台湾はバス網が発達しているので大抵の所はバスで行ける。日本統治時代に整備した在来線は今でも便利で大いに活躍している。
今回近距離線に数回乗った。概ね日本の在来線と同じ感覚である。
・運航は概ね時刻表通りで正確。遅れる場合は「〇分遅れ」と表示されていた。
但し、日本のように「遅れましたことをお詫び致します」というしつこいほどのアナウンスは流れない。
・乗客は眠る、新聞を読む、お喋りをする、景色を見ている等々日本の乗客風景とほぼ同じ。但し日本のようにケイタイメールに夢中の乗客は殆どいない。
・車内アナウンスは到着駅の案内くらいで日本のように「忘れ物するな」「ドアから手を離せ」「前の方から順序良く降りろ」などの小うるさい放送は無い。
・女性専用車両は見かけなかったが、「朝晩女性優先車」という表示がしてある車両があった。それも窓にガムテープで貼っているので、テスト運用かも。
・65才以上は国鉄でも新幹線も含めて半額になる。過去10回程度乗ったが全て半額。但し今回半額を拒否された、曰く「外国人はダメ」。昨年も新幹線で拒否された人がいたが、とうとうこちらにも順番が回ってきたか?
でもそのあたりの職員への徹底はどうなってんの?
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雰囲気はJRそのもの |
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たまには検札もある |
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朝晩の女性優先車両の表示(ガムテープで貼ってある) |
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車内の乗客 |
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優先座席や「ドアに注意」の表示も日本と良く似ている |
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「成功駅」という名前が良いのでこの駅の切符は人気があるとか |
振英会館近くに住むYさんに誘われて、今年新しく建てた台中市政府(市役所)に行った。驚いたのは日本に勝るとも劣らない役人天国振りである。
① 職員用の大食堂が2か所、昼の定食は182円(外部の人も入れるが値段は210円)。勿論アラカルトもあり、安い!
② 職員専用のフィットネス。職員数も多いので機器の数も半端ではない。卓球台も2台あった。
③ 執務室も綺麗で明るい。新築だから当然か。また眺めも抜群に良い。
④ 当然のことながら授乳室はある。また、台湾でもDVは問題で「家庭暴力及性侵害防治センター」という部署もある。
以上はどこにでもある話だが、以下は案内してくれたYさんの話の受け売り。
⑤ 役人の退職金は最近下がったらしいが、それでも民間より遥かに高い。その内半分を預け年金として受け取る。凄いのは預けた金に18%の金利が付くこと。因みに民間の定期預金は1.5%前後。
⑥ 別の台湾人の話
・役人は退職後現役時の給料(少なくとも10万円以上)より10%程度高い金額を毎月年金として終身で受け取る。
(退職金の半分を18%で回すと、このような結果になるのだろう)
・因みに軍人恩給は4万円/月程度、農民の年金は1.5万円/月程度らしい。
日本でも役人天国は社会問題化しつつあるが、台湾では日本より遥かに問題が深刻なようだ
威容を誇る台中市役所(台中市政府) |
上層階から下を見る(1階ホールの新デザインファッション展が見える) |
明るくきれいな執務室 |
ガラス張りで眺めは抜群 |
広いフィットネスルーム |
職員食堂(同じ規模のものが2つある) |
ファッション新デザイン展 |
空気エンジンの試作車を展示している |
台中近郊の新社というところでミニ花博をやっていた。12月11日までだが、終了後一週間は花が残っていると聞いて14日に出掛けた。台中駅から在来線で豊原駅下車、バスを乗り継いで行く。
豊原駅からバスに乗り、運転手に花博までの行き方を訊いた。運転手は「花博は終わった、花はもうない」と伝えたかったのだが、言葉が通じず電話で日本語の解る人を探して出して電話口に呼び出し、電話を替ってくれて事情が理解できた。ここに至るまでには数人の手を煩わせ、何回もあちこちに電話しながら我々を助けてくれた。感激も感激!台湾の人たちの暖かさが身に染みた。
「花はもうない」と理解できたのは「東勢」という町で、仕方がないのでこの町を散策することにした。露店商店街散策の楽しいこと!楽しいこと!
食べ歩きをしながら次々と買い、結果として買い出しツアとなった次第。物価の安さは写真でご覧あれ。なお、帰りは東勢から台中までバスで移動。1時間乗って78円(我々老人は39円)、ここでも感激!(乗り物は特に安い)
ガバ(青い3ケ)190円,バナナ2房135円,蜜棗(青い6ケ)110円
台湾みかん135円,エノキ茸 325円,剝き栗135円
パパイア(大きい2ケ)135円,レンブ(赤い7ケ)80円 合計1,245円
ガバ、蜜棗、レンブは共に仄かな甘みの果物、野菜と言っても良いくらい。
どれも美味しく私の好物。(価格は1元=2.7円で計算)
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会話は日本語又は筆談
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懐かしのヘチマ
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美味しそうな焼き芋、ついつい「一つ頂戴」
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つまみ食いが何とも言えず楽しい
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こんな光景も、鶏1羽100元(270円)
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台湾第二の都市高雄でサイクリングを楽しんだ。サイクリングの途中ある女性に道を訊ねた。
日本語で道を教えてくれ、しばし日本の話で盛り上がった。聞くとある大学の助教授とのこと。
そして「これからどこへ行きたいか?私は授業があるので行けないが、良ければ私の教え子に案内させる」との有難い提案。暫くすると「授業はキャンセルしたので、私が車で案内する」とのこと。
結局教え子の可愛い大学院生と2人で案内して貰うことになった。市内・郊外の日本時代の名残を中心に昼食・夕食を挟んで案内してもらい、ホテルに送って貰ったのは夜9時であった。
途中道を訊いただけの人がここまで親切にしてくれることも驚きだが、誘われて何の疑いもなく付いて行くこちらの無警戒も考えてみれば相当なもの。台湾以外の国でこのような時にホイホイと付いて行くことは絶対にない。親切の裏に「何かある」と警戒するのは海外旅行をする際の基本的な心掛け。台湾ではその警戒心が欠片も起きないのが不思議だ。
良く整備されたサイクリングロード
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快適なサイクリング
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案内してくれた助教授と大学院生
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高雄郊外「旗山」に残る日本家屋
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同じく旗山に残る日本統治時代の小学校
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日本統治時代の小学校の写真
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① 食事を注文する際日本人はちょうど食べ切れる量を目途に注文するが、台湾では食べ切れない量を注文する。
若者はいざ知らず我々世代は食べ残しには少々罪悪感がある。逆に台湾では食べ切ってしまうと同席者に
「ひもじい思いをさせて失礼」と感じるらしい。
日本では残った料理を持ち帰ることには少々抵抗感があるし、店によっては食中毒を心配して「持ち帰りお断り」
の場合もある。台湾では持ち帰りは当たり前で、お店も常に持ち帰りを前提に準備している。
② 中華料理のように大皿の料理を皆で食べ合う場合、日本では当然取り皿が用意される。台湾では「取り皿」の
概念はないようで、要求しても湯呑かお椀を持ってくる。
③ 日本では子供料金は通常大人の半分だが、老人割引は無い場合が多い。台湾では年寄は料金的に優遇されるが
子供は大人扱いが多い。
・乗り物は通常65才以上は半額だが、子供は大人扱いが多い。
・美術館や博物館では65才以上は半額、70才以上は無料が一般的だが、子供割引は2~3割程度が多い。
日本人は食べ切るが台湾人は残して持ち帰る
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九族文化村というテーマパーク
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小学生2年生の孫より65才以上の老人の方が安い
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101ビル展望台の老人割引は僅か7.5%のみ
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新幹線は65歳以上半額、6歳未満無料、6歳以上は大人扱い
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明けましておめでとうございます。
今年もどうぞ宜しくお願い致します。
今年の新年は台湾(台北)で101ビルのカウントダウン花火で迎えました。
その映像をスライドショウにしましたので、ご覧ください。 神原克收
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先ほどお送りしたスライドショウは中川廣次さん撮影の静止画をお借りして作成したものです。
今回お送りするのは私が撮影した動画です。合わせてお楽しみ下さい。 神原克收
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④前回台湾では「取り皿の習慣がない」と述べた。ではどうするのか?
お茶碗にご飯を入れ、その上に各種の料理を乗せて食べる。取り皿を要求すると皿をくれる場合と小さなお茶碗をくれる場合がある。
⑤台湾では各種料理が1テーブルに一皿ずつ出てくる。日本ではお酒を飲むのが一般的なので、焼きそばとか焼き飯などは最後に出てくる。
台湾では基本的にはお酒は飲まないので、焼き飯や焼きそばなどが最初に出てきて面食らうことがある。
⑥台湾では食事の際お酒を飲まない場合が多い。所謂「レストラン」ではビールを置いているが、食堂や屋台では基本的にアルコールを置いていない。
但し、コンビニなどで買って持ち込むのは問題ない。持ち込みも認めないマレーシアなどイスラム教国よりはやり易い。
この辺りの事情はチェンマイでもほぼ同じ。
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鍋でも基本的には取り皿はない
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こんな店でもアルコールはなし、コンビニで買ってきたビールを飲んでいる
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12品出た料理の一番先に出されたのは焼き飯、ここではビールが出た
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⑦台湾は暖かい国だが、冬は寒い日も多くダウンジャケットなど本格的な冬装束の人も多い。しかしバス、列車、タクシーなど冬でも例外なく冷房している。バスなど「寒いから冷房を切ってくれ」と頼んでも聞いてくれないそうだ。理由は聞いてもはっきりしないが、一説には「冷たい空気=新鮮な空気」と思い込んでいる人が多いためという。ホンマかいな?
⑧日本の信号は車道側が赤で歩道側が青。台湾では逆に歩道側が赤。
日本は基本的には信号は赤、黄、青の3つ。その下に右折などの矢印が付いている。台湾では横一列で4つないし5つ付いている。
⑨台湾で床屋(美容院)に行った。カットと洗髪で800円弱。剃りも頼んだが剃りはないところが多いらしい。実に丁寧で、首などを入念に揉んでくれ実に気持ち良い。洗髪も頭のマッサージも入れながら入念にしてくれ、いつまでも洗髪台に乗っていたい気分だ。
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日本ほど寒くはないが現地人は本格的な冬装束
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それでも乗り物では冷房(新幹線車内風景)、暖房の概念はない
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日本では見られない信号
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台湾の美容院兼床屋
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入念に首揉み、超気持ちいい
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人生初の入院体験を台湾ですることになった。病気と言うほどでもないが、左半身に微弱な痺れが2日ほど続いたので、脳梗塞の可能性無きにしもあらずということで、病院体験を兼ねて病院へ行った。
投宿している振英会館のZ支配人、日本語通訳Y嬢と一緒に台中最大の中国医薬大学附属病院に行った。一般病棟へ行くと時間が掛かるので、少々高いが緊急重症病棟へ。簡単な問診の後点滴を開始した。手際よく血液検査始めもろもろの検査やCT検査を済ませた。病院到着からここまで1時間半、実に速い。
30分くらい経過して検査結果を見ながら「CT検査の結果異状は見つからなかったが、脳に小さな異常がある可能性があるので、3日間入院して精密検査と脳梗塞の予防措置をしてはどうか」と提案があった。その時は痺れも薄らいでいたので入院する必要は全く感じなかったが、将来の安心と台湾の医療事情を体験するのも悪くはないか、と入院することにした。
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待ち時間を短くするため救急重症病棟へ
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救急重症病棟の受付
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即刻採血し点滴開始
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点滴しながらCT検査室へ、病人らしい雰囲気出てるなぁ
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CT検査開始
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入院病棟は緊急重病患者病棟という物々しい病棟である。部屋代は一日当たり4人部屋5,700円、2人部屋12,000円、個室17,000円である。
どうせ保険でカバー出来るので個室でも良かったのだが、「体験」という意味からすると4人部屋に魅力を感じ、4人部屋を選択した。
部屋はカーテンで4室に仕切られ、洗面所、トイレ、シャワーは室内にある。自室部分にはベッド、収納ボックス、テーブルとソファ兼簡易ベッドがあり、付添はここで寝泊まりする。
血液検査、検便、検尿は入院初日の朝済ませ、以後検温、検眼、血圧チェックは一日に3~4回は来る。点滴は病院に来てから入院3日目の16:00迄49時間、合計4袋を点滴。その間トイレに行くときも館内を移動するときも常に点滴台を携行する。
最初は不便であったがすぐに慣れ、それほどの苦にはならない。
ただ、その間下半身の着換は出来るが上半身の着換が出来ず、また、シャワーも浴びられないのは少々苦痛。
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病室風景
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深夜の4人部屋
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何処へ行くのも点滴がお供
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病人でもないのに見舞いに、左から振英会館日本語スタッフYさん、
支配人Zさん、愛妻、同行のNさん
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主治医は劉さんという40代後半の医師である。毎日夕方病室に来てその日の検査結果報告と所見、明日の検査予定など時間を掛けて説明してくれる。会話は英語だが専門用語が多いので主として筆談になる。
主治医以外に副主治医の女性医師が時々来る。その際学生が7~8人付いてくる場合がある。将来の医者の卵であろう。
看護師は3交代制で8-16時、16-24時、24-8時で交代する。交代すると写真のように名前を表示する。
看護婦は特定していないようだが、誰も親切で感じは良い。ただ、日本人と比べるとやることは少々大雑把な感じはするが、どの子もフレンドリィで明るい。言葉が日本語は勿論英語も通じない子が多いが、ルーチンワーが主なのでボディランゲージでそれほど困ることもない。
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主治医のR先生
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副主治医
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看護婦さん(血糖値検査)
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看護師は3交代制
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主治医のR先生から日本語の本が届けられた(健康百科は良く解る)
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台湾はサイクリング道路の整備が進んでいる。馬英九総統は台湾を自転車で一周出来る全長1,500Kmの自転車道を作ると宣言している。今回高雄と集集でサイクリングを楽しんだ。高雄の例をご紹介しよう。
地下鉄の駅など45ヵ所に自転車の無人レンタルステーションがあり、クレジットカードで決済出来る。返却はどのレンタルステーションでも可能で誠に便利。
高雄では20Km程の2つのサイクリングコースが整備されていて、途中いくつかの観光スポットをカバーしている。市内を流れる愛河沿いのルートを走ったが随所によく整備された公園もあり爽やかさは満点。
最後に自転車を返却するときに精算機の不調で少々手こずった。どうしても返却手続きが完了出来ず困ったが、前回ご報告した親切な大学助教授と大学院生が管理会社に電話で話をしてくれ、事なきを得た。でも彼女たちがいなかったらどうなったのだろう?誰かが助け船を出してくれるとは思うが…。
因みに料金は最初の1時間は無料、以後30分ごとに27円である。帰国後チェックしたら正確にカードから引き落とされていた。
サイクリングの様子はスライドショウでどうぞ。
http://www.go2album.com/showAlbum/807969
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台湾は戦後日本に代り蒋介石が統治した。台湾には蒋介石の本名「中正」の名を冠し顕彰した施設や建物、通りの名前など無数にある。台北の中正記念堂はその代表的な存在である。
蒋介石が台湾でしたことは二二八事件(*1)とその後の白色テロによる大量虐殺、37年間に亘る戒厳令、汚職の蔓延等台湾にとってはマイナス面ばかり。にも拘らず「中世」の名前や銅像が至る所にある。不思議に思って台湾の友人数人(いづれも本省人(*2))に聞いてみたら、次の返事が返ってきた。
国民党政府(外省人が中心)が続いたので変革は遅々として進まなかったが、最近では地方の省・県レベルで「中正」の名前が消えつつあるし、銅像撤去も少しだが進んでいるとのこと。
台湾の民主化は1996年に実施された初の総統選挙で李登輝総統が誕生してからで、まだ15年しか経っていない。今後次第に「中正」の名前が消えて行くことは間違いなさそうだが、白色テロなど蒋介石時代の恐怖が完全に消えるにはまだ10年か20年は掛かるのだろう。
(*1)1947年2月27日台北市で闇タバコを販売していた本省人女性に官憲が暴行を加え、
翌2月28日本省人の抗議デモに憲兵隊が発砲し抗議運動は全土に拡がった。その後
国民党政府は大陸から軍隊を呼び徹底的に武力弾圧し大量虐殺に発展した事件。
(*2)1945年に日本が撤退する以前から台湾に住んでいた人、その後に蒋介石と共に大陸から来た人は「外省人」と呼び区別している。
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広大な公園の中に中正記念堂はある
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中正記念堂内部、銅像は勿論蒋介石
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記念堂から正門方向を臨む、建物は国家音楽院と国家戯劇院
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広場では元旦に総統府前広場で行う陸海空三軍合同閲兵式のリハーサル中であった
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「中正路」は全国各地にある
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台北駅近くに広大な二二八公園があり、公園内には記念碑や記念館がある
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台湾の通りの名前を見ていると中国や北朝鮮(行ったことはないのだが)にいるような違和感がある。
国父と崇められる孫文(孫中山)に因んだ「中山路」が全国各地にあるのは分かる。しかし蒋介石の本名に因んだ「中正路」も中山路とおなじくらいある。それ以外にも自由、自立、自治、向上、復興、振興、公益、建国、進化、民権、成功、忠孝、信義、愛国、和平など、どこかの国のスローガン的な通りの名称が目白押しである。
中国や北朝鮮、ミャンマー、中東諸国等の一党独裁国家、軍事政権国家なら分からぬでもないが、れっきとした民主国家台湾でこうした名称が使われているのは異様である。これは蒋介石の強権政治時代の残滓に違いはないが、民主国家に生れ変って17年経ってもなおこれらの名前が残っている。蒋介石時代に受けた白色テロやその後の強権政治から受けた台湾の人々の心の傷の深さを垣間見るような思いだ。
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4人部屋なので決して静かな環境ではない。朝夕の食事時や定時検査、診断、処置の時などは結構賑やかだ。また、救急重病患者棟なので、重篤な患者も2人いて処置時の呻き声や吸引作業等の騒音も結構目立つ。しかし病院だからそれも当然で気にもならない。
夕方から夜に掛けては家族と思しき人が見舞いに訪れ、周囲への遠慮なく大声で話をする。仕事の関係か深夜にやって来る親族らしき人の大声会話には少々閉口。深夜1時頃が1回、深夜2時頃が1回あったが、誰も文句ひとつ言わない。病室の材質は床がタイル、壁は漆喰、天井が板状で吸音するものが何もないので、話し声はもろに聞こえる。それでも言葉の意味が解らないので、余り気にはならない。
同室の内2人には付添が付いている。見た感じでは親族ではなく、多分フィリピンかインドネシアからの出稼ぎ家政婦であろう。家政婦同志は時々会話を交わしているし、患者の背中のマッサージ(タッピング)も同じ方法で多分同国人ではないかと思う。
これらの騒音は日本であれば相当気になると思うが、ここに入院していると殆ど気にはならない。これも興味本位での入院のせいであろう。本当の病気で入院した場合でもこれほど冷静でいられるか少々心配だ。
常日頃から血糖値がやや高いので、食事は糖尿病患者用の食事を選択した。
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朝食
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昼食、意外に美味しい
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夕食、運動しないので量的にもちょうど良い
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病室にはハンガーを引っ掛ける場所が全くなく、トイレにこんな光景が出現
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入院3泊し、4日目の朝10時過ぎ退院、精算を済ませて病院を出たのが11時過ぎ。この日は振英会館の支配人と日本語スタッフYさんが付きっ切りで世話をしてくれた。こちらは病気とも何とも思ってなく、興味に惹かれての入院なので何とも言えず面映ゆい。でも台湾の病院事情を肌で感じることが出来、且つ各種検査の結果自分の健康にも自信が持てて、実に有意義な入院体験であった。
全般的な感想としては台湾で病気をしても大都市ならそれほど心配する必要はない(地方では病院に行った経験がないので何とも言えないが)。ただ、言葉の壁には留意が必要だろう。今回は宿泊しているコンドに通訳がいたが、台湾には日本語の出来る人は沢山いるので、他の外国よりはハードルは低いだろう。
全て合わせて支払額は次の通り。(換算は1元=2.7円)
これらの費用はビザゴールドカード付帯の保険でカバーする。現在申請中だが問題なく全額補填してくれそう(但し、診断書代は補填対象外)。それだけではなく帰国後60日間(90日だったか?)日本での治療費もカバーしてくれる。
総額
92,500円
診療費 7,100円
検査費 25,600円
放射線診療費 34,900円
入院部屋代3泊 14,000円
食事代3日分 1,500円
薬代(26日分) 3,600円
その他 5,800円
「その他」費用は何かと訊いたら、例えは悪いがクラブや高級レストランのカバーチャージのような性格もので救急重病棟に入院すると必ず要る費用らしい。
以上
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病室からの眺め
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入院費精算所(職員は全員クリスマスモード)
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1階ロビーではピアノの自動演奏
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地下1階には和食もある
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1階にはスタバも
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清明上河図は中国北宋(960-1127年)時代の都「開封」の殷賑を描いた画巻である。
タテ24cm、長さ5mの中に当時の市民生活が克明に描かれていて、登場人物は773人で宋代の風俗を知る上で一級の資料である。
上海万博の目玉企画としてこれをデジタル処理しタテ6.5mヨコ128mのスクリーンに映し、人物や乗り物等をアニメ化して動きを加えた。更に昼夜両方の表現も加え、大好評を博した。
上海万博終了後各地で展示されていて、運よく台中で見る機会に恵まれた。
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原本の拡大複製図
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複製図
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複製図は延々と続く
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映像上映の模様
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年末27日に中山記念堂へ行ったらそこの広場で元旦に総統府前で実施される三軍合同閲兵式のリハーサルをしていた。その様子をビデオに収めたのでご覧下さい。http://youtu.be/67zq5QecPJ8
この中に出てくる子供は軍のある幹部の子息とのことだが真偽は不明。それにしても何故子供が出るのか理由はハッキリしない。
元旦の様子はTVニュースで報道された。リハでの子供は自信なさそうに盛んに後ろを見ていたが、本番では後を見ることもなく、堂々たる演技であった。しかしカメラは閲兵式全体ではなく、子供の演技に集中して三軍の兵士の影が薄く、折角の見事な演技も形無しで気の毒この上ない。マスコミのいびつな姿勢は日本だけではないということか。
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練習風景
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先進国の仲間入りを果たした台湾は勿論車社会だ。しかしバイクも結構多い。普及率は1.8人に1台(日本は10人に1台)。
バイクと言ってもスクーターが主力である。駐車場は結構整備されていて、駅前のバイク置き場など壮観である。
バイクは数が多いだけでなく、運転マナーも決してよくない。人が横断歩道で渡っていても決して停まろうとはしないので、
青信号でも油断できない。車のマナーもバイクほどではないが、決して褒められたものではない。
バイクの数が多く、且つ無謀な運転をするので当然事故も多発する。街を歩いていると殆ど毎日事故を目撃する。
台湾のバイクは汚い。何故掃除をしないか?答えは綺麗にすると盗難に遭う確率が高くなるから、とのこと。ほんまかいな?
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バイク置き場は壮観
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整然と置かれているところが多い
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道路も駐車場、ヘルメット着用率は高い
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事故も多い
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台湾中部に集集線という人気ローカル線がある。台湾鉄道本線「二水駅」から「車?駅」まで6駅30Kmの短い支線である。
この支線が人気を集めている理由は台湾屈指の観光地「日月潭」へのアクセスルートであるということと、日本統治時代の
駅舎などが残っていて大変ノスタルジックな雰囲気が味わえるということである。
この線は日本時代に日月潭の豊富な水量に目を付け水力発電所を建設した際、その建設資材輸送のために敷設された。
役目を終えて暫くは荒廃していたが、昨今の観光ブームに乗り再び脚光を浴びている。駅舎などは日本建築そのもので現在
も使われていて、日本のローカル線より日本的な情緒が味わえる。
台中滞在中に一日集集線で遊んできた。その時の様子は動画でどうぞ。
http://www.go2album.com/showAlbum/784219
台湾では日本統治時代の遺構が貴重な観光資源になってと強く感じた。
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車?駅プラットホーム
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車?駅駅舎
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集集駅駅舎
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車?駅近くの観光案内所
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馬英九総統の進めた中国との融和策の結果、中国人観光客が急増した。特に台北ではどこへ行っても大陸からの中国人が溢れている。
台北で泊まったホテルではチェックインの際「朝食時間はなるべく遅くしてくれ」と言われた。理由は「朝イチは中国人の団体が食事するので煩いから」とのこと。
朝は空き具合を偵察に行き、空いているのを確認して食事に出向いた。
それでも彼らとぶつかることもあり、そんな時の賑やかなこと!煩いこと!バイキングでの食べ残しも平気だし、椅子を後ろに引いて食べるので、彼らの後ろは通れないことが多い。席を立つときも椅子を前に寄せることはまずしない。
台湾人に聞くと皆顔を顰めるが、しかし経済的には中国人抜きでは考えられず、実に痛し痒しのようである。
日本人も昭和30年代には「農協さん」と言って世界の嫌われ者であったが、経済発展と共にお行儀良しになった。
中国人も経済発展と共にそうなるかと言えば、多分期待外れになる公算大と思う。
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彼らの後ろは通れない。左の2つのテーブルは彼らの食べ残し
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台北のフードコート、中国人観光客は団体行動でこうした場所には余りいない
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台北の士林屋台、ここでも中国人団体には遭わなかった
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日本人と台湾人の宗教心を比較すると遥かに台湾人が熱心である。お寺に行くと一心不乱に拝んでいる人が多い。日本人のように賽銭をあげて簡単に拝んでお終い、とはわけが違う。
台湾の内政統計年報2009年版には宗教人口が次のように記されている。
道教79万人(9,200施設)、キリスト教56万人(3,300施設)、仏教17万人(2,300施設)と圧倒的に道教が多い。
日本のお寺はどんな田舎に行ってもある。台湾でも事情は同じで日本よりは多い感じがする。しかも日本のお寺は閑散としていて、維持費不足が垣間見えるが、台湾のお寺はお参りする人も多く、どこもしっかり維持出来ているように見受けられる。地元の人の話では商売人が商売繁盛を願い、利益が出たらビックリするくらい多額のお礼(寄付)をするとのこと。
お賽銭も日本人は硬貨が多いが、台湾人は100元札(270円:日本の感覚では800円くらいか)が多いようだ。やはりコインで(500円ならまだしも、100円や10円で)ご利益を期待するのは厚かましいということ!
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お祈りに熱が籠る(龍山寺)、線香の煙で辺りはもうもう
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龍山寺にて
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読んでいるのは般若心経
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媽祖宮のお祭り
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お祭りということもあり、境内は歩くのも大変な混みよう
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花蓮と言えば太魯閣渓谷があまりにも有名。 太魯閣渓谷を含む太魯閣国家公園は南北38Km、東西41Km、92,000haと広大。公園内には海抜0mから3,700mの山まであり、全山大理石で出来ているとのこと。以前は道路整備がされてなく、結構危険を伴う観光であったが、現在では多くのトンネルも整備され安全に観光出来る。その分渓谷の迫力は以前ほど感じない。
台湾は100万年前には島そのものが存在せず、その後フィリピン海プレートとユーラシアンプレートが衝突して出来た。現在でも0.5cm/年隆起を続けていて、小さな地震は毎日発生している。そのお陰で清水断崖のように海岸から数百mの絶壁が聳え立つ絶景ポイントがいくつもある。
花蓮の街では大理石がふんだんに使われていて、日本のように「高級品」としての扱いはない。単なる石に過ぎないのだろう。
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観光ルートは整備されスリル感は余りない
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海と山が接近し、絶景の連続
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おまけ
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ホテルの椅子も大理石、でも冬は冷たい!
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街中では大理石が無造作に使われている、歩道も石が結構多い
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台湾通信(2011)を見た友人の大阪府在住S氏から添付のエッセーを頂いた。
会社OB会の会報に投稿されたものですが、内容が素晴らしいのでS氏了解の上皆さんにお送りします。
少々長いですが、お付き合い頂く値打は十分あると思いますので、是非ご一読下さい。 神原克收
「随想」台湾シンパの独り言・・・台湾を知れば日本が分かる 2009.3月
北新地のバーの親父に「蔡焜燦」なる李登輝に近い面白い人が来るから出ておいでと誘われ、著書「台湾人と日本精神」
(小学館文庫)を紹介され、本を読んで出かけた。
青春時代を日本人として成長した蔡さんは母国語のように日本語を話し、日本人よりよほど日本人としての教養が豊かだ。
台湾で日本精神といえば勤勉、正直、時間を守るといった美風を意味し、台湾人が今も大切にする日本統治時代の道徳であり、
戦後日本に替わって台湾に乗り込んで支配した蒋介石の中国人にはこれがなかった。
この著作はそんな素晴らしい文化を持つ日本人はもっと胸を張って元気を出せというエールでもある。
自分は親日家というより愛日家だと自称するほど日本を愛してやまない蔡さんが、司馬遼太郎の「台湾紀行」(朝日文庫)の
現地取材案内役を買って出て、以来司馬との家族付き合いが始まり、二人のやり取りがどちらの著書にも多く語られ、
それぞれがほのぼのとして快い。
台湾紀行では「老台北(ラオタイペイ)」という司馬がつけたニックネームで登場するが、蔡は先端企業の会長であり、
台湾を代表する文化人であり、「李登輝友の会」会長でもある。後にバーの常連で台湾に押しかけ大歓迎を受けた。
心情は旧日本軍人で、台湾総統の李登輝は当然閣下であり、司馬には敬礼で相対する。
3人とも敗戦前の日本軍に召集されたり応召したりして軍隊経験を持ち、蔡からすれば士官候補生の二人はともに上官なのである。
司馬は李登輝に数度面会して、肝胆相照らすというか、丁々発止の最高の教養人同士の対談を行っている。
李登輝を知るには、評判になった著書「武士道解題」(小学館)がいい。台湾の近代化・産業育成にも貢献した新渡戸稲造の
「武士道」の解説書だが、単なる解説に終わらず、新渡戸稲造の人間像あるいは李登輝自身をも大いに語っている。
真理を求めて哲学書に明け暮れた青春時代の姿からは戦前の日本の教育レベルの高さが推量される。
自分が今日あるのは戦前の日本の教育に負うところが大きいというこの人の言葉に思わず目頭が熱くなる。
台湾の国父と呼ばれる人がこんなに素晴らしい著書を日本語で書いたのがすごい。
もっとも台湾では、李登輝の演説は北京語ならせいぜい10分、台湾語なら30分、日本語なら1時間でも終わらないといった笑話を聞かされた。
戦後の「民主」教育で日本のよき精神を見失いがちな今日、それを台湾の地であたかもタイムカプセルに閉じ込めたように保存する世代の代表
としての李登輝、蔡焜燦であり、それにほれ込んだ日本人の良心司馬遼太郎だと思う。
台湾を知ることが日本を知ることに直結する素晴らしい3作品である。
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日本では自転車事故の急増でその必要性が叫ばれている自転車用レーンだが、設置は遅々として進まない。
馬英九総統は台湾を自転車で一周出来る全長1,500Kmの自転車道を作ると宣言している。その政策に沿い着々と整備が進んでいる。大都市の鉄道や地下鉄駅前には無人レンタルステーションが設置され、地方の町の駅前にはレンタサイクル店があり、自転車レーン整備に呼応している。
台中市や台北郊外で見た光景だが、自転車専用高架道路があり、日曜日と言うこともあって次々と自転車を楽しむ人たちが通り過ぎて行った。
最近の日本での自転車事故急増対策は、人々のマナー啓蒙と同時にこうした施設整備も車の両輪として進めたいものだ。でも政治ごっこに現を抜かす連中にこんな発想は出てこないのだろう。橋下ガンバレ!
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駅前に設置されている無人レンタルステーション
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地方の町の駅前にはレンタサイクル店(南投県)
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進む自転車専用道整備(高雄)
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自転車専用横断橋(台中)
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標識も良く整備されている(淡水)
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休憩場所も確保されている(淡水)
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台湾はウーロン茶の本場である。日本人が日本茶を愛する以上に台湾人はウーロン茶を愛しているように感じる。
台湾人のお宅に招かれると殆ど例外なくウーロン茶がでてくる。それも結構こだわりの茶葉を使っている場合が多い。
街中でお茶を飲ませる店が沢山あるが、そこのメニューを見ていると何十種類ものお茶が表示されていて、我々には何を飲めば良いのかサッパリ判らない。
数は多くはないが高級茶店もある。台中に「無為草堂」という高級茶店に昼食を兼ねて行って見た。素晴らしい雰囲気でお茶だけ楽しむ人も多い。
昼食後お茶を振る舞われるが、店の担当者が来てお茶の入れ方を指導してくれる。お茶はピンからキリまであり、適当なものを選んで買い残ったお茶は持ち帰る。
雰囲気は日本のお茶席と似ているが台湾の方が気楽に楽しめ肩が凝らない。
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街中でお茶を売っている店、メニューは80種類くらいある。メニューが百種類を超えている店もある。
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無為草堂の入口
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庭園は「無為」で手入れはしない主義
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店員のお点前
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早速孫もお点前
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孫はお茶より鯉の餌やりの方が楽しい
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台湾はどこの街でも「夜市」とか「観光夜市」と呼ばれる大きな屋台街がある。日本では屋台と言うと不衛生というイメージが付きまとうが、台湾では万全とは言えないまでも不衛生という印象は全くない。
台北の有名な士林夜市などは飲食屋台を一つの大きなビルに集めて衛生状態の向上を図るなど、衛生面でも改善が進んでいる。もっとも殆どの食べ物は火を通すので、それほど心配する必要はないのではあるが……。
夜市には夫々に特徴がありどこへ行っても大変な人出だ。こうした店々を冷やかしながら食べ歩くのが何より楽しく、これで十分夕食になる。
夜市は食べ物だけでなく、衣類や雑貨などありとあらゆる物を売っていて、ちょっとしたお土産探しも楽しい。
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六合国際夜市(高雄)
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美味しそう!
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何でもその場で調理してくれる
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逢甲夜市(台中)
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ビルに集約された士林国際夜市の食べ物屋台(台北)
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士林国際夜市
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NO6、9、10に続いて「台湾風その4」をお届けします。
⑩台湾では食事の際「割り勘」は一般的ではない。基本的には誘った人又はメンバーの中で一番お金持ちの人が全額出す。但し最近では若い人の間で割り勘が浸透しているようだ。
チェンマイでも事情は同じで、当初は我々の割り勘風景を奇異な目で見ていたが、最近では慣れてきたのか気にも留めない感じ。
⑪日本では会合で食事を始める前に乾杯をする。食事開始の合図みたいなものである。しかし台湾ではこうした風習はないようだ。勿論「乾杯」の習慣はあるが、それは宴がある程度進んでから文字通り「杯を乾す」ための乾杯であり、食事開始の合図ではない。では食事は何時始めるか?席について食事が出てきたら、他のテーブルに関係なく即食事開始OKである。
⑫日本でも宴会場にカラオケ設備がある場合がある。カラオケはある程度宴が盛り上がってから始める。台湾では食事開始前にカラオケを始める人もいて面食らった。でも台湾の人たちは一向に気に留める風でもない。
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ある人に誘われて行った食事会、右端の人の奢りらしい
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学生たちは勿論割り勘、お互いにビールを注ぎ合って楽しい交流のひと時を過ごした
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この同窓会グループも割り勘かな?
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料理が出てきたテーブルから勝手に食事開始
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食事前にいきなりカラオケ、少々面食らった
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台湾も日本に負けず劣らず高齢化社会である。どこの街へ行っても老人会と思しき人たちと遭遇する。
花蓮で朝散歩に出掛けたら、お寺の横の集会所で賑やかな音が聞こえてきた。興味本位で近付いてみるとお年寄りたちがカラオケを楽しんでいる。立って聴いていると呼び込まれてお茶やお菓子の接待を受けた。更に「歌え」と勧められ遠慮したが、旅の日本人が覗いてよく歌っていくそうだ。ここでは火曜日と土曜日は日本の歌だけに制限しているとのこと。
聞けば毎日6時半からラジオ体操とダンスをし、7時半からカラオケを楽しみ、9時前に流れ解散という。ざっと2~30人ほどが集まっていただろうか。
そこからホテルへの帰り道に別の健康体操グループに出会い、ここでも参加するよう促されたが、時間の関係でお断りしホテルへ急いだ。また、橋の下の広場ではダンスサークルの人達が熱心に踊っていた。台湾のお年寄りは前向きに毎日をエンジョイしている。
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今カラオケの真っ最中
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歌い手は2人ずつ舞台に上がり、途切れることがない
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茶菓の接待を受けた。老女は老人会会長とのこと。
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健康体操グループ
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橋の下ではダンスに余念がない
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前回報告した実験農場の主催者Sさんから「友人と一緒に食事しよう」と誘われた。友人というのは実験農場のサポーターの一人で中堅企業のオーナー社長Lさん。彼は無類の釣好きで、週一回休みの度に釣りに出掛けるとのこと。釣果も結構あるのだが、奥さんが大の魚嫌いらしく釣った魚は友人に配って歩いているとのこと。
Lさんの事務所に着き、暫くその会社のショウルームを見学していたら、Lさんが魚や包丁を持って現れ、「さぁ、食べよう」と言って事務所内の応接セットで事前に用意した魚のブロックをカットし始めた。ジャケットを着たまま器用に裁いて振る舞ってくれた。脂がのり実に美味しい。魚の名前は聞いたが忘れた。
その後は豪快な煮魚がでてきたが、料理は刺身と煮魚の2品だけであっさりしたもの。大いに話が盛り上がり3時間くらいお邪魔して引き揚げたが、こうした飾らない心の籠った食事会はこちらも遠慮がなく実に楽しい。大いに見習いたいものだ。
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器用な包丁使いのLさん
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これが台湾流、ワサビも豪快だがそれほど辛くない
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台湾産のタマリも結構いける
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木の実だが味噌味がして実に美味しいが、日本にはないと思う。
使い方は次の写真で
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魚の上にのっているのが味噌味の木の実
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このお喋りタイムが楽しい
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台湾には日本ほどではないが多くの温泉があり、温泉を楽しむ文化がある。我々も毎年どこかの温泉に入っていて、今回も2ヶ所の温泉を楽しんだ。
台湾流は水着着用のヨーロッパ式と水着無用の日本式の両方がある。温泉場によっては両方を供用しているところもある。設備は日本と比べると大いに見劣りするが、チェンマイなどと比べると「温泉」らしい雰囲気は十分味わえる。
どこの温泉場でも温泉付ホテルがあり、日帰り入浴が楽しめる。料金もリーズナブルなものは500円以内、中クラスで1,000円前後、高級なら2,500円くらいと様々。台湾の人たちは回数券を購入して楽しんでいる人も多いと聞く。
温泉文化が定着したのはやはり日本統治時代の影響が大きいのだろう。
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台北近郊の温泉街
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台北近郊の温泉
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台中近郊の温泉
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台中近郊「日光温泉」
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関子嶺温泉(2009年)
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