マルタ・シチリア通信


2017年6月9日~6月30日
神原克収

目次

1.旅の概要 2 早々のトラブル
3 マルタの歴史 4 マルタの歴史(その2)
5 マルタの印象 6 シチリアについて
7 エトナ山は活火山

1.旅の概要
 今回もロングステイクラブの仲間25人とクロアチア人のエレナさん、合計26名の旅で期間は21日間。加えて我々夫婦とMさん(女性)の3人で事前にマルタ3泊+N夫妻と我々4人で事後に南イタリア8泊、合計32日間の旅です。
 今回もマルタのホテルに現地集合でスタートした。当然のことながら航空券は各自手配。
2人分の費用は本体の21日間で721,000円+航空券140,000円(ローマ往復+現地で片道2回)=861,000円/2人。
これに事前のマルタのアパート3泊22,000円+南イタリアのアパート8泊85,000円。総合計=2人で868,000円
 全体で動く21日間の宿泊はホテルですが、個人で動くマルタ3泊と南イタリア8泊は全てアパートにしました。アパートは広さが圧倒的に広くゆっくりくつろげます。キッチンは器具も揃っているので部屋食も楽しめま。難点は朝食がついていないのと初日の鍵の受け渡しを事前に打ち合わせておく必要があるくらいで大変快適に過ごすことが出来ます。詳細は後日ご報告しますが、最近は個人旅行ではアパートでの宿泊を基本にしています。今まで何回か利用しましたが特段の支障はなく事前に想定した範囲内で十分満足しています。日本でも民泊が急速に増えているのは頷けますし、今後更に普及が加速するでしょう。
《ルート》
マルタ(4泊)~シチリア(3泊)~船中(1泊)~クロアチア(6泊)~モンテネグロ(4泊)~機中(1泊)
追加でマルタ3泊、ナポリ・ソレント(8泊)

※後日ご報告しますが、今回初めて若干のトラブルがありました。でも決定的なものではなく、
今後もAir bnbを積極的に利用するつもりです。



2 早々のトラブル
 今回は出だしから躓いた。それがケチのつき初めで全体を通して次々と小さなトラブルとは言えない齟齬が発生し、まさに「トラベルとはトラブルなり」だった。でもそれらのトラブルもその都度対応しトラブルそのものを楽しむことが出来全体としては上々の旅であった。
 最初のトラブルはトランクの未着である。関空からアシアナ航空で仁川経由ローマに飛び、マルタ航空に乗り継いでマルタに行った。
 アシアナ航空がローマに2時間近く遅れたため、ローマで荷物を受け取る暇がなく、荷物なしでマルタ航空に乗り継いだ。マルタ空港到着後荷物配達の手続きをしアパートに向かった。
 翌日は観光に出て夕方帰宅したときは当然荷物が届いていると安心していたが案に相違して未着。翌日も、さらにその翌日も届かず結局まるまる3日間荷物なしで過ごした。
 下着類は購入して凌いだが、パソコンとスマホの充電が出来ず、どちらも電池切れで使えず一切の連絡手段が断たれてしまった。
 その後クロアチア人ガイドのエレナさんと落ち合い、空港へ行ったり、ホテルで借りた電話で空港へ何回も電話したりしたが埒が明かず、結局届いたのは3日後の夜であった。
 今後の教訓として「1日分の下着類、薬、PCやスマホの電源関係は機内持ち込みにしておくべき」ということを骨の髄まで叩き込まれた。

マルタ航空機とマルタ空港
3 マルタの歴史
 マルタ共和国は人口43万人、国土は東京23区の半分くらいの小さな国である。首都ヴァレッタは海に面した部分全てが城砦に囲まれている。この城砦は聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団)が造ったものだ。この騎士団は1113年に十字軍の負傷者と病人看護の目的でエルサレムに創設されたが1291年にイスラム教徒に追われキプロス島、ロードス島などイタリア、フランス、ギリシャを転々としたのちマルタまで落ち延びた。この地で商業・貿易で基礎を築き、病院建設とともにトルコ軍に備えて強固な城砦を築いた。(資金は欧州各国からの寄付)
 1565年強大なオスマントルコ軍の3か月に及んだ大包囲戦を凌ぎ切り経済文化両面で大発展した。しかし鉄の掟を誇った騎士団も平和な時代とともに堕落し、1798年エジプト遠征途中のナポレオン軍に無抵抗で降伏し、268年に及んだマルタ騎士団支配の幕は閉じられた。その後イギリス支配が160年以上続き、1974年マルタ共和国として独立した。




4 マルタの歴史(その2)
 マルタはマルタ騎士団の拠点として有名だが世界最古の神殿が存在したことでも有名である。最古のものは紀元前3600年のジュガンティーヤ神殿、BC 3000~2400年の間に30か所以上作られたという。
 今まで最古と思われていたのはエジプトのピラミッドでBC 2500年だからそれより1000年以上も前に巨石文化があったことが確認されている。その以外ではイギリスのストーンヘンジがBC 2000年、クレタのクノッソスがBC 1700年、万里の長城はぐっと新しくBC 214年。
 5000年も前にどうやって数十トンの巨石を運び込み、積み上げていったのか、多くは今でも謎でロマンを掻き立ててくれる。
 ガイドブックには各神殿で写真のような巨大な女神が飾られていたと書いているが、今回行った3か所では1か所しか確認出来なかった。この女神は豊穣のシンボルとして崇められていたのであろう。
 



















 


5 マルタの印象
 本通信NO3でも述べたが首都ヴァレッタの海に面している部分は全て城壁で覆われている。
旧市街の街並みは美しく、どこを切り取っても絵になる。その原因の一つは屋根の色が統一されていることであろう。これはヨーロッパ全体に言える特徴である。日本も日本瓦で統一すれば素晴らしい景観になると思うが、残念ながら地震に弱いというレッテルを貼られて悪者扱いされている現状では望むべくもない。
 抜けるように澄んだ青い空、澄み切ってどこまでも青い海、縦横無尽に走り回る観光船、いつまで見ても飽きることはない。観光客が押し寄せるはずだ。旧市街を歩いていて目に就いたのが空き家の多いことである。勿論具体的な数など判るはずもないが、とにかくよく目につく。聞くところによると観光以外にこれといった産業はなく、平均月収は€1,000程度だが社会保証費は殆どが無料とのこと。にも拘わらず空き家が多いのは税制に原因があるらしい。
 富裕層はいろんな理由で海外に出るが固定資産税が無料のため、自宅などを処分せず空き家で保有したまま放置している。それらが長年蓄積し、今日のように空き家が目につく状態にまでなった、というのである。今では持ち主を特定することすら難しい状況のようだ。
 何はともあれ世界最古の巨石文化を育んだ国、マルタ騎士団が築き上げた城塞都市、整備された海岸線沿いの遊歩道等々小さい国ながら魅力いっぱいの島である。



ヨットの帆柱林立



どこまでも深い海の青、抜けるような空の青

6 シチリアについて
 今回マルタは7泊したがシチリアは僅か3泊で、シラクサ、パレルモ、ジャルディーニ・ナクソスにそれぞれ1泊で、我々の旅行スタイルからすると異例の忙しい旅となった。そのため事前に詰め込んだ知識を確認することなく、慌ただしく駆け抜けた。機会があればここだけで最低1週間は滞在したいところである。
 シチリアはBC8C~フェニキア人(500年)、BC3C~ローマ帝国(700年)、6 C~ビザンチン(東ローマ帝国)(300年)、9 C~サラセン人(イスラム)(200年)、11 Cノルマン人(200年)と比較的安定した支配が続いた。
 首都パレルモにはサラセン・ノルマン時代の栄華の跡が今も残り、当時の教会や建物群9ケ所が世界遺産に登録されている。西洋文化とイスラム文化が融合し、いま大きな財産となっている。これはノルマン王朝が前の支配者イスラム文化に破壊よりも融和の姿勢で臨んだことが大きい。
 ネットで調べると次のように記述されているが、今回はそれを実感することなくバタバタと通り過ぎた。
《世界遺産はその当時、異なる宗教をもつ異民族(イスラム、ビザンチン、ラテン、ユダヤ、ロンゴバルド、フランス)が共存を果たし繁栄したことをも証明しています。》
 近世以降は1266年アンジュー家、1442年アンゴラ家、1712年サヴォイ家、1718年ハプスブルグ家、1735年ブルボン家と1860年にイタリアに統一されるまで目まぐるしく時代が移り変わった。

大聖堂前で記念撮影(パレルモ)


パレルモの中心部にある「クアットロ・カンティ」、交差点の四隅に同様の建物がある。
下段の噴水は春夏秋冬を表す、2段目は歴代スペイン総督、一番上は町の守護聖人。(17C)



(上左)シラクサの海岸風景          (上右)卸売市場にて(パレルモ)       
(下左)ギリシャ時代の円形劇場         (下右)可愛い鼓笛隊(シラクサ)


7 エトナ山は活火山
 シチリアにあるエトナ山は3,329mの高さでヨーロッパでもっとも活発な活動を続けている活火山である。今年も3月に大規模な噴火を起している。
 今はシチリア島で有数の観光地で、車で1,900 mまで簡単に行ける。そこからロープウエイで2,500 mまで登れ、そこから3,000 mまではジープで行ける。更にガイド付きなら頂上近くまで行けるとのこと。
 エトナ山の1,900 m付近は観光客であふれている。年に10回前後噴火が起きるのに危なくないのか?マグマの流動性が高いため溶岩ドームは出来ない。また、粘度は低いが傾斜が緩いので溶岩の流れるスピードが遅いため逃げる余裕がある。そのため平気で観光客を入れているとのこと。
そうは言っても今年3月にはイギリスBBCの取材クルーが撮影中に爆発し、命からがら逃げかえっている。(直後の様子を伝えるビデオhttp://www.bbc.com/japanese/video-39300172)。
 またレストハウスのTVでで流している映像を見ていると結構被害も出ている。にも拘わらず入山規制をしないのは日本では考えられないおおらかさである。
 余談ながら今年BBCのクルーが遭難しかかったときゲレンデでスキーを楽しんでいる人の映像がネットに出ている。信じられない光景ではある。
 日本は事故が起きると役所や管理者の責任は厳しく問われるが、よほどのことが無い限り自己責任を問われることはない。一方欧米ではある程度の規制はするが「それ以上は自己責任でどうぞ」というのが基本的な考え方のようだ。欧米方式に全面的に賛同は出来ないが、日本も「自己責任」という概念は持ち込んだ方が良いと思うが如何でしょうか?
 
雄大なエトナ山、1900mのレストハウス(写真左奥)近辺のクレーターは散策出来る

 
1983年の爆発時の写真

 
 
溶岩に圧し潰された

   
溶岩のすぐそばでスキーを楽しむ人




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