トルコでの出会い
                       2008年5月17日〜6月1日        松木 勉/和子
これまでやってきた個人旅行の楽しみは沢山あって、行きたい場所や移動手段といった旅の各パーツを組合わせたりまたバラバラにしたりと計画段階から楽しめるというのその一つだが、逆にまた苦労も伴うものでその最たるものが荷物は原則自分で運ばねばならないということだろうか。 特に我家では奥さんが列車やホテルで荷物を運び上げようとすると日頃の「オラオラ、掃除の邪魔やからどいてどいて!」と掃除機をガラガラ引っ張り回しているあの元気はどこに行ったんやと思うくらい、か弱い「姫」になってしまって「箸より重いものは持てまへん」となってくる。 こっちも負けたらあかんと「殿」になって「良きに計らえ」とやりたいのだが、「姫」「殿」といっても所詮は二人だけの「名ばかり殿」で良きに計らってくれる「ご家老」も居なければ「助さん格さん」も居ないからやはり日頃の力関係の通り「殿」が負けてしまって重たい荷物を運ぶことになる。 急にか弱くなる理由を聞くと「水平移動は得意だけど垂直に物を動かすことは苦手」とのこと。 それはこっちも同じなんやけどね。

それにまた我々が何時も泊るような安ホテルにはエレベーターなんて無くて急な階段、それも「何でこんな所にこんな階段を?」と思うような狭い螺旋階段があったりして、それを3階や4階に上がらないといけない場合もあって、奥さんの分まで2つの重い荷物を尺取虫のように大汗かいて1階また半階づつ運び上げまた運び下ろしたことも一再ならずありました。
たまたま昨年2月に初めてチュニジアへのツアーに参加して荷物運びから開放されることがこんなに楽なことかとツアーの手軽さに目覚め、原則として@言葉の通じにくそうな国 A内陸の移動手段があまり便利ではなさそうな国についてはツアー旅行もいいかなと考えるようになった
そのチュニジア旅行で一緒に回っていた人の多くから「トルコは面白かったよ」という話を聞いたので、前から東ローマ帝国、オスマントルコ、その前はヒッタイトなど歴史のある国、パムッカレ、カッパドキアの奇観など自然豊かな国、またブルーモスク、アヤソフィア、トプカプ宮殿等々見たいものが一杯ある国として何時は行ってみたいと考えていた。 ただ、日本から直行でも11〜12時間かかるだけに折角行くからには少しでも長いツアーにしたいと思っていた処、某交通社の「専用バスで巡る西トルコ16日間のツアー」というのを見つけ早速申込んで、5月17日から23名の団体で出発した。

さすがに16日間という長いツアーだけに現役の方は休みが取り難いからか年配の人が多く最高齢は80歳の元気な男性だった。
ツアー5日目、トルコ第三の都市イズミールのホテルで夕食を食べていたら見知らぬトルコ人の女性が我々の所にやって来た。それがベヌ・エケさんとの初対面となったのだが、話を聞いてみると「お母さんが膝のリューマチが悪くて温泉療養にイスタンブールから妹と三人で来ているのだが、あなたが夕食前にロビーでやっていたエキササイズを教えて欲しい」と言う。
最初は事情が飲み込めなかったが思い当たったのが夕食までの待ち時間に私が習っている自彊術という健康体操でやる顔のマッサージを何気なくやっているのを見ていたらしい。 後で聞いた話では彼女は仕事で香港に行ったこともあってその時に知った「太極拳」とか「気功」に興味を持っていて、私が両手をすり合わせて「気」を出して(私の場合は単に掌を温める程度だが)顔こすりをやっているのを見てそれを教えてもらいたくてやって来たみたい。
食事もそこそこに彼女のテーブルに行ったらお母さんも妹も居て「さあ、さっきのマッサージをもう一度見せて下さい」と言うので、レストランの真ん中での実演となった。 時間は8時を回ってお客さんも少なくなったとはいうものの「何をやっているの?」と通りすがりに見ていく人もいて、でもベヌさんは気にする様子もなく紙とボールペンを出して、私の説明を絵も入れて書き留めながら「何回やればいいの? 何故左からやるの? ポイント(ツボ)は何処? 手を上下に動かす時はどちらに動かす時に力を入れるの?」とこちらが説明に窮するような鋭い質問をする。

お陰でこっちは大汗をかいたが一応顔こすりの説明は終了
次に「お母さんが膝が悪いのだけど何か良いマッサージはありませんか」ということになって、家内が「足揉み」を教えてあげたら「何だか脚の痛みも軽くなったみたい」と嬉しいことを言ってくれる。 ベヌさんも「リューマチに効くというのでここの温泉に来たりイギリス製の魚の肝臓で作った油を塗ったりしているのだけどあまり効かないみたい」と言ったら、妹も「その油の臭いがひどくて私達は閉口しているのだけど猫だけは喜んでいて、近所の猫まで集まってくるの」と姉妹二人してガハハッと豪快に笑っていた。

その豪快な妹は仕事でコンピューターを使っているので「肩こりがひどくて」というので万歳の要領で手を上げ下げする「手振り」を教えてあげたんだけど、腕が曲がっていて伸びない、揃わない、耳まで上がらないと見事なほど出来ないのです。
仕方ないから「まあ兎に角仕事の合間に腕を振ったり肩を動かしたりしなさい」とアドバイスしておいた。
後は雑談となって我々が持っていた孫達の写真を出したら、お母さんが老眼鏡をかけ直してじぃーっと写真を見ている。 何かを感じたベヌさんが「トルコの女性は割合い早婚なんだけど私達がなかなか結婚しないものだからおかあさんがやきもきして『どうして早く孫の顔をみせてくれないの』と言って怒るの」と横目でお母さんを見ながら言っていた。何処でも母親の気持ちは同じです。

ツアーの最後はイスタンブールに戻ると言ったら「家が旧市街にあるから是非遊びに来て」と誘われたが、自由時間も短く他の予定も考えていたので残念ながらこのお誘いはお断りせざるを得なかった。

ツアー自体も楽しいものだったが、ベヌさん一家との出会いで一層思い出深いものとなった。 今後出来ればパソコンの得意なベヌさんとスカイプを使ってリアルタイムで体操を教え合えるようにでもなればと願っている。

次は出会いとも言えない、出合いがしらみたいなものなのですが・・・・・

トルコのハマムというのをご存じですか。 昔は日本の「トルコ風呂」の語源になったとか言われていますが、本家のものは健全な?蒸し風呂なのです。 その仕組みは部屋の真ん中に大理石で出来た台があって、それが下からボイラーか何かで温められていてその上に裸で寝っころがるとポカポカして気持ちが良い。 そこで三助さんに垢すりやマッサージなどをしてもらうと更に気持ちよくなる・・・という仕組み。
今回アンタルヤという都市で泊った時、ホテルのハマムが無料で使える(垢すりやマッサージをしなければタダ)というので早速奥さんと二人で行って温かい台の上で「ああ、ええ気持ちやなあ」と転がっていた。 因みに私は裸にバスタオル、奥さんは水着を着てバスタオルを巻いた状態だった。
そしたらドアが開いて腰に赤い布を巻いただけの兄ちゃんが二人入ってきて、何かを洗うので「この場所を譲ってくれ」という。 仕方なく奥さん共々横の長椅子に座ったら、またドアが開いて今度は中年のぷにょぷにょの白人夫婦がすっぽんぽんの状態で堂々と入ってきた。 「わっ!」と思ったけどどうしようもないので二人して固まっていたらその二人が台の上にごろんと転がって兄ちゃん達が二人に石鹸をまぶして洗い始めた。 どうも予約をしていたお客夫婦が垢すりに入ってきたみたい。 暫くは見るような見ないような視線を漂わせていたが、泡だらけの太っちょ夫婦を見ていても仕方ないのに気づいてこれも唖然としている奥さんに「サウナに行こ」と早々にハマムを出て隣のサウナに移った。
サウナに入ったら二組の白人夫婦が居て、一組の方の奥さんは水着を着ているが、上の段に座っている夫婦はどうやらすっぽんぽんみたいだけど部屋も蒸気で薄暗いし「まあええわ」と我々は下の段に並んで座っていた。
暫くして汗もしみ出してきた頃、上の段のすっぽんぽん組のダンナが「炉の石に水を掛けてくれ」と言ったんだが、どうも炉に一番近い我々に頼んでいるみたい。 それでうちの奥さんが立って行って「水は何処かな?」とうろうろしていたら「す組」の奥さんの方がそのまんまの状態でタッタッタと下りてきた。 うちの奥さんも漸く水の桶を見つけて柄杓を掴んだところだったんだけど、「す組」の奥さんが「はいっ」という感じで桶をを持ち上げてくれたので「持ち役」「掛け役」の共同作業と相成って、熱した石に4−5杯水を掛け終わってお互い「サンキュー」で元の場所に戻った。 

数分後「す組」の二人は「じゃあ、良い一日を!」とか言ってバスタオルを抱えてすっぽんぽんのまま出て行った。
後で奥さんに聞いたら「同じ女性でもやっぱり目のやり場がなくて、でも恥ずかしそうにしてもおかしいし、どうしたらええか困ったわ」とのことでした。
やはりヨーロッパ系の人はサウナなんかでは裸でいるということ、それを他人に見られるということにはあまり抵抗が無いようです。 でも日本では大きな風呂には皆一緒に裸で入るけど、外人さんはこれに慣れるまで裸で入るのを恥ずかしがるとか聞きます。 これはやっぱり習慣の違いで「裸で平気な場所が違う」ということなんでしょうか。これもまたトルコで初めての経験でした。
因みにハマムにはこのように男女共同のものもあれば男女別に分かれているのもあって、分かれている場合は女性には大抵女性の垢すりのおばさんが付くそうです。

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