カナダ通信

2010年9月20日〜10月21日
神原克收

目次

1・ 概要 2・レンタカーでのトラブル
3・カナディアンロッキー 4・サーモンの遡上
5・VIA鉄道(その1) 6・VIA鉄道(その2)
7・VIA鉄道(その3) 8・VIA鉄道(その4)
9・VIA鉄道(その5)エドモントン駅 10・アルゴンキン州立公園
11・田舎のB&B 12・オタワ
13・英語とフランス語 14・ロレンシャンの紅葉
15・ロレンシャンは日本人専用か? 16・モントリオール
17 トロワ・リウ”ィエール 18 ケベック・シティ
19・キングストン 20・トロント
21・ナイヤガラ 22・カナダの標識は見にくい
23・交通ルールは厳格 24・注意を3度受けた
25・ツーリストインフォメーション
27・アムトラック 28・米加の鉄道比較
29・バッファロー(1) 30・バッファロー(2)
31・シカゴ 32・サンフランシスコ
33・費用(完)

1・概要


 今回の目的はカナダの紅葉と列車の旅である。同行者は現役時代に神戸で共に働き同じ社宅で過ごした3夫婦6人。

 ルートはバンクーバーからレンタカーでジャスパーやバンフなど所謂カナディアンロッキーを回ってバンクーバーへ(レンタカー7日間)。そこから空路でエドモントン〜列車でトロント(3泊3日)〜レンタカーでアルゴンキン、オタワ、ローレンシャン、モントリオール、ケベック、キングストン、ナイヤガラなど(レンタカーで2週間)〜トロントからアメリカの列車でシカゴへ(1泊)〜シカゴから列車でサンフランシスコへ(2泊3日)。

 走行距離はレンタカーで5,000Km、列車で10,000Kmである。



黒線:レンタカー  青線:航空機  赤線:列車

 1ヶ月の旅行中雨に降られたのは列車や車での移動中だけで、観光中は殆ど傘要らず。特にジャスパーやローレンシャンは抜けるような青空の下で素晴らしい紅葉を楽しむことが出来、最高の旅となった。

 列車もカナダのVIA鉄道、アメリカのアムトラックの両方を体験でき、列車の旅も十二分に堪能出来た。

2・レンタルカーでのトラブル

 今回はレンタカーを3度借りた。バンクーバーで1週間、トロントで2週間、サンフランシスコで2日間である。

 レンタカーの手配は日本のハーツでした。その際もっとも重視したのが車の大きさ。人間が6人、トランク6個、それにリュック6個が乗るものでなければならない。ネットで調べてみると最適車は「ダッチのグランドキャラバン」だが、予約段階で車の指定は出来ないので「強く要望」という一文を入れてもらった。

 バンクーバーとサンフランシスコでは機種は違ったが希望通りの車が用意されていた。しかしトロントでは人間しか乗れないジープが用意されていてクレームをつけた。しかし車庫に残っている車は殆どなく途方に暮れていたら、たまたま返却に来た車が希望する大きさで、早速それを清掃させて乗り、事なきを得た。

 海外で車を借りる場合こうしたリスクがあることを十分計算しておくことが肝要。


バンクーバーで借りた車(KIA)

車窓からの眺め(アルゴンキン国立公園)

車窓からの眺め(トロント郊外)

トロントで借りた車(クライスラー)

3・カナディアンロッキー
以前ここをドライブしたとき見事な黄葉に感激したことを思い出す。針葉樹の緑、ポプラや白樺の黄色、雪を頂いた山々の白、抜けるような空の青、これらの見事なハーモニーに言葉を失ったものだ。

 今回もこれを期待したが大いに裏切られた。私の記憶より針葉樹が多い、黄葉が少ない上時期尚早なのか鮮やかさがない、山々に雪の白がない、曇天で抜けるような青空がない(ジャスパーは快晴であったが)。カナダの第一歩は期待を大きく裏切られた。

 それでも雄大で美しい自然は健在で、ここのドライブだけで十分満足出来るものであった。

(余談)

レイクルイーズからヨーホー国立公園に向かう時「地球の歩き方」の地図を見ながら行った。その地図に間違いがありお陰で片道50Km、往復で100Kmほどロスをした。やはりしっかりした地図を頼りにすべきであった。反省!反省!







4・サーモンの遡上
バンフからヨーホー国立公園を経てバンクーバーに戻る途中アダムスリバーという全長12Kmの小さな川がある。ここは太平洋まで500Kmも離れた内陸部だが秋になるとサーモンが遡上してくることで有名な川である。

 標識らしい標識もないところを尋ね尋ねしながらようやく辿り着いた。苦労してきた甲斐があったことは写真でご覧頂きたい。

 無数のサーモンがここで骨休めをしている。骨休めが済んだら更に上流へ行って産卵するのであろう。太平洋から500Kmもあるここまで来なくてももっと楽に産卵出来る場所はないものかと、怠惰な人間はすぐそんな馬鹿なことを考える。

 鮮やかな赤色に変色したサーモンの群れを見ていると自然の営みの不思議さに厳かな気持ちにさせられる。

 清流に泳ぐサーモンの群れを眺めながらのピクニックランチは何時にもまして美味しいものであった。

(余談)

 ガイドブックによればサーモンの一生は次の通り。

 一匹の雌が生む卵は4,000個、その内孵化するのは800匹、太平洋まで無事辿り着けるのは200匹、これらはアラスカ沖まで回遊して育つが、産卵のため故郷の川まで辿り着けるのは10匹で無地産卵を終えるのは僅かに2匹。厳しい!

 サーモンの一生は4年で産卵と共に終わる。




5・VIA(その1)
 カナダのVIA鉄道に乗った。エドモントンからトロントまでの3泊3日の旅である。結論から言うと実に快適な列車の旅である。今まで日本、中国、インド、トルコ、エジプトの5カ国で寝台列車に乗ったが、カナダが文句なく一番良い。

 3日間も列車で退屈しないか?と訊かれるが退屈はしない。美しい景色の連続、同行者とのお喋り、ガイドブックのチェック、PCで写真整理等々結構時間がつぶれ、読書の時間は殆ど取れなかった。

 暫くは快適な汽車の旅をご紹介しよう。

1設備

列車は24両編成で19両の寝台車の他に座席車、食堂車、貨物車などを牽引している。

@ 寝台車は個室タイプとルーメットという簡易寝台の2種類がある。違いは広さもあるが、廊下との仕切りがカーテンか個室かの違いである。料金は2人で48,600円と61,200円(いずれも全食事付き)で差は26%、金額差に見合う差はあるようだ。

A シャワーやトイレ・洗面・ラウンジ・展望車・レストランなどは共通で、食事も全く同一である(但し個室寝台には洗面、トイレが付いている)。

B ラウンジは談話室と天井がシースルーの展望室がある。ラウンジには常時新聞・雑誌・コーヒー・紅茶・ジュース・スナック・マフィン・果物がおいてあり、自由に楽しめる。

C 唯一の難点は廊下が狭く、人がすれ違うとき、どちらかが壁に体を貼り付けて避けなければならない。これも寝室の広さを確保するためと思えば辛抱出来る。





6・VIA鉄道(その2)
食事

 寝台車の乗客には食事は3食付いている。朝は自由時間だが、昼と夜は入れ替え制で、早い組・遅い組は指定される。早組は昼11時、夜5時で遅組は1時間半後である。

 食事は3食とも4〜5種類から選択できるようになっていて、ディナーは概ね牛、サーモン、鶏、野菜が用意されている。どれも味は上々で特に牛肉の美味しさは予想を超えるものであった。

 量的にも我々には少々多過ぎるものの、アメリカほどではなく何とか一人で一人前平らげることが出来る。

 朝食でもしっかりした卵料理やハム、ベーコン、ソーセージなども実に美味しく、これをまともに食べていたら、運動不足も加わりブロイラーになること必定である。

 デザートで特に印象に残ったのはチーズケーキの濃厚な味で、日本ではこんなに濃厚な味は珍しい。でも実に美味しかった。

 メニューにはなくてもフルーツサラダなど頼めばサービスしてくれ、ユーモアたっぷりのウエイターも含め実に快適な列車ライフである。


食事時間外の食堂車

食堂車の雰囲気

ビーフステーキは特に美味しい

パンの容器に入ったシチュー

海鮮サラダ
7・VIA鉄道(その3)
乗客

 乗客は殆どがカナダ人と欧米人で、日本人は我々以外にはいなかった。当然のことながらリタイア族が大半で、若い人はパラパラである。老人も歩くのがやっと、という人も多く、こうした人達が旅に出るという意欲は大したもので、精神的なゆとりを感じさせてくれる。

トイレ

 概ね飛行機並の清潔さが保たれているが、水を流すハンドルがなく小さなボタンを押して水を流す。このボタンが小さ過ぎて気付かない人も多く、使用後流さない人も多い。

チップ

 カナダはチップ社会なので当然要ると覚悟はしていた。しかしレストランでチップを置いている乗客はおらず、われわれもチップなしで通した。

 また、車両毎に1人の客室係がつくが、この人にもチップが必要を聞いてきた。ところがサービスらしいサービスはしてもらうこともなく、こちらもチップなしで通した。

シャワー

 寝台車の乗客にはバスタオル2枚、ハンドタオル1枚に石鹸・シャンプーのセットを袋に入れて渡してくれる。シャワー室は脱衣室とシャワー室に分かれている。脱衣室の広さも広く清潔、シャワーはボタンを押すと20〜30秒間お湯が出る。何回でも押すことが出来るのでお湯の量が不足ということはない。

遅れ

 カナダに限らず中国やインドでも1時間や2時間の遅れは平気で、遅れの内に入らない。我々はエドモントンで乗り込んだが、到着23:30、出発23:45の予定であったが、到着したのは0:10、発車は1:05であった。その間何のアナウンスもなく、ましてや日本のように「遅れましたことをお詫びします」等は何もなし。おおらかなものだ。

 因みにトロント到着は時刻表では2日後の9:30だが、実際には僅か10分遅れであった。


コーヒー、紅茶はフリー

ジュース、マフィン、果物もフリー

トイレも清潔、左側にある小さな白いボタンが洗浄ボタン、判らないのか流さない人も多い

手前脱衣場、扉の奥がシャワー室

シャワー室内部
8・VIA鉄道(その4)
 鉄道旅の楽しみはなんと言っても食事であろう。食事そのものもさることながらレストランで相席になる人との会話も楽しみの大きな要素である。

 レストランは4人掛けのため今回同行の6人の内我々夫婦が外国人と同席することが多かった。 中には全く話をしたがらない老人夫婦もいたが、総じて彼らは話し好きな人が多く、次々と質問を投げ掛けてくる。彼らの話は主として「どこから来たか?」から始まり、「パナソニックで働いていた」というと電気製品に限らず、車、PC、食品など日本の製品に対する評価が次々と出てくる。概して好意的な話になり、お返しにカナダに対する好印象を話したりしてエールを送り合った。彼らが一様に驚くのは我々の年齢で、70歳だというと「とても信じられない」という。

 面白かったのは新婚カップルで、新婚旅行か?と聞くと嬉しそうにそうだと答え、そこから話に花が咲いた。最後に写真を撮らせてくれというと喜々として応じてくれた。

 拙い英語でも一生懸命に話をすると先方も何とか判らせようと易しく話してくれるので、身振り手振りも交えれば何とかなるものではある。

新婚旅行中のカップル、我々がもてあましたデザートもペロリ

写真は頼めば大抵応じてくれる
9・VIA鉄道(その5)エドモントン駅
 カナダ鉄道3泊3日の旅はエドモントンからスタートした。エドモントンはアルバータ州の州都で人口86万の大都会である。にも拘わらず駅には生まれてから一度も行ったことがないという人は結構多い。これはもともと貨物輸送のために出来た鉄道で、旅客輸送は長距離客が主体なので利用したことがない人が多いという。

 エドモントン駅は小さな駅で一日数本の列車のみのため駅員も手持ちぶさたの時が多い。我々は空港から駅に移動し、夕食は駅近くのレストランで摂る積もりであった。駅員にレストランを聞いたら近くにはない、と言って電話帳で調べて配達可能なピザ屋を見つけ、電話して注文までしてくれた。

 こうした素朴な親切は昔の国鉄の地方駅ではよく見られた光景であり、実に懐かしい思いで駅員の好意に甘えた。この例だけでなくカナダの人は概して親切で優しい。

駅の待合室風景、右端の駅員がピザの手配をしてくれた

取り寄せたピザで夕食(駅待合室で)、2人で食べても食べきれない

駅待合室ではコーヒー、紅茶は無料でサービス

我々が乗る列車は深夜12時過ぎに到着した

駅はいつでも開いているわけではない。列車の運行に合わせて開けている
10・アルゴンキン州立公園
アルゴンキン州立公園ははオタワの北西200Kmくらいのところに位置し、静岡県や宮崎県とほぼ同じという広大な面積を有している紅葉の名所である。園内には 2,400以上の湖や池があり、雄大な自然が楽しめるがそれ以外は何も無い。何もないのがまた良い。車で公園の一部を走っただけだが、紅葉の美しさは格別で1日を費やす値打ちは十分ある。

 公園西門の近くにハンツビルという町があり、そこのライオンズ・ルックアウトという展望台からの景色は素晴らしく、ここを見ただけでトロントから3時間ドライブして来た甲斐があったという気分にさせてくれる。近くにはラグド滝という観光スポットもあり、滝も良いがそこへ行くまでの短いトレッキングが何とも心地よい。

公園管理事務所

公園内の眺め

公園内をひたすらドライブ

園内では野生の動物にも出会える

ハンツビルの展望台からの眺め

滝へのミニトレッキングが心地よい
11・田舎のB&B
 アルゴンキン州立公園の東門を出てしばらく走った小さな町でB&Bを見つけそこに泊まることにした。当然チェックをした上での決定である。

 結果として大当たり!トイレ、バスをはじめ部屋の隅々まで掃除が行き届き誠に心地よい。オーナー夫婦の愛想はほどほどだが、客の要望には実に迅速に行動する。

 朝食は1階の食堂で宿泊客全員が摂る。食事内容は取り立てていうほどの事はないものの美味しかったのは事実。何よりも食堂のインテリアが素晴らしかった。日本の若い女性なら「可愛い!」を連発すること間違いない。

 こうしたところに客が集まらない訳がなく、このオーナーは隣接するところに新しいB&Bを開業していた。でも余り大きくなるとなぁ、という不安がちらっとよぎる。

 夜部屋の外に出ると星が降るように輝き、こんな星空を毎日見て育った子供時代が懐かしい。でもあの頃は貧しかったなぁ。

B&Bの外観

寝室

食堂で朝食

食堂壁面の装飾

オーナー夫妻
12・オタワ
カナダの首都はオタワである。カナダ第5の都市だが川向こうにあるケベック州のカティーノを含めても100万人に満たない。

 オタワほどキレイな首都はないだろう。寡聞な小生の知る限り、対抗できるのはスエーデンのストックホルムくらいか。

 写真をご覧頂こう、とにかくキレイだ。清潔感は当然としてオタワ川(同じ川でも対岸のケベック州ではフランス語でウタウエ川という)が流れ、川辺に立つ緑青の屋根をいただいた荘厳な国会議事堂、紅葉に染まった公園、電線も看板も奇抜な色の建物もない街観、まるでお伽の国を見るようにうっとりする。なぜこんな街が日本には出来ないのか?国土が狭い?そんなもん理由になるかっ!日本ほど山・川・海・水に恵まれた風光明媚な国はどこにもないのに。

 要は街造りのグランドデザインがないことに尽きる。それと同時に自由、自由と叫んで勝手気ままに箱物を造る、これを規制しないことには話にならない。規制しようにも肝心のグランドデザインがなければ規制のしようもない。
13・英語とフランス語
 カナダは英語の国でケベックだけはフランス語と理解していた。実際に来てみるとフランス語の存在が私の理解より遙かに幅を利かせている。国全体では英語・フランス語併記が大変多い。慣れるまでは道路標識など、ついつい英仏語両方を読もうとして、肝心の英語部分も読み損なう。

 首都オタワは川を挟んで対岸はケベック州である。川の名前もオタワ側はオタワ川、対岸へ行くとフランス語でウタウエ川となる。橋を渡って対岸に入るととたんにフランス語のみとなり、最初は戸惑う。

 高速道路を走っていてもケベック州からオンタリオ州に入ると標識がフランス語から英語に変わり、英仏の建国以来の複雑な関係を思わずにはいられない。

 カナダは新しい国で16世紀になってやっとフランスが支配下に納めた。その後イギリスが進出し、1759年のアブラハム平原の戦いでフランス軍を破り、イギリスの植民地となった。イギリスは穏健な政策で統治したため、現在に至るもケベック州ではフランス系が幅を利かせている。ことある毎にケベックはカナダからの独立を心に秘めたまま今日に至っている。

オタワ、川向こうはケベック州

オタワの公園(英仏語併記)、犬の糞放置は最低100ドルの罰金とのこと

リドー運河(オタワ)、画面奥の橋を渡ると全てフランス語

ケベック州では標識も全てフランス語(ケベックシティ)
14・ロレンシャンの紅葉
ロレンシャン高原(モン・トランブラン)では2日間滞在したが、2日とも晴天に恵まれ、抜けるような青空に映え燃えるような紅葉を満喫した。我々が来る前の週はずーっと雨だったとのことで、日頃の行いの良さが出た。

 オタワからロレンシャンに向かったが、途中の景色にわぁ!おぉ!すげぇ!と歓声をあげながら快適なドライブを楽しんだ。ロレンシャン到着と同時に紅葉に包まれたメルヘンチックな町にすっかり魅入られ、一同「来た甲斐があったぁ!」。

 ゴンドラでトランブラン山に登ったが、途中繰り広げられる景色には息を飲むばかり。875mの山の上からの眺めは最高で、180度の紅葉の海、眼下にはトランブラン湖、あまたのゴルフ場、時々遊覧飛行機などが見え、絵にも描けない美しさである。

 ただ、山頂からの紅葉は遠すぎて鮮やかさには欠けるのが少々残念だが、それにしても素晴らしいの一語に尽きる。この美しさは筆舌に尽くしがたいので、写真でじっくりご堪能あれ。
15・ロレンシャンは日本人専用か?
ここまで2週間くらいは偶にしか日本人には会わなかったが、ロレンシャンでは日本人、日本人、日本人で3分の2位は日本人が占めていた。特に朝夕は90%くらいが日本人で日本語が氾濫し異様な感じ。彼らの殆どがパックツア客で圧倒的に女性が多く、ここでも日本国内と同様女性上位が鮮明である。日本の男性諸君、元気を出したまえ!

 日本人も随分成熟し、昔のように大声で傍若無人の振る舞いは殆ど見られず、現地での日本人に対する評判は決して悪くない。カナダはアメリカやヨーロッパと違い人種差別が極めて少ないこともあり、その点からも居心地が良い。

 日本人はホテルの部屋もきれいに使うしマナーも悪くないので評判はよいが、高齢者が多いためホテルのカードキィの使い方が判らず右往左往する人も多い。そのためホテルにとっては手間の掛かる客かも知れない。添乗員がもう少し親切に事前説明すれば防げると思うのだが・・・。

 ただ、朝早くから夜遅くまで整然と行動する日本人ツア客の姿は欧米人には異様に見えるに違いない。欧米人もパックツアは多いのだが・・・。

日本人団体客

折角高い金を払ってケーブルカーで登ったのに、慌ただしく降りていった

早朝は圧倒的に日本人が多い

個人旅行客には有り難いが団体客にはメニューなど関係ない
16・モントリオール
モントリオールは人口330万人を数えるカナダ第2の大都会で、フランス語圏ではパリに次いで大きな街である。この街もキレイではあるが、オタワを見た後では印象が薄いことは否めない。1日余りの滞在中曇りや雨模様であったことも影響しているかも知れない。

 この街の一番の売りは巨大な地下街であろう。ガイドブックによればこの地下街には2つの鉄道駅、2つの大学、45の銀行、7つのシティホテル、200のレストラン、40の映画館、2つのデパート、1600の商店などがあるという。

 ご自慢の地下街に入って見たが、照明は日本よりは暗く、僅かな時間ではその巨大さを実感することも出来なかった。

 モントリオールで唯一の好印象はホテルで、ネットで予約したがベッドルーム+広いリビングにキッチンが付いて簡単な朝食付きで1万円/room。全般にホテルが高いカナダにあっては安く、場所は繁華街を外れるが車なので問題ない。

自転車で巡回中の警察官

自転車用レーンは市内全域で確保されていて、それも広い。

貸し自転車屋(モントリオールでは自転車の存在観が大きい)

郊外にあるオリンピック公園

ホテルのリビングとダイニング、他にベッドルームとキッチンがある
17 トロワ・リウ”ィエール
モントリオールからケベックシティに向かう途中にトロワ・リヴィエールという小さな町がある。カナダで2番目に古い歴史を持つ古都である。情報が何もないので、観光案内所に寄って地図や町の情報を入手し、町を3時間ほど散策した。

 何とも小振りで愛くるしい町である。昔の面影を残す町は日本では近年大人気だが、カナダではそんなに観光客が押し掛けている風には見えない。

 ここでの一番の印象は観光案内所の親切な応対である。町の見所を親切に説明してくれるのは当然として、$5の駐車券をサービスしてくれた。また、町を散策中同行者の靴が壊れたので、ここに引き返し靴の修理屋を訊いた。すぐさまインターネットで調べて行き方を詳しく教えてくれた。お陰で靴の修理も30分くらいで終わり、恙なく旅を続けることが出来た。

 余談だがこんな小さな町でも寿司屋が2軒あった。今やSushiは国際派に成長したのであろう。

トロワ・リヴィエールの町並み

紅葉が鮮やか、静かな住宅街

B&Bもなかなか良い雰囲気、次回は泊まってもいいかな

コンビニ風の寿司屋、甘いタレには閉口する
18 ケベック・シティ
 ケベックはカナダで最も異彩を放っている街である。この街はカナダで最も古く、1608年にフランス人探検家が木造の砦を築いたところから始まる。爾来北米におけるフランスの拠点として発展するが、1759年にフランスがイギリスに敗れこの地はイギリスの支配するところとなった。しかし9割を占めるフランス系住民の文化までは支配できず、カナダ独立後はフランス系住民の心の拠り所としての役割を果たし今日に至っている。

 ケベックの公用語はフランス語で街には英語は殆ど見られず、他の州での英仏語併記と比べるとフランス系住民の意地と頑なさがみてとれ大変興味深い。

 城塞で囲まれた旧市街は石畳や観光馬車が行き交い中世ヨーロッパの雰囲気が濃厚に残っている。特にフランスの古城をイメージしたフェアモントホテルはノートルダム大聖堂と並ぶ旧市街のシンボル的存在で、茶色の壁と緑青の屋根のコントラストが美しい。

石畳の道を観光馬車が行き交う

旧城塞からフェアモントホテルと港を望む

旧市街と新市街を隔てる城門(手前が旧市街)

キャピタル展望台から望む新市街

新市街

緑一杯の住宅街
19・キングストン
この町は人口10万強の小さな町で、これと言って取り柄のない町であるが、歴史的には大変由緒ある町である。19世紀にはカナダの首都が置かれ、初のカナダ議会がこの地で開催されている。しかしながら当時の最大敵国アメリカに近過ぎるという理由で首都は僅か3年でオタワに移された。

 ここには王立軍事大学が置かれていて、その面でも重要な位置を占めている。

その軍事大学へ行った。たまたま日曜日で閑散としていたが、ダメもとで「入りたい」というと意外にもあっさりWelcomeと言って招き入れてくれ、公園のような構内を散策した。

中の施設等については判るはずもないが、とにかく美しい景色にうっとりした。

 すぐそばにフォート・ヘンリーという昔の砦がある。シーズンオフで閉まっていたので写真のみ撮ったが、何の変哲もない写真である。

 キングストンの町で目についたのはここでもスシ店の多さだ。小さな町にも拘わらず少なくとも3軒の店があった。因みに中華料理店は町で1軒のみらしい。

こんなものも置かれていたが、遊園地のようで設置目的がはっきりしない

要塞から市街地を臨む

市街地を臨む

写真としては何の変哲もない要塞

見た目は立派、味もまずまず、ワサビはちっとも効かない
20・トロント
トロントは人口250万人を数えるカナダ最大の都市である。しかし2泊したにもかかわらず余り印象に残っていない。

今回の旅行では東部での最初の街なのでもっと印象に残ってもよいと思うのだが・・・。

街は確かにキレイではあるがオタワなどに比べると特筆するほどでもない。

 思うに到着早々レンタカーでトラブル、家内が捻挫して湿布薬やサポーターの購入に走り回ったこと、

コインランドリィを探し歩いたことなど雑事に追われて街の印象が薄いのかもしれない。

 唯一の印象は街のシンボル、CNタワーからの眺めである。

高さ346mからの眺望はさすがカナダを代表する街だけのことはある。下手な説明より写真でご確認を。

列車3泊の旅を終えてトロント到着、日本の駅とは趣が異なる


街のどこからでも見えるCNタワー

タワーからの眺め

小さな飛行場もある

トロントは鉄道の街でもある

タワーの上からガラスボードを通して地上を見る、足がすくむ
21・ナイヤガラ
ナイヤガラの滝を初めて見た。凄いとしか言いようのない迫力に圧倒される。

滝はゴート島を挟んでカナダ滝とアメリカ滝に分かれる。カナダ滝の落差は53m、幅670m、アメリカ滝は落差21〜34m、幅260mである。

 圧倒的な水量(平均毎分11万立方m)を支える岩がよく持ちこたえるものだと感心する。調べて見ると滝は1万年前に出来たが現在より約10km下流であった。その後毎年1mずつ後退し現在の位置になっている。現在では技術者の努力で毎年3pの後退で食い止めているという。それでも25,000年後には消滅する見通し。その前に人類が消滅しているのは間違いない。

 世界有数の観光地ナイヤガラだが、ホテルや食べ物の値段は安くはないがベラボウに高いわけでもない。但しホテルの高くて貧弱な朝食は今でも腹立たしい。ホテルの理不尽な価格は洋の東西を問わないのか?

 滝の周辺の紅葉もないことはないが、滝の圧倒的な存在感の前では色褪せて見える。

ゴート島を挟んで右カナダ滝、左アメリカ滝
この衛星写真はウイキペディアから借用

カナダ滝の全貌


アメリカ滝の全貌

間近に見るカナダ滝のど迫力

滝壺に突入する「霧の乙女号」、テーブルロックから見守る観光客、高く舞い上がる水煙

滝の前では紅葉も色褪せて見える
22・カナダの標識は見にくい
カナダの街は大変キレイでデザイン的にも洗練されている。しかしながら外国人(特に老人)にとっては交通標識が上品すぎて見にくいのが難点だ。街は概ね碁盤目で全ての通りに名前が付いているので大変判りやすいが、それも通りの名前が読めればの話である。助手席にナビ要員がいれば問題ないが、一人ではとても小さい標識を見ながらの運転は危険を伴う。助手席にナビ要員がいても夜間(特に雨の夜)は絶望的に見えない。通り名以外の交通標識も小さ過ぎて瞬間に判読するのは至難の業である。
フリーウエイでも予告表示の出るのが遅い。日本やアメリカではかなり早くから何回も予告表示が出るが、カナダでは遅く回数も少ない。
観光地でも目指す目的地の前を通り過ぎながら、表示が小さ過ぎて見落としてしまったことが再三。上品の前に安全性優先で願いたいものだ。

通りの名前も昼間は判るが夜は見えない

B&Bも名前よりは番地の方が頼りになる
23・交通ルールは厳格
カナダの交通マナーはアジア諸国と比べるとまるで別世界だ。日本やアメリカと比べてもカナダはマナーが良い。

 黄色の信号で停まるのは常識。日本のように「黄色は進め」はあり得ない。もっとも黄色信号の時間は日本よりは遙かに短い。これはアメリカも同じ。日本は黄色が長過ぎるので「進め」になる。

 最も感心したのは歩行者優先の徹底である。日本でも歩行者がいれば停まるが距離的に離れていれば通り過ぎてしまう。しかしカナダでは交差点内に歩行者がいれば、どんなに距離があってもジッと待っている。交差点以外でも横断する歩行者を見つけると相当早くから停まって待つ。歩行者がマナー違反をしている場合でも同じ。この芸当は日本人には出来ない。

 交通マナーに限らず、カナダでは全ての面で「大人」「ゆとり」を感じる。

信号は小さくてもよく見える

信号は厳格に守る

歩行者がいれば絶対に停まる

何となくゆとりを感じさせる雰囲気がある
24・注意を3度受けた
カナダの交通マナーについては前回触れた。関連して失敗談を述べよう。

1カナダは路面電車が結構残っている。電車は道路の真中を走るので、停留所と歩道の間には車道がある。

我々は電車が停まっているとき歩行者がいないことを確認して、徐行しながらその横を通った。

そしたら電車の運転手や歩行者から大声で怒鳴られた。カナダでは電車がドアを閉めて発車するまで横を通ってはいけないのだ。

2学童バスがある。バスだから当然歩道に面して停まる。その停車中の学童バ

 スの車道側を徐行して通ったが、これも非難囂々。学童バスの停車中は絶対

 にその横を通ってはいけないのだ。

3オタワの街でB&Bを探すため地図を見ながら右往左往していた。車を停めて

 探そうと駐車出来る場所を探していてパトカーに停車を命じられた。ポリス曰く「5分以上後をつけて来たが、

君たちの運転は大変危険運転だ。今後注意しなさい」と諭された。全くお説の通り!特に罰金などは言われなかったが・・・。

スクールバス、停車中はストップ標識がバックミラー状に開く
それが開いている間は絶対にその横を通過してはならない

25・ツーリストインフォメーション
海外でツーリストインフォメーションの存在は大変心強い。しかしカナダではあまり利用しなかった。理由は場所が判り難かったことも大きく影響している。外国では一般的に「i」の表示だが、カナダは「?」が多い。
「?」の標識は出るのだが、それを辿って行くといつの間にか消滅し、結局辿り着けなかったことが何回もあった。要は「?」の表示が少なく、小さいのが原因だ。インフォメーションそのものが貧弱な国はたくさんあるが、あるのに判り難いのはカナダが初めてである。
看板の乱立はアジアの十八番でいただけないが、折角の施設がありながら辿り着けないのはもっといただけない。

馬上 トレッキング ツア( バンフ)、 バンフ)、 馬も歩行者 並み に優先 される

ガソリンスタド では牧も売って いる。 燃料店 と思えば違和感 はない。

歩行 喫煙 が多い(特に女性 が目立 つ、 キン グストにて)
27・アムトラック
カナダのVIA鉄道に続いてアメリカの鉄道アムトラックに乗った。最初はトロント〜バッファロー〜シカゴ(座席車で1泊)。シカゴで1泊してシカゴ〜サンフランシスコ(寝台車で2泊)である。

 3泊したが概ね満足のゆく旅であった。アメリカはカナダと違い砂漠を走る時間が長く、道中は退屈すると予想していた。しかし実際に乗ってみるとシカゴからコロラド州辺りまでは素晴らしい景色の連続で、途中シャワーを浴びる時間が勿体ないくらい美しい景色が連続した。

 ユタ州・ネバダ州は砂漠の単調な景色になったが、幸いこの区間は夜で夜明けとともにカルフォルニア州に入っていて、次第に緑を取り戻してゆく風景が印象的であった。

 食事は大変美味しく、ついつい食べ過ぎてしまう。運動不足もあり、こんな旅を続けていたらアメリカ人並みの肥満になってしまう。

座席車でも広く快適

食堂車

アメリカでもビーフは実に美味しい

美しい景色の連続

景勝地にさしかかると車内アナウンスが流れ、展望車は混む

飲み物はフリーだがカナダのように果物やスナックはない
28・米加の鉄道比較

 カナダのVIA鉄道とアメリカのアムトラックを比べてみよう。総論で言えばカナダに少しだけ軍配が挙がる。

1格安寝台「ルーメット」・・・カナダはカーテン仕切りだが、アメリカは個室。

2ベッドの広さはカナダが広い。特に上段ベッドではカナダは楽に座れるがアメリカ

は頭がつかえてまともに座れない。

3ラウンジ・・・カナダは飲み物、果物、マフィン、スナックは無料。アメリカは飲み物の

みで、果物、マフィン、スナックはなし。

4シャワー室はカナダの方がやや広い。清潔度もカナダがやや勝る。

5展望車の座席はカナダが前向きだが、アメリカは横向きで、こちらの方が良い。

6食事内容は甲乙つけがたく、どちらも大変美味。レストラン従業員の接客態度はど

ちらも良いがカナダがやや勝る。

7タオル類・・・カナダはバスタオル2枚、フェイスタオル1枚、石鹸、シャンプーをくれ

る。アメリカはシャワー室にバスタオルと石鹸は山積みされていて自由に使える。

8揺れはアメリカの方がよく揺れ、カナダに軍配が挙がる。

以下はアムトラックの写真である。


展望車

昼は座席、夜は寝台。右上のパネルを水平にすれば上段ベッドになる。

上段ベッドは低くまともに座れない。この点はカナダが勝る

シャワー室、ここでもカナダのほうが清潔感でやや勝る

脱衣室はやや狭い、バスタオルと石鹸(右上)は使い放題

トイレは飛行機とほぼ同じ
29・バッファロー(1)

 アメリカにも訪れたいくつかの都市について触れてみたい。

バッファローはナイアガラ観光アメリカ側の玄関口で、人口30万人ほどの中都市である。主要産業の鉄鋼、製粉の衰退で一時は治安悪化と都市荒廃が深刻化したが、近年医療・教育分野を核に再開発され治安問題は解決され、アメリカでも有数の清潔な都市とされている。

確かに清潔ではある。しかし街に活気が全く感じられない。列車の乗り換え時間を利用してダウンタウンに出掛けたが、人通りはまばらで食事をしようとしてもレストランがなかなか見当たらない。やむを得ずデリカで軽食を摂ってお茶を濁した。

治安の比較的良いバッファローだが、駅から市街へのバスの車窓から住宅を観察すると貧富の差が歴然と感じられ、カナダでは感じなかったアメリカの問題点を垣間見た気がした。


街は綺麗だが活気がない

夕方のメインストリート、活気がない

貧しい人の住宅、手入れの悪さが一目瞭然、同じ道路沿いに裕福層の住宅もある

こうした廃屋も目立つ
30・バッファロー(2)

バッファロー駅での乗り継ぎで10時間ほど待ち時間が出来たので、街に出掛けたことは前述した。駅の待合室で乗客を観察していると肥満が多い。多いというより大半が肥満と言っても過言ではない。欧米や南米では肥満はつきものだが、それにしても酷い。殆ど病気と言っていいレベルに達している。

待ち時間の暇に任せて肥満の人の割合をチェックしてみたら、実に4分の3(41人中31人)は肥満と言える。深刻な社会問題である。

少々マナー違反ではあるが肥満の人の写真を撮らせていただいた。たっぷりとご覧あれ。

31・シカゴ

シカゴは人口300万を抱えるNY,LAに次ぐアメリカ第3の大都市である。「治安の悪いゴミゴミした大都会」というのが私のシカゴに対する先入観であった。

これが大間違いであることは行って直ぐ判った。実に清潔で垢抜けた街である。おそらくアメリカで1、2を争う綺麗な街ではないか。

林立するビル群はどれもユニークで豊かな表情をしている。それもそのはず、これらビル群は1871年の大火のあとシカゴ派と呼ばれる優秀な建築家たちによって造られた。

ジョン・ハンコック・センターの展望台から眺める街はミシガン湖とよく調和し、美しいの一言である。ビル群の谷間にはピカソ、マチス、ミロ、カルダー、デェビュッフェなどの作品が散在し、広い歩道には花や街路樹を配し、ごみ一つない清潔な街に仕上がっている。インフラのメンテもNYLAと比べると行き届いているように見える。やはり百聞は一見に如かずである。


ミシガン湖に面したシカゴ


ホテルからの眺め


清潔感溢れる街並み、ここでは肥満は少ない


シャガール「四季」の前で


ミロ「ミロのシカゴ」


ピカソ「無題」

32・サンフランシスコ

 SFは人口80万人のこじんまりした街で、日本人には特に馴染深い街である。過去5回ほど訪れたことがあるが、NYLAと比べ治安面で不安を感じたことはあまり無かった。

ところが今回はホテルに着くなり、地図を渡され「このエリアには近付かない方がいい」とホテル近辺の3ブロックほどを示された。理由を聞いてみるとリーマンショック以後失業者が増え、急速に治安が悪化しているという。確かに街を歩いていても所在無さそうな若者が屯していて、少々気持ちが悪い。以前には見られなかった光景である。チャイナタウンも昼はともかく、夜はお奨め出来ない状態らしい。

そんなことには関係なく、坂の街は健在でケーブルカーは今でも乗るのに行列が絶えないし、ユニオンスクェア、ゴールデンゲートブリッジ、フィッシャマンズワーフなども昔の顔で迎えてくれる。懐かしい街であることに変わりはない。

サンフランシスコは坂の街


ゴールデンゲイト・ブリッジはいつも霧に包まれている


名物ケーブルカー乗り場はいつも長い列

超モダンな教会の主祭壇


フィッシャマンズワーフでごみを漁るカモメ

ジャパンタウンにある本格的な寿司屋
33・費用(完)

 最後に恒例に従い費用のご報告をして拙稿を締め括りたい。

以下に記すのは32日間2人分の費用(単位:円)。

総費用913,0002人分、お土産は除く)

(内訳)

航空券165,000 (カナダ国内航空券は除く)

鉄道カナダ101,000

アメリカ97,000

ホテル269,00024泊@11,200/泊)

食費121,000(列車の7日を除く25日分@2,400/日・人)

(飲み物・果物・間食等含む)

レンタカー42,30023日分@5,500/台・日)

ガソリン17,600

その他100,100

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