バルセロナの案内

                           編修作成者 荒木道介 200581

バルセロナの位置

スペイン東北部で地中海に面し、北はピレネー山脈の向こう側がフランス国境が走っている。

寄港地(スペイン)バルセローナについて荒木氏寄稿文 上の地図カタルーニヤ
1963年から1989年までの間に通算21年間メキシコ初め中南米で駐在し仕事してきた私にとって旧宗主国だったスペインを先ず訪れる事が夢でした。

1989年から住み始めたサンデイエゴ時代に初めてその夢が実現し1993年にスペインを旅しました。最初の訪問地バルセローナが私にとって初めて訪れたヨーロッパでもありました。それだけにバルセローナの印象は私にとって強烈な

そして新鮮なものでした。

 

バルセローナは人口180万人のスペイン第二の都市ですが同時にスペイン第一の工業都市で今もスペインで最も発展し続けている都市でもあります。カタルーニヤ州のバルセローナはイベリア半島の東の玄関口として紀元前から様々な民族の交差点だった。紀元前6世紀にギリシャ人がバルセローナを築いて以来ローマ帝国、西ゴート人、アラビア人そしてフランスの支配下となりスペインの辺境と言われる。10世紀にはカタルーニヤはバルセローナ伯領という独立王国となり地中海に一大王国を築き15世紀のスペイン統一まで続いた。

1936年のスペイン内乱から始まるフランコ独裁政権によりカタルニヤ自治権剥奪、カタルニヤ語の禁止等を経て75年フランコの死後自治権復活カタルニヤ語の公用語化も実現した。

スペイン人である前にカタルニヤ人であると言われる程の自尊心、独立心に富んだ風土からガウデイー・ピカソ・ミロ・ダリなどの多くのモデルニズモと呼ばれる(フランスではアールヌーヴォー)芸術の波が生まれた。カタルーニヤ

に一層の自信を持たせたものは、皮肉なことに1898年の米西戦争におけるスペインの敗北であった。この敗戦によりスペインはフィリッピン他新大陸を完全に失いイベリア半島内に撤退4世紀に及ぶ栄光の歴史に幕を下ろした。マドリードではスペインを救う道はスペインの過去を再評価しフェリッペU世的スペイン、ドンキホーテ的スペインを肯定する悲劇的思想運動が展開された。これに対してバルセローナを中心とするカタルーニヤは自分たちの歩んで来た道の正しさを再認識し反官僚的、反中央意識に基ずいた楽観主義的未来志向を進めていった。

92年のオリンピックを機にスペインで最も活気ある町として躍進し続けている。

 

こうした背景を意識の片隅に置いてバルセローナの短時間見物をやって見ましょう。

矢張り先ずバルセローナの象徴としてのサグラダ・ファミリア(聖家族協会)

は欠かせないと思います。

(A)    サグラダ・ファミリア(聖家族協会)

1882年に書店主ボカベーリヤの発想で「サンホセ信仰普及会」が発起者と

なり建設が始まり、1883年からは前任者から引き継いだガウデイーが生涯を捧げ1926年に交通事故死を遂げた後も彼の模型とデッサンを基に今なお建設が続けられている。(日本人彫刻家外尾氏も加わっている)

東・西・南にキリストの誕生・受難・復活を表すファサードに12使徒を

表す4基ずつの塔とキリスト・聖母マリア・4人の福音書作者を表す6基とあわせて合計18本の塔がある。ガウデイーが完成させたのは東の「生誕の正面」のファサードと4っの塔、その後西側の「受難の正面」まで完成。建物内にはエレベーターもある。

この聖堂はもともと贖罪教会として発想されたものですが、自然に対する

限りない愛情と、生への賛歌を高らかに歌い上げた教会と言えましょう。

グエル公園

英国式庭園住宅に憧れた資産家のグエルは、住宅地として15ヘクタールの土地を用意し、何の制限も課さずガウディにこの庭園住宅の設計を依頼しました。しかし、売りに出した60件の住宅のうち、売れたのはガウディとその友人が購入したというわずか2件。1922年に市がこの敷地を買い取り、公共公園としました。

グエル公園と雨上がりのバルセロナ

  (行き方)小生はタクシーを2.時間半チャーターしてグエル公園やミロ美術館も含め行きましたがメトロやバスでも行ける様です。メトロの場合ランブラス通りのリセウ駅から3号(L3)に乗りパセジ・デ・グラシアで2号(L2)に乗り換えサグラダ・ファミリア駅下車1分。

 

 サグラダ・ファミリア訪問後のお勧めはゴシック地区の散策です。

B) 海辺のコロンブス像からプラタナスの並木が美しいランブラス通りを北西に向かって散策する。道路の真中が緑あふれる遊歩道で車は両側を申し訳けなさそうに走っており、花屋、しゃれたカフェ、パントマイムのパーフォーマンス等楽しい通りです。途中約500米程行ってNou de la Rambra通りを左に曲がるとすぐガウデイがパトロンのグエル伯爵(グエル公園

のオーナー)の為に建てたグエル邸がある。ランブラス通りを更に一ブロック歩いてフェラン通りを右折すると旧市街(ゴシック地区)に入って行く。フェラン通りを350米程行くと左手に70米の高さの尖塔が目印のカテドラルがある。13世紀末にバルセローナの守護聖女サンタ・エウレリアが眠る白い大理石の墓が中央祭壇下にあり、びわや棕櫚の木が茂る中庭の回廊も美しい。フェラン通りに戻るとプリンセサ通りと名を変えしゃれた店店を見ながら更に300米程行くと一本南の通り(モンカダ通り)に面してピカソ美術館がある。このピカソ美術館の周辺の町の佇まいは素晴らしい。このピカソ美術館も13世紀に建てられた貴族の邸宅を美術館にしたもので独特の雰囲気を持っている。ピカソの幼・少年期から青年の時代の作品が主だがピカソを知る上で見逃せない。

後もう少しシウダデラ公園まで足を伸ばすかそのまま港に向かって南下するかです。

おしゃれなランブラス通りと情緒豊かで庶民的でもあるゴシック地区の

散策でバルセローナ気分を十分満喫できる。土地の人に教えてもらって

昼食をとった7(Siete)Puertasと言うレストランで食べたパエヤの美味しさは忘れられない。

 

C)後時間があって見るべきところとして次のようなところがあります。

 

@    前述のランブラス通りを旧市街に向け右折せずに北西に直進すると300米先左手にサン・ホセ市場(バルセロナ一番の巨大市場)がある。

    更に直進すると400米程先にカタルニヤ広場がある。ここでランブラス通りは終わりここから北西は新市街地区で道が碁盤の目のように整然とした街並みになる。カタルニヤ広場からグラシア通りを北西に進むとガウデイの有名なパトリヨ邸、ミラ邸があり又このグラシア通りはバルセローナのシャンゼリゼと言われるショッピング通りでもある。日本でも人気の革製品Loewe/Yankoやバルセロナ子の憧れのブランド(男・女)Adolfo Dominguez等の店がある。

A    A)のサグラダ・ファミリアをタクシーで行かれたら更に北に足を伸ばしてタクシーでグエル公園(世界遺産、ガウデイーの様々な独特の造形が見られ印象的)に行かれても良し又町の全

 

く反対側(南西)のモンジュイックの丘にあるミロ美術館も一見の価値十分にあります。

                               以上

    

(ご参考)以下は神吉敬三氏著「プラドで見た夢」よりの抜粋。

  神吉敬三氏は1932年山口生まれ、上智大学名誉教授、スペインの

文化勲章に当たる“賢王アルフォンソ十世章”受賞、スペイン王立美術

アカデミー客員。

 アントニオ・ガウデイー

  1852年釜造りを営む職人を父にカタルーニヤ地方の小都レウスで生まれた。16歳でバルセローナに出て建築専門学校を卒業した。建築専門学校時代は所謂良い学生ではなかった。図書館であらゆる時代の建築様式を研究すると共にそうした様式を生んだ思想的、社会的、政治的背景に興味を持ちむしろ哲学の講義の方に足繁く通ったと言う。

  豊かでなかったガウデイーはアルバイトをし設計もするかたわら石工、

  木工、煉瓦、塗装、鍛鉄等の職人的技術を身に付けた。良い生徒ではなかったが、公園の鋳鉄の噴水の構造計算など天才としての片鱗を見せ建築専門学校の校長をして“今日、天才か狂人かどちらか分からぬ男が私の学校を巣立っていった”と言わせたのは有名な話。

  1883年彼の処女作カサ・ヴィセンスに着手した年に30歳の若さで

  サグラダ・ファミリア聖堂の第二代総監督に任命された。

  世紀末芸術の根底にロマン主義がありそのロマン主義の二大要素である中世への憧れとエキゾテイズムへの願望はスペインの場合自国内で同時に満たすことが出来た。今日にも根強く生きるスペインの中世は

  独特のゴシック様式とイスラム様式の混合様式を同時並行的に持っていたからである。ガウデイーはこの中世スペインが誇る二大様式を放物線形やアラベスクの規則正しい壁面といった合理的なフォルムと融合させながら彼独自の様式を作り上げていった。ガウデイーの象徴主義的傾向はつとに有名であり、サグラーダ・ファミリア聖堂は建築家ガウデイーの総決算となるが、象徴として見れば彼の宗教信条、哲学思想、神秘思想----つまり彼のカトリック的人生観と世界観----の造形的

  な表現と言える。結局1926年に清貧の内に市電にはねられて死亡するまでの43年間この仕事に専念した。サグラダ・ファミリア聖堂は

  合理による非合理の表現としてこれ以上のものはない思われる。

 

                                 以上

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