旅行記フォーマット

小林 泰輔


プロローグ

吐喝喇(トカラ)この言葉に、そして日本語らしからぬ文字に対面したのは今をさる50数年前だった。そしてその横には海底火山よりオドロ、オドロした噴煙が空高くに舞い上がる白黒の写真が一葉、添えられて其れは多分日本から遥か離れた赤道直下の名も知らぬ最果ての地のことかと思いながら忘れられない強烈な印象を受けた事をおぼえている。
其の後、彼の地が九州鹿児島と奄美大島との間に並ぶ 口之永良部島、口之島、中之島、平島、諏訪之瀬島、悪石島の火山列島と宝島、小宝島のサンゴ礁、その他、臥蛇島など幾つかの無人島と判り総称して鹿児島県十島村と呼ばれている。島民も少なく島には港湾設備も無くて週一便程度の連絡船が運ぶ生活物資に頼り荒天の日は沖に停泊する連絡船に小舟で乗り移る危険極まりない生活の島々と知ったが、行きたくてもやはりそこは遥か遠い外国の感がある処だった。
その後、日がたち零細企業で働く身には有給休暇など雲の上の話、独立したら尚更に休日は取る事ができず何時かあきらめの心境になっていた。幾星霜、、、やっと待ちに待った毎日サンデーの日が来た。
昨年より今年にかけて新聞紙上に桜島の噴火のニュースが眼に付き、もしやと思いつつ諏訪之瀬島を調べると盛んに噴火をしている。火山に興味のある わたい(私)の事、先ず船の便を調べる事から始めるが、昔は鉄道時刻表に載っていたがいつの頃からか載っておらず八方手を尽くして調べた処、十島村営の”フェリーとしま”が週2回月、金曜のPM11時50分に鹿児島港を出港して翌日1日をかけて各島々の物資、乗客を積み下ろしながらその夜は子宝島又は奄美名瀬に碇泊、翌日に昨日と逆に島々に寄りながらPM8時30分に鹿児島へ帰港するローテーションと判明、今回は薩摩硫黄島にも寄りたいので諏訪之瀬島には上陸したその日に強行軍ではあるが御岳(火口)に登り翌日の帰り船(2日居たければ最低4泊5日になる、荒天で欠航になれば今の欧州旅行のように帰国日不明)で鹿児島にもどることにした。
民宿は3軒あり島民は35〜6人とのこと、当然、商店などは無く3食は民宿に依存しなければならない!
このような島に来る観光客は余り無いのだろうから多分いつでも空室があり三顧の礼で迎えてくれるであろうと多寡を食って3月に入り週刊天気予報の晴れの日が続く上旬の日を選んで電話を入れることにした。
まず一軒目、午前、午後にしても留守、夜にするとやっと女性が出て ”いついつの日の予約をひとりお願いしたいのですが?、、 しばし無言、そして次の言葉にわたしめ思わず腰を抜かしかけたので御座いますよ。”あんた!何しに来るの? 其れがお客さまに云う言葉か〜、、、と思いつつ ”火山を見ようかと思いまして、、、しばし無言、、火山なら桜島を見たらいいじゃない〜、”桜島は観光化して、人も多くて疲れるので、、、、ふウ〜ん、、、でも今は満室で駄目だよ、、、えええっ、、、、わたくしめビックリしました。まさかこのような(諏訪之瀬の人、差別セクハラでごめんなさい)島で満室だからと断られるとは、、、”いつなら空いていますか? 3月一杯は駄目だよ、、、4月は、、、分からないよ4月にならないと〜 そうですか有難うございました。わたしゃ〜中国に行っているのかと錯覚しましたがな〜、でも最後の言葉で救われました。”満室でごめんね!
翌日、気をとりなおして2軒目に電話、ここも昼間いなくて夜に男性が出てきて予約を聴くと、ななな・・・んとここも満室と断られる始末、んんん、、、言葉が出ない。色々訪ねて見るとやっと意味がわかった。3月は公共工事の予算決算月で港湾、ライフラインの3月末までの締め切り工事で各島はその作業員で満室であり民宿は観光客よりも1年を通じて作業員の宿泊率が高く、朝仕事に出ると夕方帰るまで帰らないので自分たちの仕事(牧畜、漁業、公共工事の手伝い)で留守の多いのも理解した。
しかし、そんな事に感心ばかりしていられない。
翌日の夜、最後の民宿に両頬にパシッと気合をいれて電話をする。男性が出る、3月にひとり予約をしたいのですが、、、案の定返る言葉は満室です。くっそう、、それでは3月30日は空いてませんか?しばし無言、、、観光ですか?、、、母ちゃんと相談するから後でして、、、”わたい、1時間くらいしたらですか?、、5分くらい、、、わたい???
暫くして ”先ほどの予約の件ですが、、主人、27日に宿泊者全員が鹿児島に帰るんだけど〜、、、28日から暫く休むんだけど〜、、、観光でひとりですね〜、、”わたしゃ〜元商売人、ピ〜ンと感じましたね、多分民宿の親爺さん3月は休みなしで忙しかったので暫く宿泊作業員もこないので休みたいし、他人数の観光客なら商売気も出るけれど一人だけだと逆に面倒な雰囲気が電話ながらピンピンと伝わってくるんですな、、、、ここで引き下がっては4月1,2,3日と硫黄島の仮予約(3月は満室だった)がキャンセルになり永年の夢がいつ叶うかもわからなくなる。わたしゃ〜電話の前でペコペコと何度も米つきバッタの如く頭を下げましたがな〜、遂にわたいの誠意が通じたのか、はたまた大阪商人の強引さに根負けしたのか ”それなら来てください、、、わたしゃ〜有難うございます、、、と深々と一礼して予約をしていただきました。電話を切ってふと気がついた。三顧の礼で迎えてもらうつもりが、わたいが三顧の礼をして予約をしていただいた事を、、、、、さあ〜行くぞ〜

3月29日 諏訪瀬島へ出発

3月29日早朝の鳳駅を年金生活者らしく在来線各駅停車で12回の乗り継ぎをして鹿児島中央駅に22時38分到着、わたくしめ流石に尻の感覚が痺れてきました。早速タクシーで鹿児島港南埠頭に”フェリーとしま”は人気のない無い埠頭に碇泊中、なかなか頼もしい船、聞けば1400トンでトカラの島々の生活を支えている為、少々の荒天にも欠航せずとの事、昔の働くわたくしめを暫し想像しておりました。これより永年の諏訪之瀬島へ行くかと思えば、わたくしめ自ずからテンション上がりっぱなし、船の記念写真や明日の朝食の餌の確保に駆けずりまわっておりました。一人離島に赴任する先生の同僚の見送りの中としまは漆黒の錦江湾に出港を始めた。
深夜にも関わらずこんなにも同僚が見送りに来るとはこれも地方人の熱い人情か、、、わたくしめ近頃、年のせいかとんと感情がすぐ高まり涙もろくなりましたがな〜
桜島に見送られ船内に戻り中国式に我的愛人、又は太太(家内)におやすみコールをと携帯出して見ればいまだ錦江湾を航行中にも関わらずソフトバンクのバカ携帯は早や圏外の表示をしめし通信不能、隣のお兄ちゃんは盛んに電話中、聞けばソフトバンクは子供のオモチャ、島ではドコモしか通話出来ないとの事、それでは今日より3日間は太太の声を聴くことが出来ないではないか、、、、わたくしめ、安心してお寝みに陥りました。グーグー、、、、、
3月29日 深夜の桜島

3月29日 吐喝の朝

 ボオー大きな汽笛の音に、わたくしめ眼が覚めてデッキに出てみますれば ”としま”は口之島を跡に中之島へ航海中、”天気晴朗なれど波高し皇国の興廃この一戦にあり各員一層奮励努力せよ”風波が非常に強いデッキで吹かれながら、わたくしめ思わず三笠の船上に立つ秋山真之少佐の気持ちになりましたがな〜、おりしも口之島の横より朝日が昇りまたまた ”敷島の大和心とひと問わば朝日に映写う桜花かな”
今日は諏訪之瀬島の御岳火口に登る為、わたくしめ気が高ぶっているようですがな〜 次の寄港地中之島が近ずいて見える。

3月30日AM7時10分 中之島寄港

中之島港に船が接岸して行くその風景を見て、わたくしめ何かの光景に似ているなと考えていましたが思い出しましたがな〜、松本清張の題名は忘れましたが、八丈ヶ島へ流人船の接岸の描写です。
”流人船が八丈富士のそびえる島に近ずきホラ貝(汽笛)をボオーと鳴らすと島影の尾根道(道路)を人々の列(車の列)が駆け下りてきて砂浜(埠頭)に草履(車)を並べる。島送りの流人(乗客)たちが下船して各々その草履を履く(車に乗る)すなわち履いた草履(車)の持ち主の庄屋(民宿)が引き取り主なのだ。まったく似た光景ですがな〜。心なしか車に乗り込む船客の肩がすぼめているように、わたくしめ感じましたナ〜、、、、
待ち受ける車の列 奄美の海はきれいですな〜

30日AM9時15分 あこがれの諏訪之瀬島

うわ〜永年、恋い焦がれた諏訪之瀬島が見えてきましたがな〜、昔の美人と金持ちは屁のつっぱりにもならんと言われているけれど思い描いた島だった。難を言えば曇っているのと風が凄まじい、まあ〜欲は云うまい、嫌いな雨が降らないだけましと思わねばナ〜、今日中にあの火口まで登るかと思えばハードボイルド作家(?)の小説によく描写される”アドレナリンが喉で匂ってくるじゃあ〜りませんか”わたくしめ、只今、興奮の極致です!
火口は今は小康状態

30日AM9時50分 諏訪之瀬島 切り石港接岸

それにしても風波が凄まじい。わたくしめ、こんなに激しい海の航海は初めて、楽しいです! 船や飛行機は少しぐらいは揺れたほうが刺激があっておもしろいですな〜。
此の島の住人は僅か35〜6人で民宿は3軒、あのわたくしめの腰を抜けさせんとした民宿の女将さんも宿泊客と1週間分の生鮮食品を受け取りに来ていることだろう、(欠航に備えて各家には何処も大型冷凍庫(民宿は)特に大型)を備えている)今までの港で感じたのだけど船の接岸、離岸の折の港湾作業(舫いロープの脱着、コンテナーの積み下ろし等)に男たちがてきぱきと機便に働いているがこの村営汽船は大赤字の航路、専従の職員が居るわけもなく聴けばこの作業は各島民の義務だそうで、わたくしめ納得しました。
船が胴震いしている この小さな一歩はわたくしめにとって大きな一歩(何処かで聴いたな?)この日の下船客はわたくしめ一人でした

諏訪瀬民宿

埠頭でウロウロさ迷っていると”小林さん、ヘルメット姿の中年おじさんが近寄りちょっと待ってて、と言ってトシマの離岸作業現場に戻って行った。船が出港すると暫くして9人乗りのワンボックスに乗って来た。これに乗って助手席を指示した。はあ〜ありがとうございます、わたくしめ、いまだに予約の後遺症が抜けて居ないのか又もや三顧の礼でペコペコ、、、、走りながら今日は私だけですか? あ〜そうだよ、、、お世話になります。おもわず又もやペコリ、、、10分ばかりで民宿に着く。
途中、人一人にも会わない。入り口道路際に一台のドリンク自販機があるのを見る。これがネットに載っていた島内唯一台の自販機か、わたくしめ思わず有難くなって自販機バックに記念写真をパチリ、、、
部屋に案内されると主人なにも云わず出て行った。お茶でも出してくれるのかと暫く待つ物音ひとつしない。時計を見ると間もなく11時になり山に登る時間もなくなるので台所に ごめんと声をかけても返事が無いのでとりあえずやかんに冷えたお茶があるので持参のペットボトルに入れて登山ように持って出た、、、

いよいよ御岳に登山

表にでても行き交う人もおらず、島民35〜6人の島で山へ入るのはわたくしめだけなので念の為に小さな現場事務所かと見間違う諏訪之瀬島役場出張所に届けに事務所に入るが誰もおらず中はおよそ足の踏み場もない位雑然とがらくたが置かれ、僅かに入り口のカウンターが役場の面目を保っている模様、、、多分正式の職員はおらず島民の区長が委託されているのだろう。取りあえずメモに登山の旨を書いて置く。。。

島の施設

35〜6人の少人数の島に完全舗装道路がやまの中腹の牧場までひかれている。(母牛に子供を産ませて乳離れする7〜8ヶ月まで育てオスは去勢して鹿児島でセリにかかり各地に行き肉牛として売られて行く
船で運ばれるので荒天の日は牛が船酔いして元気がないと買いたたかれることもあるとぼやいていた)
集会所 診療所(現在無医師)

御岳登り

6合目の雑木林が終わり見通うしがよくなるが今度は風がつよくなりだして尾根に出ると風のさえぎる物がないやっと山頂を見るも一山下るのは情けないトホホホ・・・・

旧火口口に着く

旧火口まで来たが風は突風になり30〜40mか!こんな凄い風は経験がない、何しろ油断をして吹き飛ばされたが最後、紙きれのようにヒラヒラと海上まで宇宙飛行士の無重力を体験できること保障いたします。
火口は泥水が溜まって池のようで深さは100m弱か!中央下の台地上は諏訪瀬飛行場の滑走路、以前ヤマハが金持ち相手の一大リゾート地を目論見、ホテルを建設したが中止となりホテルも取り壊して跡地があるばかり滑走路は時折工事の資材運びにヘリが離着陸している。海上霞んで見える島は中之島

御岳に最後の挑戦

時間もPM2時過ぎになり最後の尾根にアタックを試みる、上に見る火口からは午前より噴煙が活発になり黒い噴煙が盛んに登り始めた、多分火口内では小規模の噴火が起こって居る筈、早く覗いて見たいと気は急くが溶岩のガレ場は登山路が無いのと同じ、わたくしめいささか疲れてきたがな〜

撤退

もう火口壁は眼の上に見えているが最後の斜面のコースが違うらしい、気象庁の火山係員や個人でも登っている人は結構おられるから何処かに道はあるのだがな〜、それにしても風は相変わらず強い。
登っても火口は今以上に強風があるから一人だし戻るか!残念。今度は戻るコースが怪しくなり上がったり下がったり何とか旧火口に戻ると看板があった。わたくしめは片目をふさいで登ったらしい〜、、、、

下山中のパニック
7合目辺りのひざ丈のシダ草のなかのかすかな痕跡の道をジグザグに下っていたのですが、いつの間にかコースから出てしまい気が付くとシダ草が膝上を超える長さに伸びて来ており戻るのも面倒だし見れば眼下に目的のガレ場がすぐ近くの気がして一気に直線に突きって行こうとしたのが間違いのもと、あれよ〜あれよとおもっているうちにシダ草が首まで伸びてきて動けば動くほど身体に絡みついて蛇に巻かれたねずみのように動くほど体力消耗、陽は山影に落ち時間も4時半ごろになっており、わたくしめ恥ずかしながらしばしパニックになりましたがな〜、、、暫くしてから冷たいお茶を飲んで冷静になりゆっくり身体を動かすと少しシダ草が緩んで進むので山で迷ったら先ず元の場所へ戻れ、ゆっくりと登り始め元の膝下丈の場所に来てかすかな痕跡をたどって下山中、見覚えのあるツツジの木があり其れからは順調に夕飯の6時に間に合った、一時は明るい間に帰れず迷惑を掛けるのではと本気で思いましたがna〜,,,,
登る場所に赤い毛糸を付けて置く
(画面中央の草むら)
助けてくれたツツジ

3月31日 離島
10時35分の昨日の戻り船で鹿児島へ帰る。汽笛が鳴って島影からトシマが迎えに来た。今日も波が荒い  マグロが3本早くも転がっている。

薩摩硫黄島 4月1日
薩摩硫黄島、今でも火口より噴煙を吐く活火山表からの顔は到底人の住める顔ではないが裏へ廻れば緑豊かな野生の孔雀が飛ぶ癒しの島である。
今回は 4/1〜4/4まで硫黄岳に登山してゆっくり温泉に浸る旅を楽しもう、、、
竹島、黒島、硫黄島、三島を総称して三島村となりトカラと同じく村営汽船フェリーみしまが鹿児島南埠頭より隔日で運航している

船上
父親の転勤で学友との別れ

硫黄島だ
今日も風波が高い虹が出る 火口の噴煙が雲になる

硫黄島の風景
横から見る 裏の村落

入港
わき出る温泉で染まっている

港内風景
恋人岬から全景

硫黄岳登山
6合目から見る。むかしの硫黄採掘時の運搬道路を登るが廃道になって至る処で崩壊して落石が危ない。 崩壊が激しい
至る処に噴気が出ている 採掘に使われたユンボが打ち捨てられている。哀れ!
頂上付近 谷あいの道を集落から登って来た!
登って来た道を見る

孔雀
野生化した孔雀、人の姿を見ると素早く藪の中に逃げるので姿を隠して摂る 牛には平気

東温泉
この露天風呂は天下一品 半日貸し切りであった

安徳天皇
壇ノ浦で亡くなった安徳天皇はここ硫黄島で76歳で崩御された。 安徳天皇の黒木御在所跡も再建された

坂元温泉
ここは干潮の時でないと入湯が出来ない満潮の時はプールになる、お湯は柔らかで良い。

僧俊寛の望郷の顔
望郷の希望を断たれ断食死した俊寛

ふろく
硫黄島の帰り山陽新幹線の日本一近接走行(300km)2mで撮影出来るマル秘場所にて撮影したN700系のぞみ

終わり
間もなく無くなる餘部鉄橋


昨年12月に入会された小林泰輔さんですが、さっそく旅行記を投稿下さいました。旅行記を書かれたのは初めてとのことで苦心惨憺されたご様子ですが、個性的な素朴なタッチで書かれたように感じ共鳴をおぼえます。ご苦労様でございました。LSCがなくならない限り、このページは永遠に残ります。小林様にはよい記念になったのではないでしょうか。(アップ担当 正木伸治)

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