|
||||||||||
目 次 (クリックすると開きます) | ||||||||||
1 | ネパールの印象 | 7 | 貧しい田舎と豊かな田舎 | |||||||
2 | ストライキ | 8 | 語学力 | |||||||
3 | 火葬場 | 9 | 空港の安全チェック | |||||||
4 | 車の運転 | 10 | 牛はどの程度神聖か | |||||||
5 | 田舎に昔の日本を見た | 11 | ネパール雑感 | |||||||
6 | ホテル | |||||||||
ネパール通信 1 【 ネパールの印象 】 | ||||||||||
ネパールに行くまでの印象は「山国で伝統を重んじる敬虔なヒンドゥ教徒がのんびりした生活をしている」というものだった。ところがカトマンドゥに来て見たらびっくり仰天。街には人があふれ車は黒い煙と臭いを撒き散らしながら無秩序に走り、やたらとクラクションを鳴らしてうるさいことこの上ない。おまけに道路の整備が大都市にしては極端に遅れている為、埃っぽいこと夥しい。その上、路上を彼等にとって神聖な動物である牛様が闊歩し、糞が至る所に落ちている。更にやたらと多い犬が路上のあちこちに屯していて何とも落ち着かない街ではある。 ネパールに来てヒマラヤの山々でも眺めながらのんびりしようと思ったら失望すること請け合いだ。少なくともカトマンドゥ市内では期待出来ない。但しカトマンドゥを少し離れると期待に違わぬ寛ぎを与えてくれる。今回はカトマンドゥ郊外東32Km のナガルコットという小さな町に2泊し、更にカトマンドゥの西150Kmのポカラ(ネパール第二の都市)に2泊した。いづれもヒマラヤの眺望を売り物にしているだけあってネパールの良さを実感することができた。今年は天候が不順でヒマラヤの峰々は少ししかみることは出来なかったがそれでもカトマンドゥを除けば充分満足出来る旅であった。カトマンドゥはカトマンドゥで違った意味で満足のいく刺激的な街であった。 |
||||||||||
ネパール通信 2 【 ストライキ 】 | ||||||||||
ネパール到着早々珍しい光景に出くわした。ゼネストである。日本では一昔も二昔も前に消えて無くなった代物だがネパールでは生きていた。しかし日本のスト風景とは些か趣を異にしている。赤旗やデモが全くない静かなストライキである。これらがないとストという感じがしない。 空港からホテルへ向かう道中殆ど車を見掛けない。出迎えてくれたN氏の友人(ネパール人)に聞くとストライキだという。最初は何のことかチンプンカンプンだったが彼の説明と新聞を見て凡そ次のことが判った。 @9月18日〜20日の3日間ゼネストを実施(我々は2日目の19日 にネパールに入った)。Aゼネストの主導者は野党のマオイスト(毛沢東主義者)。 「マオイストは中国でもいなくなったのにネパールにだけ生 き延びている」とネパールの人は嘆いていた。 B国際線で発着する客のホテルへの送迎に限り例外的に認められる。カトマンドゥ市内ではスト破りのタクシーが何台かは走っていた。我々もスト3日目の20日はスト破りのタクシーを利用して行動したが、料金的には随分高めだったようだが当然であろう。ネパール第二の都市ポカラでは車はおろか単車更には自転車に至るまで禁止され、しかも完全に守られていたという。 商店は勿論全面的に閉店していて、例外的に露店が散発的に営業しているくらいでとてもショッピングという雰囲気ではなかった。 ストライキが何故かくも厳格に守られるのか不思議に思ったが、スト破りに対するマオイストの制裁がかなり暴力的なため皆んな恐れをなして守らざるをえないというのが実情のようである。警察もこの暴力的制裁を取り締まるだけの力はないのであろう。それにしても見事な統制力で、野党に是だけ鮮やかなストを打たれるということは、それだけネパールの政治が不安定だということなのであろう。 昨年だったかネパール王室内で内ゲバ殺人事件があったが、そうしたこともこの不安定な政治の遠因ではないかと思うがそこまでは友人のネパール人にも聞けなかった。 ストの余波を一つ。 ゴミ収集車もスト対象のため動けず繁華街のあちこちにゴミの山が出現し、それを牛・犬や浮浪者が漁るため散らかり放題で異臭を発していた。 そのゴミを完全に取り除くのにスト解除後3〜4日を要していた。 スト解除後の車の洪水を見るに付け車のいないカトマンドゥの街を見れたのも幸いと言えるかもしれない。 |
||||||||||
ネパール通信 3 【 火葬場 】 | ||||||||||
カトマンドゥに着いた翌日に得がたいものを見た。それは火葬の現場である。 ネパール最大のヒンドゥ寺院でパシュパティナートという寺がある。ネパール最大というだけでなくインド亜大陸の4大ヒンドゥ寺院の一つでもある。このお寺にはヒンドゥ教徒以外は入れないが、聖なる川「バグマティ川」を挟んで対岸から寺の様子を眺めることが出来る。我々が訪れたとき丁度死体を運び込む一行に出くわした。死体搬入から火葬までの一部始終を対岸から見せてもらった。 カトマンドゥのヒンドゥ教徒にとって死後このお寺で荼毘にふし遺灰をバグマティ川へ流すことは切なる願いであるという。 死体は竹で組んだ簡単な担架に乗せられお寺の直ぐ下の川の側に安置する。そこにはお寺から聖水が流れてくるようになっている。遺族は聖なる川の水を汲んで遺体にかけ花で飾る。長老とおぼしき人が紅がら(ヒンドゥ教徒が額に付けている赤い印と同じもの)を遺体に大量に撒く。儀式はこれで終わりのようだ。しばらくそのままにしていたが、次の遺体が搬入されてきたのでその場所を明け渡し、その近くに移動して安置した。暫く後に道路を挟んで反対側の火葬場の方へ移動しまた簡単な儀式の後、事前に積み上げられた薪の上に安置する。死人が父親なら長男が、母親なら末の男の子が火を付け荼毘にふす。 我々が対岸から見ていた1時間くらいの間に4人の遺体が運び込まれ順次儀式の後荼毘に付されていった。 聞くところによるとヒンドゥ教徒は輪廻転生を信じているため、墓は造らず遺灰は聖なる川バグマティ川に流すというが我々が見ている間には流すところまではいかなかった。因みに4人の遺体の遺族で号泣していた人は僅か2人であとの人達は全く泣いている風には見えなかった。死者の年齢にもよるが日本なら涙涙が普通であろう。これも死に対する考え方の違いなのであろう。 聖なる川と言いながら遺灰だけでなく現場で発生したもの(ゴミとしか言いようが無い)は全て川に捨てていた。いづれ河川の汚染が大きな問題になるのであろうか。 |
||||||||||
ネパール通信 4 【 車の運転 】 | ||||||||||
|
||||||||||
ネパール通信 5 【 田舎に昔の日本を見た 】 | ||||||||||
|
||||||||||
ネパール通信 6 【 ホテル(ハード一流ソフト二流) 】 | ||||||||||
今回のネパール旅行は少年探偵団の1人中田氏のネパール人の友人が全て段取りしてくれた。ホテルは一流ホテルばかり、車もその友人が提供してくれた上ガイドも勤めてくれた。しかも自宅で奥さん手作りのネパール料理を振舞われるなどかなり贅沢な旅行であった。 泊まったホテルを概観してみよう。 ・ドゥワリカ・ホテル(カトマンドゥ)(2泊)ネパールでも開発が進み歴史ある寺院や家屋が取り壊されている。それらを長年にわたって収集してきたオーナーがその材料を使って丹念に作り上げたホテル。ネパールの伝統工芸品である木彫り彫刻の窓枠や柱は見事なもの。客室のインテリアも収集品を随所にあしらい、凝りに凝った装飾は見事の一語。まるで伝統工芸博物館の中に泊まっている感じである。 ・ハイアット・リーゼンシー(カトマンドゥ)(2泊)アメリカ流の近代設備を誇る一方ネパールらしさを感じさせるインテリアはなかなかのセンスであった。部屋も共用空間も庭園も全て広々としていてまさにリゾートホテルそのもの。 ・シャングリラ・ヴィレッジ(ポカラ)(2泊)広々とした庭園に点在するコテージ、部屋の何倍かあるテラス、ヒマラヤの山々が見渡せる部屋、まさにシャングリラそのもの。 ・ヒマラヤクラブ・ナガルコットリゾート(ナガルコット)(2泊)ヒマラヤの眺望を売り物にしているリゾート地の最高級ホテル。各部屋に付いているバルコニーから眺めるヒマラヤの峰々は格別。夫々の地区の最高級ホテルだけあっていずれも素晴らしかった。しかし、揚げ足を取る積りは全くないがサービス面では随所に未熟さが顔を覗かせていた。例えば、 ・食事の注文を聞き違える ・食事をして清算時にサインして部屋付けにしようとするとダメだという。そんな馬鹿なというと、責任者に聞いてきますと言って行ったままナシのツブテ。どうなってるんだ!と言うと平然と部屋付けOKですとのたまう。 ・バスタオルを要求し「直ぐお持ちします」と言っても持って来ない ・電球が何ヶ所も切れている ・掃除婦の掃除が見るからにお座なりの場合多し ・浴室内に作業員のシャツが放置されている 等々言えば限がない。ハード一流・ソフト1.5流の典型であろう。トータルとして満足度は大変高かったにも拘わらず、こんな仔細なことが気になるのは我々日本人があまりにも重箱の隅をつつき過ぎなのであろうか?もっと大らかにと思わぬでもないが「分っちゃいるけど止められない」ということか。(ご参考までに料金はいづれも1泊$100以下で、聞けば正規料金の50%オフとのこと。やはり現地人が手配すると安くなるなぁ。) |
||||||||||
7 貧しい田舎と豊かな田舎 | ||||||||||
|
||||||||||
8 語学力 | ||||||||||
|