新中国通信
2010−6−22 〜 2010−7−6
神原克收
目       次
1.旅の概要 9 三峡下り(その2神農渓)
2. 大足の石窟 10 クルーズについて
3 自貢塩業歴史博物館 11 三峡ダムについて
4 自貢恐竜博物館 12 屈原祠
5 中国の死海 13 一人っ子政策について
6 重慶北温泉 14 中国結婚事情
7 磁器口 15 郵便事情の真相を垣間見た
8 三峡下り(その1) 16その他諸々と会計報告  (完)
 旅の概要

 今回も櫻井氏呼び掛けのお誘い旅行で、この旅はいつものことながら通常の旅行では絶対に行かないところへ行くことが多い。
従って地元ガイドも行ったことがなく、櫻井氏はじめ中国通の参加者がガイドに教えることが多い。
・参加者:北海道1人、東北1人、関東17人、中部1人、関西5人の25名。

・日程:2010年6月22日〜7月6日

・行き先 重慶〜大足〜自貢〜遂寧〜大英〜重慶・・・この間車で移動
    重慶〜豊都(鬼城)〜白帝城〜神農架〜宣昌・・・この間三峡下りクルーズ
    宣昌〜木魚〜神農架林区〜王昭君古里〜屈原祠〜宣昌〜刑州〜武漢
                           ・・・この間車で移動
    武漢〜上海(万博)・・・寝台列車

                     
      
                     
      グリーン線は車で移動、ブルー線は三峡クルーズ、武漢〜上海は夜行寝台列車

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 大足の石窟

 重慶の西12Kmに大足という町があり、その周辺に石窟が集中的に残されていて、世界遺産に登録されている。これらの石窟は9Cから13Cにかけて掘られたもので、殆どが仏教の石仏である。
 特に有名なのは長さ31mもある涅槃仏。巨大すぎてとてもカメラには治まらない。その他の石窟もスケールの大きいものばかりだが、芸術音痴にはその有難味が理解し難い。ここは敦煌・莫高屈、洛陽・龍門石窟、大同雲崗石窟の3大石窟に次ぐ存在らしいが、今までに見た3大石窟やインドのエローラ・アジャンタと比べると迫力は今一つの感がある。
 ではなぜこんな石窟を造ったのか?資料を調べてみると打ち続く戦乱終焉を願って掘り進めたとあるが、それだけの理由でこれだけのものを造るエネルギーになるのだろうか?どうにも納得がいかず、もやもやした気分で石窟を後にした。
巨大な涅槃仏、カメラにも収まらない
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 自貢塩業歴史博物館

 自貢は四川省南部の人口320万人の中堅都市で、塩と恐竜で有名な街である。特に塩は昔から有名で、自貢という市の名前も「自流井」と「貢井」という2つの町が合併して自貢市となった。自流井も貢井も共に塩水を取る井戸に因んだ名前である。
 自貢塩業歴史博物館に行った。贅を尽くした実に立派な建物群で、聞いてみると
18世紀ころ財をなした塩商人達は自分達の集会所として造った建物とのこと。現在では国の重要文化財にも指定され、当時の塩商人の権勢振りを窺い知ることが出来る。
 当時の塩水を汲み上げるための掘削技術は世界的レベルだったようだが、その後の技術進歩について行けず、今日では歴史上の名声のみに生きている。

博物館入口

博物館外観

博物館内庭

塩業最盛期の町の写真








 100年くらい前まで使っていた井だが、現在でも観光
    客向けのデモンストレーションで塩水を汲み上げること
    が出来る











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 自貢恐竜博物館

 自貢市の塩に続く自慢は恐竜である。1986年に開館した自貢恐竜博物館はカナダの「ロイヤル・ティレル古生物学博物館」と「福井県立恐竜博物館」と並んで、世界の3大恐竜博物館と言われている。
 福井の博物館は未だ見ていないが、自貢のは迫力満点で世界3大博物館の名に恥じない。展示物の大半は本物の化石で、レプリカは一部しかない。
それにしてもこれだけ完全な形で多数の恐竜化石が発見されたことは驚き以外の何物でもない。
 展示よりも素晴らしかったのがガイド嬢。17時閉館だが我々の到着が閉館時間を20分程度過ぎたにも拘らず、ちゃんと待っていてくれ、流暢な日本語で熱心に説明してくれた。
しかも美人ということもあって参加者一同感激の面持ち。 
 中国では全般に「サービス精神」には大いに欠けるきらいがあるが、ここでのもてなしは中国の「変化の兆し」を感じさせてくれるものであった。
しかしその後の旅行でその「変化」は殆ど感じられず、期待を裏切られた。


前足より後足が大きく、頭が大きいのは肉食恐竜

恐竜の頭部、それにしても大きい
流暢な日本語のガイド嬢
今回の旅行参加者
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 中国の死海
 四川省に大英という人口55万人の小さいが有名な町がある。中国の死海と言われているからである。死海と言えばイスラエルとヨルダンに面した本家死海がある。通常の海水は塩分濃度3%、アラビアの死海は30%に対し、中国の死海は22〜25%程度とパンフには書いてある。
 死海に入ってみたら確かに浮く。本家死海は行ったことはないが、長時間入っておられないと誰かに聞いたことがある。中国死海は何時間でも入っておれないことはない感じ(そんなに長時間入って面白いことは何もないが…)。以前アメリカのソルトレイクに入った経験があるが、そこよりは濃度は高いようだ。
 ここは天然の池と言っているが、どう見ても人工的に造った池としか思えない。今世紀に入ってリゾート施設として開発が進み、ホテルをはじめ人工ビーチ、泥温泉、各種遊具施設を備えた巨大な遊園地と言った趣き。
 それにしてもここの水は本当にきれいなのか?どこまで浄化しているのか?安心して長居するには少々勇気が要るように感じた。


室内施設、奥は人工ビーチで結構大きい、人工波もある

室内塩水プール、水が汚い!

屋外塩水池、こちらの方が水はきれい
左は室内娯楽設備棟、右ホテル、ホテルの手前に塩水池がある
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重慶北温泉
 櫻井さんの中国旅行では毎回温泉に行く。今回は重慶北温泉というところへ行った。門をくぐると重厚な建物群が迎えてくれる。更に暫く歩くともう一つの門があり、その奥にモダンな建物が現れた。これが北温泉のメインの建物だ。
 内部は残念ながら写真撮影禁止でご覧いただくことは出来ないが、私が過去行った温泉で1・2を争う素晴らしい温泉であった。
 緑豊かな庭園に大小26もの露天風呂が点在し、それぞれ雰囲気と温度を変え、客はそれらを自由に渡り歩いて楽しむ。雰囲気満点の温泉だ。
 今まで行った中で最も気に入ったのはコスタリカの温泉で、鬱蒼とした木々に囲まれた園内を水量豊かな川が縦断している。その川が全て温泉で川のあちこちに入浴場所が設けてあった。夜は湯に浸かりながら噴火する火山の溶岩を眺めるという贅沢なもの(実際は木の陰で殆ど見えないのだが)。重慶北温泉には溶岩の眺めこそないが、1700年の歴史がそれを補っている。

 

門の中には重厚な建物群がある。この建物と温泉との関係は残念ながら不明。

温泉棟はモダンな造り

1930年頃の全景写真(2008年に重慶市の文化財に認定されたと書いてある)。
櫻井氏の話では「禅寺と沐浴文化を融合させた中国第一の温泉寺であった」とのこと。
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 磁器口
 重慶近郊に磁器口という古い街並みが保存されている。1800年前に造られた町らしいが、特に栄えたのは明・清時代で特に清代末期は水上交通の要所として殷賑を極めた。
磁器口という地名からして港として栄えたことが窺える。
 現在は古い町並みを目指して内外の観光客が押し寄せ、メイン通りは土産物屋や飲食店が軒を連ね、騒々しい観光地でしかない。しかし、少し町の外れの方へ行くと、
観光とは無縁の普段着の生活を見ることが出来る。古くて暗くてジメジメした感じの住宅が軒を連ね、決して快適な生活の場ではないと見受けた。
 この辺りには役所のお達しが張り出され、町全体が順番に大規模な改修工事に取り掛かるようだ。そうすれば快適な生活の場は確保出来るのだろうが、観光客にとっては
あまり魅力のない町に変貌するのであろう。

磁器口入口

メイン通りはお店ばかり

町の外れは住民の息づかいが感じられる
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 三峡下り(その1)
 1993年に着工し、昨年完成した三峡ダムのお陰でダム上流の水位は150m上がった。そのため日本で絶大な人気のあった三峡下りのツアも最近随分下火になった気がする。
 今回重慶から宣昌まで3泊4日のクルーズを楽しんだ。重慶から三峡ダムまで約600Km、更にダム横にある船舶昇降装置を使って約100m降下し、ダム下流の宣昌まで約50Km、計650Kmの船旅である。
 水没前の三峡下りを経験していないので、以前との比較はしようもないが、現在でも維持している渓谷美を見るにつけ、水没前の迫力は想像を絶する美しさであったに違いない。昔の景観を想像しながら過ごす船の旅は、水没後ならではの楽しみであろう(負け惜しみ)。
 途中鬼城、白帝城、三峡ダムの3ヶ所で下船して小旅行を楽しんだ。中でも白帝城は三国志の主人公劉備が没した地で、三国志ファンには必見の場所である。ダム以前に来たことのある人の話では「以前は一旦谷底まで降り、更にそこから登るという行程で随分ハードであったが、水位の上がった現在では橋で簡単に行け、楽にはなったが有難味がなくなった」とのこと。


生憎の雨の中、重慶を出発

水位が150m上がって、なおこの景色!昔はもっと凄かったに違いない
今は水位が少し下がっている、岩肌は以前の水位を示している

鬼が城に上陸

今はこの橋を渡ればすぐ白帝城に行ける、昔は下まで降りてまた登ったそうだ

三国志ゆかりの地で今でも観光客が絶えない、ここは岡の上で水没を免れた
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 三峡下り(その2神農渓)
 三峡下りの途中で下船観光を3回した。それ以外に下船ではないが、17人乗りの小さな船に乗り換えて支流の神農渓まで観光に出掛けた。
ここの水深がどれくらいかは不明だが、随分狭い山峡にまで入って行った。
 驚いたのは景色もさることながら、小舟を操る5人の船頭達のスタミナである。船にはエンジンはなく、全て人力で、約1時間休みなく漕ぎっ
ぱなしのスタミナには全く脱帽あるのみ。しかもその給料が僅か30元(400円)!つい、チップをあげたくなった。
 余談ながら私も子供時代に経験があるが、日本では船を漕ぐとき、引く時に力を入れるが、中国では押す時に力を入れる。
鋸を挽く時でも日本は引く時に力を入れ、ヨーロッパでは押す時に力を入れる。多分鋸でも中国は押す時に力を入れるのだろう。

1時間全く休みなしに全力で漕ぎ続ける

船長一人に漕ぎ手は4人

昔は水の少ない所では岡から人間が引っ張った、
現在は観光用のデモンストレーションのみ
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10 クルーズについて
 ここではクルーズ従業員のマナーについて述べてみたい。中国のサービスは以前より遥かに良くなってきてはいるが、まだまだサービス業と言えるレベルには程遠いのが実情だ。
・朝早く船内散歩で出会う従業員はこちらが挨拶しても殆ど返事が返ってこない。まだ勤務時間前と思っているのだろうか?
・クルーズの楽しみの一つは食事である。各テーブルにサービス員が配置されている。しかし運んできた料理の説明も「チキンです」「魚です」でおしまい。更に詳しい説明を求めても殆ど知識はなく、単なる料理の運び屋に過ぎない。
・寄港地で上陸する前に乗客を広い部屋に集める。その際待ち時間にBGMを流す担当がいる。客の大半がシニアにも拘らず、頭が痛くなるような騒々しい音楽を大音量で流し、且つ担当の若い女性はそれに合わせて踊るしぐさをしている。「煩い!」と注意をすると音量のみ下げて音楽はそのまま。更に「音楽を変えてくれ!」と注意して初めて静かな音楽にしてくれた。「顧客第一」はまだ掛け声だけの飾りものなのであろう。
・船内は何をするにも金、金、金で少々ウンザリ。船長主催のウエルカムパーティで振舞われる飲み物はお猪口程度のワイン1杯のみ。以後は全て有料。つまみも乾きものが僅かだけ。これを中国人グループが自分達のテーブルに皿ごと持って行き、他の客はつまみもなし。「ウエルカムパーティ」などと大上段に振りかぶらなければ良いものを。


船長主催ウエルカムパーティ

各テーブルを船長が廻る

食事風景

船内のラウンジ
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11 三峡ダムについて
 三峡ダムについておさらいをしておきたい。何ともスケールの大きい話ではある。
@ 最初の提唱者は孫文、1919年の「建国方策」の中で提案
・1993年着工、2009年完成
・注目すべきは1992年の全人代で着工を決定したが、出席者の3分の2の賛成しか得られず、残りは反対・棄権・無投票で全会一致が原則の中国では異例。
・また、このダムを推進した胡錦涛、李鵬、温家宝の3人とも2006年の完工式典を欠席した。それだけ問題含みのプロジェクトであった証であろう。
A 発電量は850億kwh(全中国の10%弱、最新原発13基分相当)
B 立ち退き者 2007年末で140万人、2020年までに更に230万人 合計370万人
C ダム湖の長さ570Km 通常水位 175m
D マイナス面として次の項目が挙げられている。
・住民の強制移住/文化財や名所旧跡の水没
・生態系への悪影響/地滑り/がけ崩れの頻発
・水質汚染、地震を誘因する等々
2008年5月の四川大地震についても三峡ダムが原因と指摘する学者は多い。

ダムの全貌、霧で殆ど見えず
三峡ダム

ダムの全貌、霧で殆ど見えず

ダムの模型、写真上部が上流、右側階段状のものは船舶昇降装置

水没住宅の代替住宅、こちらは水没地域の上の方に建設した

水没住宅の代替住宅、こちらは全く新しい土地での生活

船舶昇降装置、5段階で100m以上昇降させる
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12 屈原祠
 楚の時代高潔に生き、そして自殺した憂国詩人屈原(BC343〜278)は今でも中国では大変人気がある。
 屈原を祭る祠は三峡ダムのすぐそばにある。三峡ダムで水没することとなり、移転して新しい祠が完成した。オープン直後に見学に行ったら日本人では最初の客とのこと。オープンしたとはいえ、あちこちで工事が継続していて、このあたりの感覚は日本人とは大いに異なる。
 兎に角デカイ!どれくらいデカイかは写真でご判断いただきたい。いくら人気があるとはいえこれだけのものを造るのは「白髪3千丈」の国ではある。同時に政府の懐の豊かさを如実に示している。
 屈原祠に限らず中国では歴史的遺跡の保存整備には随分力が入っている。きれいになり過ぎて有難味が薄れるきらいが無きにしもあらずだが、残念ながら日本の文科省の役人よりは感覚が優れている。

入口の案内表示 広大な敷地の中に建っていて移動は電気自動車も

メインの建物群の模型

メインゲート

随所で工事が続いていた

屈原祠から見る三峡ダム
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13 一人っ子政策について
 中国の抱えている問題点は沢山あるが、一人っ子政策の歪みもその一つである。この政策は1979年にスタートしたので今年で31年目になる。やや古いが2006年の人工ピラミッドをご覧いただきたい。右男性、左女性で、縦軸は年齢。
400px-Chinapop 一人っ子政策の影響は明白で、日本の型に良く似ている。最近は一人っ子政策以上に子供を産みたがらない「少子化」も進んでいることが読み取れる。この歪みが近い将来日本以上に深刻な高齢社会問題を引き起こすことは間違いない。
 一人っ子政策と関連して男女格差も深刻な結婚難問題をもたらしている。女性100に対する男性の比率は世界平均では105だが、中国では117となっている。特に0〜4歳は120と深刻である。原因は男子願望に起因する人工中絶。
 もう一つ深刻な問題は子供の我儘である。一人の子供に両親とその両親4人、合計6人の愛情を一身に受け、我儘放題に育っている。「小皇帝」という言葉が市民権を得ているのも困った現実である。我慢を知らないこの世代が社会のリーダーになることを思うと心は穏やかではない。
 この政策は上海など一部の地域で緩和策が検討されているらしいが、基本的にはまだ当分継続するとのことで、歪みが更に蓄積され、将来の不気味な不安要素であることは間違いない。


ローラースケートを楽しむ子供たち(ハルピンにて

文字通り小皇帝に

可愛い!やがて小皇帝に

上海万博での一風景

中国人はリンゴの丸かじりがお好き(万博会場にて
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14 中国結婚事情
 中国男性にとって結婚には大きなハードルがある。以下複数の中国人ガイドからの聞きかじりであることをお断りしておく。
 都市部での結婚は「金が全て」らしい。男性にとって一番のハードルは「マンションを所有している」という条件だ。家がなければ結婚相手の候補にもあがらない。
 近年不動産の値段はウナギ登りで、特に上海ではバブル破裂の心配が真顔で囁かれている。マンションの値段も異常で、サラリーマンの年収の30年分を超えているという。重慶や武漢での事情も上海ほどではないにしても年収の20年分は超えているとかで、とても結婚適齢期の男性サラリーマンで買える水準ではない。
 親が金持ちでなければ「結婚など諦めている」男性は多いようで、不動産バブルが弾けない限りこうした事情は好転しそうにない。バブルが弾けたら弾けたで収入が抑えられ、大変なことには違いない。
 余談だが中国ではデートの際の費用は男性負担が常識で、まだまだ男の沽券は健在のようだ。

マンション建設ラッシュはまだ続いているが・・・(重慶)
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15 郵便事情の真相を垣間見た
 アジアで郵便を出すと時々届かないことがある。中国でも例外ではないという事例をご紹介しよう。
 中国4大美人王昭君の故郷に近い木魚鎮という小さな町で、片田舎にしては立派なホテルに投宿した。
そこに郵便ポストが設置されているのだが、写真で見るように鍵が壊れていて無残な扱い。
少々汚れても無事届けば良いだろうが、この内のいくつかは行方不明の運命か?
 もちろんこれが全てではないのだろうが、こんなのを見せられると「食の安全も大丈夫?」という気になる。

ポストのカギが壊れている

中身はご覧の通り汚れていて、紛失しても何の不思議もない
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16その他諸々と会計報告
気温予報
 日本では警報が出ると学校は休みとなる。同様のことが中国でもあるらしい。
宣昌では予報で気温が40℃を超えると学校や役所は休業となる。
上海でも35℃を超えると同様な措置をとる。
 ところがガイドや運転手の話を聞いていると「これを超える予報は絶対に出ない」らしい。
宣昌では39.4℃を示していたが、当日の予報は38℃であったとのこと。

ホテルのメンテ
 中国のホテルではメンテナンスという概念は希薄なようだ。
数年前だが電子ロックシステムが故障し、部屋へ入る際は女性が待機していてその都度手動でドアの解錠をしていた。
修理するよりは人件費の方が安いのだろうが、修理しないのであれば最初からそんな高度なものを付けなければ良いと思うのだが・・・。
 どこのホテルでも水道の水がキチンと止水されているところは少ない。パッキンの取り換えをしないのが原因だ。
オーバーな表現だと思うが「中国全土でパッキンの散り替えをすれば中国の水問題は解決する」という人もいる。
 それ以外にも壁紙の剥がれ、絨毯の汚れや破れ、電灯の球切れ、TVリモコンの電池切れ、排水栓がない、お湯が出ない、
逆にお湯しか出ない、窓は掃除をしないのでいつもドロドロ、等々あら探しをしたらキリがない。

中国女性は外股歩き
 中国の女性は逞しい。「男勝り」がピッタリで日本の柔な男ではとても太刀打ち出来そうにない。歩き方にもそれが出ていて、
日本女性は内股歩きの人が多いが、中国女性は外股歩きで、内股歩きはあまり見ない。

ナンバープレートの値段

 近年日本でも車のナンバープレートはお金を出せば希望の番号が入手出来る。
中国でも事情は同じで一般的な番号は5万元(70万円)くらいらしいが、「8888」「6666」「9999」などは超人気で相場は1億元(14億円)
とのこと。Unbelievable! やはり中国人は桁が違う。

              ☆☆☆ 今回15日間の費用 ☆☆☆
                 (お土産などの個人的費用は除くが、買いたいものは何も無い)

                   
航空機  ANAのマイレージ使用で支払い無し
                   ツア一式 126,960円
                   現地での共通費用 4,900円
                   合計   ≒132,000円

                               
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