船旅に寄せて
                              西ヨーロッパ・クルーズ              本岡 宏志
                                    2007-4-25〜5-4

 LSC関西の9月例会幹事を東海ブロックが担当するにあたり、私共が4月に参りました西ヨーロッパクルーズの写真を紹介することになりました。4ヶ月前のことですが、日記やメモを書いていませんので、パソコンの写真を見ながら何をお話ししようか、思い巡らしています。今まで大勢の人前で旅行の話をしたことも、紀行文等を書いたこともありません。例会での報告時、話の内容があっちこっちになっては皆様に迷惑になりますので、私のクルーズに対する想いと合わせて、今回の旅行で気が付いたことを書いて見ました。
 私は子供の頃から船に対して憧れを持っていました。ちょうど昭和29年から11年間、神戸に住んでいました。その当時春・秋の観光シーズンには多くの大型客船が神戸港にやってきました。新聞等で客船の報道がありますと美しい船を見たくて、学校が休みの時にはよく見学に出かけたものです。
 三ノ宮駅から米軍イーストキャンプの脇を通り第四突堤まではかなりの距離があったと記憶しています。岸壁には入れないので、フェンスの外から大きなすばらしい船体を見上げたものです。そして突堤には沢山のバスが横付けされ、運動靴を履き、真っ赤なシャツを着て派手な格好をした白人の老人達がバスに乗り込み、京都・奈良方面の観光に出かけていく様子を見送った経験があります。またセンター街・元町通りにあるタックスフリーのカメラ・真珠の店で、客船の乗客が沢山の買い物をしている姿をよく見かけました。
船を見に行って、一番すばらしいと思ったのは出港のときでした。市の消防音楽隊が演奏し、消防艇が空に向けて放水し、色とりどりのテープが投げられ、汽笛を鳴らし、ドラをたたいて岸壁を離れていく客船を見ていて、一度はこんな船に乗って外国に行ってみたいものだと思ったものでした。
 私が実際に客船に乗ったのは平成10年9月、ギリシャのピレウス港から4泊5日で、ミコノス・クレタ・ロードス・サントリーニ・クシャダス(エフェソス)を周るエーゲ海クルーズが最初でした。船名はオデッセウス号と勇ましい名ですが、客船としては古く、豪華客船とは程遠いものでした。しかしもてなしは大変素晴らしく船旅の楽しいことを教えてくれました。当時は仕事の都合上、6月か9月の上旬しか連続して休めなかったものですから、年一回の夫婦での海外旅行はどうしても9月上旬が多く、結果として私の誕生日9月8日が旅行中となり、誕生祝をしていただく機会も多くありました。特に船上での夕食時に模様される誕生パーテーは周りの人たち皆が盛り上げてくれてなかなか楽しいものです。翌年9月上旬、クリスタルハーモニー(現在の飛鳥U)のクルーズでサンフランシスコからメキシコのアカプルコまでの航海を組み込んだパックツアーを見つけ、一度本格的なクルーズに挑戦しようと旅行会社に申し込みをしました。説明会等出席し、クルーズに関する情報を確認していきますと、着る服装まで用意する必要があることが判り驚きました。エーゲ海クルーズの時はスーツにネクタイで事足りた訳ですが、クリスタルの場合、男性はタキシードが必要で旅行会社も用意して欲しい旨説明します。
 行きがかり上、しかたなくデパートで買い求めました。イージーオーダーで13万円もし、靴・小物・その他を合わせますと20万円近くの出費となり、大変なことになってきたと思いました。女性もフォーマルドレスということで装飾品等を合わせますとこちらも結構な金額になってしまい、パックツアー一回分の費用が飛んでしまいました。
タキシードを国内で着ることはまずないので、タキシードを着るためにも今後の海外旅行は2回に1回、クルーズにしようと話し合い、バルト海・地中海・アドリア海と出かけています。タキシードは必要なかったのですが、3泊4日のナイル川の川船クルーズは楽しい旅でした。
最近は世界一周の船旅が盛況で、豪華客船の設備も至り付くせりで飽きないように工夫されています。しかし私共は2週間以上同じような食事で、20平米以下の部屋で毎日2人顔を突き合わせていますとお互いになんとなく体の調子が悪くなってきます。
クルーズの楽しみ方についてはいろんなことがあると言われています。私共は寄航した港で、その地方の名所・旧跡を観光することが主な目的です。他には、風呂代わりのジャグジーでゆっくりと温まり、シャワーで思い切り体を洗うことです。夕食のフルコースは毎日となるとうんざりします。デブにならないよう適当に食べます、飲み物のワインは普段2人で2日に1本程度としています。
ダンス・カジノもお呼びでないのでショウの見物ですが、アルコールが入っていているためか、5分と目が開いていません。部屋に帰って、ごろりと横になり一日の終わりです。船旅で最も楽なことは部屋に帰るのに5分とかからないことです。
そんな訳ですが、私共は見知らぬところを観光するために、一度で世界一周をするのではなく何回かに分けてクルーズ船に乗り、結果として世界一周をする夢を持っています。
色々な客船に乗れるし、色々な出会いがあって楽しい旅が出来ると思っています。
 今回の西ヨーロッパクルーズは6回目の船旅です。今までは9月頃に出かけることが多く、船上で家内の誕生パーテーはしたことはありません。家内の誕生祝ができる、4月中旬から5月上旬にかけてのクルーズをスケジュール表で探しました。見つかったのがセレブリテイ社のミレニアム号でした。
冬の間カリブ海で活躍し、春から秋まで地中海で運航するため、気候と観光にいい西ヨーロッパを移動してくる不定期航路です。イギリスのサザンプトンを出港しフランスのル・アーブル、ベルギーのブルージュ、オランダのアムステルダム、フランスのラ・ロッシェル、スペインのビルバオ(バスク地方)、ポルトガルのリスボン、イギリス領のジブラルタル、モロッコのタンジール(最初の予定はカサブランカ)、終着地は地中海クルーズの拠点となるスペインのバルセロナと盛り沢山の寄港地がある4月21日から5月3日までの大西洋と地中海のクルーズです。
日本の旅行会社各社がこのクルーズを組み入れたパックツアーを募集しましたのでパンフレットを取り寄せ検討し、HIS系のクルーズプラネット社に決め申し込みました。
 成田発着で、7階窓側デッキ付1人50万円は割安に思えました。寄港地でのOP(オプショナル)ツアーは本船主催分を予定し、旅行会社お薦めの保険にも入りませんでした。旅行会社からオイルサーチャージ・本船でのチップ等の諸経費を含めた請求金額は二人分で約120万円でした。費用としては、他に成田までのJR往復料金約5万円、船内で使用したドル建てのカード引き落とし金額約25万円とユーロに交換した5万円、本船OPツアーが予約出来ず急きょ旅行社のモンサンミッシェル見物ツアーに変更した料金一人当たり3万7千円を合わせて総額160万円程度がかかりました。ミレニアム号の使用言語は英語だけで、乗客約二千人中150人近い日本人の乗客でしたが、日本語のわかるスタッフは一人も乗っていませんでした。多くの日本人が利用するイタリア等の船では、たいてい一人は日本人のスタッフが乗っています。また使用通貨はドル建てでした。クルーズはたいてい乗船時クレジットカードを登録し、OPツアー、ビール・ワイン等アルコール代金、写真代、みやげ物代等船内で利用した金額の明細をまとめて請求され、確認後登録してあるカードから引き落とされるシステムになっています。しかしカジノはキャッシュのみでカードは通用しません。今回はドル建てのため、通貨交換は一回だけで済みましたが、ユーロ建ての場合ユーロからドル、ドルから円と二回も交換するため、何か損をした気持ちになります。
今までの経験から、パックツアーのクルーズでの費用は全て突っ込みで、2人で1日10万円が目安です。部屋では寝るだけで、窓やデッキから海を眺めることはほとんどありません。窓無しの部屋が格安であれば、一度試して見たいと思っています。
今回の旅行の思い出と気が付いたこと

1日目  4月20日、セントレア(中部国際空港)から成田空港間のチケットが取れなかったので、新幹線を利用することになり、一番電車に乗るため朝6時すぎ家を出かけました。成田は9時集合、11時出発のため前泊なしで間に合いました。イタリアのミラノ経由でイギリスのヒースロー空港に入り、ロンドンからバスで2時間かけてサザンプトンに向かい、ホテルに到着したのは家を出てちょうど24時間後でした。飛行機、バスの中で少しは寝ましたが、何か頭の中がもうろうとしてしまいました。年を取ってきたせいか時差がきつく感じるようになってきました。のどが渇いていたので、ビールを飲もうとホテルのカウンターバーで生ビールを頼みました。ユーロで支払おうとしたら、ポンドしか通用しないとのことでした。持ち合わせが無かったのでクレジットカードで支払い、帰ってきてカード会社の請求書を見ましたところ、缶ビール位の生ビールが800円程になっていました。余談ですが、ホテルのタバコの自動販売機でマーロボーロ一箱6ポンド約1,500円していました。
円安のため、特にヨーロッパでは5〜6年前に比べ物の値段が倍になったように感じます。
ホテルへの到着が遅かったため、夕食はロンドンで作られ、バスに持ち込まれていた日本食の弁当が配られ、各自部屋で食べました。家を出て24時間しかたっていないのに、なぜか日本の弁当が美味しく感じられ全部食べてしまいました。乗船は翌日昼前のため、ゆっくりと休み体調を整えました。

2日目  4月21日、サザンプトンのホテルは港の近くで、隣が大きな公園になっていました。大木があり、いろんな草木が植えられ手入れも行き届き、春の花が一度に咲き素晴らしい眺めでした。乗船まで周辺の街中を散策しました。乗船手続きは、早めだったためかスムーズに終わり、昼食は珍しさもありカジュアルダイニングでしっかりといただきました。サザンプトンを出港し最初の夕食後、今回の最も期待していたモンサンミッシェルの観光が、本船OPツアー満員のため見学に行けないとの情報にはショックでした。クルーズプラネット社のツアーに同乗できるかどうか、バスの大きさを確認しないと判らないとの説明もあり、悶々とした一夜を過ごしました。




3日目  4月22日、フランスのル・アーブルに寄航。朝早く出発の用意をして迎えに来るバスを見て、行けるかどうか決めることにしました。マイクロバスでしたが、幸いなことに何とか座ることができ、モンサンミッシェルの観光に行くことが出来ました。ノルマンデー丘陵のジェットコースターのような高速道路を走り切って、海岸線が見えるところに出てきたとき、車窓に現れたモンサンミッシェルには感激しました。途中眺めのいいところで車を止めてくれると、写真を撮るのにいいとは思いましたが、行きも帰りもだめでした。道が片側一車線と細いため、車を止めると見物渋滞になってどうしようもなくなるからでしょう。

4日目  4月23日、本船OPツアーのアントワープ周遊が無くなったため、旧市街のブルージュ見物に出かけました。OPツアーもありましたが、市街巡りのボートに乗るだけで、一人5,000円は高いと思い、自分たちで行くことにしました。13年前のクリスマスの時期にブルージュを訪れたとき、ゲントからブルージュまで電車に乗った経験がありましたので駅まで行ければ問題ないと思ったわけです。駅までシャトルバスが運行されているとの情報で、どこの駅か確認しないまま、バスに乗り込みました。バスが駅のはずれのシャトルバス専用の停車場に止まり、本船の添乗員がバスで帰る人は午後4時までにこの場所に帰ってくるよう説明していることを確認してバスを降りました。バスに乗ってきた人たちはそれぞれ思い思いに歩いていきました。今回本船のシャトルバスは全て有料で、往復一人1,000円程度でした。昔と周りの様子が違うように思いましたが、気にせずに教会と思える高い建物のある市街に向けて歩き始めました。広い道に出てきて、道路標識にブルージュ方面の標示を見てこれはどうもおかしいと思い、誰かに聞こうとしましたがあいにく通行人がいませんでした。結構歩いたところで、乳母車に子供を乗せた男性が前方からやってきましたので、下手くそな英語で、この道を行くとブルージュかと聞きますと、そうだとの返事でした。ブルージュの旧市街地図を取り出し、ここに行きたいと説明しますと、歩いて行くのかと聞かれたので、そうだと返事をしました。びっくりされ、歩いてはとても無理だ、バスか電車で行くよう説明され、駅の場所を教えてもらいました。駅は判っていましたので、歩いて引き返し10分ほどかかりました。駅名を確認しましたところ、ブラッケンバーグで港に近い終着駅でした。ブルージュには、行きは電車で、帰りはバスにしました。以前来たときは太陽が低く昼間でもうすくらい冬でしたが、今回は明るく春爛漫のブルージュを満喫しました。デイナーでは康子の誕生祝をしてもらいました。

5日目  4月24日、朝4時ころ船の動きがなくなったのに気がつき、目を覚ましカーテンを開けましたところ、外は電気の明かりが光々と点いていました。しかし人影も無く、大きな工場の岸壁に着いているように思えました。こんなに早く、アムステルダムに着くはずはないと思い、ベツトの上に横になっていましたら、また船が動き出しました。もう一度外を眺めますと、船はゆっくりと運河を運航していました。運河は珍しく興味もありましたが、起きるには早すぎますので、もう一度寝ることにしました。 到着したアムステルダムの岸壁は中央駅の北側で、駅まで歩いて5〜6分のところでした。午前中、本船OPツアーでチューリップのキューケンホフ公園に出かけました。50人乗りのバスに日本人は我々を入れて4人しか乗っていませんでした。公園の駐車場に大型バスがひっきりなしに駐車していく様子はさすが手馴れたものです。チューリップの花は好きで、今まで砺波平野、岐阜の三川公園等あちこちのチューリップを見ていますがキューケンホフの花畑ほど素晴らしい公園は見たことがありません。天候は素晴らしく、最高のメンテナンスをされた花畑は今回のクルーズのハイライトでした。船で昼食後、タクシーでダム広場まで出かけ、広場の周辺を見て廻りました。
二度ほど来たことがありますが、以前に比べ雰囲気は悪くなっているような気がしました。チーズ等買い物をして、歩いて船に帰ろうと川沿いに来ましたところ、異様なところに出ました。飾り窓です、おまわりさんが15メーター置き位に立っていますが、カーテンをして営業中の窓、コニシキのような太ったビキニ姿の女性の窓等、昼間から異常な光景でした。さすが写真は取れませんでした。



アムステルダム中央駅の中を通り、ホームで特急ユーロスターを見学して船に帰りました。船着場にはライン川などを運航しているクルーズ船が沢山係留されていました。ナイル川の船に比べ高さは低く豪華さはありませんが、このような川船でヨーロッパの大河をクルーズして回るのも楽しいだろうと思いました。

6日目  4月25日、終日航海、今回の旅で初めて天候が悪くなりました。今までは毎日晴天で暖かく初夏のような天気でした。打って変わって、朝から西風が強くなり白波が立ち、横殴りの雨で上甲板を歩くのが恐ろしい状況でした。もちろんプール、ジャグジー、その他外でのアクテビテイは全て中止となりました。カジノのコイン崩しが船の揺れで落ちてこないか見に行きましたがだめでした。夕食時横揺れが強くなり、多くの方が船酔いでダウンしているのを見かけました。9万トンの大型客船では珍しいことです。

7日目  4月26日、前日の嵐がうそのような凪の海を船は美しいビーチを横に見ながら港に入っていきました。岸壁から旧港のラ・ロッシェルまではシャトルバスで往復しました。旧港市街は狭いところで、簡単に一回りできるところでした。船から一緒に行った人達と昼食にしようと海鮮レストランに入りました。ここで注文をする言葉が通じなくて、大苦戦をしました。店員は若者ですが、英語はまるっきり理解しません、我々はフランス語を判りません、仕方が無いのでほかのお客さんが召し上がっているものを指差して、同じものを持ってくるよう注文しました。味はなかなかのものでした。

8日目  4月27日、スペインのビルバオに寄航。突堤は観光船の入港のために新しく整備された港のように感じました。船から見る町並みはスペイン旅行で知っている風景とまるで違ったものに見えました。本船OPツアーでフランスとの国境の町ホンダリビアとサンセバスチャンの観光に出かけました。大型バス2台で、100人程の観光客ですが日本人は8人しかいませんでした。バスの車窓からの風景は山と緑とカーブが多く日本の高速道路を走っているような感じがしました。ホンダリビアは静かな古い町並みの美しいところです、ハイシーズンの夏場には大変な人ごみになるとの説明がありました。リゾート地サンセバスチャンは山の上からの眺めが素晴らしく、ハワイのダイヤモンドヘッドより美しいように思えました。広場などの建物に、バスク地方の独立を要求する落書きが見られますが、海岸沿いはきれいに整備され、豪華な別荘やホテル、長期滞在者用のコンドミニアムもあり、ロングステイにも絶好の場所のように思えました。ツアーの昼食時、ワインは飲み放題でした。ビルバオ出港時、多くの地元の人たちが堤防にやってきました。船の人の話によりますと、大勢の人達は初めてビルバオに大型客船が入港したのがめずらしく、わざわざ見に来たとのことでした。夕方の出港に合わせて、ヨットが何艘も併走し、空には虹がかかり、堤防の大勢の見送りと素晴らしい船出となりました。

9日目  4月28日、終日航海、曇り空で天気は良くありませんでした。本船はビスケー湾を出て大西洋を航海中で、大きな波がやってきてジャグジーに入っていますと、船の揺れに合わせてお湯が動き回って具合が悪くなりました。

10日目  4月29日、早朝リスボンに寄航、天候は快晴、すがすがしく、テージョ川の河口にある港からの眺めも素敵でした。ポルトガルは今回が初めてで、イメージしていたポルトガルとはずいぶんと違いました。本船OPツアーでカスカイス・ロカ岬・シントラの観光に出かけました。バスは2台で今回も日本人は6人でした。リスボンを出発して、リゾート海岸を走るバスの車窓から見えた新興住宅街は高級な別荘のように思えました。カスカイスの海は透明度も高く、ダイビングをしている人を見かけました。素敵な家に、ホームステイの看板がかかっていました。車窓から見たロカ岬を、あれがユーラシア大陸の最西端なのだとじっくりと眺めてきました。実際に歩いたロカ岬は草原で、散策路が作られ、そこら一面に山野草が咲き乱れ、自然に出来た花園のようでした。昼食はシントラ城の見えるレストランでバーベキュー、ワインは飲み放題、同席したカナダの人たちはあまり召し上がらないので、ついつい飲みすぎてしまいました。日曜日で車が込んできたため、ペナ宮にはいけませんでした。シントラの街中ではみやげ物屋を見て歩き、鶏のフィギュアーがついたコルク栓を買いました。リスボンに帰り、ジェロニモス修道院等を観光しました。

11日目  4月30日、海峡の潮の流れの速い中、デッキからジブラルタルの山塊がだんだんと近くなってくるのを眺めているのもいいものでした。昼過ぎジブラルタルに寄港、本船OPツアーは夕方のため、市街にショッピングに出かけました。多くの人が出歩いていましたが、何もかも価格が高い感じで、結局何も買わずに帰ってきました。ツアーは7人乗りのボックスカーで山塊を回ってくる一方通行のドライブでした。山頂から垂直に見下ろした景色では、足がすくみました。

珍しい景色として、飛行場の滑走路と一般の道路が交差している風景が見えました。山から下りてきた5時過ぎ、スペインから出稼ぎに来ている人たちが帰宅する時間とかさなり、道路は大変なラッシュで、船に帰る車が動かなくなってしまいました。夕刻、本船は二十数キロ離れた次の港に向けて出港しました。一晩中どのようにしているのか外の様子を見ようと思っていましたが、食事をしたら忘れてしまい、気が付いたら朝でした。

12日目  5月1日、薄暗い中、船はモロッコのタンジール港に向けて進んでいました。真っ赤な太陽が東の空に出て、アフリカの素晴らしい日の出を見ることが出来ました。少し波がありましたが、本船は港外に錨を下ろし停泊しました。ドイツのアイーダ号等他の国の船は岸壁に着けていました。二隻のテンダーボートが下ろされ、海上を走り回っていましたが、一隻が港に出向きました。しばらくして数隻の高速ゴムボートがやってきました。よく見ると警備艇で銃を装備していました。本船のOPツアーは午後からでしたので、テンダーボートに乗って上陸し、シャトルバスで町の中心街に出かけました。途中赤旗を持った集団に出会って、何事かと思いましたが、5月1日はメーデーでした。我々の乗ったテンダーボート以降の人たちはメーデーのデモでバスが動けなくなり、大変な目にあったそうです。みやげ物屋の若主人が旧市街地を案内してくれると云うので、みんなでついていきました。狭くて、入り組んだ迷路では人が多く、盛んに物を売り込んできますが、欲しくなるようなものはありませんでした。カスバから港までは歩ける距離で、カスバ観光にはシャトルバスに乗る必要は無かったようです。昼食は港のレストランで、地元の魚をオリーブオイルでから揚げしたメニューを注文しました。魚は新鮮で美味しくいただきました。モロッコの蛸はないかと探しましたが見つかりませんでした。本船のOPツアーですが、日本人だけでバスが一台用意され、日本の旅行社の添乗員が交代でガイドの通訳をしました。モロッコは砂漠のイメージですが、地中海沿岸は緑豊かな美しいところです。車窓から見る風景から、貧富の差が非常に大きな国のように思えました。もう一度カスバに入り、博物館等観光をしました。

13日目  5月2日、終日航海、曇り空で少し波がありました。今回の旅行で上陸日は全て素晴らしい天気でしたが、終日クルーズの日は天気に恵まれませんでした。船の11階先端の全面ガラス張りで空調の効いたサンライズデッキから、前方左右を眺めていますと、2〜3キロ離れたところを、同じ方向に向かって走っていく客船を見つけました。ミレニアム号が速いのか、しばらくすると別の船が現れ、眺めているだけで暇つぶしになりました。反対方向にも何隻かの大型客船がすれ違い、さすがクルーズの本場地中海だと感心しました。

14日目  5月3日、バルセロナに入港、前日競争していた船も入港してきて、岸壁は5隻のクルーズ船で満杯になってしまいました。朝食後船を降りましたが、むかえに来ているバスが多すぎて、整理する人もいなく、突堤全体が身動き取れなくなってしまいました。やっと動き出したところ、今度は道路の合流地点で大型トラックが何台も突っ込んでくるため、高速道路に出るのにとんでもないほど時間がかかりました。バルセロナの空港で、荷物の重量を厳しくチェックし、追加料金を取っているとの噂がでました。我々二人が先頭で、トランク一個当たり20キロには自信がありましたが、はかりに二個載せましたところ、50キロを表示しました。係員は何言も言わず処理しました。ほかの人で、25キロ以上あると思える荷物でも、特に問題にはなりませんでした。空港の免税店でイベリコ豚の生ハムブロックを見ていますと、同じような生ハムで半値以下のブロックもありました。店員の商品としては似て非なるものだとの説明で本物のイベリコを買いました。ミラノでの乗り継ぎでは時間がなく、駆け足で移動し、すこしあたふたとしましたが無事搭乗。

15日目  5月4日、成田到着。楽しい旅でした。    

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