中国通信−1
2005年4月21日〜5月10日
  少年探偵団 神原克收
                         目     次           (項目をクリックすると開きます)
  いざ中国へ 13   中国人の家庭に招かれた
  反日感情について 14   バス運転手のアルバイト
  中国は騒々しい 15   ワイロ天国
  中国では英語は通じない 16   中国では国鉄が健在
  ビール考  17   故障車多し
  食事に関するいろいろ 18   金門島に見る中台関係
  食事に関するいろいろ 2 19   スケールの大きなショウ
  インターネット・カフェ 20   ヌード写真集
  再びインターネット・カフェ 21   客家について(その1)
10   中国人のマナー 22   客家について(その2)
11   車のマナー 23   女性の手
12   中国人のアキレス筋 24   緊急帰国
.いざ中国へ
  今回の旅はロングスティクラブのメンバーとの個人旅行である。リーダーは中国旅行暦30回以上と言う72歳のS氏、以下年齢順に 75歳の女性、72、69、69、61、歳の男性、57歳の女性と私の9名である。(平均年齢、67歳)。それに日本語が話せる中国人が一人で、合計10名のたびである。
期間は4月21日〜5月10日の20日間である。

 行き先は福建省、桂林のある広西チワン自治区、貴州省という中国南西部の地方都市ばかりで、相当マイナーな地区だ。日本人には桂林へ行く飛行機で一度会っただけで、それ以外は20日間の旅行中全く会わなかった。

 移動は長距離列車 2回、飛行機 2回、それ以外は全て車での移動で、それも10人で10人乗りの車だったので、平均年齢67歳のおじん軍団には結構ハードなたびであった。

 泊まったホテルは概ね3ツ星クラスで快適であったが、客家の土楼、日本人が経営している民宿、少数民族の民宿とかなりレベルの低いホテルにも3泊した。宿泊費は概ね朝食付で一人一泊  1000円。

 食事はホテルか町ではレベルの高いレストランで食べた。食事は所謂中華料理で、味は油が多いものの日本人の口にも充分合い比較的美味しく食べることが出来た。 
                                                       ( 見事な年寄り軍団!前列左から2人目がリーダーのS氏、後列右から2人目が中国人ガイド)

しかし、選択肢は中華料理のみで、日本のように世界各国の料理が出てくることは無く、いくら美味しくても毎日毎日同じものでは飽きがきて食欲は全員日を追って低下した。金額は概ね昼食はビール込みで 150円/人、夕食はビール込みで 300円/人程度。ビールは平均大瓶で 80円くらい。

 総費用は日本〜上海の航空運賃を除いて20日間で9万円/人と超格安の旅であった。
.反日感情について
  今回の旅行に際しては多くの方から「危ないのではないか?」と随分ご心配いただいた。私はもともと 「危険なところへ行かない限り心配ない」と考えているので今回も全く心配しなかった。
事実上海に着いて空港で3時間近く東京組を待っていたが、日本人であるが故の危険性は露ほども感じなかった。その後も旅をしている期間中、何の危険も感じなかったばかりかむしろ親切にされた事の方が遥かに多かった。

  反日デモのニュースは中国国内ではテレビも新聞も全く報道していないので、デモそのものを知らない人が殆どで、旅行中反日デモのことが話題になったことは一度もなかった。 

  中国の一般の人の関心は「政治のことより金儲け」で、日本人であろうが何人であろうが、金を落としてくれる人に危害を加えるなんて発想はもともと有り得ない。
そうは言っても一部の人の間では貧富の格差からくる不満エネルギーは相当蓄積されているのも事実で、何かの弾みでそれが「反日」という顔を出す可能性は大いにあり得るので、用心を忘れてはならない。
                                          (子供たちの笑顔は万国共通なのだが・・・・)
  また政府主導の反日教育の影響も底流にあるのも事実である。中国での反日教育の現場に接したことはないが、韓国での実態は垣間見る機会が何回かあった。反日教育を止めない限り、また政府が国民のガス抜きを日本に求めることを止めない限り、この問題は繰り返し、繰り返し蒸し返されることになるのであろう。今回の騒動の損得勘定は圧倒的に中国のマイナスであったと思う。
.中国は騒々しい 
  騒々しいと言ってもデモのことではない。 車の騒音でも町の騒音でもない。 確かに車のクラクションは日本と比べれば相当うるさいのも事実。 でも10年前と比べれば格段に静かになった。

  騒々しいのは人の話し声である。 中国人同士が話をしていると、まるで喧嘩をしているのではないかと思える。

* 先ず声がとても大きい。至近距離にいる相手にどうしてそんなに大きい声が要るのかと不思議で仕方ない。
    まさか中国人は耳が遠い訳でもないだろうに。

* 早口である。詳しいことは分からないが、これはどうも中国語
  の構造によるものということらしいが、兎に角速い。
* 中国人が集団でいる場合、離れている人同士が会話をし出し
  たらとても傍にはおれない。 我々日本人ではその付近ではと
  ても会話は出来ない。彼等はこの大声に負けじと更に大声を出
  す。場所が何処であろうがお構いない。

* 中国でもケイタイ電話は相当普及している。彼等が電話をしだ
   したら同じ室内、同じ電車の車両、同じレストランにいる人に
   は全員に十二分に聞こえる大声で会話を始めてくれる。しか
   もまるで喧嘩をしているように。                          

(列車の食堂車。写真だけ見ていたら静かなのだが、ここでもケイタイに向かって大声で喚いていたが誰も文句を言わない。)

兎に角うるさい! 人ごみの中に暫くいたら頭が痛くなること請け合いだ!

でもこのバイタリティは凄い! 日本人は何をやっても勝負にならないのではないかと、つい思ってしまった。
中国では英語は通じない
 今回の旅は福建省、広西チワン族自治区、貴州省という中国南西部の田舎ばかりを歩いたせいか、日本語は勿論英語も全く通じなかった。一般の人が話せないのは理解出来るがホテルや空港でも殆ど通じない。一人で町を散策すると道ひとつ聞けない。それでも同じ漢字文化の有難さで、書いてあるもののおよその意味は判るから助かる。
 でも言葉の出来ない人が個人で旅行をしようとするとホテル、レストラン、タクシー等々至るところで大いなる不便を感じるであろう。勿論最後の手段として筆談という奥の手はあるし、ボディランゲイジという切り札もある。しかし言葉なしでの個人旅行はこと中国の田舎に関しては余りお勧め出来ない。
         
 いままで「言葉が出来ないから海外旅行は出来ない」という人に沢山遭遇してきた。その度に「言葉なんてどうにでもなりますよ」と言ってきたし、事実日本語だけで外国へ出かけている人もいる。 しかし英語が全く出来なければ、今回わたしが中国で経験した不便さ以上の不便さであろうから、今後は余り無責任に「何とかなりますよ」という言葉は慎まなければならないのであろう。
 それでも英語の基礎を全く勉強していない人は我々世代以下の日本人には全くいないので、「辞書さえあれば何とかなる」という気概さえあれば何とかなると今でも信じているのも事実である。 (立派なホテルも英語は通じない。)
ビール考
 旅の楽しみの一つは食である。食にはアルコールがつきもので、ビールは洋の東西を問わず人気者である。中国でも例外ではなく最近は白酒よりもビールがポピュラーらしい。15年ほど前はまだ冷やして飲む習慣は無かったが、近年は冷やして飲むようになり日本人にも飲み易くなった。

 福建省にきて驚いたことにビールの度数は大体3%前後で2.8%と3.1%のものが殆どでそれ以上のものはない。最初は水を飲んでいるようで頼りないこと夥しく、これなら日本のノンアルコールの方がまだマシといったところだ。しかし何回か飲んでいる内に舌が慣れてくるのか、少しずつ味が分る様になってくるから不思議だ。

 ビールの度数だけが変わっているのではない。グラスも変わっているのである。日本でのグラスよりは2廻り小さいグラスで、アルコール度数の高い酒を飲むグラスである。ビールが薄いうえにグラスも小さいでは気勢が上がらないこと甚だしい。ある時どうしても普通の大きさのグラスが欲しいと頼むと、出てきたのはペラペラのプラスチックのコップで、またもとの小さいグラスに代えてもらった。
                                          (湯のみくらいの大きさのビールグラス)
 これは福建省だけの特徴かと思ったが、桂林のある広西チワン族自治区や貴州省でも事情は変わらなかった。ただこれらの州には4%のビールがあったので、もっぱらこれを飲んでいた。日本でも有名な青島ビールもこれら3省では3.1%のものしかなかった。
コップは貴州省では日本とほぼ同じ大きさのものがあり、気持ちよくビールを楽しめた。
食事に関する色々
 中国を旅行すると食事は当然のことながら中華料理である。中華料理は日本人には馴染みがあり、その意味では恵まれている。日本での中華と比べると少々油っこいが味もまずまずで困ることはなかった。しかも大人数なので料理の種類も色々注文できて、満足度は高かった。料金もアルコール込みで2〜300円と大変安い。
  しかし、毎日毎日、朝昼晩と中華料理で他の料理の選択肢は全くない。20日間で唯一の例外は桂林の近くの陽朔のホテルで朝食にアメリカンが出てきただけ。いくら美味しい料理でも、これだけ続くと食傷気味になるのは止むを得ない。最初のうちは出された料理はあっという間に平らげていたが、10日間が過ぎたあたりから、少しずつ箸の進み具合が遅れだし、最後の方は日本から持ち込んだフリカケが人気を博していた。
 
 全体に油っこいことは前述したが、75歳のY女史はレストランに入るとお湯を用意してもらい、全ての固形料理をそのお湯で洗って食べていた。最初は少々やり過ぎではないかと思っていたが、終わりごろになると何人かの男性も真似をし出した。私もそんな誘惑に駆られたが、あまり上品ではないので辛抱した。でも最後まで一番元気だったのは、そのY女史であったことを付記しておきたい。

(運転手の自宅(貴州省凱里)に招待を受けて出てきた料理の一部
食事に関する色々2
 中国では「足のついているものは椅子・机以外何でも食べる」と言われている。少し大きな市場に行けば蛇、蛙、はじめ何でも売っている。我々の旅行中にも犬の肉が出てきたことがある。ガイドは牛肉だと説明していたが、明らかに味が違う。「犬だろう」と言うとニヤニヤ笑っていた。あとで聞くと「そうだ」と白状した。特別旨いとか不味いわけでもなく、味は違うが羊クラスの肉である。それ以外にも牛(水牛)、豚、鶏、羊などを食べたが、豚と鶏が一番口に合った。

 味の事より殺し方の方に興味を持った。例えば鶏を殺す際、手で鶏を振り回し、勢いをつけて道路に叩きつけて殺すという、誠に荒っぽい方法である。豚を殺している現場には遭遇しなかったが、町のあちこちで豚の悲鳴を聞いた。明らかに豚が成仏した瞬間の声である。その豚を捌くのは店先で堂々とやっているので、何時でも見ることが出来た。鶏以外では水牛を村人総出で解体している風景に出会った。私が子供のころ見たのと全く同じ光景でひどく懐かしい気持ちがした。村人にとっては年に何回かしかないハレの日に違いなく、肉は恐らく村人全員に平等に配分されるのであろう。

 子豚を出荷するときは竹篭に入れて出荷する。日本のように大規模な養豚場から出荷するのではなく、農家が1頭とか2頭ずつ出荷する。豚も雰囲気で分るのか、実に悲しい声で鳴き続ける。 こうした光景が日常茶飯事に行われていて、子供のころから当たり前のように見て育つ。日本人の「可哀そう」という柔な心根では到底太刀打ち出来ない精神構造になることがよく判る。
                                           (子豚の出荷風景)
インターネットカフェ
 どこの都市でもある程度の規模の町ならネットカフェはある。上海などの大都会以外では日本語のソフトは入っていないが、メールの受信やインターネットでの情報は日本語でOK.。料金は概ね42円/時間と高くはない。スピードはそんなに速くはないが、遅くてどうにもならない程でもない。

 最初に行ったのは武夷山という町である。因みに武夷山は世界遺産に登録されている風光明媚な景勝地で、週末には中国人観光客で大変混雑するが日本人を始め外国人は殆ど見当たらない。ホテルでネットカフェの場所を聞いて出掛けたがどうしても見つからず、歩き廻っていたらパソコン数台を置いている店があったので、ここだ!と思って入り、インターネットがしたいと英語で言ったが全く通じない。仕方がないので1台のパソコンの前に座り勝手に操作をしたらホットメールに繋がったので、そのままメールの送受信をするとともに日本のニュースを一通りチェックし終了した。さて料金を払おうと女性従業員に中国語で「いくら?」と聞いてもニコニコするだけで、さっぱり料金を言わない。財布を取り出して女性の目の前に突き出し、「さぁ料金をとってくれ」とジェスチャーで言ってもなかなか取ってくれない。仕方がないので予ねて聞いていた3元(42円)/時間を渡したら困惑の表情の笑顔で受け取ってくれた。
 翌日もう一度ガイドに聞いてネットカフェに行った。今度は昨晩の店とは全く雰囲気が違い、いかにもネットカフェといった佇まい。後から思うに昨晩の店はネットカフェではなく単なる事務所であったらしい。道理で料金をなかなか受け取ってくれなかったのだ。それにしても言葉の全く分らない日本人が飛び込んできて勝手にパソコンを扱ったのに、文句の一つも言わず親切に対応してくれたものだ。知らない者ほど強いものはいないということか。                                    ( インターネットカフェ客は圧倒的に若者でゲームが中心)
再びインターネットカフェ
 一度行ったネットカフェへ夕方再度行ったが、今度は満員で客の大半を占める若者はテレビゲームに興じていてなかなか空きそうになく、仕方がないので違う店に行くことにした。どこにあるか誰に聞いても英語がさっぱり通じず埒があかない。そこで先ほどの店の看板の写真を撮り、その写真を若者に見せたら忽ち店を教えてくれた。「映像は言葉より強し」を実感した。店に入りPCの前に座ったが使い方が分らなくて困っていたら偶然英語の話せる若い女性がいて手助けしてくれた。
終わってホテルへ帰ろうとしたら方向がはっきりしない。集合時間が迫っていたので近くのホテルに飛び込み筆談で帰るホテルへの道を聞いた。そしたらこちらの急いでいる表情を察知したのか、わざわざ100mほどはなれたバイクタクシーのところまで案内してくれ、集合時間に遅れることなく無事帰還できた。因みにバイクタクシーは1km足らずの距離を2元(26円)であった。

 翌日客家の土楼で有名な龍岩へ行った際注意して見ているとあちこちにバイクタクシーがたむろしていて、案外便利な移動手段と理解した次第。


(「インターネットカフェ」と表示した看板 この写真がインターネットカフェに威力を発揮 )
10中国人のマナー
 中国人のマナーは決して良いとは言えない。
・古典的な手洟をかむのは今も健在だし、唾は辺り構わず何処にでも吐く。
・ 夜間車で走っていて、対向する時ライトを下に向けない車も結構多い。
・ 人前で大声で話しをすることについては以前にも書いた。
挙げていけばキリが無いくらい次々と出てくる。勿論皆が皆マナーが悪いわけではないが、要は「自分さえ良ければ他人がどうなろうと、知ったこっちゃない」という考えの人が多いということである。
 そう言えば中国語には「躾」という文字はないと聞いたことがある。文字が無いということは躾という概念がないということであろう。もしそうであれば、中国の公徳心が日本や欧米並みになるには50年、いや100年の年月を要することになる。
 お断りしておくが今回行ったのは中国南西部の田舎まちばかりで、北京や上海などの都会地での見聞ではないので念のため。

・ 道路はゴミ捨て場と認識しているのか、ゴミのポイ捨ては珍しくもない。車からも当然ポイ捨てで、立派な高速道路と云えども例外ではない。但し、だからと言って町がゴミだらけかと言うと結構キレイだ。ゴミを追い掛けるように掃除をしているからだろう。
・ エレベーターでも降りるのが先という常識は通用しない。ドアが開くと下りる人より先に乗り込んでくる。トイレで並んでいても割り込みは平気、空港のチェックイン手続きで並んでいても割り込みはある。


(道路の掃除は出来ていても、側溝までは手が廻らない。)
11 車のマナー
  中国に限らずアジア全般に言えることだが、歩行者優先の思想はまだ根付いていない。車は歩行 者がいても停まってくれない。また道路も横断歩道はあっても、その先が行き止まりで渡れないとこ ろも随所に見られる。

 10年前と比較するとマナーも良くなり、クラクションも減ったと思うが、それでも騒々しいこと夥しい。今回 は車のマナーに就いての見聞です。

 1 横断歩道を渡っている歩行者にクラクションを浴びせるのは常識。

 2 車が自転車や車を追い越す際は追い越しをかけてから、終わるまでクラクションを鳴らし続ける。

 3 前方が渋滞でスピードを落すと、渋滞と分っていながら後ろの車からクラクションが追い掛けてくる。ク    ラクションを鳴らさないと落ち着かないのであろうか。

 4 我々の乗っている車が道路の真ん中で故障して立ち往生した。見れば故障と分るのにそれでもクラク    ションの嵐を浴びることになる。

 5 ガード下の道路でガード下だけ狭くなっている道路はよく見かける。そのガードの入り口近くに車が駐    車していて、運転手も車の中にいた。両サイドから車が来て、駐車している 車が邪魔になり対向出来ない。  両サイドともに車が次々と詰まり、ちょっとした渋滞が発生した。一方の車が無理なバックをしてどうにか通行 出来た。

(横断歩道は行き止まり、こんなところが何ヶ所もあった。)
12中国人のアキレス腱
 中国の経済成長は目を見張るものがあり、近い将来GDPで世界一になると見込まれている。事実、最貧州と言われている貴州省あたりでも経済発展の息吹が強く感じられる。その一方で大気汚染の深刻さは素人目にも明らかだ。日本人にも馴染みの深いアモイの街の様子をご報告しよう。
 
アモイは経済特区に指定され経済的には豊かな都市である。見た限りでは重工業地帯というわけでもなく、有名な観光地コロンス島を抱え、晴れた日には台湾領の金門島も望める風光明媚な街である。

 しかし、風の無い日は1kmくらいの目と鼻の先にあるコロンス島が靄ってボンヤリとしか見えない。20kmくらい先の金門島が見えると言われる丘の上に登っても金門島が見えるどころか、街全体がすっぽりとスモッグに覆われている。

高度成長期の堺や尼崎の大気汚染より遙かに深刻な汚れ具合に見える。
この大気汚染は何も都市部だけのものではなく、「こんな田舎でも!?」と思うような地方都市でも大気汚染は進行している。

汚染の原因は勿論急速に発展する工場からの排気が主たる原因と思うが、それ以外にも急膨張する車の排気ガスや、舗装の不備による埃、進む砂漠化で風に舞い上がる砂塵なども影響しているのであろう。日本に飛んでくる黄砂も今後ひどくなることはあっても、良くなることはないのであろう。
中国のアキレス腱は大気汚染だけでなく、「水」問題も深刻な悩みになると予測する専門家も沢山いる。水問題とは水質汚染と水の枯渇の両方の問題である。
石油は中国の買い漁りで高騰を続けているが、まさか水までとは思いたくもない。しかし全くの絵空ごとでもない気がするところが恐ろしい。中国政府がどの時点で公害規制や水質規制に乗り出すのか関心を持って見守る必要がある。                                                                    
                                            (煙るアモイの街)
13中国人の家庭に招かれた
 今回の移動は基本的にはマイクロバスで、貴州省で1週間ほどお世話になった運転手の自宅に招待された。年恰好は40歳前後、自宅は貴州省凱里で古ぼけたアパートの5階、決して高級住宅街という風情ではない。しかし、一歩部屋に足を踏み入れると外観からは想像出来ないくらい立派な部屋が目に飛び込んでくる。床は大理石、家具調度品は高級感のある木製品、更に出てきた奥さんは飛び切りの美人。旦那さんが出してきたアルバムを見ると、奥さんはミャオ族でミャオ族美人コンテストで優勝した経歴の持ち主。道理で綺麗なはずだ。
 
 家族は息子一人の三人家族。当日は近くに住む運転手の兄とその息子もホストとして動員していた。料理は食べきれないくらいの中華料理で、見た目も味もなかなかのもの。奥さんが数日前から用意したに違いない。
 
 招待された我々はガイドを含めて10人。素直にご馳走になって良いものかどうか迷っていると、中国人ガイドが遠慮なくご馳走になるのが中国流だ、と言ったので箸に勢いが出てきた。
 
 食事中にもアルコールは出てきたが、食後に本格的に「乾杯!」が始まった。
主の運転手本人より兄の方が酒に強く、何回も何回も「カンペー」を繰り返していた。乾杯は50度のマオタイ酒で、ストレートで飲む。日本人で最後まで「乾杯」に付き合ったのは3人のみで、私は早々に「随意」で降りた。
 
  この招待は事前には全く計画に無く、従ってお土産は 何も用意していなかった。我々が持参したのは町中で買 った最高級のマオタイ酒1本のみで、その酒も「乾杯」で 全て飲んだので、実際には何も持参しなかったのに等し い。

  何はともあれ貴重な経験であったが、彼の生活は間違 いなく中流で、運転手商売の彼が何故これほどの生活  が出来るのかは最後まで解らなかった。

  兄の息子は小学生ながら英語の勉強中で、聞いてみ ると全般的に日本語熱よりは英語熱とのことであった。 これは中国だけでなく、アジア全般に言えることではある が。

  
 (運転手宅の小奇麗なリビングルーム
   床は大理石で家具調度品も立派)
14 バス運転手のアルバイト
 桂林は日本でも有名な景勝地だ。桂林の景色は?江の川下りをしながら楽しむのが一般的で、川下りの終点は陽朔という町。川下りの前半は退屈で、ハイライトは後半の興坪から陽朔までの景色である。
 我々は興坪で日本人が経営している旅館に宿泊したのだが、桂林の空港から旅館までの足の確保が問題であった。

 桂林〜陽朔は路線バスで所用時間80分、料金は130円/人。問題はそこから旅館までの足が無い。マイクロバスと交渉したが、夜でもあり足元を見て高く吹っかけてくる。中国人ガイドが路線バスの運転手と交渉して、終点の陽朔から旅館まで所用時間40分を200円/人で話をつけてきた。
 バス運転手の給料がいくらかは定かではないが、福建省のワーカーの月給が2000円/月くらいとのことだから、彼の給料もマックス3000円/月くらいだろう。

 その彼がアルバイトで200円×10人=2000円を手に入れたのだ。車掌が一人いたので、少しは車掌にも渡したのであろうが誠に美味しい話に違いない。

  ここからは小生の勘ぐりだが、バスは勿論のことガソリンも恐らく会社負担であろう。今回は最終バスだったからこんな芸当も出来たのだが、最終バスでなくても少々休憩時間が長ければ出来ない相談ではない。事実ガイドが簡単に話をつけてきたところを見ると、そんなに特殊なケースではないのであろう。

 中国の個人旅行はこうしたことが出来るかどうかで、大きな差がでてくる。中国での旅は真面目一方では快適と言えないところが、多々あるのである。
                                                                                                                                                                         桂林の風景(興坪にて)
15 ワイロ天国
 前回バスの運転手のアルバイトについて書いた。中国はワイロ天国とはよく耳にする話である。多くの事例に接したわけではないので、本当かどうかは判らない。しかし、全く実例が無かったわけでもない。
 
福建省の北部から南部まで夜行列車で移動した。事前の切符は軟座(1等車)が満席で硬座(2等車)の寝台車しか取れていなかった。硬座の経験も悪くはないと腹を括っていた。しかし実際に乗る時、ガイドは我々を食堂車に誘導し、直ぐどこかに消えた。そこに座って待つこと15分くらいでガイドが戻ってきて、「座席が取れたので移動する」と言う。経緯からして席は当然バラバラと思いきや、10人纏めて三部屋(4+4+2)続き部屋で確保しているではないか!凄い!後になってガイドに「どうやって確保したの?」と聞くと「列車長に頼んだ」とだけ答えてくれた。「いくら渡したの?」と聞いてもニヤニヤするのみで、最後まで答えてはくれなかったが、明らかに袖の下の鼻薬が効いたことは間違いない。
 
 今回はガイドが中国人で、しかも公式のガイド資格を持っている、ここ一番では鼻薬を効かせる。言葉が出来ない日本人だけで旅行するのと比べると、比較出来ないくらい早く、安く、スムースに旅行が出来た。日本とは違う国を随所で実感した。
  















   硬座(2等)寝台は3段ベッドの6人部屋でドアなし               軟座(1等)寝台は2段ベッドの4人部屋で施錠付きドアあり  
16中国では国鉄が健在
 日本では郵政の民営化論議に花が咲いている。民営化の成功物語は国鉄を措いては語りえない。国鉄時代の親方日の丸式の無責任経営と従業員の尊大振りは、今思い出しても腹立たしい。
 その「国鉄」が今も中国では健在だ。「国鉄」は何も鉄道だけではなく、デパート、郵便局、銀行など国営企業ならどこでも「国鉄」現象は見られる。
長距離寝台列車、ホームは日本より低い。 今回長距離列車に2回乗ったことは前にも述べた。乗ったのはいずれも軟座で、一つの車輌に2人の車掌が乗務していた。車掌と接触したのはゴミを捨てに行ったときと、お湯を汲みに行ったときの2回のみ。その僅か2回で「国鉄」を感じさせてくれた、有り難いことである。ゴミの捨て場が分らなくて探していたら車掌が出てきて教えてくれた。 その教え方はとても客に対するものではなく、間違いなくお上が愚民に対する態度であった。
 お湯を汲みに行ったときは、他の人のやり方を見て分っていたので聞きもしなかったが、たまたま通り合わせた車掌が尊台ぶって教えてくれた。今回嫌な思いをしたのはこの時だけで、デパートや郵便局には行く機会がなかったし、銀行には一度寄ったが普通の対応でこの面では少しは改善しているのかも知れない。もう10年以上も前になるが、北京のデパートで買物をした時はひどかった。客はガラガラなのに店員はお喋りに夢中で、こちらの言うことには知らん顔、支払いに行ってもお喋りを中断したせいか、実に不機嫌。「何でここで買い物なんかするんだ!」と言わんばかりの剣幕であった。最近は私企業が増えてこんなにひどい話は少なくなっているのだろう。
久し振りに中国で「国鉄」を実感したが、翻って日本の民営化は郵政をはじめとして遅々として進まない。小泉首相の大車輪の努力で大きな政府にやっと歯止めが掛かっただけで、役人と政治家は既得権益の維持に腐心し、肥大化した無駄な補助金には殆ど手がつけられない。道路公団の組織ぐるみの談合などを見ていると、中国の「国鉄」のことを笑ってばかりもいられない思いがする。
17故障車多し
 中国では未だ本格的な車社会は到来していない。特に地方都市ではその感が強い。それでも相当数の車が走っていることは事実で、早くも都市の中心部では渋滞が発生している。道路整備も急ピッチで進んでいるが、それでも本格的な車社会を迎えたらどこまで渋滞するか、末恐ろしい。
中国でも日本車は活躍している。しかし、他のアジア諸国に比べると極端に少ない。政治的な思惑の結果であろう。車の名前を見てもすぐにはどこの国の車か判らない車が多い。多分、国産車か欧州系メーカーとの合弁で作った車であろう。
中国国内での移動はミニバンであったが、20日間の旅行中3回故障した。一度は田舎も田舎、ど田舎で故障し、約1時間ほど修理に掛かった。夕暮れ時で一時は真剣に当日の宿の心配をした。またある時はアモイの街の真ん中でエンコし、クラクションの嵐を浴びた。

オープン間もない高速道路のドライブイン、大変綺麗だがトイレ、ガソリン、売店のみ。 それ以外に最近出来たばかりの高速道路を170km走った(大阪〜岐阜くらいの距離)。新しい道路のせいか、高い通行料(600円弱)のせいか、車の通行量は大変少なかったが、途中故障車を10台くらい見た。これは多分初めて高速運転をして故障したのであろう。また中国では車検制度はないらしい?ので、それも原因の一つかも知れない。
何はともあれ、車の信頼性は日本には遥かに及ばす、従って修理に余程自身のある人意外はレンタカーの運転はしない方が良い。
18金門島に見る中台関係
 福建省のアモイは日本にも馴染みの深い街で、豊かで中国らしくない小奇麗な佇まいの街である。この町の東2.4kmのところに台湾領の金門島がある。地図で確認頂ければ判るが中国大陸にくっ付いていて、この島が何故台湾領なのか理解し難い。位置関係から言うと、中国がその気になれば台湾は全く抵抗することなく中国領になるのではないかと思うくらい、中国本土と近く台湾から遠い。


台湾領の小金門島(金門島の一部)



台湾からの金門島観光船、中国からの船と声が届く距離まで接近して交流


 


この島への観光船がアモイから頻繁(平日4便、休日6〜8便)に出ている。船は島の沖合いまで行き、暫く停泊して引き返すという単純なもの。我々もこの島を見に観光船に乗った。客は大半が中国人で他の地方からの観光客とのこと。我々が親しくなったグループは西安からパックツアで来たとのこと。
 面白いことに観光に訪れるのは中国人だけでなく、台湾人もやはり観光船でこの島を見に来る。我々が行った時も台湾からの船が来ていて、お互いが至近距離から手を振り、大声で何事かエールを交換している。実に和やかで、とても一触即発の緊張関係にある国民同士とは思えない。中台関係は日中や日韓関係と同じように国民レベルと政治レベルとでは大変大きな開きがあるのであろう。まして中台は同じ民族だけに日中や日韓よりもっと親近感があるのかもしれない。最近の韓国・北朝鮮もこんな感じなのであろう。
19スケールの大きなショウ
中国を代表するショウといえば京劇で、その素晴らしさは私が下手な説明をするまでもないであろう。今回の旅行中「これが中国か?!」と度肝を抜かれるようなショウを見た。私の文章能力ではとても表現は出来ないが、写真と皆さんの想像力でカバーして頂きたい。
  ショウがあったのは桂林から離江下りの船の終着の町、陽朔でのこと。会場は郊外の大きな池の前。舞台はこの大きな池とその岸辺。観客席は池に面した一角に階段状に設定されている。
開演は完全に暗くなる夜8時から。定刻ピッタリに会場の照明が消え、大音響と共に池全面に赤、青、黄の鮮やかな原色の帯が整然とたなびく。これは100名近い漁師が船に乗り色つきの蛍光塗料を塗った長〜い布を操り、それに光を当てて幻想的な見事な光景を作り出す。池の後ろには桂林のあの墨絵の世界の山々が借景として微かに見え、ショウに奥行きを与えている。
ショウは冒頭の挨拶以外最初から最後まで言葉は全く無く、光と音と1000名近い人々の一糸乱れぬ演技のみで、息つく暇も無くテンポ良く進んでいき、休憩無しで1時間半がアッという間に過ぎ終了した。これだけでは何のことかさっぱり判らないと思うので、写真を見てご想像下さい。
これだけスケールの大きい構想力はラスベガスの集客のためのイベントに匹敵し、とても日本人では真似の出来ない芸当ではないかと思う。
 また、1000名近い出演者の殆どは地元民の素人のようで、昼間は漁師とか百姓が本職らしい。本当にプロと思える人は10〜20名くらいのもの。この素人集団をここまで鍛えあげた手腕は北朝鮮のマスゲームを連想させる。因みにこのショウの値段は3900円と相当高いが、高さを感じさせないくらい素晴らしかった。
ショウの演出は張芸謀という今売り出し中のプロデユーサーで、ショウのタイトルは「印象劉三姐」。
中国に行かれて、張芸謀演出のショウがあれば是非ご覧になることをお勧めしたい。
20ヌード写真集
 中国と言えば性的にはお堅いというイメージではないだろうか?日本を除くアジアの国々は総じて性的表現は抑制的で、日本の裸の反乱は異常と言えよう。そのお堅いはずの中国でも変化の兆しが見える。以下その具体的な事例をご紹介しよう。
アモイの空港から桂林へ飛んだ。そのアモイの空港での見聞である。搭乗手続きを終え、搭乗待合室で余り大きくない売店をひやかしていた。その中に僅かばかりの本を売っているコーナーがあり、そこで堂々とヌード写真が売られていた。しかもヘア付きである。ヌード写真だけではなく「世界性技術図鑑」等の性的な本もある。
  浅学な私見では政府が規制しない限り、経済の発展と性の氾濫度は比例していると思う。中国経済がこれだけ発展すれば性に関する本が増えるのは当然のことである。しかし、全ての書物は政府が検閲している筈である。にも拘らずこれほど大胆なヌード写真集が公然と売られているということは、政府が黙認していることを意味する。表現の自由が政治的に影響がない場合は認められるようになったのか、或いは反日運動と同じく、国民の不満のガス抜きの積もりなのか、皆さんのお考えは如何でしょう?
21 客家について(その1)
客家(ハッカ)と聞いて皆さんは何を連想しますか?彼らの独特な住宅「土楼」と客家出身の有名人ではないでしょうか。
1. 先ず有名人から
中国を開放経済に導き今日の繁栄の基礎を築いたケ小平、中国人民解放軍の元老だった朱徳・葉剣英・賀竜元帥、歴史をふり返れば太平天国の乱を起こした洪秀全、辛亥革命を起こした孫文とその夫人宋慶齢、その妹で蒋介石夫人となった宋美齢など枚挙に暇がない。

2. 次にその特異な住居「土楼」について
何はともあれ写真をご覧いただきたい。土楼には円形と方形があり、写真は大小様々な円形・方形土楼と円形土楼内部の写真である。大きさには大小があり、大きなものの一例を紹介すると、建物は4重になっている。一番外側、一列目の囲屋は周囲が約230m。4階建てで各階に72の部屋があり、72×4=288部屋がある。その内側の囲屋は二階建てで、44×2=88部屋、三番目の囲屋は平屋で部屋数は36。部屋数合計412。一番内側には公共の場所となる堂がある。
一階は、厨房、食堂、客間として使い、二階は倉庫として穀物
、ラッカセイ、サツマイモ、タロイモなどを貯蔵する。三、四階は寝室となる。建物の中央には、前堂、中堂、後堂の三つの建物があり、ここが公共の場所となる。
 この土楼に住んでいるのは同じ一族だけで、全員が同じ姓を名乗る。また家族単位で1階から4階までの4部屋が与えられる。
丘の上から大小の円形土楼や方形土楼が見える
大型円形土楼の内部
22 客家について (その2)
3 客家の歴史
では何故このような特異な住居を作ったのか、歴史を辿ってみよう。現在、中国南西部、台湾省などに分布している客家は、もともと中国北方の黄河中流域に暮らしていた。3〜4世紀、長年続く戦乱から逃れるため彼らは黄河を越え、長江を渡り、安徽、江西省の北部にたどりついた。これが第一回の南方への大移動である。 2回目の南下は唐時代末で、農民蜂起の戦乱を避け、江西省東南部、福建省西部へとさらに南下した。 三回目の移動は、元の南下により南宋の皇帝が広東へ避難したのに従い、福建、広東、江西三省の境界の山奥に暮らすようになった。彼らは土着民との争いや匪賊の略奪、またトラなどの襲撃に備えて一族で住まい、建物も土楼という特異な形態になったのである。

4 土楼の強度
大部分の土楼は2〜300年前の清代に建てられたものだが、中には600年前のものまで残っている。特に円形土楼は強度的にも優れ、度重なる地震にも耐え今日でも人々が生活しているものも多い。構造的な詳しい話は省略するが、地震で入った大きな亀裂も年を経るに従って小さくなり、最後は小さな筋しか残らなくなったとのこと。彼らの技術水準の高さを物語るエピソードである。
(我々が宿泊した振成楼の内部)
23 女性の手
昔の日本の女性は働き詰めで働いた。特に私が育った備後地方の農家の女性は働き者が多かった。私の母親も良く働く女性で、掌はゴツゴツしていて冬にはいつもアカギレが出来ていた。これに引き換え、 最近の女性の手は実に華奢で柔らかい。

 今回広西チワン族自治区の筆興というところで一泊し、夕方トン族のショウがあるというので見に行った。料金は650円と少々高目であったが、寄付の積もりで気持ちよく参加した。ショウ自体は伝統的な楽器による単純な音楽、素朴な歌と踊りでありきたりのものである。ショウの最後に出演者と観客でフォークダンスをした。どこにでもあるパターンだ。出演者は女性が多く、歳は30代の主婦が中心と見受けた。客は我々日本人5人と欧州系の老若男女に地元の子供達である。ダンスをして驚いたのはどの女性も手がゴツゴツしていて、昔の母親の掌と同じであった。可愛い顔立ちの女性が多く、顔と手のイメージがひどく異なったが、きっと農作業や牛、鶏、豚などの世話に忙しく働きまわっているのであろう。
 私の子供時代も随分貧しかったが、この地方の少数民族の生活はそれに匹敵する貧しさなのであろう。働き者の女性の掌に何ともいえない懐かしさと親しみが込み上げてきた。              (顔は綺麗だが手は百姓のオバチャン)
24 緊急帰国
 今まで旅行期間は20日間と言ってきたが、実際には16日間である。というのは旅の途中で親戚の訃報が入り、急遽帰国する羽目になった。貴州省の凱里という街で娘からの訃報を伝えるメールを夕方4時ごろインターネットカフェで見た。通夜は翌日18時、葬儀は翌々日とのこと。本日中に上海まで行ければ間に合う。即刻帰国を決意し、ホテルに帰りガイドにその旨告げると、「この街には空港は無い。170km離れた貴陽まで行けば上海行きの便がある」とすぐチケットの手配に掛かってくれ、21時の便を確保してくれた。「凱里〜貴陽はタクシーしかないが、幸いにも最近開通した高速道路があるのでそれを飛ばせば間に合うだろう」とのこと。17:10ホテルを出発し、19:40無事貴陽の空港に着いた(タクシー代は高速代込で5200円)。そこで貴陽の旅行会社の社員と落ち合い、チケットを受け取り無事21時発の上海行きに搭乗出来た。
 
 上海の空港は国内線専用空港で浦東国際空港とは80km離れている。着いたのは深夜11:30で雨が降っていた。客引きの激しいアタックはひたすら無視してタクシーの列に並んだ。幸い乗ったタクシーの運転手が善い人で、近くのホテルを5軒ほど当たってくれたが、いずこも満室。止むを得ず、浦東国際空港で一夜を明かす決心をし、そちらに向かった。幸いにもタクシーが国際空港近くのホテルに連れて行ってくれ、部屋を確保出来た(タクシー代は高速代込で2,600円)。時刻は深夜1:30であった。
 
 ホテルの確保が出来たら、あと心配なのは上海〜大阪のANA便の変更のみ。これは翌日空港へ行けば何とかなるだろうと、その日は疲れもあり、ぐっすり寝た。翌朝タクシーで空港へ向かいANAのカウンターで変更手続きをして、ホテルに帰り朝食。出発は12:50で昼近くまでホテルで休息し、無事帰国。上海浦東国際空港は国際線でも1時間前でOKとANAの職員が言っていた。
 
 緊急帰国で掛かった余分な費用は下記の通り。
凱里〜貴陽タクシー5,200円+貴陽〜上海航空券(含諸雑費)18,850円+上海国内空港〜浦東国際空港近くのホテル タクシー代2,600円+ホテル代2,700円+ホテル〜空港タクシー3回470円=29,820円
 僅か3万円の出費でこれだけ貴重な経験が出来たことは大変安い勉強代ではあった。

                                                 (完)

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