カナリア・モロッコ通信

2018年8月31日~9月4日
神原克収

目次

カナリア通信
1旅の概要 2 カナリア諸島について
3 フエルテベントゥーラ島 4 ランザローテ島
5 ランザローテ島(2) 6 テネリフェ島(1)
7 テネリフェ島(2) 8ラ・ゴメラ島
9 グラン・カナリア島 10 グラン・カナリア島(2)
モロッコ通信
11 旅の概要 12 モロッコの首都
13 シェフシャウエン(通称:シャウエン) 14 フェズ
15モロッコのモザイク 16 ヴォルビリス
17 砂漠の入り口の町メルズーガ 18 マラケシュ(フナ広場)
19 マラケシュ(マジョレル庭園) 20 革なめし職人地区
21モロッコ諸々(1) 22 モロッコ諸々(2)完



1旅の概要
 今回も前半カナリヤ諸島は日本在住クロアチア人のエレナさんにご案内いただき、後半はモロッコで現地旅行社のお世話になる。集合は 9/1 カナリヤ諸島の一つフエルテベントゥーラ島の空港に集合し、9/23 カサブランカで解散である。参加者は 18 名。
 移動はフエルテベントゥーラ島(3 泊)⇒船で隣のランザローテ島(3 泊)⇒飛行機で最大の島テネリフェ島(4 泊)⇔途中日帰りでラ・ゴメラ島へ船旅⇒最後にグランカナリヤ島に飛び(3 泊)、9/14 にモロッコのカサブランカに入る。




欧州主要空港からフエルトベントゥーラに入り、グランカナリアからモロッコへ飛ぶ
2 カナリア諸島について
 大西洋に浮かぶ7つの島で構成されるカナリア諸島はスペイン領で、モロッコから最短部で115Km、スペインのあるイベリア半島からは1,000Km以上離れている。
1 年間の降雨量が極端に少なく(島により異なるが年間120mm~370mm程度)、基本的には砂漠の島だが、高い山のある島では雲が水分を補給し緑で覆われた島もあり、どの島も個性的で観光に彩を添えている。
2 水は基本的には海水浄化で賄っているが、中にはテネリフェ島のように85%自然水で賄っている島もある。
3 月間平均気温は冬季:最高21-22℃・最低15-16℃、夏季:最高29-30℃・最低22-23℃と夏冬及び昼夜の気温差が少なく、「常春の島」と言われている。夏でも湿度が低く、ホテルでもエアコンのないところも多い。
4 雨が極端に少ないため農業は限られ、島の主要な産業は当然のことながら観光である。
5 1,000-2,300万年前の火山活動で生まれた島で様々な火山が見られる。ここ数百年は小噴火が7年に1回、大噴火が30年に1回起きていて、地元では次はどの島かと話題になっている。
6 国はスペインだが住民はスペイン人と言われることは好まず、カナリア人という人が多い。
 島から島への移動でも外国人はパスポート、カナリア人でもIDカードの提示が求められる。
3 フエルテベントゥーラ島
 この島の特徴は平たんな地形のため雨雲が留まることなく降雨量は 120mm/年と極端に少なく、見渡す限り砂漠である。その為農業が出来ないため人が定着せず、手つかずの自然(と言っても砂漠だが)が残されている。現在でも人口密度は 22 人/k㎡である。
 火山島であるにも関わらず海岸は綺麗な白砂が多い。340kmに及ぶ海岸線の 140Km は泳げるビーチとなっている。特に長さ 10Km に亘って続く砂丘は見事の一語である。
 この島ではヤギのチーズファーム、アロエのプランテーションなどに行ったが特段の面白さはなく、この島の魅力は何といっても見渡す限りの砂漠と見事な白砂の砂丘である。

(上)どこまでも砂漠が続く (下)島のチーズ工場で飼育されている動物たち


昼食風景とパエリア

 
砂丘で泳ぐ人達とサンドアート、砂の白・空と海の青さが際立つ

4 ランザローテ島
 この島はカナリア諸島で最も東に位置する。地肌は溶岩の暗黒色に覆われている。海のマ リンブルーと空のスカイブルーと好対照の美しい風景が広がる。
 この島は風が強く、風を防ぐための奇妙な光景に出くわす。写真をご覧下さい。何に見えます か?答えはブドウ畑。溶岩を積んで作った壁はそんなに高くないが砂の移動を抑え、苗木の成 長を風から守れるとのこと。100 年前に造られたものが現在もそのまま利用されている。
 この島は現在も火山活動中で、地熱を利用したデモがいくつか行われていた。絶景の観光 道路は 2 つに分けられている。熱のため一般車は通行不可で、耐熱の特殊タイヤ装着バスの み通行可能な道路と一般車も通れる道路である。前者では乗客は下車禁止となっている。
 この島はカナリア諸島を構成する 7 つの島の中でも特別美しい。理由はこの島出身の一人 の建築家の存在がある。詳しくは次回でご紹介したい。



島はゴツゴツした溶岩とサラっとした溶岩の 2 種類がある

 
地熱を利用して BBQ のデモが行われていた

 
地熱を利用して枯れ草を穴に入れ数秒間で燃え上がるデモもやっていた(写真は N 氏作成)

 
観光用ラクダタクシー、200 頭くらいいただろうか、壮観である。

 
島で食べたランチ(建物は全て白で統一されている)(写真は G 女史作成)

5 ランザローテ島(2)
 この島はほかの島に比べ特別美しい。その陰にはこの島出身の建築家セサール・マンリケの 貢献が大きい。彼はこの島の美しさと文化に魅せられ、生涯をこの島のために捧げた。
 この島の建物の壁は白で統一、窓枠の海側は青・山側は緑又は茶色で統一。高さは地 上 2 階までとし、雨水をためるため傾斜のある屋根は禁止、家ごとに地下タンクを義務付け 等々の規制を政治家を動かして実現した。
 更に火山溶岩しかない島の弱点を逆手に取りサボテン公園、リオ展望台、ハメオス・デル・ アグアなど島の自然に溶け込んだ施設を島の随所に造った。彼のアイデアとデザインセンスが いかんなく発揮され今や貴重な観光資源として島に大いに貢献している。

島内の家は全て白、山側の建物の窓枠は全て緑で統一されている


ハメオス・デル・アグア内部

 
ハメオス・デル・アグア内の音楽ホール

 
溶岩だらけの何もないところに造ったサボテン公園

 
サボテン公園には珍しい品種が沢山あり実に楽しい

 
サボテンバーガーも人気メユー、味も良かった

 
島のあちこちにみられるマンリキ作品

6 テネリフェ島(1)
 この島はカナリア諸島で最大の島である。今までに行ったフエルテベントゥーラ島とランザローテ島は砂漠のみであったが、この島にはふんだんな緑とカラカラの砂漠の両方が存在する。
 その原因は貿易風である。貿易風は高度 800~1,800mのところを流れている。前の 2 島は最も高いところがそれぞれ 800m、600mであり、湿気を含んだ貿易風はその上を通過するため雨が降らない。
 テネリフェ島は高度 3,700mのテイデ山を擁し、常時貿易風が運んでくる湿気の恩恵を享受している。その為高度 800~1,800m部分は豊かな緑、その上下部分は砂漠という奇妙な景 色 と な っ て い る 。 以 上 の 原 理 は 次 の 図 で ご 理 解 下 さ い 。

図の右 2 つの島は貿易風が頭の上を素通りするため砂漠となっている。一番高いテネリフェ島は中腹
(800-1,800m)のみがグリーンベルトでその上下は緑が少ない。

 
テイデ山に上る途中(800-1,800m地点)では見事な松林が続く


テイデ山に上る途中(800-1,800m地点)では見事な松林が続く

 

写真右上の三角の山がテイデ山の頂上。2,000mを超えると再び元の砂漠になる。

7 テネリフェ島(2)
 テネリフェ島からホエールウォッチングに出掛けた。風もなく穏やかで絶好のウォッチング日和である。港にはウォッチング用の船が多数係留されている。この日は船長も驚くほど多くのイルカやクジラが我々を出迎えてくれ、日ごろの行いの良さを証明してくれた。大きな船を借り切り、なんとも贅沢な一日ではあった。

出番を待つ船と貸し切りの船で寛ぐメンバー

 
多くのイルカやクジラが我々を歓迎してくれた

 
昼食は船上で飲み放題、食べ放題。食後は皆でダンス?


暫しの微睡みと仕上げはスイミング

8ラ・ゴメラ島
 ラ・ゴメラ島はテネリフェ島からフェリーで僅か1.5時間の距離であるが、大変特異な島である。小さな島にも拘らず 1,437mの高い山がある。その為平地は殆どなく全島深い渓谷に覆われていて、開発は殆ど進まず手つかずの自然が残っている。
 この島の火山は第 3 紀の 1,500 万年前に爆発したのみでその後 1 回も爆発していない。周辺は第4紀に爆発している為、この島のみ第三紀の照葉樹の原生林が現在も残っている。
※地球 46 億年の歴史を大きく分け、第 3 紀は 6,430 万年前~260 万年前、第 4 紀は 260 万年前~現在。詳しくお知りになりたい方は https://isabou.net/Convenience/tool/geology/index2.asp
 この島には植物のみでなく古い習慣が幾つか残っている。その一つが指笛を使った通信手段である。深い渓谷に覆われているため通行が極めて困難で指笛通信が発達したのである。指笛は3km程度なら通信可能とのこと。

ラ・ゴメラ島の模型、島が渓谷に覆われていることが良く判る


貴重な植物なのだろうが猫に小判

 
断崖絶壁に建つレストラン、テネリフェ島のテイデ山が見える。下は谷底から見上げたレストラン
(指笛通信実演の動画)
https://photos.google.com/photo/AF1QipMYwOxBJ5fHJWX0IAvwavG6qamdmSLwK
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9 グラン・カナリア島
 この島はカナリア州の首都ラスパルマスのある島である。この島の目玉は「コロンブスの家」であろう。コロンブスはアメリカ大陸発見の1492年を最初に計 4 回アメリカ大陸へ遠征していて、そのうち3回はこの島に寄港している(それ以外にラ・ゴメラ島にも3回寄港)。寄港の主たる目的は勿論物資の補給と乗組員の休養であるが、もっと重要な目的はある女性と会う為である。4回目の遠征で寄港しなかったのはその女性が結婚したため会えなくなったからである。
 以上はガイドの話であるが真偽のほどは定かではない。ネットで調べて見ると「コロンブスはこの女性との間に1子をもうけたが結婚はしなかった」と出ている。歴史の裏はいつも人間臭く面白い。
 コロンブスの家にはアメリカ大陸遠征時に使用した航海用具や資料が展示されていて興味深いが詳しくは割愛する。

コロンブスの肖像画


コロンブスの家の表札、コロンブスではなくコロンとなっている

 
4 回のアメリカ大陸遠征の航海図、毎回ルートが異なっている

 
コロンブスの家の中庭と当時の井戸

10 グラン・カナリア島(2)
 この島も変化に富んだ興味深い島である。この島は円錐形の形をしているが中央に 1,945mの山が聳え、北から流れる貿易風を遮ってしまう。その為島の南側は乾燥していて雨が殆ど降らない。この島の海水浴場の大半は南部に集中している理由である。
 ほかの島でいくつかの見事な砂丘を見てきたが、この島の南部にはどこにも引けを取らない見事な砂丘が広がっている。

朝の砂丘
砂がいかにサラサラか次の VTR でご確認下さい。
https://photos.google.com/photo/AF1QipNKcwwNzV8JtfW8wGAzW3e52KDaGrQsj
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一方中央の山の北側は豊かな緑に覆われている。植物園には珍しい植物が数多くあった
が、猫に小判で気の利いた報告が出来ないのが残念である。せめて面白いと記憶している数
点だけでもご覧下さい。



上:サボテンのようだがポインセチアの一種らしい。 下:ユニークな木で名前を聞いたが失念した。

 
上:なんとイチジクの木だそうだ 下:金のなる木と言うらしい

 最後にある日のランチをご覧いただいてカナリア通信を終えたいと思います。
次 回 よ り モ ロ ッ コ 通 信 を お 送 り し ま す 。



ジャガイモ、サラダ、イワシのから揚げ、イカリングどれも美味しい。牛肉もマズマズ美味しい。
(写真は N 氏撮影)


モロッコ 11 旅の概要
 カナリヤ諸島からカサブランカに飛び 9 泊 10 日のモロッコの旅が始まった。メンバーはエレナさんが離脱しロングステイクラブ会員の 18 名である。
 当初の予定では日本語ガイドが一人付き、全行程を案内してもらうことにしていた。しかし依頼した現地旅行社の和田社長(日本人女性)が参加者の年齢を見て「事故が起きたら大変」と急遽ボランティアで全行程同行してくれることになった。
 ガイドも素晴らしかったが和田社長は更にスーパーで、この 2 人を付けての旅行は贅沢そのもの(しかも和田社長は完全ボランティア)。特に和田社長のパワーと博識は素晴らしく、モロッコで取材するマスコミや政府関係者は殆ど彼女のお世話になるらしい。
 旅行後和田社長は「高齢で心配したが全くの杞憂であった」と述懐していたが、我々には実に有難い「杞憂」であった。

和田社長                      ガイドのファティマさん


グラン・カナリアから
カサブランカへ

 

モロッコ内での行程


12 モロッコの首都
 皆さんモロッコの首都はどこかご存知ですか?カサブランカと思っている人が多いと思うが答えは No、正解はラバトである。日本では映画でカサブランカが余りにも有名なためそう思う人が多い。
 1912年フランスはモロッコを保護国に納め、首都をそれまでのフェズからラバトに移した。理由はそれまでの首都フェズの治安が良くなかったかららしい。ガイドの話では「犬猿の仲のカサブランカとフェズが首都争いをし、共に主張を譲らずラバトに油揚げを攫われた」と言っていた。真偽のほどは定かではないが、つい「ウン、ある、ある」と頷いてしまった。
 今回は両都市とも駆け足での観光であったため十分観察することが出来なかったが、実に大雑把な印象は次の通り。
カサブランカ・・・日本で言えば大阪のような商業都市で活気はあるが街は汚いと感じた。
ラバト・・・こじんまりした綺麗な街で、何となくおしゃれで品の良さを感じた。
 
カサブランカの朝の街
 
カサブランカの朝


 カサブランカ庶民の朝食風景

ゴミが多い(カサブランカ)  

 
 
公園都市と言われるラバト

ラバトの街 


ムハンマド 5 世霊廟と同じ敷地内にあるハッサンの塔 
 
ラバトは公園が多い

13 シェフシャウエン(通称:シャウエン)
 シャウエンはモロッコの西北部、地中海まで40Km、人口35,000人程度の小さな町である。この小さな町に観光客が押し寄せる。理由は旧市街の建物が全てブルーに塗られているから。とてもメルヘンチックで愛らしい町だ。でもそれ以外に何もない。
 この町は1471年に建設され、1492年以降レコンキスタで追われたイスラム教徒がスペインから逃げ込んできて人口が急増した。以後20世紀前半までイスラム教徒の聖域として異教徒の立ち入りが禁止された。その為キリスト教の影響を受けず独特の雰囲気を醸し出している。
 旧市街はブルー一色で確かにメルヘンチックだ。でもそれ以外の特徴は何もなく、これだけのことで観光客を吸引出来るとは驚きだ。でもヨーロッパの赤い屋根、スペインアンダルシア地方の白い家など同じ色で統一された町並みは確かに綺麗だ。日本も個人の自由をある程度制限して、こうした基本コンセプトを明確にした町造りを進めてもらいたいものだ。

シャウエンの旧市街


メディナを散策

 
レストラン内部

 


14 フェズ
 世界一複雑な迷路の町と言われるフェズ、808 年イドリス 2 世によって造られた古都である。道が狭いため今でも主たる輸送手段はロバや馬である。
 フェズは 808 年以降 1912 年フランスの支配下に入るまでの 1,100 年間、一時を除いてずっと首都であり続けた。(日本での京都のような存在)
 フェズは旧市街の迷路で有名だが、革のなめしや革製品をはじめ、刺繍、モザイク、焼き物等の工芸品でも高品質な職人芸で有名である。しかしその多くはユダヤ人で、20 世紀にフランス支配以降ユダヤ人がモロッコを去り、今では長年守ってきた技術継承が難しくなっていると聞く。
 モロッコは夏時間を採用しているが、フェズの職人たちはそんな制度に関係なく、今まで通り太陽の出入りに合わせたお祈り時間を基準に生活を続けているとのこと。フェズは今でも職人の町なのである。

フェズの町は確かに迷路


職人たちの作品が所狭しと並んでいる


皮の染色は町の中にあり、匂いがきついが苦情はないのだろうか?

 

ロバは今でも重要な輸送手段、狭いので道一杯になることも

 
 
作業に励む職人たち

15モロッコのモザイク
 欧州に行くと楽しみの一つが美しいモザイクである。その中でもモロッコのモザイクは一際美しい。現地のガイドが盛んに「これはモザイクではなく、ゼリージュだ。モザイクと一緒にしないでくれ!」と熱心に強調していた。ガイド嬢曰く「モザイクは四角いタイルで作るが、ゼリージュ(Zellige)は模様に合わせて細かくカットしたタイルを組み合わせて幾何学模様にしているのが大きな相違点らしい。従ってゼリージュの方が繊細な表現が出来るというわけ。
 調べて見るとこのゼリージュは古くから中東を中心としたイスラム圏で使われていたが高度な技術を擁する職人が減ってきて今ではこの技術が継承されているのはモロッコだけのようだ。
 ゼリージュの制作過程を見せてもらったが,凄い技術と根気を擁する仕事で、将来的にはロボットが職人に取って代わることになるのだろうなぁ、とやや寂しさを禁じえなかった。

ハンマーで微細な形状に仕上げて行く(職人が握っているのがハンマー)


出来上がった作品の使用例

 
作品の使用例(この写真はネットから借用)
※興味のある方は5分半と少々長いですが制作過程のVTRがありますのでご覧下さい。
https://youtu.be/oEc-ESRjntg


16 ヴォルビリス
 イスラム一色のモロッコにローマ時代の遺跡が残っている。ヴォルビリス遺跡である。紀元前40 年からローマ帝国の属領となり最盛期には人口 2 万人に膨れ上がり繁栄を極めた。3 世紀末にはベルベル人がローマを撤退させローマ時代は終わった。しかし町は 18世紀の地震で崩壊するまで残り、1887 年から発掘が進められ現在も進められている。
 町の骨格をなす神殿、公共広場、凱旋門、碁盤目の道路、浴場、オリーブ油製造所に貴族の邸宅群が残っている。中でも印象深いのは邸宅に残されたモザイクで、ローマ時代のものが見事に残っている。今でこそ柵がしてあるが、数年前までは柵すらなく観光客が自由に歩き回っていたとのこと。何とも大らかと言おうか、杜撰と言おうか、日本では想像すら出来ないいい加減さである。

ローマ時代の姿が蘇りつつある


見事なモザイク、保存状態も良い


オリーブ油精製方法の解説と復元された装置の一部

 
17 砂漠の入り口の町メルズーガ
 モロッコは中央をアトラスという 4 つの山脈が南北に走っている。西側は大西洋、地中海に面し肥沃な大地、一方東側はサハラ砂漠である。サハラ砂漠に接している町がメルズーガである。
 ホテルの前にはきれいな砂丘が広がり、観光用のラクダが体を休めている。砂丘のてっぺんから日の出を見ようと真っ暗な砂丘を懐中電灯を頼りにラクダまで辿り着いた。そこからラクダの背に揺られ白みかけた砂丘の頂上を目指し、神々しいばかりの日の出を拝むことが出来た。
 途中 20 頭ほどのラクダの隊列が通り、朝陽を浴びて長く伸びたラクダの影をカメラに収め、まさにメルヘンの世界!誰からともなく「月の砂漠」を口遊む声が流れ、全員で歌いながらのラクダ行進は思い出深い1シーンとして脳裏に残っている。

砂丘の麓から丘の上を目指して 10 分ほど登る              丘の上にて


日の出をバックにラクダの隊列が行く

 
メルヘンの世界

 
ホテルの前は砂漠         ホテル

18 マラケシュ(フナ広場)
 マラケシュはフェズに次いで 2 番目に古く 1070 年頃最初のイスラム国家ムラービト朝がこの地を首都と定めた。
 何とも活気のある街である。特に街の中心にあるフナ広場の熱気は相当なもの。大道芸を取り囲む輪があちこちに出来ている。広場の北側には巨大なスークが拡がり多くの屋台やお店が所狭しと並び、何でも売っている。種類も豊富だが物量も凄い。誰が買うのか壊れた眼鏡や入れ歯などのガラクタも売っている。日本の年数度のお祭り騒ぎが毎日繰り広げられているような賑わいである。
 今回 3 泊したがマラケシュの匂いをかいたくらいで何も味わっていない。出来れば 10 日くらいは留まってジックリ味わいたい街ではある。

フナ広場の屋台と大道芸 (写真はネットから借用)


凄い物量

19 マラケシュ(マジョレル庭園)
 マラケシュで印象に残ったのがマジョレル庭園である。この庭園は 1920 年代にフランス人画家マジョレルが造り、彼の死後イヴ・サンローランが買い取って修復したもの。
 さすが芸術家、センスの良さは抜群である。モロッコ風と西欧風が入り交じり、更にはアジア風味も加えられ何とも言えない独特の雰囲気である。狭い敷地にびっしりと植物が植えられているが、猥雑性は全く感じさせず居心地の良さはこの上ない。いつまでも佇んでいたい庭園である。
 マジョレルがアトリエに使っていた建物は現在ベルベル美術館として使われているらしい。今回はそのことが良く判らなくて、残念ながら見ていない。後でネットで見て判ったが後の祭り。(庭園の素晴らしさは写真でご確認下さい。)

エントランス




 


 


20 革なめし職人地区
 モロッコは革製品が重要な位置を占めている。マラケシュでもフェズでも街中に革なめし職人の地区があり、職人たちが染色槽で作業しているのを観ることが出来る。強烈な臭いが辺りに立ち込め、作業の過酷性を物語る。
 フェズでその現場を見学した。見学者にはジャスミンの花が渡され、それを鼻に当てながら観るというほど臭いがキツイ。
 日本なら住民の苦情でとっくに追い出されていると思うが、これが許されるところがモロッコにとって革製品がいかに重要な産業かを雄弁に語っている。当然のことながら街には溢れる程の革製品が売られている。

街中に革なめし職人地区はある


乾燥中の革も見える

 
作業中の職人が見える

 
染色した革をロバが運ぶ

 
縫製職人

21モロッコ諸々(1)
 モロッコ旅行中にガイドから聞いた話を中心に記憶の残ったことを脈絡無く記してみたい。
1 モロッコ人の最低要件
 ➀恵むことを喜びと感じること・・・弱者を助けるのは当たり前それに付随して割り勘の概念はない。富める者が払うのが 当たり前。
 ②挨拶をする・・・挨拶は連帯感醸成の基礎、不審者には大きなバリアとなる。
 ③一人で飲食するのは恥ずかしい・・・近くにいる人にも勧めるのが礼儀。
2 コーランの教え
 イスラム教徒の思考のベースにはコーランがある。コーランは一つだがその解釈は幾つもある。例えばコーランでは奥さ んは4人まで許されているが、「全ての奥さんを平等に扱うこと」という但し書きがついている。「4人まで許される」と解釈す る人もいれば「平等に扱えるわけがない、だから禁止されている」と両方の解釈が成り立つ。
 ことほど左様にコーランの解釈はそれぞれ違うのでなかなか一筋縄ではいかない。

3 日本人の感覚からするとイスラム教徒は女性蔑視する傾向が強い、というものだろう。確かにそう言う面もあるようだが 、モロッコの公務員の男女比率は51:49、因みに日本は86:14。

4 モロッコのカフェの客は殆どが男性ばかり。だから女性蔑視だ、というのは間違い。家庭での女性の仕事が多いのは事 実のようだが、もっと大きな理由は「服装に気を遣うのが面倒」ということらしい。

5 砂漠の国ではナツメヤシは栄養補給源として貴重な存在である。ガイドの話では自宅にあるナツメヤシの木は登記され ているとのこと。登記が一般的かと訊いたが「判らない」という。ネットで調べたがさすがにそこまでは載っていなかった。
22 モロッコ諸々(2)完
6  モロッコの水は硬水である。ガイドによると「長年モロッコに住んでいると硬水のため肌が荒れる。日本に帰ると風呂の湯が柔らかくホッとする」と言っていた。因みに同行の日本人女性たちに訊いたら「そこまでは感じない」とのこと。でも「風呂のお湯が柔らかい」という感性は大事にしたい。

7  「京都のぶぶ漬け」は有名な話であるが、モロッコにも似たような話がある。モロッコでは客人にパンを出すのが礼儀とされている。出すパンにホストの気持ちが表れるそうだ。暖かいパンやパンの種類が多いのは歓迎している証で、その逆はあまり歓迎されてないサイン。あまり歓迎されない客は古今東西どこにでもいるということ。

8  GDP 一人当たりランキングではモロッコは 192 ヵ国中 128 位で決して豊かな国ではない。しかし傍目には結構生活をエンジョイしている風に見える。聞いてみると住民相互の互助精神が効いているとのこと。また夫々が高望みをせず収入に合わせた生活をエンジョイする、そのため治安は極めて安定しているようだ。

9  国民の間で国王に政治をしてもらいたいと考えている人が多いそうだ。理由は政治家は目先を考えて政治をするが、国王なら将来を考えて政治をしてくれるからというものらしい。政治家が国民のためではなく選挙の票のために政治をするのは世界各国共通らしい。

10  モロッコではクレジットカードは使いにくい。理由は5%の手数料を客が払わなければならないからだ。それだけ商店などクレジットを取り扱う店の信用度が低いということらしい。

色々あるがモロッコはやはり魅力のある国であることは間違いない。拙いモロッコ通信にお付き合い下さり有難うございました。






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