ネパール通信          
2003年9月19日から10月8日まで20日間ネパール・ブータン・インドを旅してきました。以下そのご報告を致します。
                            
  文と写真     神原克收 会員
      目    次  (クリックすると開きます)
  ネパールの印象   貧しい田舎と豊かな田舎
  ストライキ   語学力
  火葬場   空港の安全チェック
  車の運転 10   牛はどの程度神聖か
  田舎に昔の日本を見た 11   ネパール雑感
  ホテル
ネパール通信 1 【 ネパールの印象 】

 ネパールに行くまでの印象は「山国で伝統を重んじる敬虔なヒンドゥ教徒がのんびりした生活をしている」というものだった。ところがカトマンドゥに来て見たらびっくり仰天。街には人があふれ車は黒い煙と臭いを撒き散らしながら無秩序に走り、やたらとクラクションを鳴らしてうるさいことこの上ない。おまけに道路の整備が大都市にしては極端に遅れている為、埃っぽいこと夥しい。その上、路上を彼等にとって神聖な動物である牛様が闊歩し、糞が至る所に落ちている。更にやたらと多い犬が路上のあちこちに屯していて何とも落ち着かない街ではある。
 ネパールに来てヒマラヤの山々でも眺めながらのんびりしようと思ったら失望すること請け合いだ。少なくともカトマンドゥ市内では期待出来ない。但しカトマンドゥを少し離れると期待に違わぬ寛ぎを与えてくれる。今回はカトマンドゥ郊外東32Km のナガルコットという小さな町に2泊し、更にカトマンドゥの西150Kmのポカラ(ネパール第二の都市)に2泊した。いづれもヒマラヤの眺望を売り物にしているだけあってネパールの良さを実感することができた。今年は天候が不順でヒマラヤの峰々は少ししかみることは出来なかったがそれでもカトマンドゥを除けば充分満足出来る旅であった。カトマンドゥはカトマンドゥで違った意味で満足のいく刺激的な街であった。
 
ネパール通信  【 ストライキ 】

 ネパール到着早々珍しい光景に出くわした。ゼネストである。日本では一昔も二昔も前に消えて無くなった代物だがネパールでは生きていた。しかし日本のスト風景とは些か趣を異にしている。赤旗やデモが全くない静かなストライキである。これらがないとストという感じがしない。
 空港からホテルへ向かう道中殆ど車を見掛けない。出迎えてくれたN氏の友人(ネパール人)に聞くとストライキだという。最初は何のことかチンプンカンプンだったが彼の説明と新聞を見て凡そ次のことが判った。

@9月18日〜20日の3日間ゼネストを実施(我々は2日目の19日 にネパールに入った)。Aゼネストの主導者は野党のマオイスト(毛沢東主義者)。 「マオイストは中国でもいなくなったのにネパールにだけ生 き延びている」とネパールの人は嘆いていた。
B国際線で発着する客のホテルへの送迎に限り例外的に認められる。カトマンドゥ市内ではスト破りのタクシーが何台かは走っていた。我々もスト3日目の20日はスト破りのタクシーを利用して行動したが、料金的には随分高めだったようだが当然であろう。ネパール第二の都市ポカラでは車はおろか単車更には自転車に至るまで禁止され、しかも完全に守られていたという。
 商店は勿論全面的に閉店していて、例外的に露店が散発的に営業しているくらいでとてもショッピングという雰囲気ではなかった。
 ストライキが何故かくも厳格に守られるのか不思議に思ったが、スト破りに対するマオイストの制裁がかなり暴力的なため皆んな恐れをなして守らざるをえないというのが実情のようである。警察もこの暴力的制裁を取り締まるだけの力はないのであろう。それにしても見事な統制力で、野党に是だけ鮮やかなストを打たれるということは、それだけネパールの政治が不安定だということなのであろう。
 昨年だったかネパール王室内で内ゲバ殺人事件があったが、そうしたこともこの不安定な政治の遠因ではないかと思うがそこまでは友人のネパール人にも聞けなかった。
 ストの余波を一つ。
ゴミ収集車もスト対象のため動けず繁華街のあちこちにゴミの山が出現し、それを牛・犬や浮浪者が漁るため散らかり放題で異臭を発していた。
そのゴミを完全に取り除くのにスト解除後3〜4日を要していた。
 スト解除後の車の洪水を見るに付け車のいないカトマンドゥの街を見れたのも幸いと言えるかもしれない。
ネパール通信  【 火葬場 】

カトマンドゥに着いた翌日に得がたいものを見た。それは火葬の現場である。 ネパール最大のヒンドゥ寺院でパシュパティナートという寺がある。ネパール最大というだけでなくインド亜大陸の4大ヒンドゥ寺院の一つでもある。このお寺にはヒンドゥ教徒以外は入れないが、聖なる川「バグマティ川」を挟んで対岸から寺の様子を眺めることが出来る。我々が訪れたとき丁度死体を運び込む一行に出くわした。死体搬入から火葬までの一部始終を対岸から見せてもらった。
 カトマンドゥのヒンドゥ教徒にとって死後このお寺で荼毘にふし遺灰をバグマティ川へ流すことは切なる願いであるという。
 死体は竹で組んだ簡単な担架に乗せられお寺の直ぐ下の川の側に安置する。そこにはお寺から聖水が流れてくるようになっている。遺族は聖なる川の水を汲んで遺体にかけ花で飾る。長老とおぼしき人が紅がら(ヒンドゥ教徒が額に付けている赤い印と同じもの)を遺体に大量に撒く。儀式はこれで終わりのようだ。しばらくそのままにしていたが、次の遺体が搬入されてきたのでその場所を明け渡し、その近くに移動して安置した。暫く後に道路を挟んで反対側の火葬場の方へ移動しまた簡単な儀式の後、事前に積み上げられた薪の上に安置する。死人が父親なら長男が、母親なら末の男の子が火を付け荼毘にふす。
 我々が対岸から見ていた1時間くらいの間に4人の遺体が運び込まれ順次儀式の後荼毘に付されていった。
 聞くところによるとヒンドゥ教徒は輪廻転生を信じているため、墓は造らず遺灰は聖なる川バグマティ川に流すというが我々が見ている間には流すところまではいかなかった。因みに4人の遺体の遺族で号泣していた人は僅か2人であとの人達は全く泣いている風には見えなかった。死者の年齢にもよるが日本なら涙涙が普通であろう。これも死に対する考え方の違いなのであろう。
 聖なる川と言いながら遺灰だけでなく現場で発生したもの(ゴミとしか言いようが無い)は全て川に捨てていた。いづれ河川の汚染が大きな問題になるのであろうか。
ネパール通信  【 車の運転 】                     


 
カトマンドゥで車の運転は至難の業である。車が多いのは仕方がないとして道路事情の悪さと運転マナーの悪さとが相まって最悪の状態である。精神的にヤワな日本人がそうした環境の中で運転出来るとはとても思えない。少なくとも小生には絶対に無理である。先ず客観的な道路状況から。

@道幅が狭い。中心部で片道2車線のところもあるが殆どは1車線。しかも舗装が随分痛んでいてデコボコ状態。道路の端の方は舗装 されていない場合が多い。

A歩道が整備されているのは中心部のごく一部だけ。・/FONT>

ネパール通信  【 田舎に昔の日本を見た 】                                             

 ヒマラヤの眺望を売り物にしているリゾート地ナガルコットで3時間半のミニトレッキングをした。中味はハイキングのようなものだがガイドを頼んだ。ネパールでは日本のように地図が整備されていないし、現地に標識もない。従ってガイドなしではとても歩けないのが実情である。途中いくつかの小さな集落を通ったのでネパールの貧しい農民の姿を垣間見ることが出来た。一言でいうと私が子供の頃育った田舎の情景そっくりで大変郷愁を覚えた。
 家の造りは当然日本と異なるが牛小屋や山羊の小屋があり、庭先やその周辺では牛・山羊・鶏・アヒルなどが思い思いに餌を食べ、犬が寝そべっている。その傍で子供達が走り廻り大人たちが夫々の作業に勤しんでいる。大人の働き振りは昔の日本人の方がよく働いていただろうか。
 道は牛や山羊の糞が至る所に落ちていて独特の匂いを発していて、これも郷愁をかき立てる。豊かさが感じられないことも含めて昭和20年代の日本の農村そのものである。子供は泥まみれで青バナを垂らしている子も多い。我々が通り掛かるとハローと声を掛けお金をねだる子や、付いてきて写真を撮ってくれとねだる子など色々だが、いづれもしつこくはないので救われる。
 住民に「ナマステ(こんにちは)」と声を掛けるとナマステと応えてくれるが、地元民から声を掛けられることは少なかった。もっともハイシーズンには大勢の人が通るのだろうから、いちいち声を掛けていたら仕事にならないだろう。

 ガイドをしてくれたのは高校生でたまたまダサイン(注)とか言う祭りの休日でアルバイトをしているのだと言う。学校が休みの日に1〜2回/月ガイドをしているらしい。ガイド料は半日で700円、労働者の月収が12,000円くらいからすると悪くないアルバイトなのであろう。
(注)ダサインとはヒンドゥ教徒最大のお祭りで、日本の年末年始に相当する。カトマンドゥ市民200万人の約半分100万人がこの時期故郷へ里帰りするという。今年は11月2日〜9日がダサインで学校はこの日を挟んで1ヶ月休む。このあたりの事情も日本とよく似ている。
ネパール通信  【 ホテル(ハード一流ソフト二流) 】

 今回のネパール旅行は少年探偵団の1人中田氏のネパール人の友人が全て段取りしてくれた。ホテルは一流ホテルばかり、車もその友人が提供してくれた上ガイドも勤めてくれた。しかも自宅で奥さん手作りのネパール料理を振舞われるなどかなり贅沢な旅行であった。
 泊まったホテルを概観してみよう。
・ドゥワリカ・ホテル(カトマンドゥ)(2泊)ネパールでも開発が進み歴史ある寺院や家屋が取り壊されている。それらを長年にわたって収集してきたオーナーがその材料を使って丹念に作り上げたホテル。ネパールの伝統工芸品である木彫り彫刻の窓枠や柱は見事なもの。客室のインテリアも収集品を随所にあしらい、凝りに凝った装飾は見事の一語。まるで伝統工芸博物館の中に泊まっている感じである。
・ハイアット・リーゼンシー(カトマンドゥ)(2泊)アメリカ流の近代設備を誇る一方ネパールらしさを感じさせるインテリアはなかなかのセンスであった。部屋も共用空間も庭園も全て広々としていてまさにリゾートホテルそのもの。
・シャングリラ・ヴィレッジ(ポカラ)(2泊)広々とした庭園に点在するコテージ、部屋の何倍かあるテラス、ヒマラヤの山々が見渡せる部屋、まさにシャングリラそのもの。
・ヒマラヤクラブ・ナガルコットリゾート(ナガルコット)(2泊)ヒマラヤの眺望を売り物にしているリゾート地の最高級ホテル。各部屋に付いているバルコニーから眺めるヒマラヤの峰々は格別。夫々の地区の最高級ホテルだけあっていずれも素晴らしかった。しかし、揚げ足を取る積りは全くないがサービス面では随所に未熟さが顔を覗かせていた。例えば、
・食事の注文を聞き違える
・食事をして清算時にサインして部屋付けにしようとするとダメだという。そんな馬鹿なというと、責任者に聞いてきますと言って行ったままナシのツブテ。どうなってるんだ!と言うと平然と部屋付けOKですとのたまう。
・バスタオルを要求し「直ぐお持ちします」と言っても持って来ない
・電球が何ヶ所も切れている
・掃除婦の掃除が見るからにお座なりの場合多し
・浴室内に作業員のシャツが放置されている
等々言えば限がない。ハード一流・ソフト1.5流の典型であろう。トータルとして満足度は大変高かったにも拘わらず、こんな仔細なことが気になるのは我々日本人があまりにも重箱の隅をつつき過ぎなのであろうか?もっと大らかにと思わぬでもないが「分っちゃいるけど止められない」ということか。(ご参考までに料金はいづれも1泊$100以下で、聞けば正規料金の50%オフとのこと。やはり現地人が手配すると安くなるなぁ。)
貧しい田舎と豊かな田舎
 ネパールは山の多い国である。ヒマラヤのような高い山だけでなく、そんなに高くない山も沢山あり平野部は少ない。従って段々畑が随所に見られる。都市部を除けばさしたる産業もなく生計を立てるには農業かささやかな酪農くらいしかない。
 そうした中で目につくのが山の中腹や頂上近くに点在している家である。平野部にも土地があるのに何故わざわざ高いところに家を建てるのか。
最初は金持ちの別荘かと思ったがそれにしては貧弱な家が多い。どうしても腑に落ちないので聞いてみると、貧しい人が住んでいるとのこと。では便利な平地を避けて何故便利の悪いところに住むのか?
理由は簡単、土地が安いのである。平野部では高くて買えなくて止むを得ず便利の悪いところで生活しているようだ。
生活の便利は悪いが家畜を放牧するには草が沢山あって都合が良い。
 それにしても猫の額ほどの農地と僅かな家畜から得る収入では豊かな生活は望むべくもない。日本でも終戦直後の農家の生活は今のネパールの田舎と殆ど同じ苦しさであったのではないだろうか。ネパールの貧しい農家を見ていると私が子供時代に育った田舎(備後地方)の原風景を見ているようで懐かしさを禁じ得ない。 
 豊かな地方もある。カトマンドゥの西150Kmのところにポカラという街がある。ヒマラヤの眺望を売り物にしている瀟洒な街である。街と言っても田舎町に毛が生えたような小さな町である。この辺りの家はカトマンドゥより立派に見える。最初は「やはり観光産業の威力は凄い」と思ったが、よくよく聞いてみるとどうやら理由は別のところにあるらしい。それはグルカ兵である。
 グルカ兵という言葉は聞かれたことがあると思うがグルカというのはネパールの王国の一つであった(現在のポカラ周辺)。
イギリスがインドを統治していた19世紀にインド政庁とグルカ王国が戦い(グルカ戦争1814〜16年)、最終的にはイギリスの勝利に終わったが、最盛期のイギリスをとことん苦しめた。以来グルカ兵=強いというイメージが定着したのではないか?(小生の勝手な推測)現在ではそのグルカ兵は他国の傭兵として活躍し、彼等の仕送りがポカラを潤しているのである。ポカラの家が立派なのは是が主な理由であった。
 それにしても200年前の強かった先祖のDNAが今に引き継がれているのを思うにつけ、血の繋がりの不思議さを思わざるを得ない。
                             
語学力
 ネパールでは小学校から英語授業がある。従って子供でもカタコトの英語なら喋れる。
 ネパール人は自国語以外に最低限ヒンドゥ語が喋れ、最近の若者は殆ど英語が使える。今回お世話になった友人はそれ以外に日本語とドイツ語だかフランス語だかが喋れる。また、ポカラで行ったレストランの若き支配人(27才の中国人女性)はネパール語・中国語・ヒンドゥ語・日本語・ドイツ語が自由自在に操れると言っていた。事実日本語は実に鮮やかなものであった。
 海外へ行くといつも感じることだが、どこの国の人もこと語学に関しては日本人よりは優れているように思う。総じて日本人の語学力は低く、特に英語は随分時間をかけて勉強している割には何時まで経っても上達しない人が多い。
 私なりにその理由を考えてみると@島国で外国人に接する機会が少なく、外国語慣れしていない。
A性格的にシャイで外国語を喋るのが恥ずかしい。特に我々熟年 世代はこれが大いに足を引っ張っている。その点最近の若者は 物怖じしない子が多く今後は期待が持てるのではないか。
B教育のあり方も問題であろう。言い尽くされたことだが、日本 の英語教育は文法中心で会話が疎かにされている。従って英語 の読解力はかなりハイレベルだが喋らせるとからきしダメとい うのが平均的な日本人だろう。随分前からこの問題点は指摘さ れているが一向に改善されない。文部省の役人の頭は固い石で 出来ているのであろう。
Cそして最も大きな理由はハングリー精神の欠如であろう。
 江戸時代のローマ派遣使節団が使命を遂行したことといい、明 治時代の先駆者達が外国文明を吸収したことといい、今よりは 遥かに劣悪な条件下で成果を挙げ得たのはいつに掛かってこの ハングリー精神のなせる業だったのだろう。
ヨーロッパの連中も3〜4ヶ国語を喋れる人は多い。彼らが強烈なハングリー精神があるかと言われれば少々疑問に思うのだが如何であろう。もしそうだとするとハングリー精神の欠如だけが犯人ではないのか?皆さん如何思われます?
空港の安全チェック
外国へ行く度に日本の空港での安全チェックの甘さを実感する。
アメリカのチェックが厳しいのは理解出来るがネパールもまた厳しいのには少々驚いた。
 通常どこでも実施しているチェックは省略するが、次のようなチェックは日本では経験出来ない。
@搭乗手続きを済ませて搭乗口で待機するのはどこも同じ。ネパ ールではこの時荷物のストックヤードへ行って自分の荷物の確認
 をする必要がある。確認をすると係員が荷物タグにチェックを入れ、これが証明代わりになる。ではなぜこんな面倒なことをするのか?
 私の勝手な想像だが、危険物の入った荷物を預けて本人が搭 乗しないケースを想定してチェックしているのであろう。しかし反対
 にその間に危険物を荷物に入れられる危険もあるように思うのだ が・・・。因みにブータンでも同様のシステムであった。
A飛行機のタラップの前でも機内持ち込み手荷物の全数開封チェ ックとボディチェックをする。お座なりの検査ではなく真剣にするので
 タラップの前に長い行列が出来る。
これほどチェックが厳しいのは何故か?
ネパールはインドとは極めて良好な関係を維持している。否、維持せざるを得ないと言った方が正確であろう。日本がアメリカの顔色を
常に見ているのと同じ事情からである。インドが咳をすればネパールは肺炎に罹るのである。
そのインドとの関係でパキスタンからのテロを警戒しているのではないかと言うのが私の勝手な推測である。それ以外にゼネストの項で触
れたような不安定な政治状況も影響しているのかもしれないが、とにかく日本よりは遥かに検査が厳しいのは事実である。
10牛はどの程度神聖か?
 ネパール人の9割はヒンドゥ教徒である。彼等にとって牛は神聖な動物である。道路を闊歩していても寝そべっていても車は何の抵抗も出来ない。鞭で叩くなどもっての他。
牛肉を食べるなんて問題外の外。どこかの国のようにビールを飲まされ、太ったところでギロチンということは絶対にない。
 しかしこれは建前である。場合によりことと次第によっては例外もある。例外が普通だってこともある。
 道路上の牛に対する態度は轢きはしないがとても聖なる動物に対する態度とは到底思えない。もし轢いても車が痛まなければ轢きかねない風情である。
 もし誤って牛を車で轢き殺したらどんな罪に問われるかネパール人に聞いてみた。答えは何のお咎めもないとのこと。
ただネパールでは牛には持ち主がいるので持ち主との交渉になる。相場は凡そ1万ルピー(1万6千円)くらいとのこと。
あくまで轢いた方が悪いのである。
因みにインドでは持ち主はなく野良牛が普通。野良牛を轢いた場合はどうなるのでしょうね?
 ネパール人が外国に行った時など牛肉を食べることはよくある話だ。ネパール国内でヒンドゥ教徒にも拘わらず牛肉を食する人種がいるのも事実であるらしい。
 インドでは州の条例で牛の屠殺場を認めている州がある。
最近政府がこれを全面的に禁止する方針を打ち出し、大きな政治問題になっている。全面禁止すると経済的に大打撃を受けるというのが反対する州の言い分である。屠殺を禁止すると何故経済が大打撃を受けるのか?肉が売れないからだ。
ことほど左様に牛肉を食することは半ば公的に認められている部分もあるということである。
 とは言え大多数のヒンドゥ教徒にとって牛が神聖な動物であることは疑いようはない。ただ徐々にではあるがそれが希薄化してきていると言う事なのであろう。
 いやはや牛も住み辛い世の中になったものよのぉ。
11 ネパール雑感(その他)
1コンピューター化は遅れている
 銀行で両替をするとき作業は全て手作業である。計算・計算書の作成・現金の勘定など全て手作業だから時間が掛かる。ショッピングをしてもパソコンを入れている店は殆どないように見受けた。
但し企業では流石にパソコンなしでは困るようで普及しているらしいのだが、多分これから爆発的に普及していくのであろう。
 
2インターネットカフェ
 街の中にインターネットカフェは確かにある。価格も50円/Hと安い。しかし残念ながらスピードが恐ろしく遅い。ネパールでもメールをしようと思い、アドレス帳をホットメールの自分のアド
レスに送っておいたがそれを開くのにすごく時間が掛かり結局諦めた。日本語OKとのことであたが、実際にはメールを読む場合のみOKで、発信はダメであった。
 5ツ星ホテルでも試してみたが料金が900円/Hとインターネットカフェの20倍近くとベラボーに高い。しかも日本語対応が受信のみで発信は英語でせざるを得なかった。
ホテルって何でそんなに高いんだろう?
 
3結婚適齢期
 日本では結婚する年齢が年々遅くなりつつあり、社会問題にもなっている。しかしネパールではそんな心配は今のところ全く無用らしい。男は23〜25歳、女は22歳前後では結婚する。子供は2〜3人が普通で一昔前の7人前後からすると先進国に近づいているようだ。もう少し経済的に豊かになると少子化の心配が出てくるのであろう。では豊かになると何故少子化になるのであろう?
そこのところをどなたか教えて頂けませんか?
 
4空港の人間スピーカー
 搭乗口での搭乗案内は掲示板で表示され、且つアナウンスで案内されるのが普通である。しかしネパールではこの両方ともなく、案内は全て人間スピーカー即ち肉に頼っている。国内線は勿論、国際線でも人間スピーカーだ。これがまた素晴らしい声で惚れ惚れするくらい良く通り、実務面では何ら痛痒は感じない。
これを見ていると何でもかんでも機械化すれば良いと言うものでもないと改めて考えさせられる。
 ネパールの名誉の為に付け加えると空港ビル全体では当然スピーカーが活躍している。当り前である。
 
5ソニーの車
 カトマンドゥでタクシーに乗った。相当の年代物である。運転手は「これは日本車でソニー製だ。この車に28年乗っているがまだまだ走れる。やはり日本車は優秀だ」。確かに28年乗っていると言われれば頷ける古さである。しきりにソニー、ソニーと言うので降りて確かめてみたら日産の年代物のサニーであった。
 ソニーと言う名が高品質の日本製品の代名詞になっているのであろう。だからサニーをソニーと信じ込んでソニー、ソニーと自慢しているのである。それにしてもソニーの強さを実感させられた一コマではあった。

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