フィリピン/セブ島 ライブレポート

花田 日出夫

平成19年1月20日〜(3ヶ月の予定)

このレポートは、インターネットなど通信網の発達により、ライブに近い状態で現地より発信し、現地での生の体験を湯気が立って冷めないうちにレポートしているものです。もちろんロングステイを楽しむのが趣旨であり、レポートをするのが趣旨ではありませんので、レポートが断片的になる可能性はありますが、その辺は、ご理解頂きたいと思います。レポート方法は、現地にてミクシー(ソーシャルネット・ワーキング・ソサエティー)あるいは、メールで書き込みし、それをLSCのホームページ係がアップしていくものです。

**パソコンを持参しておらず現地の学校のパソコンからから発信している関係上、写真添付が不可能です。(パソコンが写真など外部ファイルの取り込みをブロックしている。)従いまして、写真のアップは帰国後にする予定です。ご了承下さい。

目次
第一報「ホットメール開通について」2007年1月26日(金) 第二報「アイランドホッピングへ行ってきました。」2007年1月28日(日)
第三報「シピルス授業等」2007年1月30日(火) 第四報「シピルス学校で」2007年1月31日(水)
第五報「アイランドホッピング紀行 第六報「セブ留学について」2007年2月6日(火)
第七報「バッジメートの懇親会」2007年2月8日(木) 第八報「セブのタクシー考T(料金メーターを倒さない車には注意)」
       2007年2月10日(土)
第九報「セブのタクシー考U(しつこく食い下がってメーターを倒させる)」
       2007年2月11日(日)
第十報「金曜日の授業は、ミュージックで」2007年2月12日(月)
第十一報「2月14日シピルスのバレンタインデー」
          2007年2月19日(月)
第十二報「シニア8人でドマゲッティー週末旅行へ(その1)」
         2007年2月21日(水)
第十三報「シニア8人でドマゲッティー週末旅行へ(その2)」
          2007年2月22日(木)
第十四報「シニア8人でドマゲッティー週末旅行へ(その3)」
          2007年2月25日(日)
第十五報「シニア8人でドマゲッティー週末旅行へ(その4)」
          2007年2月26日(月)
第十六報「3月24日まで延泊決定」2007年3月6日(火)
第一報「ホットメール開通について」  2007年1月26日(金)
 みなさん、こんにちわ。シピルス(語学学校)のコンピューター室から送信します。
シピルスのレオニーさんという日本人に対するサポーターの支援を得て、何とかホッ トメールの開通にこぎつけました。
少しずつ、渡航状況、授業及び生活状況について 送信しますので見て下さいね。
 1/20マニラ空港でテロの一員?に間違われかけはしましたが、無事、官憲の審査 を通過し、夕方セブへ到着しシピルスに入りました。
その日は、シピルスの寮へ宿 泊、その翌1/21晩にディプロマットホテルへ移りました。このホテルは、大変広 くて綺麗で、閑静な場所にあり、お蔭様で快適な生活を送っています。
 授業は、1/22から始まりました。学校生活は、シニアは特にのんびりとマイペー スで授業を受けています。 先生も生徒もお互い和気あいあいで、一見皆な楽しくやっているようです。人数は現 在、韓国人200人位、日本人15〜16人(うちシニア7〜8人でうちシニアのお ばさまが2人、残りは同数位の青年男女)です。
若い人たちの中に居ますと何かがはじけるようで自分の年齢も忘れて結構楽しいもの です。 明日は、岩崎さんがどこかへ案内してくれるそうです。 目次へ
第二報「アイランドホッピングへ行ってきました。」  2007年1月28日(日)
 アイランドホッピング2島昼食付きで1000ペソ(2、500円)でした。17名 (韓国人;14人で女5人男9人、日本人男3人でシニア2人、若い人1人)楽しい 1日でした。時間がないのでまた明日。 目次へ
第三報「シピルス授業等」  2007年1月30日(火)
 みなさんこんばんわ。こまめに送ったらいいのですが、送信先が多いのとシピルすの友人たちと懇親を深めたりして忙しく、なかなか十分な時間が取れません。
省略でき るところは思い切って省略して書き込みますのでご了解ください。
また、保存してい ないので同じことをダブって送信する場合がありますのでご容赦ください。なお、写真も添付できません。
なお、このメールは、学校のパソコンを利用しています。受信状況も日本と全くかわ らず、日本語の漢字、ひらがなも出てきます。
 さて、1/22シピルスで、新入生の英会話のレベルテストを受けました。その結果6レベルのうち1Hでした。各レベル でもH、M、Lと分かれています。授業は1日5時間3時限行われ、私は、1;1、 1;2、 1;4に割り振られました。先生はほとんどが現地人で、若い女性の先生が多いので すが中には2〜3人おかまの先生もいます。でも、みな会話力はネイティブと変わら ないそうです。そして、明るく面白いですよ。
 私の先生は、1;1がアンジー、1; 2がジョイシー、1;4がおかまのジョナサンです。アンジーは、私に日本のしきた りや、フィ リピンと日本の違い、日本人の家族の生活状況をずっと質問してきます。ジョイシー は文法も取り入れての学習でよく宿題をだします。でも、いらないと思っていた文法 は大いに役立ちます。
ジョナサンは、自称シンガーソングで時々テレビにも出るんやと言っています。音楽をかけて、また、歌を口ずさみながらの授業が多いですね。でも、ちっとも嫌味はありません。私の授業時間は8時半から14時半です。終わった ら、バッジメート兼クラスメートのデーブさんやホテル仲間の永井さんとともに、スーパーのアヤラやSMマート、ロビンソンへショッピングへ出かけます。時間がな くなったので今日はこれで失礼しまーす。 目次へ
第四報「シピルス学校で」  2007年1月31日(水)
 シピルスは、約700人収容可能ですが現在先生が不足していて定員一杯の収容は無理 のようです。
私が入校したときは生徒は約200人でした。でも今約300人に増えてまさ にうなぎ上りの状態です。これからも学生の春休みが近づいているので、まだまだ増 えるそうです。
それを聞いて、1ヶ月毎の更新をしていた私はすぐに、延長更新手続きをしょうとしましたが、もう4月中旬まで埋まっていて更新延長は出来ま せんでした。
1月20日から2月18日までで帰宅せねばならないようです。3ヶ月の予定をしていましたが狂いました。
 生徒の構成比は、韓国人90パーセント、残り の10パーセントが日本人とフィリピン人のようです。日本人約25人位でうちシニアと若者の数はほぼ同数で、おば様も4人位います。韓国人はシニアやおば様は見かけません。若者達ばかりです。
 食事は3食とも学校でとります。気候は暖かくそう湿気がな いので、汗はほとんどかきません。教室内は調整の効かないクーラーがついており、寒いくらいです。風邪を引いたらいけないと思いウインドブレーカーを350ペソ (8 20円)で買いましたが正解でした。
 三食付の食事はすべて学校で食べることになっ ています。レシピは韓国人の比率からか韓国料理様のスパイスの効いたものが多く、キムチとスープは必ずつきます。バイキング方式ですから、食べてもたべなくても構 いません。私は、時折外食します。わたしが滞在しているディプロマットホテルにも レス トランがありますが、レトルトものが多いようです。コーヒーもインスタントです。 たまに口にあったものが食べたくて、タクシーで日本食レストランの「夢屋」とか 「チロリン村」へ行きます。日本のレストランと変わりません。タップリの、刺身等 を含めた定食で250(620円)ペソから450ペソ(1,120円)で腹一杯に なります。
 セブ市街地は、 明らかに上流階級の者の場所と下層階級の者の場所と分かれます。大きなデパート兼 ショッピングセンターが、3箇所あります。
上流階級の土地にある「アヤラ」は、物は高目ですがいい物を置いているようです。下層階級?の者がすむ「SMモール」や「ロビンソンデパート」も大きなデパートですが、少 し物が悪いそうです。でも、私には、どうも分かりません。同じように感じます。市街地の観光は、教会とか大きな施設は別として、ショッピングをして歩こうという所はありません。街全体がスラム街のようです。安全な買い物をするには、タクシーで先程のデパートに行くのが一番賢明です。ほとんどの日本人や韓国人はそうしています。何せタクシーが初乗り区間が3 0ペソ(75円)と安すぎますし、タクシーは女性が乗っても絶対安全ですから、気軽に利用できます。
 安全面を考えますとシピルスもディプロマットホテルも入り口 にガードマン2〜3人が終日警戒して徹底的に出入り者のチェックをしていて安心で きます。
学校からホテルまでは、定期的にマイクロバスが出ていて通常それを利用しますので安心できます。ただ、道路は何か所かそれも昼間以外は危険とされています。日本人自体が金持ちと見られているので、夜間の出歩きや、昼間でも目立つ服装、カメ ラや携帯を提げての歩行は、格好の狙われる的になります。でも。全体的には、学校 では、みな手を振り合って挨拶をかわし、休憩時間にはシニア同士溜まって愉快な話に興じ、また、授業は先生も生徒も和気藹々でいままでなかった楽しい雰囲 気をあじわっています。 昨日から4;1の授業は、生徒がいなく2;1になっていたのが生徒が増えたので 4;1になりました。生徒は皆日本人です。私とデーブのほか、ヒロと美人おば様のキヨコです。おかまの先生のジョナサンは、私とキヨコに5問の宿題をだしました、明日は、二人がひとりずつ先生役になって宿題の発表です。キヨコさんは初めてなので、不安で3人に口裏を合わせてと根回しをしていました。私は 遊びの中の勉強と思っていますから、気にとめていません。つまり勉強になりませんね私は。ではまた。 目次へ
第五報「アイランドホッピング紀行(続き)」  2007年2月3日(土)
 遅くなりましたが、1/28行ったアイランドホッピングについて、追加の報告をします。
 行き先は2箇所でした。私達は、最初はセブ島付属のマクタン島(二本の橋でセブ島とつながっている)から船で50分のところにあるオランゴアイランドへ行きました。そこで、陸から海上へ飛び出して作られているレストランに入りました。まだ昼食の用意が出来ていなかったので、私以外の者は皆な、水着に着替えて救命具を付け、ガイドの支持に従って海に入りました。みな呼吸ポンプ(?)を口にくわえて、泳いだり海の中をのぞいたりしていました。私も海に入りたかったのですが、右膝を傷めてサポーターをしていたので海には入らず、その間レストランでウエイトレスとして働くいていた可愛い4人の少女と英語で会話を試みました。
 セブは英語圏ではありますが、通常ハイスクール以上の教育を受けなければ、英会話が出来ないということで、4人うち隣のカウアイアイランド島のサンロッサハイスクールに通っているという少女2人と話しました。彼女らは非常に流暢な英語でした。フローラメイさんは、私の質問に「自分達は年齢は16歳で、ハイスクールに通いながら、余暇をみてレストランで働いている。
 自分には日本人のボーイフレンドがおり約4年後に戻ってくる」と答えてくれました。私は、そのボーイフレンドは永住するのかと聞いてみました。
 彼女はアッケラカンとして、彼はすぐまた日本へ戻りますと答えました。さらに詳しく将来について聞こうかなと思いましたが、答えが決まっているようで聞くのが恐く、それ以上聞けませんでした。
 また、彼女らの収入は、1日働いて15ペソ(約37円)ですと、曇りのない明るい瞳で語ってくれました。ちなみに、300ミリリットルくらいのボトルのミネラルウオーターが10ペソ(25円)、タクシーの初乗り区間の運賃30ペソ(75円)です。その彼女は、私に「ユーとはお友達になったから、また来てね」と語り、私はほろりとさせれました。
 やがて皆な海から上がってきました。彼女らの用意した山積みされた新鮮でデリッシャスなえび、貝、魚を腹いっぱいたべました。私は、こんなところへ住み着きたいなと果たせない夢を抱きながら、次へ向かいました。 
 次に行ったのは、マクタン島に近いヒルトワン島でした。その沿岸で船を留め、みな先ほどと同じような格好で、ホッピングを楽しみその後無事全員揃って帰着しました。
 このプレイを通じて考えたことをお話しします。韓国人はある程度の日本語を知っている者が多いのに、日本人はほとんど韓国語を知らないが、これは、韓国人の旺盛なハングリー精神の結果であり、日本人は、すでに韓国人から負け始めているのではないかと思いました。船の中では日本語べらべらのケイン君という若者が私達日本人と韓国人の中を取りもってくれ、国籍を克服して、皆な片言英語で仲良く語り合い楽しい旅が出来ました。本当に地球上の人たちが皆な仲良く出来ない訳はないように思うが・・・。この旅で一番印象に残ったのは、青い海の綺麗さです。それは口では言い尽くせません。絵葉書以上であったとおもっています。たた、自然を破壊する観光客が多くなり、美しいサンゴ礁の一部が死滅し始めており、将来が危惧されます。世界の政治家達が自国のことばかりを優先せず、各国手を取り合って将来に向かい、綺麗な自然を破壊しないように、たゆまざる努力ができないか。いや、出来ない筈はない、そんなことが頭をよぎります。今もずーと、あのさわやかな風に乗ってアメラルドグリーンから、紺碧に移り変わるさわやかで美しい海、そしてけなげに明るく働く少女達のことを思い出し、彼女らが住むあの素晴らしい自然を絶対破壊してはならぬ。誰も破壊する権利はない、そんな思いで一杯てあります。
でも、また近々、行くぞー!! 目次へ
第六報「セブ留学について」  2007年2月6日(火)
 授業は、1F〜3Fの各先生の小部屋で受けます。先生の好みで写真とか絵画や造花を飾りつけたりして小奇麗にしています。
授業時間になると、大体先生の方が先に来て部屋の前で生徒の到着を待っています。私は、よく先生の部屋を忘れ、あちこちとうろつきます。
 先生はどの先生も大変愛想よく、通りかかった生徒には気軽に、あいさつの言葉をかけたり、手を振ってくれたりしてくれますので、大変心がなごみます。
 また、一目ぼれ(?)した先生には、どうしてもあいさつのほか立ち止まってしまい、どもりながらのトーキングを楽しみます。娘から見られたら嫌らしいと一喝されそうです。
 そうするうちに迷ってしまい、ようやく自室に辿り着くと担当の先生が待ち受けていますので「I lost my way」と迷った旨の言い訳をします。
いつものことで先生も諦め顔で、仕方ないじーじ(イングリシュネーム)といって優しく許してくれます。このようなことは毎日の光景です。
 授業は、月曜から金曜日まで行われますが、月曜日にはどの先生も決まって、金曜日夕方から日曜日までの生徒の行動を興味深かく聞いてきます。
分かっっていることなので、ちゃんと予習をすれば、かなり正確に返事でき能力アップにつながるのでしょうが、知り合った方達との交流も楽しく、また、ひとり身で浮き草生活という気楽さも手伝い、つい楽な方に流れてしまい、予習復習はほとんどしません。もちろんシニアでも、日本語は絶対使わない方とか、いつも勉強ばかりして頑張っておられる方は沢山います。その方達の学力アップは当然のことと思います。
 ところで、昨日(2月5日)レオーネさんに聞きますと、もうすでに全校生約500人、うち日本人73人にふくれあがっているということです。まだまだ増えていきます。食堂も満員です。休み時間にプール周りには人があふれかえっています。  目次へ
第七報「バッジメートの懇親会」  2007年2月8日(木)
 2月1日夕方から、バッジメートのみどりさんが近々帰国するので、その送別会兼懇親会を行った。
 バッジメート9人のうち7人が2台のタクシーに分乗し、フィリピン料理店「A&Aグリル」ヘ行った。この店は、バーベキュー方式で好きなものを自分で注文し、料理してもらうシステムになっているので、みな並んで肉や魚類を注文した。
 安価でおいしい店との評判どおり、味付けがよく各人飲み物{マンゴジュース等を2杯ずつ位}も取り、約2時間にわたり懇親を深めた。勘定の結果、7人が腹一杯飲食して、1500ペソ(3,750円)であった。
 フィリピン料理は、何回か食べたが、日本人の口に合い結構おいしく食べられ安価でお勧めである。
 なお、ノースリーブのえみさんは、小さな飛ぶ虫にかまれていたので、夜間ガーデン等での食事は、長袖シャツと長ズボン姿が良いであろう。   目次へ
第八報「「セブのタクシー考T(料金メーターを倒さない車には注意) 2007年2月10日(土)
 セブで一番安全な乗り物は、タクシーと言われている。深夜でも安全なのがタクシーで、女性でも安心して乗っている。でも、一部の跳ね上がりドライバーがいるのは、日本でも同じである。破傷沙汰ほ殆どないが、メーターを倒さず、法外な料金を吹きかける悪質ドライバーはいくらでも居る。
 セブへ来た当初、マクタン島に住んでおられる岩崎さんをお訪ねしたときのことである。ディプロマットホテルから出発して、マクタン島へ入って直ぐのところにある待合わせ場所のガイサノマクタンという百貨店へ行った時に、タクシーを使った。そのタクシーにメーターはついていなかった。
インターネットでそんなタクシーもいるという書き込みを見たことがあったので、ああ、これだなと思
いそれ以上気にしなかった。20〜30分走って目的地へ着いた。タクシーのドライバーは、350ペソ(825円)を請求した。もう一度メーターはないかと探したが見当たらなかった。心の中では、かなりやすいなと思い、350ペソとチップを10ペソ渡した。ドライバーはにこにこしてサンキューといいながら、深〃頭を下げた。
 そして岩崎さんとお会いした。岩崎さんは、精悍なタイプの方で日焼けして現地の暮らしにとけこんでおられるのが、一目で分かる。岩崎さんに、タクシーの料金はいくらかかったかと質問された。私は、350ペソとチップ10ペソを払ったことと料金メーターがついていなかった事を説明した。岩崎さんは、びっくりした様子で、タクシーにメーターがついていない車は絶対ない、あなたの見落としです、そしてあなたは騙されている、仮に渋滞料金をいれても料金は130ペソ位までですと指摘された。
 今後タクシーに乗るときは、いくらセブでも絶対に、ミーター(メーターのこと)と声をかけメーターを倒させて下さいと力強いアドバイスをいただいた。やはり私がメーターを見落としていたことは間違いないと悟るとともにメーターは絶対倒させると心に誓った。   目次へ
第九報「セブのタクシー考U(しつこく食い下がってメーターを倒させる) 2007年2月11日(日)
 その後、私はタクシーに乗ったら、必ずメーターを倒しているかどうか確認している。シピルスやディプロマットホテルから出発するタクシーはほとんど直ぐメーターを倒す。他のところで乗るときには、メーターを倒さない車はかなり多い。その時には、必ず「ミーター」とか「ミータープリーズ」と声をかけると大体嫌々ながらでもメーターを倒す。
 しかし、4〜5回言ってもきかない場合がある。そんなときには、私は、日本語でしかも少し声を荒げて「何でや」とか「分からんのかー」と適当な言葉を吐く。相手は、その言葉の意味は分からない。でも、怒っていることは通じたはずである。これで、ほとんどメーターを倒し円満解決である。 こんなケースは滅多にないが、夜間の折や歓楽地帯から乗車すると、たまにある。
 フィリッピン人は、一般的には争いを好まない。何事でも険悪な雰囲気になってまさに喧嘩になりそうなときには、その寸前でどちらも折れ合い摩擦を避ける。非常に賢い生活の知恵である。
 タクシーのメーターのこともそうであろう。何回も繰り返し、食い下がって「ミーター、ミーター」と言い続けると、諦めてメーターを倒す。でも、喧嘩を吹っかけられたと思わせない程度の声と言い方でなければ本当に喧嘩になってしまう。いったん喧嘩になれば、他国のことである。分が悪いに決まっている。ほどほどが大切。
 先日、マクタンへ行って帰りに、タクシーに乗り、ディプロマットホテルへ行くように言った。そして、例によってメーターを確認したが見当たらない。ないはずはないと思い探し続けると運転席の足元近くに小さなメーターらしきものが付いていた。しかし、何も表示されていない。私は、「ミーター」と言ったが倒さないので、3回ほど言い続けた。するとドライバーは、仕方なく返事した。その言葉は、「200(ペソ)」でどうか、というものであった。しかし、まだメーターを倒そうとしない。これは、明らかなボッタクリである。黙っていれば前に騙されたように350ペソ位吹きかけられたかもしれない。でも、ミーターと言った事により200まで下がったはずである。でも、私はその間は100ペソ強しかかからないことを知っていた。そこで、知っている言葉を並べたてただけのジャパニーズ英語で、
「I live in DIPLOMAT HOTEL. I use taxi usually.I know 100」
とドライバーにやや大声で言った。それでおそらく通じたのだろうか。ようやく、メーターを倒した。
 フィリッピン当局は、タクシーの煙突(メーターを倒さず客を搬送するスラング)には、厳しく対処しているそうで最近は、前に比べ煙突が少なくなったそうである。
しかし観光客とりわけ日本人はかもと思い、狙ってくるようである。ホテルまでのそのときの料金は117、5ペソ(295円)であった。  目次へ
第十報金曜日の授業は、ミュージックで」 2007年2月12日(月)
 金曜日の授業はいつも午前中で終わります。でも、各時限が50分ずつに短縮されるだけで、3時限の授業は変わりません。
 授業は一応学校が示すチャートに沿っているようですが、授業の内容や進め方については、各先生にかなりの裁量が任されているようです。どの先生も、生徒が楽しくしかも効果的に英会話が覚えられるよう工夫して、ミュージックを聴いたり歌ったりまた、軽いダンスを取り入れる先生もいます。
 2/9(金)の授業は、1時限目はアンジーでした。その前日の授業中に音楽の話になり、私がアイポッドを持ってきていることをアンジーに話しましたところ、翌日持ってきて欲しいと言われ了承しました。そして9日の授業が始まりました。
 アイポッドには私の好きなムード音楽、ジャズそしてポップスを約500曲入れていました。アンジーは「ムーンリバー」が好きで、その歌詞を、1枚の紙にところどころ虫食いで英語で書いて、私に局を聞き取って虫食いの空白部分にその言葉をいれるよう言いました。私達は、アイポッドの左右の二つにイヤホーンをそれぞれ片方ずつ耳にして、二人で音楽を聴きながら歌いました。でも、私はなかなか聞き取れません。
アンジーは小さな楽団で歌っていたこともあり歌は上手で何回も繰り返し一緒に歌ってくれ、どうにか私も歌詞が分かってほぼ歌えるようになりました。帰国したら是非歌ってみようと思っています。
 2時限目は、ジョイシーの時間です。欧米の雑誌を持ってきました。内容は、モデルのスタイルブック集のようなものでした。ジョイシーは、私とデーブに対し、それぞれ違うモデルの写真を見せ、順番に英語でコメントするように言いました。
○○歳に見える、さびしい表情をしている、とかどんなものを着ているといったようなことです。こんな簡単な英語がなかなか言葉にでません。レベル1から抜け出せそうにありません。ジョイシーは、23歳のピチピチギャルです。モデルの恰好や表情を見て自分もモデルになったつもりで英語で説明しながら表情を作ったり、軽くダンスをし始めました。デーブが楽しくなり一緒にダンスを始めました。私が写真を取り出したら、ふたりがダンスをやめました。
 3時限目はジョナサンです。ジョナサンは、元歌手だっただけにCDプレヤーを置いていて、よくラウディに音楽をかけます。フィリッピン人は全体にどこへ行っても、割れんばかりの歌声で音楽をきいているので、そう驚かなくなりました。音楽の歌詞を虫食いにして紙に書き、リッスニングして虫食いの箇所に聞き取った言葉を入れよというものです。繰り返しCDを聞きましたが、20パーセント位しか聞き取れませんでした。
4:1で私が最下位の成績でした。入校したときは私が1H、デーブが1Lでしたが。どう見ても逆転されているように感じます。年齢が一回り以上違うのでやむをえないと、自分勝手な解釈をしています。でも、こんな授業は楽しくあっという間に、金曜日の授業すべてが終わりました。  目次へ
第十一報「2月14日シピルスのバレンタインデー」 2007年2月19日(月)
 バレンタインデーと言えば、これまで商売人のチョコレート販売合戦とその罠にはまった女性達の義理チョコ配りとしか思っていなかった。
フィリピンでは何かおめでたいお祭りのようで、各所で「バレンタインデーおめでとう」と英語で看板を掲げたり、祝福しあったりして喜び合っている人々の姿を見た。シピルスでも2〜3日前からフロント周辺や各教室の廊下に赤やピンクの品や風船で飾りつけをしていたが、当日になってみると、どこの世界に紛れ込んだかと思うほどメルヘンチックな教室の廊人達も居た。
 この日授業を受けている3人の先生から、チョコレートをもらった。もちろん義理チョコであることは日本と同じであったが、先生は心をこめてハッピーバレンタインデーと言ってくれ、一緒にバレンタインデーを祝福し合った。
 この日の授業のうち、若さはじけるジョイシーは、「The Gift」というCDをかけ、一緒に何回も歌ってくれ歌詞は少しは理解したかなと思えるほどになった。でも、やはり英語の先生である。発音の悪いところを直し、意味不明のところは、優しい英語を使って私達にその意味を説明してくれた。
 授業が終わりデーブと春江さんと3人でタクシーで散歩がてらにアヤラに行った。そこで私は、レコード店へ行きジョイシーが教えてくれた「The Gift」(290ペソ、720円)を買った。帰国するまでには覚えようと思っている。帰りもタクシーに乗ったが、ドライバーが「ハッピーバレンタインデー」と言ったので同じ挨拶を交わし、普
通5ペソくらいのところ少し弾んで、15ペソ(37円)をチップとして渡した。
 楽しい1日であった。  目次へ
第十二報「シニア8人でドマゲッティー週末旅行へ(その1)」 2007年2月21日(水)
 シピルスで知り合った人達は、概ね2週間から3ヶ月間の滞在が多く、次々に人が入れ替わります。
折角仲が良くなっても、いつの間にか帰国して居なくなり寂しい思いもします。大抵の人は週末の休みに、学校が企画した市内観光やアイランドホッピングそれにボホールとかボラ海といった大型観光地しかもお得な値段で旅行できるところはないかと探しているシニアが居ました。
 私は週末毎に、マクタンの岩崎さんによくお世話になって、あちこちと案内していただいていたので、そんなことを話しているうちに、岩崎さんが次はドマゲッティに案内してやりたいと言っておられたのを思い出し、一度ご無理をお願いしてドマゲッティへ連れて行っていただければなと思い電話してみました。
岩崎さんは快く引き受けて下さいましたので、お言葉に甘え案内していただくことにしました。
 最初希望者は2〜3人でしたが日毎に増え、結局7人になりました。オールメンバーは、岩崎さんを含め8人(男5人、女3人)のシニアグループです。旅の行程はすべて岩崎さんに一任しました。岩崎さんは、フィリピンの文教地区であるドマゲッティをこよなく愛しておられるようで、有名なユニバーシティやハイスクールが隣立する綺麗な街並みや都会ずれしていない土地の住人達と接して、真のフィリピンの姿を知って欲しいといっておられました。  目次へ
第十三報「シニア8人でドマゲッティー週末旅行へ(その2)」 2007年2月22日(木)
 2月26日午前8時、ディプロマットホテルに8人全員が集合、近くのバスターミナルから冷房付の大型路線バスで、リロアンに向け出発しました。
バスは、海岸沿いを南下しました。途中一度トイレ休憩をしました。でも、トイレが見当たらなかったので、男性は皆な林の中で用をたしました。
 その後バスは南下を続けセブ島の最南端のリロアンに到着しました。セブからは約3時間かかっています。そこの海上に突き出して作られている、日本人経営のレストランが眺望も良かったので、そこで皆なランチをとりました。空は曇っていましたが気温は高く水が透き通って綺麗であり、サンゴ礁も見えるということから、ダイビング免許を持っているヒロさんが早速海に飛び込み泳ぎ回っていました。他の者はしゃべったり一休みしたりリラックスしました。午後3時ごろそのレストランを後にし、客船で向かいに見えていたネグロス島へ渡りました。
 20分ほどで着きました。着いたところがドマゲッティという街でした。ホテルはこの街の閑静な所にあり、各自手荷物をホテルに置き岩崎さんの案内で市街地見学に向かいました。
 この街の交通機関は一部路線にジプニーが走っていますが、殆どは多人数が乗れるように作った側車付のオートバイ(トライシクル)です。どこに行ってもトライシクルばかりです。私たちはトライシクルに分乗して海岸に行きちょっと散歩したのち食事をしょうということになり、近くのレストランに入りました。ところが、全員の座る席がなかったのでそこを出て混雑する人ごみの中を通り、300メートルほど離れた百貨店の中の6階のレストラン前にきました。そのときヒロさんがいないことに気づきました。みなで手分けしてその百貨店や周辺を約2時間探したのですが見当たりませんでした。
そこで、ヒロさんがホテルへ戻ってないか時間をおいて2度電話をかけましたところ、2度目にホテルに戻っていることが分かり、みな安堵したのです。
それからまた、全員で無事食事を済ませカラオケを楽しみ一日目が終わりました。   目次へ
第十四報「シニア8人でドマゲッティー週末旅行へ(その3)」 2007年2月25日(日)
 2月17日(2日目) AM8時半全員揃ってホテルのレストランに行きました。みなで朝食をとりながらトーキングが始まりました。
まずは、前日ヒロさんが居なくなったことについて、さえ子さんが「ヒロさんは、自分が置いてけぼりにされたといって、全然反省していないんだわ」と怪訝そうに皆にいいました。ヒロさんの言い分を聞いてみました。
 ヒロさんは、「最初皆なでレストランへ入ってから、すぐトイレに行き出てくると誰も居なかった。付近を探したが誰も見つからなかったので、その店で食事をした。その後誰か自分を探しに戻ってくるだろうと思いその店の前付近で約30分待っていたが、誰も戻ってこないので岩崎さんから配付してもらっていたホテルの名刺をトライシクルのドライバーに見せ、無事ホテル戻った。フロントの事務員には、自分のことで電話があれば帰っている旨伝えて欲しいと伝言を頼み、シャワーを浴びて寝た」と威勢良くかつ、ニタニタしながら悪びれず語っており、おばさん達の非難には全然動じていませんでした。
 一方私達は、どんな行動をとったか。最初のレストランで2〜3人分しか座席が空いていなかったので、別のレストランへ行こうということになり、全員でその店をでたつもりでした。そして近くの百貨店に入り4〜5階にきたときである。さえ子さんが、「ヒロさんが居ない」と叫んだのです。そこで少し待ったが来ないので、2〜3人が階下へ降りて行き、少し探したが見当たらなかったのです。どこで見失ったか、という問題が起こりました。百貨店内にヒロさんと一緒に入ったという者もいたので、それでは百貨店内を徹底的に探そうということになりました。捜索方法をみなで討議した結果、次の要領で大捜索が始まったのです。
なお、ヒロさんはいつも携帯電話を所持しているのに、この日は持っていませんでした。
    
    1 百貨店への出入り口2箇所の見張り 
    2 2階、3階の階段付近での見張り
    3 6回レストランで連絡役兼待機
    4 地階と中1階が、凄く広くお客で混雑しているので、特に地階から2階まで動硝、発見
    5 館内インフォメーションで放送依頼
    6 百貨店周囲の捜索
    7 滞在ホテルへの定期連絡(携帯電話で)皆で手分けして、前記事項を30〜40分にわたり忠実に実行したのですが、依然としてヒロさんの姿は発見で
      きませんでした。
そこで、さらに
    8 男2人一組でさらに周辺を広げ捜索
    9 元来た道の捜索

を追加し、混雑する人ごみの中を探し続けました。その一方英会話堪能の岩崎さんや、英会話レベル3の勝見さんが滞在ホテルに連絡をとってくれていたのが見事に効を奏しました。ヒロさんがホテルへ戻っていることを確認することができたのです。皆な安堵しヒロさんの無事を喜び合いました。ドマゲッティは田舎の街で治安が良いということですがやはりフィリピンです。まして夜間でひとり歩きは狙われる元です。みな口には出しませんでしたが、早くヒロさんを発見せねばとの思いは一緒だったと思います。あとで考えると思い違いや、確認不足もありました。また、混雑する所へ多人数で行くときには、絶え間ない相互連絡等あらかじめ決めておくことも必要だったかなと反省点はいくらでもあります。良かったことは、ホテルを出発する前に岩崎さんが、全員にホテルの名詞を配り、「この名詞をトライシクルのドライバーに見せればこのホテルへ連れてきてくれる」と適切な措置をしていただいていたことです。そのため何の躊躇なくヒロさんは戻ることが出来ました。岩崎さんに皆さんが感謝しています。
 こんな話をワイワイ、ガヤガヤとしながら和やかに朝食が終わりました。
 その後、岩崎さんの案内で有名なシリマン大学やハイスクール等が隣立する学生街、その学生の憩いの場になっているフリーダムパーク等を散策しました。
公園にはマンゴの実がなっている大木、人の頭より大きいジャックフルーツなどの木があり、のんびりと時間が流れているようでした。また、地域の人達が利用するマーケットへも行きました。
 特に印象に残ったのは果物市場です。バナナ、パイナップルその他見たことのない沢山の大小様々な果物を売っている店が、狭い通路を挟んでひしめきあって営業していました。お客さんも結構入っていました。ちなみに日本で売っているバナナが普通サイズで1本1ペソ(2,4円)でありました。いよいよお金に困ったらこんなところで暮らせば、生きていけるなと感じました。
 そのマーケットで色んな果物をいっぱい買い込みホテルへ戻りました。そして2階の踊り場へ陣取り、みなで談笑しながら腹いっぱい食べました。誰も昼食を食べようという者はいませんでした。夕方になりまた、海辺の公園へ行き土地の人々とともにくつろぎました。
その公園は潮のにおいがして本当の海を感じました。空には星も多く出ていて昔田舎で見た星を思い出し、何だか得な気分になりました。
 その後レストランで軽食をとり、全員でまた前日と同じカラオケ店に行きました。私は、知った歌がなかったので歌いませんでした。この店は、単なるカラオケ店であるのに、若い女性が沢山ウンター内にいて話しかければ話の相手になってくれましたし、また側にも来てくれたので真の英会話が勉強できました。
その子らは英語の歌は得意で、お客が歌わなければ自分らが歌い、またお客とも一緒に歌ってくれたりして、お客が楽しくなるようにサービスしているようでした。料金は幾らか忘れましたが私らがコーヒーを飲む程度の料金だったと思います。
こんな場所はやはり男の遊び場なんでしょうかね。
 そのようにして2日目も終わりました。   目次へ
第十五報「シニア8人でドマゲッティー週末旅行へ(その4)」 2007年2月26日(月)
 2月18日 今日は、いよいよ最後の日です。私達は8時ごろホテルのレストランで、朝食をとったのち出発しました。
 帰路は少しでも違う道を通って見ようということになり、CERES BUS TERMINALから路線バスでネグロス島東海岸をタンピまで北上しました。
そこで1時間あまり客船を待ちました。港は小さな漁村で水が透き通って綺麗で、波止場上から大小の魚が泳いでいるのが見えました。
小学生か中学生位の男の子供が3〜4人海に飛び込んだり泳いだりかけっこしているのが見えました。
私はカメラを持って、笑いながら You are fish!と言いながら、おどけて追いかける素振りをしました。彼らは、ニコニコしながら私から逃げ回り、また海へ飛び込んで泳ぎ、お前なんかには捕まらんぞといったアピールをしていました。
 やがて、船がきたのでその客船でセブ島へ渡りました。20分位かかったと思います。その港のレストランで遅めの昼食をとり、一休みして路線バスで帰路につきました。
 往路のバスは冷房車でしたが、帰路のバスは冷房はなく窓はすべて空けっぱなしでした。東海岸を北上するので皆な海が見えるようにひとりひとり座席の右側に座りました。バスはどんどん北上したのですが、かねてインターネット等でよく飛ばすと聞いていましたが、全くそのとおりでした。道路は完全舗装でしたが凹凸が多いのかまっすぐ走っていても良く揺れました。曲がりカーブは殆ど速度を落とさず急ハンドルに近いハンドルさばきです。風が鳴り体が飛ばされそうになるので、両足を広げ支柱に巻きつけるようにし手は絶えず前席の後部等つかまれるものにしが見ついた状態です。手すりがないので体毎飛ばされないように必死です。まさに、レーシングカーに乗っているような感じでした。ブレーキをかけるときは間近に車やトライシクルがおっていよいよ危険が迫ったり、バス停での人の乗降のときだけです。それもブレーキは急ブレーキに近い状態です。そのためと思います。金属が焼け付く臭いがしていました。おそらくブレーキが焼きつき始めたと私は思いました。そのままいけばブレーキが効かなくなるのではと思いましたが、そんな運転でも次々入れ替わるフィリピーナは平気な顔をしています。
 そこで私は腹をくくりました。どうにでもなれーと。バスが危険を避けるにはどうしたか。普通は、事前に危険を察知したら自分がブレーキやハンドルで回避します。でもこのバスは基本的に、人や車にクラクションを鳴らし続けて相手に避譲させ、バスはその間を猛スピードで駆け抜けるのです。本当に早く着いて欲しいと願いました。
約3時間でセブ市内へ戻ってきました。事故がなかったのが不思議なくらいでしたが、それにしてもスリルを十分楽しませてもらったバスの旅でした。
結局2泊3日の旅で、かかった費用は、交通費、宿泊費、食事代、フルーツ代、カラオケ代すべて合わせ、ひとり当たりの費用が2,800ペソ(7、000円若)でした。
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第十六報「3月24日まで延泊決定」 2007年3月6日(火)
 シピルスの滞在期限の延長更新が叶い、3月24までとなりました。
でも今迄沢山居たシニアがめっきり減って、寂しい感じです。数日前聞いたところでは、生徒数は600人位で日本人は90人位いるそうです。学校の休暇に合わせ学生が多くなった代わりに、寒さ凌ぎに来ていたシニアは気候に合わせ帰国し減っていったのだと思います。
まあこれまでよく遊んだので、親しい者が居なくなった今からは、やむなく(?)本来の目的に向かうことにしました。
 他の学校は知りませんが、この学校のいいところは、授業時間は自由な気持ちで勉強できることです。気が合わない等の理由でも、先生を自由に変えることも出来ます。こういう校風ですから、少し遅れていったり、笑いながらでもテーブルに肘をつきながらでも、ちょっとコーヒーを飲みながらでも大体はOKで気楽なものです。
何せフォアゴットマンを自負していますから、宿題だされてもしなかったり、忘れたりしますが笑い飛ばしてはい終わりでストレスは全くありません。
最近は1;1の授業では、先生の意向よりも自分の知りたいことを中心に先生をリードし、先生も私に合わせてくれて、ティーチしてもらっています。
私は、本当に楽しく有意義に感じ、来て本当に良かったと心から思います。
でも、ひとそれぞれです。全く語学力のないシニアのおばさまが、早く帰国したいと嘆いていたり、ホームシックになりそうと言っているお嬢様も中にはいます。
全く英語の単語も知らないという方は、せめてある程度の単語くらいは勉強して来たほうがいいと思います。そうしないと、授業中は英語だけですから、全くわからないまま進んでいくことになり面白くなくなって、早く帰国したい病になると思います。
男は別ですがシニアの少ない今からの時期は、もし留学してみようかなという語学力に自信のないおばさまは、友達等を誘い合わせて来られるほうが話し相手がいて気が晴れ、より楽しい学校生活が送れると思います。
 なお、本日私がお世話になった、潟Wェイエスティの石田さんから、セブ留学説明会をするのでその旨書いてもらえないかと言われました。石田さんは、私の留学が決定してお会いしたとき、すごく親切に応対してくれ、大事なホットメールを開通させてくれた恩人ですから断れません(笑)。
 また、他の学校は知りませんが、私は本当に楽しく過ごせてもらっていますし、日本語に精通した凄腕のレオーネさん(フィリピン)というスタッフもいて安心できますから、日本人特に興味のある方には勧めたいと思い、依頼されたことを「お知らせ」というかたちで次に簡記することにしました。

               「セブ留学説明会のお知らせ」
    1 日時   : 3月23日(金)17;30〜19;00
    2 場所   : 大阪市中央区南船場2−5−17 ガトーイーストビル6F
    3 連絡先  : 050−3757−4156
              E−MAIL;rosa@jstgroup.com
    4 参考    : 東京の峰観光と潟Wェイエスティ合同説明会。学校スタッフ来社。レッスンや滞在方法の説明はもちろん、
              現地の生活や豆知識まで詳しくご説明します。
    (学校や、旅行社の回し者ではありませんので、文責はありません)
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続く

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