の方へ行くと今度は全く逆の現象が起こる。こうしてニッチもサッチもゆかない状態で渋滞が一層激しくなる。

 中国は右側通行である。渋滞しているとき右側に何かの空地でもあれば、反対側車線から車が突っ込んできてその空地を通過しようとする。当然そのまま進めることはなく、途中で立ち往生することは目に見えているが、それでもそれを試みる運転手を多く見掛けた。中国人には「急がば廻れ」という思想はないのであろうか。

 自分さえよければ(その2)

前回に引き続き車の運転について

        車線の概念は余り無いようだ。交通量の少ないところでも車線を跨いで走る車は結構いる。もっとも車線を守ろうにも守れない事情もある。日本なら側道から本線に入る場合は必ず一旦停止するが、中国ではスピードは落とすものの、そのまま突っ込んでくる。お互いに停まることはしないので、それを避けるためには車線をはみ出すのは仕方ない。勿論ウインカーは出さない。それ以外にも人・自転車・バイク・リヤカーなどがルール無視で通るため、車線など守っていられない。その癖が交通量の少ないところでも出るのであろう。

        信号が無いところで歩行者が横断中に車が停止することはまず無い。歩行者の前か後ろを強引に通り抜ける。歩行者は一定の速度で渡れば、車がそれに合わせて避けて通るから見た目以上に安全なのであろう。日本の感覚で「車が停まるはず」では事故に遭う。

        少しでも車間を空けると必ず割り込んでくる。その鮮やかさは芸術的ですらある。勿論ウインカーなど出す暇がないのはやむを得ない。

 自分さえよければ(その3)

 今回旅行中に目についた事例をいくつかご紹介しよう。

@    道路はゴミ捨て場

道路に唾、痰を吐くのは未だにどこででも見られる現象だ。妙齢の美女が出勤のため颯爽と自宅から出てきて、道路にゴミをポイ。せっかくに美人が台無しだぁ。

A    平遥は明時代の城壁がほぼ完全な姿で保存されている街で、一辺1.5Kmの城壁の中 

に現在でも4万人が生活をしている。高さ10mの城壁の上から市街を眺めると市民の生活がよく分かる。個人の住宅も塀で囲んでいて、塀の中はきれいに掃除が行き届いている場合でも、塀の外は清掃されていないケースが圧倒的に多い。

B    この城壁は表面をレンガで覆っているのだが、城壁の上から見ていると城壁の内側のレンガが無いところが多く見られる。これは自分の住宅の建材として使用するため、剥ぎ取ったためである。

C    銀行へ両替のため行った。入り口で番号札を取って順番に窓口に行くスタイルは日本と同じ。ところが、自分の順番でもないのに窓口へ行く人がいる。最初はちょっと何かを聞くだけかと見ていると、長々と喋っている。割り込んで行く方もさることながら、応対する行員も行員である。これが特殊ケースなのか日常茶飯事なのかは確認出来なかった。

D    極め付きの事例をご紹介しよう。ホテルでの朝食はバイキングというのが定番である。そのバイキング会場でのこと、メインは中華料理ながら西欧料理も申し訳程度ある場合が多い。その中の食パンの食べられ方を写真でご確認いただきたい。この写真は個人の食べ残しではなく、バイキング用のホテルのお皿なのです。

 老人の扱い

 中国は儒教の国である(あった?)。老人を大切にする習慣はいまでも生きているらしい。老人にまつわる話を2題紹介する。

@    今回の旅行でホテル代は一人平均1800円、食事は一食平均300円と大変安上がりである。これに引替え観光地での入場料が非常に高く、100円〜1,500円とバラつきはあるが、概ね5〜600円くらいである。これは外国人価格ではなく中国人にも適用される。

ところが70歳以上は無料、65歳以上は半額というところが沢山あり、大いに助かった。因みに今回の旅行参加者は70歳以上が8名、66歳が1名、60歳以下が1名であった。ご参考までに今回15日間の一人当たりの項目別概算費用は次の通りでした。

食事代  7,500円(一食当り313円)

ホテル代 25,800円(一泊当り1,840円)

入場料  4,500円(それ以外に高齢者割引6,400円あり、実質10,900円)

  入場料は参加者全員の均等負担で、割引が無ければ食事代の1.45倍、ホテル代の45%を占める。いかに入場料が高いかお判りいただけるだろう。

A 街でも田舎でも老人が手持ち無沙汰で屯している姿をよく見掛けた。朝から晩までいつでも目に付いた。大抵は固まって座り込んでいる。家庭では大事にされているのかも分からないが、することがなくやむを得ず座ることが日課になっているのであろう。日本でも似たような姿は多々あるのだろうが、絶対数が少ないので目に付かないだけなのか?或いはもう少しアクティブなのか?少なくとも写真のような老後にはしたくないものである。

 中国にあって日本にないもの(その1)

 中国の街で目についたことをランダムに列挙してみよう。

@家具屋がはばを利かせている

日本の昭和3〜40年代に同じような様相であったと記憶する。人口が多く、しかも住宅投資が活発な中国なら当然といえば当然なのだが、絶えて久しくこうした風景に出くわせていないので印象に残った。

A男性専用病院が目立つ

日本では女性専門病院といえば産婦人科しか思いつかない。しかも少子化で近年ではすっかり影が薄い。ましてや男性専門病院というのは見た記憶がない。ところが中国では「男科医院」という看板がやたらと目に付く。どんな診療内容かは定かではないが、察するに一人っ子政策で男性の避妊手術のニーズがあるということか?

B病院の話をもう一つ。中国は豊かになったとよく言われる。事実街を歩いてみると肌で感じることが出来る。豊かさの象徴的な病院が「糖尿病専門病院」である。日本でも当然糖尿病はメジャーな病気ではあるが、糖尿病の専門病院という看板はついぞ見たことはない。彼我の医療体系の違いかどうかは判らないが、中国の豊かさを物語る一例ではあろう。

C日本では見られなくなった産業別銀行も目に付く。一番多いのは「農業銀行」で「交通銀行」や「工商銀行」なども見掛けた。日本では終戦後に重点産業振興政策をとり、戦後復興を果たした経緯がある。中国でも同じ考えで経済振興を図っているのであろうか。


D車の修理屋が多いことは既に述べた。中国の名誉のために敢えて申し上げると、中国の車が全て信頼性がおけないかというと、それはとんでもない間違いである。事実我々も途中で乗り換えた車は快適で、日本の車と遜色なかった。また街を走っている乗用車はピカピカに磨かれているものも多く、外観の清潔感ではヨーロッパの車に負けていない。

10 中国にあって日本にないもの(その2)

E食べ物で中国にあって日本に無いものは沢山ある。その中で、おやっと思った食べ物に「チャン豆腐」というのがある。日本では沖縄で「豆腐よう」という珍味があるが、それと殆ど同じものだ。但し、味は「豆腐よう」の方が美味い。勿論値段は比べるまでもなく沖縄の方が高い。この珍味は殆どのレストランで提供され、メンバーの一人は毎日注文していた。


F今度は逆に日本にあって中国にないものを2つご紹介しよう。

一つは焼き飯。意外にもどこのレストランでも焼き飯がメニューに載っているところはなかった。

特別に注文しても何軒かが応えてくれただけで、殆どのところでは「メイヨー」の一言で片付けられた。では米文化にもかかわらず中国人は焼き飯を食べないのか?食べるが忙しい時とか、チャンとした食事を作れない時に間に合わせ的に作るものだそうだ。だからレストランのメニューにのせるほど高級なものではないということである。

G次は餃子について。中国は餃子の本場、無い訳がない。沢山あり、中には餃子専門店もよく見かける。しかし中国の餃子は殆どが水餃子か蒸し餃子で、日本のような焼き餃子は見当たらない。それらしきものが無いではないが、とても日本で食べる、あのカリっとした香ばしさは望むべくもない。なぜ焼き餃子を食べないのかとガイドに質問すると、「焼き餃子は作るのに時間が掛かり過ぎ、大勢の客に対応しきれない。その点蒸し餃子や水餃子は一度に大量に作ることが出来るから」との答え。尤もらしい答えではあるが、今ひとつ合点がいかない。やはり味覚の違いではないかと私は今でも思っている。

11 中国にあって日本にないもの(その3)

このテーマでトイレを忘れるわけにはいかない。北京とか上海などの大都会では写真のようなトイレは殆ど姿を消した。ところが地方へ行くとまだまだこの手のトイレがはばを利かせている。30〜40年前までは日本にもこうした便所は珍しくなかったので、驚きはしない。

驚くのは中国人の用便スタイルである。特に「大」については日本人の真似の出来ない行動をとる。壁の無い丸見えのトイレで悠々と座り込んで用を足している。柔な日本人では出るものも出なくなるのは必定。ただ、これも設備の貧弱ゆえと理解出来ないこともない。しかし、どうしても理解出来ないのは、ちゃんと個室になっているトイレであってもわざわざ戸を開けて、外から丸見え状態で用を足している人が多いことである。因みに彼らは入り口の方に向いて座る。女性がどうしているのかは、女性トイレに入らないので不明である。

これもガイドに理由を聞いたら「中国人は狩猟民族で、彼らは閉所恐怖症」とのこと。しかし、世界には狩猟民族といわれる国は沢山あるが、こんなトイレスタイルの国民は聞いたことがない。従って狩猟民族原因説は俄かには信じ難い。どなたか本当の理由をご存知ありませんか。この珍スタイルの写真を撮るチャンスはいくらでもあったが、さすがに気が引けて撮れなかった。お見せできなくて残念!


読者のコメント:(匿名)

@中国のトイレではたくさん面白いことがありました。食べるのも一緒だから出すときも一緒と、人の多いところではずらり並んでお互いの肩をかけるといってました。一度トイレのドアを引くとやや弾力性があるものですから思い切ってひっぱったところおばさんが内側の把手を持ったまま倒れ込んできたのには驚きました。「すいません」と日本語で言って逃げました。

A何時も楽しく拝見しています。今回もなかなかシビアなご指摘でした。
こちらが思うのは、後ろ向きになる(つまり無防備になる)ことへの恐怖だと思います。
こちらも、一人旅で、ドアがしっかり閉まらないトイレなら、ドアを開けられた時、すぐに対応できるように、前向きにしゃがむように思います。一度、閉めた筈のドアが勝手に開いていたことがあって、その時は、恥ずかしいと思う以前に、安全に無事に(何の事故もなく)用を足せたことを感謝しました。恥ずかしいとか、格好悪いとかいう、以前のぎりぎりの選択ではないかと考えますが、いかが?

                                                神原克收
12 証券会社の熱気

 北京の西に大同という結構大きな街がある。人口は100万人以上とガイドブックには書いてある。そこの繁華街で証券会社(と思う)があり、大勢の人が出入りしていて興味があったので覗いてみた。建物の中では正面にはデッカイ画面に上場会社の株価の速報がのっている。その画面を大勢の人たちが食い入るように見ている。

 会場の隅には申込書らしきものに記入している人も大勢いる。良くは判らないが売買の申し込みをしているのであろうか?

 それにしても凄い熱気である。中国が急速に豊かになり、しかも依然として驚異的な経済成長を続けているのだから、金持ちが株式投資に向かうのは当然である。しかしこの会場にきているのはどう見ても一般的な市民で、日本でバブルの時街のおばさん連中が証券会社に押し掛けたのとよく似た現象なのであろう。日本で急速に増えたデイトレーダーの出現もまもなくであろうと推測する。或いは既にそういう現象は始まっているのかも知れない。
                                                                    神原克收
13 炭坑に入った

 石炭は日本では過去の燃料になってしまったが中国では現役バリバリである。炭鉱近くでは石炭満タンの貨物列車が100両以上連ねて走っている。長い貨物列車も日本では過去の遺物になってしまった。

 北京の西500kmに大同という大きな街があり、その近郊に大同炭鉱という国営企業がある。そこでは希望すれば採炭を終わった坑道に案内してくれる。勿論有料(1500円?)である。炭鉱の中に入ることは日本では経験できないので、入ってみることにした。

 事務所で簡単な説明を聞き、炭鉱夫と同じ服装に着替え、我々7人にガイド2人が付きいざ出発。先ずエレベーターで300m降りる。その間全員がヘッドランプを消すと真の暗黒になる。この暗黒も日常では経験出来ない。エレベーターを降り2.5kmトロッコで移動する。

 炭鉱の中は暑いだろうと予測していたが、換気装置のせいか少々肌寒いくらいである。採炭を終えている坑道のせいか、拍子抜けするくらいキレイである。過去の地震による断層や爆発事故の痕跡は残っているものの、広島の原爆ドームと同じで生々しさは伝わってこない。見学を終えてトロッコの待合室に入ると作業を終えた現役の炭鉱夫が大勢いて、ほぼ満室状態であったが、我々を見てすぐ席を譲ってくれた。皆なの顔が黒く汚れていて、帰りのトロッコも彼らと同乗し、はじめて本物の炭鉱気分になった。

 国営の炭鉱は設備も安全対策も整い、更に給料も一般労働者の数倍もあるらしく憧れの的とのこと。因みに周辺には露天掘りに毛の生えた程度の個人炭鉱が沢山あり、事故も頻繁に起こっているようだ。

読者のコメント:
(匿名)

今回の炭坑のレポート、一言付け加えさせてください。
 炭坑の名前は 晋華宮炭坑 で経営形態は集団有限公司となっています。
観光が可能になったのは、将来のエネルギー問題を憂慮する中国の政策の一環として1998年に 「省エネルギー法」を制定しました、最近は人民の啓蒙をはかるため、いろいろ政策がたてられていますが、その前提として、江沢民が1990,2001年とこの炭坑を視察し、一般への公開をはかったもののようです。昔から大同は炭坑の有名な町ですが、他の炭坑に比べ”ガス”がほとんど無いこと、最近の採炭機械が展示できること、それなりの地下の炭層・かっての事故のカ所など見られること、安全対策の一部も説明できることなどの条件を満たしているため、共産党の指導のもと優良鉱山の(中国は炭鉱事故が可成り多く改善が進んでいない)宣伝のため、公開していると思います。 

                                                   神原克收
14 温泉に入った

 世界で温泉の出る国は沢山あるが、日本と同じような楽しみ方をする国は大変少ない。

私の記憶では韓国くらいしか思い浮かばない。そして今回中国でもそれに近い楽しみ方をすることが分かった。

 永安という町から五台山へ向かう途中の片田舎に温泉宿があるというので行くことにした。入場料600円弱でタオルをくれ韓国式の垢すりと頭のシャンプー付きである。

 設備は新しいせいか、大変キレイで更衣室もグッド。浴室は清潔で実に広く、熱い・温い・冷たいと3つの浴槽があり、サウナも当然ついている。日本と違うのは垢すりで全身を洗ってくれるので、体を洗う設備がない。湯船で十分温まったら垢すりの部屋へ行く。この部屋もガラス張りで清潔感に溢れている。フルチンで垢すり台に上がると若いお兄ちゃん(残念ながら男ばかり、女性は勿論女性垢すり婦)が全身隈なく垢すりをしてくれ気持ちいい。粗チンまで持ち上げて洗ってくれるので洗い場がないのに納得する。

 因みにこの温泉は63℃で掛け流しとのこと。ここには宿泊施設もあり、部屋を見せてもらったら小奇麗で次回機会があればここに宿泊するのも良策と感じた。

 中国の大きな街では入浴施設が至る所で目に付く。何とか一度経験してみたかったが、残念ながら今回はチャンスがなかった。次回に期待しよう。
15 中国あれこれ(その1)

@ メーデーは結婚デー

メーデーの日は大同方面から五台山という有名な観光地に向かって車を走らせた。途中メーデーの雰囲気は何かないかと見ていたが、メーデーらしきものは欠片もなかった。代わって3組の結婚式に出くわした。聞くとメーデーは休日でありゴールデンウイークの冒頭なので、この日に結婚する若者は全国的にも多いとのこと。

A 交通違反の罰金

 旅行中交通違反で捕まった。交通量のそんなに多くない広い道路で三叉路に差し掛かり、道を確認するため交差点の真ん中で1分近く停車した。その直後に交通警察に捕まり、罰金300元(4500円)取られた。勿論払ったのは運転手だが、300元といえば労働者の月給の4分の1程度だから馬鹿高い。その際取り調べに4人が当たり、それ以外にもパトカーの中に2−3人がいた。この運転手は10分くらい後にも警官に止められたが、そのときは先ほどの罰金の領収書を見せて即刻放免になった。ガイドの話では取った罰金を警官が皆で山分けするのだろうとのこと。罰金を取るのが目的だから、捕まえる理由は何でも良いらしい。

B 運転手の責任感

 ある観光地で昼食時に運転手が来ない。ガイドに理由を聞くと「駐車場に人が大勢いるので盗難の心配があるから車に残った」とのこと。車上荒らしは日本でも頻発しているので珍しくもないが、車上荒らしに遭う確率は日本よりは高いらしい。それにしても客の荷物を守る運転手の責任感に感心した。写真は交通違反で取調べを受ける運転手で、青い服を着ているのが運転手。元バスケット選手で気のいい大男である。
16 中国あれこれ(その2
C 食事は安い

 今回の旅行中の食事代は一食平均ビール込みで240円であった。ガイドと運転手の分を負担したので一人当たり290円支払った。毎回10皿程度の料理を食べてビールも飲んでだから結構贅沢な食事ではある。因みにレストランでのビールは平均で60円くらい。

  アルコール度は3.3%くらいのものが多い。

D 食事は油っこい

 中国の料理は地方により味が大きく異なる。しかし私の知る限り、油っこさは共通しているように思う。それでもミャンマーほどでもなく美味しく頂ける。ただ、これが連日となると少々こたえる。防衛策として写真のようにお湯で油を落として食べるのも一策。ただし、周囲の人たちに若干の不快感を与えるので仲間の了解が必要だろう。

E ワイン文化はゼロに近い

 夕食時ワインを注文したことがある。出てきたグラスにまずガッカリ、薄汚れた普通のビアグラスである。味の方はもっとひどく、大変甘くてワインというよりはジュースといった方がよい。とても飲めたものではなかった。

F 中国語は難しい

 今回旅行したメンバーで中国語を勉強している人が半分以上いた。結構通じるのだが、あるレストランで大笑いをしたことがある。ゆで卵を食べるために塩を頼んだ。発音は「イエン」である。従業員が持ってきたのはタバコ、そうタバコも「イエン」なのです。ただ違うのは4声の違いだけ。いやはや中国語はややこしい。
17 中国あれこれ(その3)
G ホテルの設備は一流、メンテは三流

  今回泊ったホテルは3つ星か2つ星クラスである。このクラスでも部屋の鍵は電子ロックを採用しているところが殆どだ。電子ロックだから一流とは言えないが、まぁまぁ新しいとは言える。ところが実際には機能していないところが多い。閉めるときはオートロックだから閉まるのだが、開けようとしても開かないことが度々あった。仕方が無いのでその都度ルーム係りを呼んで開けてもらう。あるホテルでは初めからドアを開けるため、従業員が待ち受けていた。ドアのロックシステムを換えるよりは人件費の方が安いのであろう。

  また、あるホテルではドアが開かないのでガチャガチャやっていたら、ノブが折れた。フロントに言うと修理代50元(750円)払えと言う。「そんなもの払えない」というとガイドを通じて半額にすると言ってきた。勿論それも拒否したらホテル側が納得した。ところが部屋でホテルの案内を見ていたら、いろいろな修理代が明記されている。勿論ドアのノブもチャンと50元と書いてある。書いてあるということは、そういうケースが多々あるということの証左である。そう言えば修理も即刻やってくれたところをみると、やはり日常茶飯事なのであろう。        

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