地中海クルーズの寄港地ドブロブニクに関して

1、ドブロクニクとの出会い

ドブロクニクの町の遠景

わたしが今回下記のクルーズに参加することにしました。このクルーズのなかの寄港地に4年前行きました世界一周の船旅で寄航地に同じくナポリとドブロクニクが含まれていました。その時のドブロクニクの印象がかなり強烈だったので今度同航する皆さんにドブロクニクのことをお知らせしたいとペンをとりました。

2、地中海クルーズの案内(末兼さん作成)

地中海クルーズの概要2005年1月9

 

船舶:カーニバル・リバティ号 11万トン 2005年7月竣工  クルーズ船のイメージは下図参照

期間:20051012日(水)から1024日(月)まで1213

日程:1012()ローマ、イタリア         出発19.00
      13()ナポリ、イタリア 到着 7.00  出発18.00

      14()船上

      15()ドブロブニククロアチア  到着 7.00  出発19.00

      16()ベニス、イタリア 到着 14.00  

      17()ベニス、イタリア        出発17.00

      18()船上

      19()メシーナ、シシリー島  到着 7.00  出発17.00

      20()船上

      21()バルセロナ、スペイン  到着 7.00  出発17.00

      22()カンヌ、フランス 到着 9.00  出発20.00

      23()リボルノ、イタリア  到着 8.00  出発20.00

      24()ローマ、イタリア 到着 8.00

日程地図:

費用:は約US$2,350(海側バルコニー付き)、その他にローマまでの航空運賃、その他雑費

連絡:末兼まで TelFax0797-81-1213 

BBPhone050-1487-1213

        E-maili-suekane@jttk.zaq.ne.jp

.ドブロクニクの印象

私たち世界1周の船旅でアテネの観光を終えピレニウス港からアドリヤ海に向けて北上しクロアチアのドブロクニクに向かっていました。当時船上で次に訪れるドブロクニクのことに関して船側主催するセミナーで説明などを聞いていましたが,その時はあまり期待などしていませんでした。

と言いますのも当時ユーゴは激烈な内戦が終了し、その結果国は分裂し今度行くドブロクニクはクロアチア共和国になったばかりで戦争による災害もかなりのものであると聞いていたのです。何故そんな所へ観光に行くのかとかなり疑問に思ったものでした。

それと当時日本ではドブロクニクのことを観光地として宣伝していなかったので、最初その地名にも馴染めなかった。私など歳の所為かすぐその地名が記憶の中でかき消され、無理やり濁酒(どぶろく)は憎い(にくい)と語呂合わせでドブロクニクの名をなんとか記憶に定着させたものでした。

以上のように最初ドブロクニクを訪れる前は舌を噛むような地名とともに悪印象を持ったものでした。

そうなると「アドリヤ海の真珠」とか「ドブロクニクを見ずして天国を語るなかれ」と、この街を訪れたイギリスの劇作家バーナード・ショーが述べたとかを聞くとつい天邪鬼の気持ちが持ち上がり、益々たいした所ではないと思うようになってしまいました。

しかしドブロクニクに到着した途端、そんな考え方が180度ひっくり返ってしまいました。

アドリヤ海のコバルト色の海の色、港の背景の輝くようなミドリ、空の紺碧の青さとその中を動く純白の雲の流れ、それと旧市街の赤レンガつくりの海に面した城塞都市の渾然と1体となった風景に目が奪われてしまいました。

その時世界中の人が賞賛する「アドリヤ海の真珠」と言う言葉が実感として伝わってきました。

また「ドブロクニクを見ずして天国を語るなかれ」と、この街を訪れたイギリスの劇作家バーナード・ショーが述べたと言ったことを思い出し、さすがバーナード・ショーだ!上手く表現したものだと痛感したものでした。

上陸し港から旧市街まで田舎道を徒歩40分ぐらいの散策で到着するので滞在2日間の間4回ぐらい船と旧市街の間を往復し観光したことを思い出しました。ホテル代わりに船を拠点としているので、食事は美味しくって慣れている船内の食事を摂る為何度も往復した訳です。

ここの住民と言葉はわからないがお得意のボディ ラングゥェジで意思疎通を図るが彼ら

背後の山頂から旧市街を俯瞰撮影した写真

は温和そのものでした。港の前の美容店で綺麗な女性美容師を見ていると盛んに手で頭の髪の毛を下から上に上げて散髪したらと誘っているようなのでつい店に入ってしまい、(いくつになっても女性に弱いのが欠点)長い船旅でかなりむさくるしい髪の毛だったのでつい誘いに乗ってみようと考え、値段を聞くと船内の理髪よりかなり安いようなので散髪をしてもらう結果となった訳です。

それとここは全世界からの観光客が押し寄せているので下手な英語でも各国の観光客ともかなり通じた感じだった。

4、ドブロクニクの旧市街観光

 

港から旧市街まではバスが走っていたがあたりの景色がいいので坂道を越えて海を見ながらの散策もかなりいい気持ちである。それと大都会ではないので車もそんなに多くなく住宅街を抜ける小路を歩きながらここの住人たちの生活の匂いを嗅ぐのもなかなかいいものであった。

旧市街に到着すると其処は海に突き出た城壁に囲まれたこじんまりとした空間が広がっていた。その城壁に囲まれた中には中世そのままの西洋世界がそのまま残っている感じであった。これこそまさしく世界遺産そのものである。教会があり、市役所があり、大通りに面した店の数々、人2人が通過できるような小路の両側は4階建ての石作りで、ホテルでもあり住民の住居の様でもある。

町の様子を見学したければ旧市街を取り巻く城壁の上に登りぐるりとゆっくり1時間もかけて廻ると片方は山の眺望ができるし、他方にはアドリヤ海の海の色を眼下にみることができる。また真ん中を見下せば旧市街そのものである。この城壁の上をたくさんの世界からの観光客が周回しているのである。 

 

城壁の上から真下にアドリヤ海を覗き込んだときの写真

ドブロブニクの旧市街を概観すると街を守る城壁に囲まれた街で、過去王様がいなかったのでその中心に王宮がない公国である点が他の城塞都市と異なるようである。王様がいないので、いわゆる宮殿はないが、総督府があり、その執務室はそれなりの建物である。

内戦時には背後の丘の上から砲弾が飛んできたとのこと。どこに落ちて、どの建物が被害にあったのかの位置の詳細が城壁の門入り口の立て札にあった。こんな綺麗なところを、もったいないものである。もう少し内戦が長引けば、かなりの被害にあっただろう。げに戦争の恐ろしさ愚かさを実感した次第。

5、再度訪問したい訳

世界1周のクルーズで20カ国の観光を終え横浜に帰国する前の日このたびのクルーズでどこの寄港地が一番よかったかのアンケートの調査結果が発表された。その時このドブロクニクがベスト3の中に輝いていた。当然私自身もこのドブロクニクに1票を投じた事を何も隠すことは無いであろう。

いずれの日にか 妻にもこの地を見せてやりたいと密かに考えていたが、いかんせんこの地は日本からかなり遠くその上 主な観光ルートからかけ離れていたのでほとんど諦めていた。

其処に今度の地中海クルーズの案内があったのでさっそく応募した次第です。その上今度のクルーズには 行きたいと思っていたゴンドラのベニス、ピサの斜塔のリボルノ、シシリー島のメシーナ、スペインのバルセロナ、世界映画祭で有名なカンヌ等の町を其々海上ホテルである船上から見られるのだからまさしく絶好の機会だと確信している。


                                                                            以上

            2005年2月12日                                    田中孝之 記

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