長白山にいってきました
(中国吉林省白山市)2005年6月30日〜7月4日
出原 恵美子 
T/F 0569-42-3937
Mail:bigmamaemiko@ybb.ne.jp
今回初めての個人旅行です。この旅行が実現したのは、4年前我が家にホームスティとして王 浩君が来たとき、はじ
めに云った言葉が「お母さんたちを僕の町にある長白山に連れて行きたい」と云ったのです。

 縁というのは不思議なもので、広い
中国の中で私は3〜6才まで旧満州
の吉林省の開拓団にいまして、終戦
とともに帰国の途中、父や弟を亡くし、
母と二人大変な思いで引き揚げて来
ています。その吉林省白山市の王 浩
君が我が家に来て、その前年に私は
同じ引き揚げの仲間たちと長白山に
行く予定になっていたのですが、母の
体調が悪くなり私たち夫婦はキャンセ
ルしたのです。
そんな思いの中、王君が約束どおり今年6月30日から7月4日にかけて
長白山に連れて行ってくれたのです。現在王君は名古屋大学に1年間
留学を終え、北京に戻り法律事務所で弁護士を目指して働いております。
縁というのは不思議なもので、広い中国の中で私は3〜6才まで旧満州
の吉林省の開拓団にいまして、終戦とともに帰国の途中、父や弟を亡くし、
母と二人大変な思いで引き揚げて来ています。その吉林省白山市の
王 浩君が我が家に来て、その前年に私は同じ引き揚げの仲間たちと
長白山に行く予定になっていたのですが、母の体調が悪くなり私たち
夫婦はキャンセルしたのです。そんな思いの中、王君が約束どおり
今年6月30日から7月4日にかけて長白山に連れて行ってくれたのです。
現在王君は名古屋大学に1年間留学を終え、北京に戻り法律事務所で
弁護士を目指して働いております。

       白山市中心部

 初めての個人旅行でもあり不安でしたが、北京空港には王君の友人が迎えに来てくれ、日本語が出来るので不自
由はありませんでした。その夜は王君の会社の若い3人の女性をまじえ、たかの爪を山ほど使った辛い四川料理でも
てなしてもらいました。
 1日は午後2時北京駅から列車で通化まで15時間の旅です。私たち一等寝台は上下の4人ですが、王君達中国側
の人達会社の人や王君の弟と従弟さんをまじえた総勢10人ですが彼達は6人部屋の2等です。私達夫婦と知らない
中国人2人の人達と15時間一緒にいるので言葉の出来ないもどかしさで挨拶だけでもと思い紙に「日本人。夫婦。長
白山登山」と書いたメモをにっこり笑って見せました。それだけでその場の空気が和み長白山は素晴らしいというよう
な身振り手振りで言っているように思い、以後心穏やかに15時間を過ごすことが出来ました。

 途中2等車の王君の所にお菓子を持って出かけたら、各車両には車掌がいて何処に行くんだととがめますが言葉の
わからない私はにっこり笑って前に進むしかありません。無視して先に進むと後からついてきます、次の車両も次の車
両もついてきます、遂に私は3人のお供を連れて王君の所にたどり着き、車掌さんにお礼を言うとみな引き返して行き
ました。帰ってから聞きましたら各車両からの出入りはチェックが厳しく私のように勝手な行動は不審者とみなされ汽車
から下ろされることもあるそうです。にっこり笑っていたのが良かったのかな。ともあれ汽車は結構きれいで帰りの長春
から北京への車両は1人1人にテレビも付いているしスリッパを備えてあるという乗り心地のいい旅でした。

2日の朝通化に着きましたら王君のお父さんが3台のトヨタのランドクルーザで迎えに来てくれ朝食はその日泊まるホ
テルで朝から凄い品数に驚かされこれが中国のもてなし方と以後毎食毎食ついつい食べ過ぎてしまいました。その後
長白山まで5時間余り120キロから150キロくらいのスピードで走ります。道は広くすべて舗装されています。でも牛や
アヒルも人も安心して歩いています。ほとんど信号も無い道ですがドライバーさん腕のよさに驚かされどうしでした。
 長白山は2750mの高さの山ですが、2600mくらいまで車で上がることが出来、それから上はなだらかな階段ですので
私の足で1時間くらいでした。

天池も眺め

 沢山の観光客の人達が来ています。
朝鮮の人も多いです私もコリアン?と
尋ねられました。この時期全山30センチ
くらいのクリーム色の石楠花でおおわれ
ていますもう1週間遅いと全山クリーム
色一色なるでしょうね。頂上の天池につ
いても天候が悪く遠望が無理でしたが、
霧が一瞬の間途切れて湖面の一部が
見えました。
 このカルデラ湖は3分の1は中国、3分
の2は北朝鮮と、毛沢東の時代に分け
られたそうです。私も知らないうちに国
境を超えて北朝鮮に入り込んでいました
、簡単な柵があるだけで出入りも自由に
できました。
 
 今回はこれを初めとして3回北朝鮮に入ってきました。この天池まで行くのに私の足では無理かなと主人は思い、
かご屋さんが居ましたので主人はこれに乗って行くかと言ったので、かご屋さんは私をターゲットにずーと乗れ乗れ
とついて来ます。
私は85キロを長年キープしたままの体型ですので担ぐ人が気の毒で乗る気になれません。3人で担ぐのですが日
本円で5千円位です。年配の人もいて私は駕籠に乗る王様にもなれないし担ぐ人にもなれません。しかし乗ってあ
げれば1日1人担ぐだけで充分生活できるでしょうね。

 長白山には天池まで行ったとゆう事が私には意義があることで、お天気の悪かったことも楽しい思い出です。後
は綺麗なパンフレットで思い出を楽しんでいます。
 帰りは大渓谷を見物できるよう長い長い遊歩道があり、日本では考えられないようなスケールの大きさで太古の
姿がそのまま残っている所です。こんな所が中国では沢山あるのでしょうね。

 その夜は王君曰く「母が熊の手の料理で歓迎する、と云ってます」とのこと、普通の奥様では手が出ないかもしれ
ませんが私は何でも見てやろう、食べてやろう、と少々のことなら驚きません。まさに中国人にとっては、珍味中の
珍味です、味は甘辛くとろみをつけてあり、熊と聞かなければ美味しく食べられます。最近はなかなか食べられない
そうで、政府のおえらい方々が見えるときには出されるそうです。

 3日には白山市から車で三道?まで行き、モーターボートで中国と北朝鮮の国境になっている龍山湖の真中を下流
に向けて行きます。途中民間人の乗った船と行き交い手を振ると、彼等は両手を上げて阿波踊りのように手を動か
しながらニコニコしているので北朝鮮の人と分かりました。警備隊らしき人達が乗っている船からは何も応えてくれ
ませんでした。クルーズの目的地の云峰ダムサイドに約1時間で着き、ダムには中国側から絶壁につけられた階段
を登りダムに上がると、通化からトンネルを通って来るダム見学者が多く観光地になっているようです。ダムは中国
建設し維持管理をしており多くの人が働いています。

ダムの上を北朝鮮に向けて歩きながら下流を眺めると、遠くに橋が掛かっているが川には余り水は流れていない。
ダムの中心(国境)を越えて?あと20mぐらい手前で警備兵に止められましたが2回目の越境になりました。北朝鮮の
上流側の斜面には木造の古びた建物が並んでおります。下流ダムサイトには、6年くらい前に建てられた100軒くら
いの白い住宅を眼下に見下ろせますが、人影が数人しか見えず寂しい住宅街と感じました。帰りは湖面が国境なの
で北朝鮮の湖畔近くを走り、行きは望遠鏡でしか眺められなかった風景を真近かに眺めながら1時間のクルーズでした。

 この様に中国と北朝鮮を湖面から見ていると両国の違いが
はっきりと分かります。中国は平地はもとより斜面まで土地を
耕し農作物を植えて生産性が高く、家も明るい雰囲気です。北
朝鮮の湖畔は農家、畑ともに小規模で明らかに違いを感じ、農
機具はもとより肥料が充分に供給されないため耕作面積が少
ないのではと感じます。

 三道?にもどり、昼の食事はこの地方の鯰を主とした川魚ばか
りの料理でした。私は中国料理のどの品でも美味しく頂きました。
 その後、車で白山市を経て5時間かけて長春に行き、そこで
偽満皇宮博物院に寄ったのですが5時の閉館時刻を過ぎてい
たため中には入れませんでしたが、以前に私は見学していま
すので絵葉書だけを買ってきました。
偽とわざわざ付けてある所に悲しい歴史を思います。夜の食事
は豚の腸に血液をつめた物の鍋が出ましたが少々こたえました。
 長春10時20分発、北京まで無停車の寝台車で9時間の旅でし
たが、時間が遅いのでテレビを少し見てすぐ寝てしまいました。
 今回の旅で王君の人柄の良さをつくづく感じました。空港の出迎えから、最後の見送りまで自分の出来ないこと(仕事
のため)はすべて友人達がカバーしてくれています。白山市のご両親の人柄といい、今回の旅行がすべて招待と云う
ことですが、これが中国の東北人の歓迎の仕方だそうですが、きくらげを10kgお土産に買うつもりでお母さんにお願い
していたところ、両親からのお土産だと代金を受取ってくれませんでした。

 4日の朝北京にもどり15時20分のフライトで、王君の上司で今回の旅行に親子3人で同行された荷平さんの自宅で
待機させていただくことになりました。今の中国のマンションは2LDKですが、日本の住宅よりとても広い間取りで、エ
リートの人達の暮らしも覗かせていただきました。5年生の子供は頭が良く、学校から帰ってくるとクラスの上位3人に
選ばれなかったと(子供達で投票し、上位に入らないと進学に影響するそうです)ガッカリして帰ってきました。お母さん
はすぐに中国になくても日本には東京大学があると言うと、子供は「そうだ、僕はフェラーリのデザインをして自分の車
を作り、皆を見返してやる」と言ってのけました。私も日本に「なにくそ」という言葉があるよ、いい肥やしをもらったねと、
是非日本に来てくださいと云って別れて来ました。ちなみに荷平さんは東大に留学、日本で就職し、昨年中国の会社
にトレードされたそうで、今は日中間を仕事で行き来されています。3人ともに10年東京に住み、なまりのない日本語
を話されます。
 このたびの旅行で出会った中国の人達はみんな他人想いのこころ温まる方ばかりで、人と人とのつながりを大切に
する王君の気持ちが伝わってきました。

 私の家は中部国際空港(セントレア)まで車で20分、電車なら10分です。セントレアは外国も国内も同じ建物で、乗継
が非常に便利になっています。どうぞ前泊または後泊の必要な時は、宿泊を提供しますので連絡を下さい。
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