中国杭州と黄山の旅
はじめに:
60歳最後の誕生日を迎え急に昔から中国の墨絵の題材になっている黄山を訪れたいと考え、パックツアーに参画しました。幸いにも若干このところ健康を少し取り戻した妻を誘ったところ4泊5日のこの旅に同行してくれました。
1日目 2004年4月17日(土)晴


今日誕生日である。69歳の1年間が今日から始まるわけである。そんなことを考えながら朝の散歩である。周りの山の姿はすっかり青葉に茂ってしまったし、八重桜の花も若葉の中に重い花弁をたれていた。これから観光に行く杭州の春は如何?

午後3時車で関空に行き中国杭州と黄山の旅への出発である。

関空で駐車場の割引があることを知り、車で行くことに決定した次第である。5日間の駐車料金\12000で其の上洗車もしてくれるとか。

今回は1度其のサービスを受けてみよう。

考えてみると関空で車を駐車するのは初めての経験でもある。関空発7時。1時間の時差ありで7:40上海空港に到着。1時間時差で8:40空港の出口で現地添乗員の王さんとケさんに会う。私たちグループは総勢28人で迎えのバスに搭乗。9:40分上海空港出発し杭州に向けて3時間のバス旅行である。杭州の百合ホテルに夜中の12:30分到着。外は雨模様。

2日目 2004年4月18日(日)雨

昨夜遅く到着したにもかかわらず5:45分のモーニングコールで起床し7:15分屯渓に向けてバスで走る。浙江省から安徴省へは5時間もバスに揺られていくのだから大変。

杭州からひたすら西南の方向のテンムー山脈を越えるのであるが道路は舗装国道だがガタガタの山道。横に高速道路の工事中の車が走るので其の所為もあるのか かなり道路が悪い。

日本の昭和の終わりごろの地方の道路状態のようである。

車窓から見える風景はかなり山の中腹まで茶畑がありその下には菜の花畑が広がっていた。おそらく菜種油を採るのだろうがこの後は稲作になるのであろう。5時間あまり揺られてどうにか屯渓市に到着。昼食を終えてから黄山屯渓美術館の見学。

屯渓市では雨の中 町の中心にある老街を見学。600年前の古い商店街の観光をする。記念にと考え筆を3本セット15元(\200)で買う。その後バスで又1時間くらいかけて世界遺産になった村宏村“へ行きそこでの観光を1時間ぐらいする。この宏村は400年ほど前の古い集落がそのまま残っているのである。大きな池に囲まれた集落で橋を渡り村の中に入ると人間1人くらい通過できる細い路地の両脇に2階建ての家並みがならび中心に行くと豪商の館があった。観光終了後今日の宿泊ホテルに向かう。この古い集落には現在も1000人の人々が生活しているとか。

18:45分黄山山麓の雲谷山荘に到着し宿泊。雲谷山荘は黄山の山々に囲まれた静かなホテルだった。



3日目 2004年4月19日(月) 晴れ

久しぶりに天候が良くなった。朝からケーブルの乗り場に行くと中国人観光客で満員の状態である。ホテルを出たのが7:30分で雲谷索道(ケーブル)に乗車できたのは10:30分だから約3時間待たされたわけである。文句たらたらである。ここでのたちんぼうで妻の疲労はかなりのものだったようである。

ケーブルで上に挙って黄山の山風景を見ると待たされたて尖った心もなんとか落ち着いた。心を和やかにするほどすばらしい山々の風景はここだけの独特のものであった。絶壁の山肌にへばりつく松の枝のすばらしさはまさしく山水画の極致の光景である。

ケーブルを降りてから始信峰にハイキングに行き今晩の宿泊先北海ホテルにリックを置き西海ホテルまでハイキングして昼食にありつく。

午後妻を含めて10人は山歩きに自信がないとのことで今晩の宿泊ホテルに逆戻りし、残りの私たち18人は約5kmの山歩きのコースに参加する。ここでは有名な飛来石を見たりして光明頂にたどり着きそこからホテルのほうに帰りついたのが4:30分頃だった。その間充分に黄山の景観を堪能する。

標高1700mの山上は夜間かなり冷え込むと覚悟していたがそれほどの冷えはなかった。

4日目 2004年4月20日(日) 晴れ

朝4:30分のモーニングコールで起床し御来光を拝みにいく。ものすごい人たちである。ルームの備え付けの防寒着を着るがそれほどの冷えはなかった。

人が多い所為かそれほど感激するほどの御来光ではなかったのが残念だった。かなり靄が多く晴れていたにもかかわらずぼんやりとした旭日であったのにがっかりした。

朝食の後太平索道の駅をめざし2時間ほど歩き9:30分のくだりのケーブルに乗車。昨日とは違い人が少なかったのでケーブルに乗りゆっくりと周りの景観を楽しめたので幸いであった。麓の駅に降りて黄山から清水を集めた瀞鑑賞にいくが、水が綺麗だと言われて期待して行ったが確かに新緑の谷間に綺麗なエメラルドグリーンの水の色はきれいであった。

しかし見学しながら日本の黒部川のコバルトブルーの瀞の色を思い出した。新緑のやまの色も良く似ているのであるが黒部渓谷の今頃は雪渓が残っていることだろう。途中道端には筍ニョコニョコで日本の山郷を思い出した。ひょっとすると日本の竹の原産地なのかも。

違った風景は谷あいの茶畑で農民が群がって茶摘をしていたのが印象的であった。

昼食を終えて1時30分杭州を目指す。来たときと同様のガタガタ道を通るので忍の1字で耐え忍ぶ。6:30分杭州の百合飯店に到着。

夕食後 連れの沢井さんと3人連れで近くのスーパーへ行き買い物をする。かなり大きな綺麗なスーパーで最近開店したようである。日本と違い入店するときは、持っている袋の類は全部お預けしてからである。

Tシャツ2枚で25元(1元=13円)新茶が50元、水が1元と安かった。帰りは妻がシンドウそうだったのでホテルまでタクシーで帰る。タクシー代が10元(¥130)。


5日目 2004年4月21日(水)晴れ

5時起床し今日帰国するための荷物のパックをする。


ホテルで最後のバイキング朝食を執り西湖の遊覧に出かける。かなり大きな湖であり多くの遊覧船が出ていた。李白などの詩人がこよなく愛した湖である。

杭州は人口600万の大都市であるが新緑の大きな樹木の中に大きな建物が埋まってしまったような町並みである。其の木々の落とす陰が涼しさをもたらしてくれているようである。

昼頃杭州空港へ行き出国の手続きをする。残った元を消化するため空港の免税店でタバコなど探すが中国のタバコばかりでアメリカタバコはなく息子への土産のたばこは買えなかった。それに免税店にもかかわらず値段が市場の5倍いから8倍も高かった。

昨日スーパーでは1元したミネラルウオーターが8元、この地方特産の新茶50元であったものが300元の値がついていた。中身はまったく同じもであったから今後中国旅行する際は要注意である。

それと購買方法もまず陳列の品物を決めてから伝票を持参し、代価を払ってから支払済みの伝票と交換で品物を受け取るシステムである。これこそが国営のデパートや商店の仕組みそのままなのであろう。本など読んでこのことは知っていたが経験するのは始めてであった。おそらくこんな販売システムは消えていくだろうからこの国での最後の貴重な経験をした思いである。

午後4時ごろ関空に到着。入国手続き等をして駐車してあった自分の車で帰宅したのが午後6時過ぎであった。空港から家の車庫まで直行だからこれは快適そのもの。


               振り返り見て

今回の旅では中国の今の姿を垣間見た感じである。
中国の現在は高速道路をはじめ町作りの真っ最中であり、あちらこちら現代化が急速に進んでいるように思われた。ハードの面ばかりではなく、ソフトの面にも其の片鱗を感じ取った。最近中国株式に興味を持ち其の観点から観察していると中国石油(ペトロチャイナ)の株式を発行しているガソリンスタンドがあちらこちらに散見できこれまでの国有の石油集団のスタンドを凌駕する勢いはまさしく新しい中国を見た思いである。

ハード面は地方都市間の高速道路建設の横を通過し、其の建設振りを見学できた。日本と違い土地は全て国のものであるからかなり速いスピードで建設が進み、其の建設資金も高速道路の株式化を進め、かなりの高配当を約束し世界中に其の株を売り出して、其の資金に充当しているようである。

かなりの人たちが町のあちらこちらで携帯電話を利用しているのを見ると今後ますます普及していく感じである。

しかしながら中国は観光事業発展を国是の1つとしているようであるが、それにしては公衆便所などや道路整備などにまだまだ不備な点が散見された。大きい都市ではそうでもないが地方に出かけるとかなり女性観光客が困るような便所のようで妻も苦労していた。

中国の地方都市へ旅するならばいま少し早いような気がする。やはり4年後の北京オリンピックの前後の年あたりが良いような気がする。現在の勢いで中国の変化が進んでいくとすると4年後には今の日本ぐらいの観光基盤が整うではなかろうかと考えられる。

中国には世界遺産が数多くあることではあるし、観光資源大国である。

しかし特に女性同伴の旅には今の中国の地方への旅は慎重に考えた方がいいように思われる


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