タイチエンマイの旅
田中孝之
第1回 ・ 第2回
第1回 タイチエンマイの旅2003年2月6日から13日の1週間タイのチエンマイを中心にタイ北部の 旅に出かけた。

これはその時の旅の記録である。

●チエンマイ市の位置
タイの首都バンコクの北方約750km行ったところにあり、昔の王都であり、日本の京都のようなところである。

●旅の目的
日本からもかなりの人々がタイ北部のチエンマイに観光し、ロングステイしていることはいろいろと聞かされていた。われわれロングステイの会員の神原夫妻が昨年に続き今年も2ヶ月ばかり当地にステイされることを知った。これを機会に神原氏を頼りに当地を訪問し、そこの住みごこちのよしあしを見定めたいと考えたからである。それからタイ北部のミヤンマーの国境周辺の少数民族の様子も見たいと考えた。

●旅の概要
関西空港からバンコク空港径由 チエンマイ空港到着後 
2日間はチエンマイ市内観光(花祭りパレード)
 2日間タイ北部地方の観光
 2日チエンマイ市内観光し帰国

                 
旅の所感
 
@日本からのアクセスが非常にいい
関空を午前11時10分出発してその日の午後8時ごろにチエンマイ空港に到着。その日の9時頃にはホテルにチェックインできたのはうれしい限りである。また帰路も往路と反対に朝7時チエンマイ空港を出発しその日の午後5時に関空に到着した。

Aチエンマイは大都会であった
チエンマイ空港を降り立った時はローカル空港のわびしさを感じたがタクシーでホテルに向かうときさすがタイ第2の都市であることを実感させられた。また街の向こうには大きな山があり日本の風景を感じた。下の写真は宿泊のポンピンホテル

B物価が 安いたとえばタクシー代だが空港からホテルまで100バーツ(300円)とは安い。また宿泊に関してもホテルも三ツ星ぐらいで一部屋1泊1000バーツ(3000円)朝食付なのでありがたいことである。夫婦であれば1人1500円で済む勘定になる。ことのついでに物価のことになるがホテルの中のレストランでも昼食ぐらいならば100バーツ(300円)ぐらいで十分であるし、近くのスーパーでの買い物も果物やジュースやスナッを買っても全部で100バーツにはならないのである。またタイ式マッサージが2時間600円ぐらい。

ここチエンマイにて夫婦でホテル住まいの予算は1日当たり食費も入れても2人で4000円ぐらいで足りるのではないだろうか

C治安がいい
チエンマイはかなり大きな町で外堀のある正方形の旧市街の外側に新市街が広がりホテルは旧市街の外堀の外側に近いところに立っているので、歩いても旧市内へはそんなに遠くないが夜中歩いてもそんなに怖い感じはなかった。

ショッピングをしていてもあまり売らんかなの意気込みは感じられないし、いらないと手を振ればそれで終わりである。ちょっとあっけない感じでもある。しかし何かを買おうと真剣に品質や値段のことを聞くと真剣に対応してくれるようである。これはひとつの例で 私ことで恐縮だがチエンマイに到着して翌日ちょっと熱が出てきてだるいので近くの薬屋に行き下手な英語で訴えると、英語のわかる人が奥から出てきて漢方薬のような薬を薦めて盛んに飲めと言うのでまずサンプルとして服用し10バーツ支払いホテルに帰り様子を見ていると20分ほどたつと盛んに発汗してきたので、こりゃほんまもんだと思い改めて店に行き1ダース購入したが店の人は喜んで売ってくれた。値段にして120バーツ(360円)のものだからそんなに儲けにならないだろうに。

以上のようにタイ人はやさいしい人ばかりのように感じられた。そのことは街中にかなりの捨て犬がうろうろしていたが、犬たちもそんなに飢えた感じもないところを見ると町中の人々が餌を与えていること以外に考えられない。また人の集まるところにすずめ2〜3匹を生け捕りにし、それを竹で出来た檻にいれ10バーツ(¥30)で売っているのである。それを買った人がそれをどうすのか見ていると、その檻からすずめを空に解き放しているではないか。何故そんなことをするのか?それををすることにより功徳を積んだことになるそうである。そのことを雀たちは知っているのだろう、せまい檻の中でそんなにばたばたせずおとなしくジィーと待っている様子もけなげである。また蚊やハエに対して手で追っ払いはするが我我がするようにぱちんとたたき殺すことは無いようである。このように生き物に対しての穏やかな態度は小乗仏教精神によるところが多いのであろう。

しかしこのように優しい人々でも男女の仲ではまた別のようで、嫉妬に狂った女性の阿部定事件が多発しているようであるから浮気はことさら禁のようである。

それゆえ夜遅くまで1人で街中を散歩してもそんなに怖く感じたことはあまりなかった。

D気候がいい

特に12月から2月の間はこちらのベストシーズンだそうで、毎日良い天気が続き朝夕がちょっと肌寒い18度cぐらいで日中日向では27から8度cくらいになるようであるが木陰に入るとかなり涼しく感じるのは湿度が少ないからなのだろう。それゆえこの時期世界各地から観光客が押し寄せている感じである。もちろん日本からの夫婦連れも数多くお会いしたしそれ以上に韓国のツアー人たちも多く見受けられた。ちょうど花祭りのシーズンでもあったからかもしれないがすごい観光客であった。特にドイツなど北欧から太陽を求めての人々も多く見られた。この後3月から5月はかなり暑くなり学校の夏休みが始まるようである。また6月からは雨季に入り涼しくなるとのことである

Eチエンマイは北部タイの交通の要所

ここを中心に近隣諸国に旅をする観光客が多いようである。隣のカンボジヤのアンコールワット、ラオス、ミヤンマーへもかなり安くいけるらしい。神原さん夫婦はこのチエンマイから中国の雲南やアンコールワットの観光にいかれ大変有意義な旅をされたそうである。

今回の私のたびも3日目4日目の2日間にわたり北部タイの観光を神原夫妻と行動をともにした。

★少数山岳民族の部落や学校を訪問
★建設中の金色に輝く大寺院の参拝          

★山中の温泉湧水地の見学と入湯
★ミヤンマー国境見学D少数民族たちの大きな朝市見学などをした。

またこのツアーの2日間はチエンマイから北に車で2時間ほどのところにあるリゾート“ねぎぼうず村”に宿泊しての観光であった。

このねぎぼうず村は日本人が経営し部屋数は9室しかないこじんまりとしたリゾートホテルであるが、ここの環境は抜群によろしい。ホテルの後ろにはチエンタオ山が聳え日本で言うならば静かな軽井沢のような雰囲気である。高原の朝の清んだ自然の空気はまことに美味しいし、ベランダ式の食堂での高原のにおいの中でゆったりといただく朝食のタイ式おかゆはこれまた絶品だった。日本の新島から見えられた御夫婦はこのホテルにはまってしまい1ヶ月も滞在しておられたのもわかるような気がする。ちなみにここでの滞在費であるが朝食付1部屋夫婦2人で900バーツ(2700円)である。昼食夕食は外食でも良いし頼めばおいしいタイ料料理も作ってくれる。また日本食が恋しくなれば自炊も可であるようである。


このねぎぼうず村HPは www.negi:-thai.comである。電話001-66−5337−5210から5211である。タイ国内では05337-5210です。またここの支配人の高橋 敏氏は北タイの旅行のコーディネーターであり通訳兼運転者でこの2日間の案内役としてお世話になった。

ついでに私がチエンマイ市内のホテルの世話をしてくれた旅行会社はチエンマイ市内にあるLANVEL TOUR, Ltd 053-272453-4 
Eメール:ranvel1@loxinfo.co.th
この旅行会社は決して大きくはない現地の会社であるが、必ず日本人スタッフが常駐させているので、タイ語のわからない日本人旅行者の味方であると感じた。タイ国内はいうに及ばず周辺の国々への飛行機のチケットからホテルなど旅のすべてのことを手配してくれる会社である。

F美人の産地

旅の最後にチエンマイに関して思ったこと

わずか1週間足らずの滞在であまり詳しいことはわからないが感じたことは以下のようなことである。
気温もさることながらここの市民の観光客に対するマイルドな対応は不況下でシビアな生き方をせざるをえない日本人にとってはほっとするような感じがするのではかろうか。1度ここを訪れた人がリピータとして再度訪問することの意味がわかったような気がする。物価が安いのもそのうちの大きな魅力なのだろう。美味しいものが100円200円で食べられる社会がここにあるのである。30年ほど前の日本の物価水準の中にタイムスリップした感じであることに魅力を感じる人も多いような気がする。もちろんゴルフなどの遊びに関しても然りである。ゴルフは1ラウンド2000円から3000円ぐらいのものらしい。またインターネットカフエー(1時間150円)から日本にメールを送ることができた。

また市内の1LDKのコンドミニアムを借りても1ヶ月7000バーツ(21000円)だそうである。見学してきたのだが、私が泊まっていたホテルよりはいい施設であった。これに食費等2人で21000バーツ(1日700バーツ)を考えても合計28000バーツ(84,000円)で1ヶ月滞在可能である。それ故ここチエンマイでは夫婦2人が月10万円以内で避寒できるのである。

寒い日本でインフルエンザの流行に怯えているよりも、暖かいチエンマイで避寒するのも賢い生き方かもしれないのではないかと思った。


田中孝之記2003年2月15日(土)
2回目タイ・のチェンマイ
2回目  チエンマイ2去る10月20日から31日の約11日間チエンマイとシーサンパナの旅に1人で行ってきました。何故チエンマイなのか?をまずお話しなければ

@チエンマイは今年2月にも行きましたがまことに住み心地がよさそうだったので、再度挑戦したいと考えていたところ阪急交通からバンコック往復10日Fix¥29.800のシンガポール航空のチケットを購入できたのが行くきっかけになり、それからメールでホテル探しを始めました。
2月に行ったとき使った現地のツアー会社ランベルranvel1@loxinfo.co.thに相談すると格好のスターホテルを探してくれた。三ツ星のホテルだが1人旅はこれくらいが手ごろである。これを1泊朝食付700バーツ(¥2100)で予約出来た。このランベルの社長はタイ人だがその下に山下、野沢氏の2名の日本人スタッフが旅の相談に乗ってくれるので安心である。今回も空港の送り迎えから世話になってしまった。かようにチエンマイは安心して安く旅が出来るから好きなのです。



A真夜中であろうとも安心して歩ける町なのです。たとえ道に迷っても自分のホテルの名を告げてトクトクと言う3輪車タクシーに乗ればかなりの距離でも150円くらいでつれていってくれます。言葉が判らなくってもあまりボッタクリにはあわない町なのです。



B食べものが美味しいのです。あちらこちらに日本人がやっている日本食堂もあるし、例えばその値段はカツどん定食で120バーツ(¥360)ぐらいで味も日本のカツ丼より美味しいくらいであった。当初は日本食ばかり食って生きていたが、ぼちぼちチエンマイ食を食べてみるとこれがかなりいけるのである。値段のほうも日本食の半分以下で済むようです。

ただし量も日本食の半分ぐらいである。タイ人は見ているとお腹が空いたら食べるようである。だから日本人のように3食きちんとではなく、かなりつまみ食いする感じでそれこそ自由に食事を取っているような様子であった。だから屋台や食堂があちらこちらに数多くあるのだろうと考える。

C外国人に対してもやわらかい接し方で付き合ってくれるようである。道に迷っても言葉がわからないが親身になって教えてくれた経験は1度ならずあった。

それとバンコクなどの南の方と違い、この北タイ地方は中国の雲南にかけて山岳少数民族の巣のような所で日本人のルーツの1つではないかとも言われているようである。要するにゴールデンアングルといわれている地区である。チエンマイはその1番南端に位置した20万人口の大都市である

その所為なのか顔かたちも人情も日本の戦前戦後の面影のようなものをちらりと感じるのである。これはあくまでも私ひとりの個人的感覚であるかもしれないが、数多くの日本人老若がこの地にやって来てこの地の虜になってしまいロングステイしているのを見るにつけ私一人の個人的感覚だけでないのかもしれないと考えざるをいないような気がしてきました。

若者はここの女性の美しい容姿としつこいまでの優しさの虜になり、老人は年中続く暑いくらいの気候の中で安く快適に生活できる環境に惹かれるのだろうか?もうちょっと涼しいところをというならばこのチエンマイから北に150km行ったところにチエンライという人口2万ぐらいの町はそれこそタイのスイスといわれている気候だそうである。

ここはかなりの田舎でチエンマイからは車で3時間くらいかかるらしい。物価はチエンマイよりもかなり安い
          
写真の彼女に進められて象ツアーヘ行く
そうである。ここにはやはり日本人がかなり住み着きジャポニカ米や日本の野菜などを生産してタイ全土に出荷しているとの情報を
得ていたので行って見たかったのであるが、残念ながら今回は時間の関係でここへは行けなかった。

D今回はゴールデンアングルの南端にあるチエンマイから飛行機で中国のゴールデンアングルの北端と考えられるシーサンパンナの中心地である景洪市「Jin Hon」 に飛び観光しようと考えました。

ちょうど中国はこの10月1日よりビザなし短期観光が可能になったので出向いてみる気になったのです。

以上かなり長いプロローグになってしまいましたが日時順に書いていきたいと思います。

1日目    2003年10月20日(月)晴れ 出発からタイ到着

予定した乗継便よりも1便遅れの5時ごろチエンマイ空港に到着。空港からは約束に従いツアー会社ランベルの山下さんに電話する。タイでは初めての公衆電話利用である。1バーツコイン(¥3)でつながった。

珈琲を飲む間もなく山下さんが車で迎えにきてくれた。案内されたスターホテルはそんなに大きくもなく、ランベルから歩いて3分ほど奥まった通りにあり、日本食堂もすぐ近くにあり十分に満足する。さすがに西日で日差しが暑いので暗くなるまでクーラーを掛けて部屋で休む。

日が落ち暗くなってから散歩もかねてホテルの周り10分ぐらいの道のり歩くが、回り全体が店と屋台と人でごったがえしである。これでやっとチエンマイに来た感じになるから不思議である。一人で歩くのでポン引きの誘いもかなりある。通りは両側夜店でビッシリとひしめき合っている。その中を人々がゆったりとショッピング。店の品物を覗き込んでもそんなにしつこい売り方でないのが気に入った。

和食店に入りトンカツ定食をいただく。揚げたてのトンカツはうまいし、ご飯も味噌汁も日本で頂くものと遜色はない。それが120バーツ(¥360)だった。

2日目     2003年10月21日(火)晴れ ドリアンを試食

また私が取得したホットメールアドレスはTt5534@hotmail.comである。さっそく家にメールする。このアドレスは月1回使わないと消えてしまうそうなので留意する必要ありである。

炎天下歩いているとかなり頭が暑いので帽子を買う。格好なものが店先にぶら下がっていたので150バーツであったが値切ると130バーツ「¥390」までにしてくれた。

午後このホテルの入り口で1日ツアーを誘う女の子があり、もともとかわいい女の子に弱いので、たどたどしい英語で楽しく話しているうちに明日行く申し込みをする羽目になった。実言うと普通だと1500バーツの象のトレッキングツアーが1000バーツ(¥3000)だったので明日行く事にしたわけなのである。

午後旧市内の大きな生鮮市場に行ってみることにする。目的とするのは果物の王様といわれているドリアンなるものを試食したいがためである。ランベルの日本職員によると そこまで行かなければ今の時期みつからないだろうとの話なので、私営バスのソンテウに乗りでかける。ドリアンは雨季の6月ころから9月ごろまでの果物らしい。ひょっとすると最後のもが在るかもしれないといわれての市場行きである。

市場を探すとようやく1軒の果物屋の軒先に幸運にもそれはあった。眺めることしばし。

この果物は表皮に大きな棘があり,客が注文すると店のおっさんが大きな包丁で硬いとげのある表皮を叩き割るのである。そうするとその下から柔らかいクリーム状の白い中身が出てきて客はそれを少し口に入れ確かめて買っていた。私も1口食べてみるとちょっと匂いが鼻をつくがそんなに厭な匂いではなかった。その大きなドリアンの半分を買うことにする。60バーツ(¥180)だからチエンマイの物価からするとちょっと高い感じである。


中身のやわらかいクリーム状の中に硬い種があるが、なかなか美味しいものである。そのやわらかい中身をプラスチックの皿に入れ、ビニールの袋に入れてくれた。

ホテルに帰りゆっくり戴いたが、どろりとしたクリームのようでその甘さはなかなかいける果物である。

3日目    2 003年10月22日(水)晴れ 象のりと筏ツアー

スターホテルに朝9時ごろ今日のツアーのための車が迎えに着たのでそれに乗り出かける。

このホテルからは自分だけだった.次のノボテルホテルでは5人の仲間が乗車した。私たち6人の客をのせたくるまは北の方向に走る事約1時間余りで目的地に到着。同乗者はオーストラリヤのタスマニャ出身のNathan(24歳の青年)と後はバンコク人のWat氏と3人の若い女の子「Pim,Fann,Bud」の連れだった。

黄色く濁った谷川の速い流れの傍に其のリス族の象のセンターがあった。象30匹ぐらい居てかなり壮観である。親象も居れば其の中に可愛い生後1年からの小象などもまじっているら5歳くらいの小象たちが象使いの指示に従い谷川の水の中に浸かり鼻から水をホースから出すような芸などをしたり、広場に上がり国旗掲揚やサッカー等さまざまの芸を見せてくれたが,見ていて大きい体の象達の健気な芸に拍手はするが何か痛ましい感じをもったのは私だけだろうか?芸が終わるたびに其の象たちはサトウキビや青いバナナ1房10バーツ(¥30)のおねだりを柵の中から長い鼻を伸ばして催促してくるのである。欧州系のご婦人たちがその象たちの要望に嬉々として応えていた。

一通りの芸が終わり、其の広場の2階建ての櫓から2人づつ象の肩の辺りに木で作られた乗り物に乗る。其の前に象使いの兄ちゃんが頭の上に跨り密林の中を1時間ぐらいのトレッキングに行くわけである。10匹ぐらいの象の行進である。中には親象の後に可愛い小象が必死に歩いていく姿もあり、可愛いものである。はやい流れの谷間を渡るときなど小象は水に沈んでしまうのであるが長い鼻を水面に出して母像に遅れないように付いてきて岸辺に無事上がってきた時は思わず皆で拍手である。

この象の乗り物はあまり乗り心地の良い物ではない。私たちの乗った象は40歳ぐらいのおばさん象で若い象使いの兄ちゃんを馬鹿にしたところがあるらしく、道端や木の葉っぱを絶えずむしり取ってスナックにする。その都度象が下のほうを向くと上に乗っている私たちも下の方に投げ出されそうになるのである。その時私たちは必死に乗り物の枠にしがみ付き体を転落から守らなければならないのである。もし落下したら2階から1階に落ちるようなもので大怪我になるであろう。

やがてリス族の山の中の部落につきそこからは2頭立ての白い牛の牛車に乗せられ、ゆったりとした感じで象の観光センターに帰り着いてホットさせられた。

この観光センターで昼食を戴いたのであるが、此れは期待以上に美味しいものであり米から出来たうどんなどお代わりをしたほどであった。

食後 竹の筏で約1時間の川くだりである。黄色いにごった流れの速い急流を下るのである。道中よその象センターの象たちが水浴びしているところや水牛の群れが頭と角だけ出して休んでいるところを通過したときはビックリさせられた。しかし船頭2人が上手に筏を操ってくれたので無事目的地に到着。

そこからは朝乗ってきた車に乗り帰路をたどる。途中蘭園により綺麗に咲いた国花でもある蘭の花の観賞。ランはすべて地面に根を下ろさないようにして、空中から水分を取っているらしい。また栄養も空中から取るのだろうか。


いろいろな種類の蘭の花を観賞する。

ラン園を出てからくるまは猛スピードでチエンマイ市内に向かった。おかげさんでホテルに着いたのは予定の時間よりも1時間も早かった。これで1日3000円のツアーは終わったが略満足した。

4日目     2003年10月23日(木)晴れ  

昨日のツアーで疲れたのか朝寝する。

昼食にEYE COMへいき長谷川氏の焼き茄子定食を頂く。これはとても美味なのである。しかしながらこのタイのチエンマイに来ても日本食にこだわる自分がちょっと情けない。しかしこの店のマスター長谷川氏はこのチエンマイや近辺のアジア諸国の情報にかなり詳しい。そのことはかれのHPを覗くと納得できるはずである。彼の店にはチエンマイを訪れた旅人がかならずよっていくようである。マスターの長谷川さんは若いが奥さんをなくしてからは女の子を一人で育てる父親でもあり何か人をひきつける雰囲気のある人である。写真の左が橋口氏右が長谷川氏


またこの店でお会いし親しくなった長崎出身の橋口正一さんはホテル出身の方で50歳代からもう10数年世界のいたるところリックサックを担いで回っている人である。著書に『バックパッカー一人旅』がある。旅先でこのようなユニークな人々とお話できるのも旅の醍醐味の一つである。


午後またツアー会社ランベルに行き山下氏に会い中国景洪行きの往復の航空券を受け取り明日からの中国行きに期待がかかる。

夕食はランベル直営の旭食堂でカツ定食150バーツ(¥450)を頂くが此れも美味なり。

5日目   2003年10月24日(金)晴  

朝からパスポートを出すためセーフテイボックスのキーを探す。あしたの中国行きのためセーフテイボックスの中に入れたパスポートをなんとしても出さなければならない。キーを捜すため午前中とランクなどあらゆる持ち物をひっくりかえしてみても見つからない。諦めてフロントに紛失届けを出すと若し紛失したらぺナルテイとして3,000バーツ(¥9,000)を出しなさいとのこと。これはホテル協会で決められたことで、予備キーは一切無いからこのボックスはキーが無ければ破壊しなければならない。そのため上記の費用がかかるらしい。ならばもう一度探してみょうと心沈めて考えると枕もとのスタンドの下に挟んだ事を思い出し、ようやく出てきたのでヤレヤレである。


この件でランベルの新人の野沢君に通訳などの件でお世話になったので喫茶店でお茶をご馳走して話をする。

彼(野沢君)の話によると彼は30歳で2ヶ月前にこの会社ランベルに就職したとのこと。付き合っている彼女は彼より2歳年上であり(彼曰く最初彼女にあったときは5歳ぐらい若く見えたが、実年齢は後で知ったそうである。)チエンマイでタイの彼女と所帯を持ちたいとのこと。彼にとっては日本に居るよりこちらチエンマイの方がのびのびと生活が出来楽しいと話していた。それと好きな彼女の傍だから当然の事楽しいのだろう。チエンマイ女性は全身全霊で男性を愛してくるようである。日本でもあった女の深情けなのであろう。だから女性は当然のこと男にもそれを要求してくるのだろう。そんなのろけ話も午前中のキー探しの後では何か新鮮な感じがした。

また今日は此れまで泊まっていたスターホテルの都合で24日だけ系列のスリウォンホテルに転居させられた。此処は値段の方も1000バーツ(¥3000)以上の4星ホテルで設備、広さ、サービスは格段に違うようであるが、ホテルの都合だから当然こと差額支払いは無し。当初から慣れ親しんだスターホテルがなにか恋しい。やはり貧乏性なのであろうか?床が替わった所為か何かゆっくりと眠れないのである。1晩中起きているような感じである。

明日はまた中国雲南省のシーサンパンナのどこかのホテルであるから眠らなければと思うとなおさら眠れない。  以上


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