リボルノ観光 文責 田中 孝之 2005年8月13日(土)記
リボルノは単なる漁師町のような港町であるらしい。 ここも下船してから10時間ほど観光する時間があるのでその時間を有効利用したいものである。 それ故この港に上陸してからは午前中はバスを利用し30分ぐらいでビサの町に行きビサの斜塔見学をし、午後は時間が許す限りバスかタクシーで日本の京都のような古都であるフイレンツェの町に行き観光したら良いのではないかと考えます。 リボルノ近郊の地図(トスカーナ地方)
1.午前はビサの斜塔観光 11世紀に地中海の中で最も力があった町、ピサ。リボルノからバスで約30分でピサに着きます。まずは歩いて奇跡の広場(ドゥオーモ広場)へ行き、世界でも有名なピサの斜塔に到着。トスカーナ・ロマネスク様式で建てられた大聖堂(ドゥオーモ)が、内部のアーチの白黒ストライプ模様はモスレム文化の影響といわれています。写真を撮るポイントもたくさんあります。 ピサの斜塔は高さ54.5Mの8層でなっている。 ガリレオが重力の法則の実験を行った建物としてあまりにも有名だ。 斜塔はアイボリー色で美しい。 グリンの芝生が敷き詰められた敷地には大聖堂や洗礼堂などの建物が有り、アイボリーの建物がグリーンの芝生に見事に映えている。 ローマ帝国時代よりピサは、軍港と栄え、次第に商業港として発展し、中世は、ジェノバ、アマルフィ、ヴェネツィアと並ぶ海洋王国となりました。11世紀から13世紀がピサの最盛期となります。その後、ジェノバとの戦いに敗れ、地中海支配の時代が終わり、それ以降は衰退していきます。近代になり、商業、観光、学問の街として再発展していきます。 ピサの最大の見所は、なんといってもピサの斜塔です。11世紀から12世紀にかけて建てられました。現在は、傾斜を止める工事が行われました。
2.午後はフイレンツエ市観光
その他の観光名所や市場に関しては次に記します。 "ベッキオ宮殿" -PALAZZO VECCHIO- ベッキオ宮殿は、フィレンツェ市内でも最も重要な建築物の一つです。1299年、アルノルフォ・ディカンビオによって建築が始まりました。最初は、フィレンツェ共和国の政庁舎として建設が始まりました。一時、メディチ家はここを住居としましたが、その後ピッティ宮殿へ移ります。1550年から1565年の間に、ヴァザーリによって部分的に改築され、政庁舎内部およびフィレンツェ当主(メディチ家)の住居部分の内装がより豪華になりました。現在でも、フィレンツェ市庁舎として使われていますが、内部は、見学可能となっています。「フランチェスコ1世の仕事部屋」、「500人大広間」、「レオ10世の間」、「ゆりの間」は必見です。宮殿前のシニョリーア広場一角には、ランツィのロッジャがあり、チェッリーニの"ペルセウス"の彫刻やジャンボローニャの"サビニの女の掠奪"などが置かれている。ベッキオ宮殿入り口には、ダビデ像のレプリカも置かれている 大聖堂" -DUOMO- 大聖堂 ("Duomo") は、サンタ・マリア・デル・フィオーレ(花の聖母マリア大聖堂)の名で親しまれています。建築様式は、典型的イタリアゴシック様式の教会です。アルノルフォ・ディ・カンビオ(1245−1302年)によって設計されました。 彼は、当時では建築−彫刻分野でも最も優秀な一人でした。1367年には、初期洗礼堂のように、3色の大理石で壁は覆われていました。現在の正面(ファサード)は、19世紀に作られたものです。 内部も、典型的ゴシック様式で作られています。これは、イタリア北部の建築様式とは異なっています。内部正面向かって左壁には、パオロ・ウッチェッロ(1436)とアンドレア・デル・カスターニョ(1456)による、「騎馬像」のフレスコ画がある。また、内部入り口上には、パオロ・ウッチェッロによって描かれた24時間時計がある。 大聖堂にあった大部分の彫刻は、傷みを防ぐために、ドォーモ裏にある"ドォーモ美術館"に収容されている。それでも現在でも大聖堂に置かれている作品もある。例えば、ルーカ・デッラ・ロッビア作による、聖具室扉上部の陶製焼物、ブロンズ製扉、ミケランジェロによるピエタなどがそうです。ステンドグラスは、1434年−1445年にドナテッロ、アンドレア・デル・カスターニョ、そしてパオロ・ウッチェッロのデザインにより、大部分が作成されました。そして、この大聖堂の建築において最後の難関だったクーポラが、ブルネッレスキ、アントニオ・デル・ポッライオなどによって1436年についに完成しました。
"ジョットの鐘楼" -CAMPANILE DI GIOTTO-
ドォーモの横に聳え立つ鐘楼は、"ジョットの鐘楼"の名で知られています。 その姿は、フィレンツェの景観をより際立たせています。有名画家であり建築家でもあったジョットが設計し、建築を始めました。1337年、鐘楼の一番低い部分を完成させたところで死去します。その後、アンドレア・ピザーノ(1290-1349年)とフランチェスコ・タレンティ(1325-1369年)によって、建築が続けれられ、完成されます。3色の大理石による装飾と窓の装飾が繰り返しされた構造です。
"サン・ロレンツォ教会" -BASILICA OF SAN LORENZO-
メディチ家礼拝堂は、サン・ロレンツォ教会の裏側にあります。1520年にサン・ロレンツォ教会の新聖具室の建設がミケランジェロによって始まった際に、メディチ家の霊廟としての計画が立てられました。ジュリオ・ディ・メディチ枢機卿(後のクレメント7世法王)は、メディチ家のロレンツォ・マニーフィコ・メディチとその兄弟ジュリアーノと、ウルビーノ公ロレンツォとネムール公ジュリアーノの霊廟としたかったのでした。ミケランジェロ は、1533年までにいくつかの石棺のための彫刻を作りますが、実際に完成したのは、ウルビーノ公ロレンツォとネムール公ジュリアーノの像、それぞれの像と一緒にある「昼と夜」、「曙と黄昏」の彫刻、それにピエタ像でした。複雑な教会の歴史と入念な象徴主義の結果により、これらの彫刻に、今まで多くの解釈を産み出してきました。 これら主要な彫刻は、人生の躍動と静寂を象徴していると言われています。石棺の上ににある彫刻は、人間の人生の境遇と段階をあらわしているとされており、また、石棺は、死後の魂の解放、とミケランジェロ自身が持っていたであろう精神のような哲学的コンセプトが示されています。
フィレンツェのマーケット
サン・ロレンツォの市場と中央市場 サン・ロレンツォ マーケット: サン・ロレンツォ教会前のサン・ロレンツォ広場からAriento通りにかけて露店が出ています。フィレンツェの工芸品(革製品やマーブル模様の紙製品など)が売られています。そのほかにも、衣類やお土産屋もあります。日曜と月曜は市場は出ていません。 中央市場:サンロレンツォ広場とAriento通りのちょうど真ん中あたりに中央市場(食料品)があります。 大きな建物全てが食料品で埋め尽くされています。安くて、簡単に食事が出来るところもあります。営業時間は、朝7時から午後2時まで。日曜日と祝・祭日は休業です。冬期は、土曜日と祝・祭日の前日のみ営業しています。 サンタンブロージョ
カシーネ公園の市場"DELLE CASCINE" フィレンツェで一番大きな公園カシーネ公園に、毎週火曜日の午前中朝7時から午後2時まで)に市場が出ます。市内のマーケットでは、一番規模が大きく、値段も安い市場です!生鮮食品、衣類、靴、家庭用品、雑貨、アンティークものなど、必要なものは何でも揃います。買い物の後は、公園を散歩するのもお忘れなく! プルチ市場"PULCI" フィレンツェの蚤の市と言えば、チョンピ広場にある市場でしょう。毎日朝9時から夜7:30分まで出ています。毎月最終日曜には、通りの周りに露店が出ます。アンティーク家具、コイン、絵画、ポスター、アクセサリーなど。お手頃な値段の骨董品や古雑誌、古本もあります。 ごちゃごちゃと、乱雑に品物が置かれている露店もたくさんあり、街を散策しながら、ふらりと立ち寄ってみてはいかがでしょうか。 その他の食料品マーケット: 青物市場 Le Cure市場 サント・スピリト市場 その他の衣類、革製品、藁製品マーケット: Porcellino市場 藁市場
ウフィツィ美術館(Galleria degli Uffizi)は、世界及びイタリアでも最も貴重な作品が保存されている美術館の一つです。「オフィス"office"」という単語もこの「ウフィツィ"uffizi"=メディチ家の仕事場」が語源となっています。しかし、最初から、メディチ家は、彼らのコレクションから優れた作品を別の部屋で保管していました。 住所:Loggiato degli Uffizi, 6 アカデミア美術館 "Galleria dell'Accademia"
住所:Via Ricasoli, 58-60 以上
|