フィリッピン ダバオ市への旅

はじめに

3年前ピースボートで世界1周の船旅で同航した田口氏の誘いで帰国後すぐにでもフィリッピンのダバオ市を訪問する予定だったが、丁度ニューヨークでの同時多発テロ事件発生で延期に次ぐ延期していたものが今回どうにか実現した旅でもあった。

そうしてまた船の中で親しくしていた者11人が同航会のようなかたちでダバオにロングステイしている田口さんを訪問するような形になった旅でもある。

1日目    200461()小雨

4時起床。昨夜作った握り飯で朝食にする。

家を535分ぐらいに出て一番バス546分発に乗り阪急電車で蛍池駅下車しリムジンバスで関空に行く。関空には8時ごろ到着し、ここで関西組鬼村夫妻、山田、中山、田中の各氏5人が揃い出国手続きをして955分にマニラに向かって出発する。3時間ほどでマニラに到着。

ダバオ行きの飛行機フライトまで2時間をマニラ空港で過ごす。マニラ空港で関東組の石井夫妻、元角、荻野、矢作、村上の各氏6人と合流し全員11人が揃い1540分ダバオに向けて飛び立つ。

午後6時ごろダバオ空港に到着し、田口親子に出迎えられホテルに案内される。ホテルは其の名もウオーターフロント インシュラー ホテルと言いダバオ湾に面したかなり大きな敷地の中にゆったりと3階建ての棟が椰子の葉陰の中に幾つか佇んでいた。

部屋は260号室に元角氏とシエアー。彼とは地球1周の船旅以来の話をしながらの旧交をあっためる。今度のこの旅では彼が一番若い50歳代後半でこのホテルの中庭にある綺麗なプール愛用者でもあった。

夕食はホテルのレストランで中華がとても美味しかった。其の食事代は1600ペソ(1200)也.ちなみにこのホテルの宿泊代は11人朝食つきで¥1800なり。

2日目   200462()曇りのち晴れ

朝 日の出まえホテルの広大な敷地を1時間散歩したが、青々とした芝生の中に椰子の木や南国の草花の中で小鳥の囀りを聞きながら海浜のウオークはグーである。

午前中 田口さんの案内で田口宅を訪問。大きな彼の愛犬武蔵”(シェパード)の出迎えを受ける。武蔵とは彼のホームページで子犬の頃から知っていたのでとても懐かしい感じである。

この愛犬のことも含めてフィリッピンのダバオの事に関しては彼のホームページにアクセスすると詳しくわかるから楽しい。アクセスあれ!田口氏のホームページのURLhttp://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/1928/

今回の旅も3年前に企画したものであるが、ニューヨークでの多発テロで延期しようやく今回実現した経緯がある旅で、彼のロングステイ振りを検証する目的も含まれていた。

この3年の間に彼はこの1軒屋をレンタルしほとんど毎日ゴルフ三昧と美食の追求 其の上に有意義な時間を過ごされているらしい。彼はここダバオのロータリークラブの会員にも推挙され、ダバオ市の地域振興にも一肌抜いているようである。

独身の彼に1ヶ月の生活費を聞くと月¥8万から10万までで充分だそうである。この中には外食費も含めた食費、住居費は3ベッドルーム居間ダイニングとキッチン家賃月¥2万円、メイドの給金、ゴルフ代金、自家用車代も含めてだそうである。

それゆえ年に数回はこのフィリッピンを中心に海外旅行をして年金の消化をしている由。

田口宅訪問後 郊外のミンタル地区を訪れる。この辺は1930年ごろにはマニラ麻の栽培のため大きな日本人町があった所のようで、案内されたところは寂れた日本人墓地だった。漢字の墓石が多数あり墓参する。墓地の中の空き地にはガリガリに痩せた犬と日本人の容貌を残した貧しくても明るい子供たちが1人の婦人の周りに集っていた。思わず何か小銭でも上げようと思ったが、案内してくれた田口さんに禁止されたのでやめてそこを離れる。その後近くの小学校を訪れる。丁度生徒募集時なのか多数の父兄が参集していた。此処でも至る所に日本人のDNA入りの顔があちらこちらに見えた。事務係の女先生の中に日本人とよく似た顔があったので、その大和なでしこ風の美人先生に若しや先祖が日本人でないか聞いてみたが、答えは中国人だとのこと。それを聞いても半信半疑の思いでその場を立ち去った。

其の後カリナン歴史資料館を見学するが、ここは太平洋戦争前のこのダバオ市と日本人入植者の写真や文物を展示していた。わたしが少年の頃みた衣類の柄などに戦前の郷愁を感じる。

昼食はダバオの市街を一望できる小高い所にあるレストランでフィリッピン料理をいただく。風とうしがよくって見晴らしのいいシートで皆さんとても美味しく飲みかつ頂いたようであるが、自分にとって料理の中での豚のから揚げがとても口にあった。

午後市内中央のショッピング街や市場見学をするが、とても蒸し暑くて車の中の冷房が恋しくなるトロピカル温度であるからただただ通過見学で終わりである。しかしそれでは味気ないと市場で生活必要品のミネラル充分な岩塩(51kg)などを購入し土産品とする。

ホテルへの帰路ドリアンパークに立ち寄りドリアンの試食体験に行く3個ほどカットしてもらい試食するが、さすがに果物の王様といわれるほど美味しい果物だった。甘くネットリトシタ果肉はやみつきになりそうだった。

3日目   200463()晴れ

今日は朝からホテルの前に広がるダバオ湾に浮かぶ島 サマール島に渡り海水浴場へ連れて行っていただく。

出発は10時ごろホテル専用の桟橋に出迎えのボートに乗り約15分くらいの乗船で目的地のサマール島の海水浴場に到着。海の水が綺麗で泳いでいる魚が桟橋から良く見えるくらい透明度抜群。

丁度海は引き潮で砂浜の渚から50mも潮が引いていた。海岸の砂浜の茶屋は大きな熱帯樹の葉陰の下に御丁寧にもテントの屋根がセットされ、紫外線から2重にも3重にもガードされていた。その下に机といすが置かれ、又寝そべる椅子なども用意されていた。

床に広がる砂は珊瑚の砂なのか白くって細かい砂なので、裸足の足の裏に心地良い。

海からは絶えずそよ風が吹き込んで、居ご心地のいい空間を提供してくれていた。

若い元角氏を除いて日焼けを嫌う老人たちはこの日陰の中で椰子のジュースや用意された美味しい昼の御馳走を頂きながら満足気に熱帯の海を眺めてゆったりと憩っていた。

私も1度は海に入り貝や珊瑚を探したり 熱帯魚観察をしたがかなりの日差しに降参し、木陰組みに参加するようになってしまった。

3時ごろ迎えの船が来たのでホテルのほうへ帰って冷房の効いた部屋でホットする。

7時ごろ、全員が車で5星ホテルのマルコポーロ ホテルの夕食を食しに行く。美味しい料理をたらふく頂きかつ又美味しいワインなどを頂いて1人前¥1200とはこれ驚きの値段だった。

4日目   200464() 晴れ

今日は朝から市内のショッピングモールを案内していただく。ここはかなり大きなショッピングセンターで有名なデパートも大きなスーパーもたくさんの専門店が一同に同じ屋根の下に会したような所である。ちょっと日本では考えられない形態だが、考えてみると大阪で言うならば、心斎橋筋に大丸デパートの前にダイエースーパーがあるような感じで、それらを3階建ての大きなドームの中に全部収めたようなところである。かなりの人の出で賑わっていた。

ここで昼食の前後 集合時間と場所を決めひたすら全員がショッピングに専念する。

美味しそうな食料品や、面白そうな土産物、南国風のデザインの衣類、いずれも日本よりも1/3〜14の値段ぐらいで買えるから嬉しい。

自分も記念と思い革靴を1足\1000で買って、そのまま履いて帰って来た。又土産の一つとして小ぶりのドリアンをスーパーで買い日本に持って帰ろうと企む。空港で没収されても¥300ではないかとタカをくくって購入し持参したが、これがまんまと成功。

夕食は今度は美味しいタイ料理のレストランへ連れて行っていただくが、これが又なかなか美味しいのである。私もタイのチエンマイへちょくちょく行きタイ料理の味は知っているつもりではあったがこのタイ料理は口に良くあった。

そうしてこの晩餐が関東組みとのお別れの時でもあった。明日朝6時 関東組6人はこのダバオを出発するのである。

5日目   200465() 晴れ

6時 関東組み6人をホテルのロビーで見送りし朝の散歩に出かける。

今日1日はホテルでゆっくりしようと考えながらホテルの庭を散歩していると いつものおじさんが椰子の木に登り椰子の樹液を採取しているのを眺める。この採集方法は椰子の木の先端の若芽を切りそれに竹筒に差込んでおくと翌日には樹液が1ぱいになるようである。彼の風貌から見ると50歳以上かと思っていたが、彼は聞いてみるとまだ41歳くらいの歳だそうで私の子供のような年頃のようである。片言の英語で話しするうちに仲良くなり彼の人なりがわかってきた。彼はすでに1組の双子もふくめて8人の子沢山で、生活の方も大変らしい。この椰子の樹液を毎朝採取することをホテルから許され、毎日樹液をポリの18リッター2缶採取して街のスーパーへ¥100ほどで売って生活の足しにしているようである。

その椰子の樹液などを飲ませてくれたがなり甘いのである。昨日島で飲食した椰子の実ジュースより数倍も甘いものであった。これを1〜2日間放置しておくと醗酵し椰子酒にもなりそれを長く置いておくと料理用の酢にもなるようである。

6日目   200466()

5時起床しホテルを6時に出発し帰国の途につく。750分ダバオ空港発915分マニラ空港到着。それから5時間ばかりマニラ空港で待機する。外の待合場所では蒸し暑く冷房もないので涼しいところを探すと地下に冷房のあるレストランがありそこへ移動。とても長い待ち時間を地下の食堂で皆となんとか過ごす。ここで財布の中の硬貨やペソ紙幣全部を消化できて満足する。(ただし山田さんだけはむしむしする2階で頑張っていた)

その後ようやく国際線の待合室に移動でき、225分に関空に向けて出発する。関空着7時25分(時差1時間)

関空からは機内で隣に座り仲良くなった女性と梅田までリムジンバスで帰る。彼女は岡山に嫁さんとして住む40歳のフィリッピンのダバオ出身の2児の母親である。やはり嫁姑のことで悩んでいたが、健気にも可愛い子供の教育のことで当分日本にて頑張るとのこと。幸あることを祈りつつ別れる。

午後10時帰宅。

関西では今日入梅したとのこと。フィリッピンから蒸し暑さをつれてきたようである。

 

最後に

確かにダバオは物価が安く安全な所のようである。日本円の価値が3倍にも4倍にもなる魔法のような所ではある。

しかし流石にトロッピカルゾーンである。非常にに蒸し暑い。日本の真夏のような気温であった。聞く所によると11月から2月頃まではかなり涼しくなるようで夜などはクーラー要らずに夏蒲団が必要になるようであるが、それは其の頃ここに来て体験しなければわからないことである。

田口さんのようにこちらで5年余りのロングステイをされ、この環境に適応され充分にここでの生活をエンジョイされているのを見て羨ましい思いもしたことは確かである。

運動のため朝の4時ごろから毎日ゴルフをし、冷蔵庫3台の中に収められた美味しい新鮮な食材での料理、美食家である彼のグルメの探索、気が向けば南海でのダイビング、自分のお得意のものの教授(生活がかかっていない)、年に何回かの海外旅行などなど・・・全て年金受給の範囲の中で実現するのだから、こんなに羨ましいことはないのである。

それとこのダバオで本当に羨ましいと思ったのは、マンゴー、ドリヤン、スイカそのほか名前の知らない果物がまことに安くって美味しいのである。私などは果物だけでも充分ここを尋ねた価値をみいだした。

其の上穏やかな住民のやさしい目の色にも安らぎを覚えた。

しかし困ったことに日本への電話連絡に買ったテレフオンカードはホテルの2台ある公衆電話からは1度も通じなかったのは残念なことであった。このことはホテルの従業員も認めていた。それ以外は快適で安価な旅で楽しめたのはひとえに田口さんと彼の娘さんのおかげであった。ここに改めて田口さんの親子には心から御礼を申し上げたい。

又機会があれば冬の時期に再度来て見たい所ではある。

以上

                  

田中孝之 2004年6月14日(月)記

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