悠遊世界一人旅 おばちゃんバックパッカーが行く

岡崎 祐子

シリーズアーカイブス : 中東編「中東の真実に接して」 ・ 東欧編「私のコンサー  トツアー」 ・アフリカ編「チュニジア」 ・ アフリカ編「モロッコ」

キューバ編
「カストロのキューバ、見たまま、聞いたまま、感じたまま」

2006年1月4日〜13日 10日間

訪問都市 : ハバナ    サンチャゴ・デ・クーパ    トリニダー

目   次(クリックで開きます)
1.プロローグ「カストロのキューバ」     2.キューバの様々な顔  
    3.キューバの旅       4.キューバへの入国 
    5.キューバのホテル   6.キューバのプライベートルーム
    7.一般国民の生活    8.キューバは治安のいい国?
    9.キューバ人と酒と音楽    10.カストロの革命
   11.キューバのいい所 12.エピローグ「キューバの今後は」
1.プロローグ「カストロのキューバ」
 2006年1月4日から13日までの10日間、キューバに行ってきた。以前からカストロという絶大なカリスマ性のある人物が治め、アメリカにも非常に近い位置にある社会主義国キューバにとても興味を持っていた。
 ソ連崩壊後、ロシアや旧ソ連圏の国々にも興味を持ち、殆どの国を旅したが、8年前に行ったときは総じて人々はとても素朴で親切で、もう日本では失われてしまった良さがいっぱい残っており感動したが、その反面官僚主義はまだまだはびこっており、旅行者にとってはとても不便で腹の立つことも多かった。
 そして3年前の2度目の旧ソ連圏への旅では、国によって発展の度合いが随分違っており、チェコ、ポーランド、スロヴェニアなどは他のヨーロッパ諸国と変わらないほど経済面も社会の機能性も発展していたのに比べ、ルーマニア、ブルガリア、ウクライナ、ハンガリー、そしてスロヴェニア以外の旧ユーゴスラビアなどは大きく差を開けられてしまっていた。
 社会主義体制からいち早く切り替えて経済発展した国はユーロにも加わり今後も発展してゆくだろうが、今年ユーロに加盟した国の中でもいまだに社会主義の弊害を引きずっているように思われる国もあった。
 このような国際情勢の中で一貫して社会主義路線を歩んでいるキューバはどんな国なのだろう。殆ど内情が伝わってこないだけに、この目で直接見てみたかった。
 また中南米の国々がどんどん左傾化している昨今、キューバと中南米諸国とアメリカがどのような状態になって行くのか今後の情勢も含めてカストロが健在な現在のキューバをぜひ見ておきたかった。
 去年の夏カストロが病に倒れ、政権の表舞台に立つことが出来なくなり、生死までさまざまな憶測が飛び交ったが、かろうじてぎりぎりにカストロが健在な間のキューバを見ることが出来、胸をなでおろす思いだった。
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2.キューバの様々な顔
 キューバという国ほど見る角度によって様々な印象を与える国はないのではないかと思う。キューバに行く目的によってまったく違った面を見せてくれるようだ。
 まず、カリブ海のコバルトブルーの海に憧れて、海岸のリゾート地に行った人は美しいホテルが立ち並ぶカリブ海を眺めつつ、様々なマリンスポーツに興じ、楽しい思い出を作ることが出来るだろう。またキューバの音楽やサルサなどのダンスに興味を持っている人は、キューバ人の底抜けの明るさにふれ、音楽やダンスに酔いしれ、これまた最高に楽しい思い出となったことだろう。
 しかし、私は女性の一人旅である故、リゾートに1人で行ってもつまらないし、音楽やダンスの夜遊びは危険なので、一切しなかったし、そもそも行った目的がキューバの人達の暮らしぶりを見ることだったので、全て町中を歩き回ることに終始した。
 だから、この旅行記は様々な顔を持つキューバの一面であり、たった10日間の旅で、こんな文章を書くのは、おこがましいのだがスペイン語も出来ない私が五感で感じた印象を綴ったものであり間違った箇所もあるかも知れない事をお断りして置く。
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3.キューバの旅
メキシコ、グアテマラを旅した途中での昨年の1月4日から13日までの10日間の旅だった。一つの国を旅するには随分短い期間だったが、観光客が個人的に旅するには、かなり交通の便も制限される事や、女性の一人旅でスペイン語も出来ないことを考慮して、主な3都市に絞ることにした。
行程は
1月4日 メキシコのカンクンより首都ハバナ着
1月8日 空路で東端のキューバ第二の都市サンチャゴ・デ・クーパへ
1月10日 バスでキューバ中部の世界遺産の町トリニダーへ
1月12日 バスでハバナに戻り
1月13日 ハバナよりメキシコのカンクンへ
というものだった。
 ハバナはキューバの首都で政府機関や革命に関する建造物が集中しており、中心部は整備されているが、一歩旧市街や民間人の住宅街に入るとまったく違った様相を見せた。
 サンチャゴ・デ・クーパはキューバ第二の都市で、中心部はカテドラルを囲んで歴史的な建造物がある。但し中心部は車の排ガスがひどかったが、一般の住宅街はハバナより良好な状態だった。
 トリニダーは世界遺産に指定され、街中への車の乗り入れが禁止されているため空気も良く、こじんまりした美しい街だった。許可を受けた個人営業の土産物屋や露店が軒を連ね、レース編みや、刺繍などの手工芸品が多く売られている。町全体が石畳の道で、趣のある住宅が立ち並んでおり、私が一番心安らいだ街だった。

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4.キューバへの入国
 メキシコ旅行のあと、メキシコのカンクンからキューバの首都ハバナに入った。エアークバーナで往復チケット+ホテル2泊分で350US$。右手遠くにジャマイカを眺めつつ、ハバナ着。
 パスポートにキューバ出入国のスタンプがあるとアメリカへの入国が難しくなると聞いていたので、他の紙にスタンプをして欲しいと言うと、結局スタンプなしで入国させられた。これで問題ないのかと不安に思っていたが、今はアメリカ人観光客もたくさん来ていて、パスポートへのスタンプは問題にならないらしい。
 まず空港で日本から持参したカナダドルを両替した。なぜカナダドルかと言うと在日本キューバ大使館に問い合わせたところ、カナダドルが一番レートが良く、両替しやすいという事だった。しかしこれは直ぐに誤った情報であることが分かった。最もレートが良く、両替しやすいのはメキシコペソだ。カンクンから入国した私はメキシコペソをそのまま持って来れば良かったのに悔しい思いをしたし、カナダドルを両替できる銀行は非常に少なく、大変不便な思いをした。
 ついでだが、キューバでは米ドルは両替できるが、非常にレートが悪く、アメリカ系のトラベラーズチェックは使えず、日本円も両替できない。
 さて両替だが、レート表にCAN$=1.3003と表示されているのに300CAN$で260CUC(キューバ通貨)しかくれない。390CUCのはずだから、その旨言うと「いや260CUCで正しい」と言う。納得行かないので、近くのメキシコ人に聞くと、彼も「確かに間違っていると思う」と言って再度聞いてくれたが、いくら言ってもらちが明かない。仕方なく計算書を保管してあくる日、日本大使館に問い合わせると、金額は合っていると言う。よくよく聞いてみると、他の米ドルやメキシコペソは全て1US$=○○○○CvC、1メキシコペソ=○○○○CUCと表示なのに、カナダドルに関してのみ1CUC=1.3003CAN$と言う書き方なのだと言う。しかも実際はCAN$=1.3003という表示なので、これでは誰にも解らない。カナダ人との間でトラブルは起きないのだろうか。
 正しくは1CAN$=0.769CUCと書くべきなのだそうだが、カナダドルに関しては国内全ての銀行で同じ表示だった。どうしてCAN$の表示だけが違っているのか分からず、銀行員自身も疑問を持っていないようだった。まずこれはキューバのエエ加減さの最初の洗礼だった。
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5.キューバのホテル
 キューバはとても物価が高い。旧ソ連の国も含めて社会主義国の中であれほど物価が高い国はないのではないか。ホテルは首都ハバナで最低でも55US$で、それ以下のホテルは外国人に紹介しないようだ。
 ホテル自体も世界の標準から見て割高に思えたし、従業員教育やサービスの面では随分劣ると感じた。
 私は町中の一番安めのホテルに泊まったが、送迎の車が約束の時間よりかなり遅れてきたため、ホテルに着いたのが夜9時過ぎで、開いているのはホテルのレストランのみで、しかもわずかなメニューしかなく、仕方なくスパゲッティをオーダーしたが、とてもまずく、しかも高く、キューバのビールはやけにストロングだった。
 キューバではホテルが本当に高く、最近はプライベートルーム(民宿)が観光地を中心にかなり出来ていると聞いていたので、最初からホテルは初日と最終日だけを予約し、その他の日は現地でプライベートルームを探すことにしていた。しかし、どこにあるのか分からず、ちょっとあつかましいかなと思いつつも、ホテルのレセプションの女性に「この付近にプライベートルームはあるの?」と聞いてみると、まかしとけといわんばかりに「内緒よ」といって知り合いのプライベートルームに電話をかけてくれ、「明日8時に迎えに来るから」と言ってくれた。きっと彼女にマージンが入るのだろう。
 そしてその後に「あなたのTシャツすごくきれいな色ね。私はこの制服以外に殆ど服を持っていないから、そのTシャツもらえない?」と聞いてきた。「これは必要だからダメ」と言うと「他の色でもいいからちょうだい」と言う。「余分な服を持ってきてないからダメ」と言って断ったが、このようなおねだりはその後ずっと付きまとう事になる。
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6.キューバのプライベートルーム
  キューバでは近年、政府の許可の下に個人でも民宿やレストランを営むことが出来るようになった。政府認可のプライベートルームはユースホステルとよく似た緑色の木のマークが入り口に貼られているので町中を歩いていても見分けることが出来る。料金はホテルの半額以下の20〜25US$で、家族のうち1人は英語を話せるところが多く、コミュニケーションには不自由しない。また食事は朝食3US$、夕食7US$が平均的で、これも町のレストランの半額以下で、味も良く、ボリュームたっぷりだ。
 しかも全てのプライベートルームがホテル並みにTV、エアコン、バスタブ、ホットシャワーがあり、ダイニングルーム、バルコニー付というものであった。そして全て最近リフォームされ、水回りはピカピカの清潔さだった。もしキューバに行くなら絶対プライベートルームに泊まることをおすすめする。値段の安さのみならず、彼らの日常生活を垣間見れキューバの現状を知るのに大いに役立った。ただし、彼らのエエ加減さにお付き合いするのも覚悟の上だが。まあホテルも結構ルーズなので大差ないかもしれないが………
 私はハバナとサンチャゴ・デ・クーパとトリニーダーの三か所のプライベートルームに泊まったが、彼らは日々の現金収入が入るため、一般の人よりずっと豊かな生活をしているように見受けられた。キューバの一般の人は職にありつけない人も随分多く、失業率が一体何パーセントなのか知ることが出来なかったが、職にありつけても月平均10US$の収入で、医師などの特別職の人でも月16US$だそうだ。そんな中で1泊20〜25US$の収入をうることが出来るプライベートルームの経営者が、一般のキューバ人に比して豊かな生活が出来るのは納得できる。彼らは新しいテレビやパソコン、オーディオセットに囲まれて暮らしているし、食生活でも肉や果物をたらふく食べて、とても豊かだった。
 表通りを歩いていると食料品を扱っている店など殆ど見ないが、多分市場などには豊かにあるのだろう。……最近キューバでは食糧は殆ど自給できるようになったそうだから、食料自体は安いのだろう。
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7.一般国民の生活
  一部のキューバ人は、そこそこ豊かな生活をしているが、一般の国民はどうなのか、私が一番興味を持っていたことについて述べてみる。
<極端な物不足>
 一方で豊かな生活が出来る人がいる反面、殆どの国民はかなり厳しい生活を強いられているように見受けられた。
 ハバナの中心街を歩いていると日本では考えられないような店がある。100円ライターにガスを補充する店、古い時計の修理屋、何十年も昔の画面が円形に近い型をした白黒テレビを修理している店、陳列棚に一列だけ商品が並べられた寒々としたスーパーマーケット、ショウウインドウにタッパーウェアーを10個ほどうやうやしく陳列している日用品の店、たった30反ほどの布しかない生地屋等々。見ているだけでさびしい気持ちになってしまう。
 レストランも殆ど外国人向けで値段は日本と同じか、もっと高くメニューも少ないし、味も期待できない。たまにあるホットドッグの店には、何時もキューバ人が列を作っているが、1個が1ドル近くもする。月10ドルの収入でどうして1ドルもするホットドッグを食べられるのか、とても不思議だったが、多分出稼ぎや亡命した親族からの仕送りでもあるのだろうと解釈したが、この収支のアンバランスは最後までわからなかった。私もホットドッグを買って食べてみたが、長時間暖めすぎたのかパンに全く水分がなく、舌と上あごに粉となって張り付いてしまい食べられたものではない。おばちゃんに「こんなパサパサで食べられへんよ」とパンをつまんで粉にしてやると、仕方がないという感じでお金を返してくれた。が、その後どのレストランに行ってもホットドッグは常にパサパサ状態だった。
町中にはたまにおしゃれの最先端(?)をいく店がある。洋服屋、靴屋、化粧品店など。そんな店には10時の開店前や3時のシェスタ明けの時間には、おしゃれに関心の高い若者達が長い列を作っている。どんな状態に置かれても新しいものやおしゃれなものを欲しがる若者の心理は世界共通だ。
 このように高いものでも買える人がいる反面、その日の食事にも事欠く人がいたのには驚いた。カフェでサンドウィッチを食べていると斜め向かいの席におばあさんが座り、何かしきりに私に話しかける。何を言っているのかさっぱり分からないので無視していると、あきらめてカフェを出て行ったが、力なくヨロヨロと歩く姿を見て、はじめてお腹をすかしていたのだと分かり、胸が痛んだ。また公園で休んでいると隣におばあさんが座り何か言いたそうにするので、バナナのフライを上げると「ありがとう」も言わないで、ひったくるようにして取り夢中で食べていた。
 社会主義の国で食べることにも事欠く人達がいたのには驚きだった。
 また町を歩いていると、女の子が親しげに笑いかけてきて「リップもっていたらちょうだい」とか「サボン(石鹸)をちょうだい」と声をかけてくる。
 博物館に入ると女性の館員が近付いてきて「1ドル下さらない?」とかチェ・ゲバラの肖像が入ったコインやお札を出し「これを買ってください」とひんぱんに言って来る。ここまで困窮しているのかと驚くとともにプライドをなくしてしまった国民が多いことに悲しみを覚えた。
 
<住宅>
 首都ハバナでは民家は町中ではアパートと一軒家が半々で、一軒家はタウンハウス形式で家の裏に狭い庭がついていたりする。
 しかし殆ど家の外観は人が住んでいるとは思えないほど荒れ果てている。特にアパートは10階以上の高層のものが多いが、外壁ははがれ、汚れ、窓ガラスが割れているところもあり、入り口から中をのぞいても、エントランスや階段も半ば壊れていて、とても人が住んでいるとは思えないのだが突然人が出てきたりして、びっくりしてしまう。しかし一軒家など熱い国なので結構窓やドアを開け放しているので、ちょっと中をのぞいてみると、意外にも内部はリフォームされてこざっぱりと暮らしている。外観を気にする日本人には理解できないが、家やアパートは公共のもので個人所有ではないので、外観はどうでもいいのだろうか。
 道路は荒れ放題に荒れ、常に足元に注意しないと捻挫しかねない状態だ。私はハバナに滞在し、たった2ブロック先のカサ デ ムシカにサルサを見に行きたいと思ったが、町中には街灯は一切なく、月明かりだけでガタガタの夜道を歩かなければならず、危険極まりなくてあきらめた。また道のいたる所がゴミだらけ、立ちしょんべんの臭いが充満していて不愉快になる。しかし、ハバナ以外の町ではそれ程ひどい状態ではなく、まあまあ清潔さを保っており、やはり都市部に人口が集中するため、生活も大変だろうと思われた。
   
<交通>
 町中の道路と比較して幹線道路はまあまあ整備されており、かの有名な60年代の懐かしいアメ車がバンバン走っていて、後に羽根をつけたような大型の乗用車やサイドカーをつけたバイク、バナナの形をした観光客向けのバナナカーなど見ていて飽きない。60年代の車の持ち主は今やクラシックカーの持ち主として自慢らしく、写真を撮ろうすると、喜んでポーズまでとってくれる。車のエンジンって、こんなに何年も使えるものだろうかと聞いてみると、「この車のエンジンはトヨタだよ」と誇らしげ言った。
 しかし市民の足となるバスは、古いトレーラーはいい方で、どう見ても屋根もない木材か何かの運搬用としか思われないものも使われていた。そのようなバスには外国人は乗ることが出来ない。またキューバはヴェネズェラから石油を無償供与されているが、良質のガソリンがないのか、排気ガスの汚染が凄く、マスクが欲しいと思ったくらいだった。
 長距離バスは何故か料金がタクシーと殆ど変わらない。バスが高いのではなく、タクシーが異常に安いのだ。多分個人の車が副職として安いガソリンで走っているのだと思う。
 バスは観光客が利用するから、かなりきれいなので、私は女性一人旅の安全策として長距離は全てバスを使うことにしたのだが、これが逆に次に述べるトラブルの発生となった
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8.キューバの治安のいい国?
  キューバは一般的に治安のいい国ということになっている。果たして本当にそうなのか、私が体験した一例からご判断いただきたい。
 サンチャゴ・デ・クーパから世界遺産となっているトリニダーに夜行バスで移動した時のこと、私はバスの中でぐっすり眠れるタイプで、バスも空いていたので、2人分の座席を占領し、バッグを奥の座席の足元の置き熟睡した。途中2〜3回停車したが殆ど気付かず、トリニダーで目覚めた時、バッグが消えていた。
 運転手やバス会社の人は誰も英語が話せないので、仕方なく予約してあってプライベートルームに着き、そこの若い主婦にバッグがなくなったことを話すと、すぐにバス会社に電話をしてくれたが、バスはハバナに向けて走行中なので「ハバナに着いたころに問い合わせる」との返事。午後2時ごろバス会社から「ハバナに問い合わせたが、見つけられなかった」とのこと。
 貴重品は全て身につけて無事だったが何としても悔しいのがデジカメだ。キューバの面白いアメ車、オンボロバス、反政府的な絵画、廃墟の様なアパートメント、商品が少ししかないスーパーマーケット等々200枚以上も撮っていたので、デジカメ本体より中身を盗まれてしまったのが何より悔しかった。
 警察に届け出ても出てくるはずはないのだが、これまでにトラブルに会った時にその国がとる対応の仕方でその国の本当の姿が鮮やかに見えてくることを度々体験していたので、興味もあり、近くの警察に行って見た。
 ゼスチュアーでバックを盗まれたというと、しばらく待たされた後英語の通訳がやってきて、色々質問されたが調書は一切取らない。さんざん状況説明をさせられたあげく、明日もう一度、プライベートルームの主婦、バス会社の担当者、通訳、私の4人を集めて話を聞くという。私は「明日はもうハバナに帰らないといけない」と言ったが、どうしても明日もう一度話を聞いてから調書を作らないと盗難証明書も出せないと言う。
 結局私は日程的にも余裕がなく再度警察へ行くことはあきらめ、盗難証明書も貰えなかったので、カメラは取られ損になってしまったが、プライベートルームに帰り主婦に経過を報告し、「カメラはあきらめた」と言うと「そうだそうだ、行っても無駄だ」と言うようなことを言っていた。
 被害届けを出そうとしても調書をなかなか作らず長時間拘束し相手をあきらめさせるようなやり方では、犯罪件数も上がるわけがない。果たしてこのような状態で「キューバは治安のいい国」と言えるのか。
 私は夜歩きをしないほうなので、夜の状態は分からないが、昼間町を歩いている限り「おねだり」はしょちゅうだが、特に危険と感じることはなかった。しかしこの国の物資の乏しさを考えると本当に治安がよいと言うのを信じてよいのか疑問を感じる。
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9.キューバ人と酒と音楽
  キューバの人達と酒と音楽は切っても切れない関係にあるらしい。夜ともなれば町のいたるところでキューバ音楽の流しの楽団が演奏しているし、昼でもレストランや町角で演奏している。またサルサなどのダンスもあちこちで踊られており、ダンス教室もたくさんある。街を歩いていると「私はダンスティーチャーだから教えてあげる。一緒にダンス教室においでよ」とか「一緒に飲もうよ」とかこんなオバハンにまで熱心に声をかけてくる。ダンスはともかく、一緒にのみに行こうものなら友人をたくさん引き連れてきて全てこちらのおごりになるし、キューバは物価が高く、バカにならないのでご免こうむる。
 ラテン系の人は体の芯までリズムが沁み込んでいて、音楽が鳴り出すと、もうじっとして居れないらしく、自然に体が動き出す。
 アルゼンチンやペルーに行ったときもタンゴや民族音楽が鳴り出すと「もう我慢できないわ」と言う感じで踊りだす。体の芯から音楽に反応するように出来ているらしい。
 しかし彼らが毎日楽しく満足に暮らしているかと言うと決してそうではなく、経済面はもちろん職業の選択の自由や言論、行動の自由も大いに束縛されているようだ。
 私はどこの国でも相手が一人の時に簡単な会話の後「Do you like your country ?」と聞いてみることにしている。これは意外に本音を聞けて面白い。この国でも公園で出会った青年に聞いてみると「私の父は大学でロシア語を教えていた、そして私の名前はロシア人の名前だ。しかし今はロシア語は必要とされないので私は英語を勉強した。でもこの国では自分で職業を選択する事はできず、全て政府が割り振りするので、勉学の意欲もなくし、大学を中退し、今は失業中だ、もっと自由な国に行きたい」と言った。
 また他の青年は「この国は自由に海外に行くこともできない、海外に行って色んなものを見聞きしたい」と言った。
 ハバナの町の中心のギャラリーではパソコンのマウスをテーマにした絵で「我々は様々な情報をうることができるのに、自由を欲しているが体は縄で縛られている」と言う内容のものや「自分は前方に進みたいのに強力な力で後ろから引き戻されている」と言う内容の絵が展示されており、こんな絵を展示してもいいのかしらと思っていたが、一週間後にもう一度そのギャラリーに行くとすでに取り外されていた。
 しかしその反面サンチャゴ・デ・クーパのカテドラルで出会った公務員の黒人青年は「キューバは本当にいい国だ。カストロを尊敬しているし自分の国を誇りに思っている」と言う。「どうしてスペイン人が持ち込んだキリスト教をあなたは信仰するの?」と皮肉のつもりで聞いたが質問の意味すら通じなかった。スペイン系と黒人系の人達が殆ど完全に同化しているからだろうか。
 またハバナの小学校をのぞいて見たら新しいよく整備された建物の中に多くの小学生が制服を着て楽しそうに遊んでいる。先生がやって来て案内するからぜひ中に入れと言われたが、スペイン語が分からず遠慮した。が、学校教育が如何に充実しているかを見せたかったらしく、実に誇らしげにペラペラとスペイン語でまくし立てられた。
 この国は教育と医療はタダで、水準も高いそうで、どこへ行っても学校と病院の建物は立派だった。
 自由がなく、羽ばたき様がないと感じている人、自分の国に誇りを持っている人、と国民の意識は様々のようだが、酒でも飲んで踊らないとやっておれないよと言う気持ちも多くの国民が持っているように感じた。
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10.カストロの革命
<ドンキホーテ>
 1959年にカストロは革命を成功させ、社会主義国キューバを建国した。しかし私はこの革命は本当に幸運が重なって成功したものだと思う。なぜならこの革命が如何に周到な計画なしに行われたものであったか。同志の人選も甘く、革命を実行する前に密告され、あわてふためいてヨット「グランマ号」でメキシコからキューバに出港したものの、8人乗りヨットに28人、食料は20Kgのオレンジにハム8本、パン少量。ヨットに無線もなく、途中嵐に会い、1週間漂流して座礁し、乗員は体力尽きてフラフラ。その間に無線がなかったために打ち合わせていたほかの仲間たちの襲撃を援護できず、全員が死亡し、革命の仲間の半分を失うと言うお粗末なものだった。
 しかし、ハバナに向けて行進中に幸運にも国民の多くが彼の革命に賛同し、人数がどんどん増えていき、殆ど戦わずして革命に成功する。
 そしてチェ・ゲバラ達とともに理想の国の形態を模索していった結果、それが社会主義と非常と近いものになっていた。以後ソ連と同盟関係を築き、ソ連、アメリカの危機的は時期の後も、ソ連の経済援助を受けて国を治めることができた。
 緻密な計画性のない革命であったが、理想に燃えてただ一心にやり遂げたカストロは、私にはドンキホーテとして映る。
 ソ連崩壊後のキューバはロシアからの経済援助はなく、アメリカからは経済封鎖され、この15年間は本当に厳しい時代だったようだ。しかし、この国の建物や道路の荒れ様は単に15年間だけのものだろうか。私はもっと以前から、革命後からもこの国の人は大してやる気がなかったのではないかと思う。もっとはっきり言えばスペイン人と黒人とそのミックスの人達で成り立っているこの国に社会主義は不向きだったのではないか。ラテン系のスペイン人も黒人もあまり勤勉とはいえない。社会主義という制度はかなり勤勉でまじめに仕事に打ち込む人達によってしか成り立たない。勤勉な国民のもとでも多くの国が失敗しているのにこの国の人は最初からカストロのカリスマ性に期待しすぎ、彼に甘え、頼りきってしまったのではないか。
 これは私の大いなる偏見かもしれないが、実際に旅してみてそう感じてしまった。

<チェ・ゲバラは今もなお>
 カストロの右腕として革命を成し遂げたチェ・ゲバラの人気は今もなお失せず、お札やコインにも彼の肖像が描かれ、チェ・ゲバラ記念博物館にも多くのキューバ人や外国人が訪れている。また中南米全域でも絶大な人気があり、ペルーでのデモの時も彼の顔がプリントされた赤旗を多くの人が持っていたし、南アフリカでも彼の肖像を見かけ驚いた。
 こんなにも人気が有り勇敢だった彼は、きっとたくましい男性だったのだろうと思っていたら、意外にも小柄で、幼少時代から死ぬまで喘息に悩まされ、苦しめられたそうだが、子供のころからそんなことを気にせず活発で、頭が良かったそうだ。
アルゼンチンの恵まれた家庭に育ったが、医学生だったころ、ペルーに旅行し、貧しい人達に接したことから社会の矛盾に目覚めついにカストロの革命に合流することとなる。しかし革命後、米ソの危機的状況を脱するため、キューバが工業生産への道をあきらめ、農業生産のみの経済に徹し、その見返りとしてソ連の経済援助に頼らざるを得なかった時、彼は自身の描く自立した理想の国家と相反してしまったキューバに失望した。そして自分自身で革命を成し遂げ、理想の国家を築くことを夢見てコンゴの革命に関わるが失敗、次いでボリビアの革命を指導するが、これも失敗し結局命を失うことになる。
 彼の革命の失敗の原因は、カストロのキューバ革命があまりにも安易に成し遂げられたことによる所が大きいのではないかと思う。キューバとコンゴやボリビアの人達の国民性の違い、状況の違いを十分把握しないで、性急に理想に燃えて革命につっ走ってしまった彼もやはりドンキホーテだ。
 しかし彼の生き様はとても魅力的で、平凡な人間ではなし得なかった事であり、男のロマンをかき立てるのだろう。一般によく出回っている彼の写真は、ベレー帽をかぶり、キリッと上方を見つめた写真だが、私は彼がふっと力を抜いてリラックスした顔がなんともチャーミングで好きだ。私もついつい大好物の葉巻をくわえて、ふっとはるか前方を見やった彼の写真を2枚ほど買ってしまった。
 どうして、もっと革命を指導する国を調査して、国民性を把握して行動を起こさなかったの? どうしてそんなに性急に事を起こしたの?と言いたいことはいっぱいあるし、もっと長生きして欲しかったと思う反面、38歳で理想を追求して死んだのだからこそ、世界中の人々をいまだに引き付けて止まないのだと納得せざるを得ない。ドンキホーテはいつまで立っても男のロマンをかき立て魅力が失せる事はない。
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11.キューバのいい所
  今までキューバのひどい面ばかり書いてきた、「キューバってそんなにひどい所?」確かにひどい。でも多少の良い面もある。それは人種差別がない事。この国はスペイン人が乗り込んで来て以来、それ以前に住んでいた原住民を皆殺しにしてしまった。その後気候風土がさとうきびの栽培に適していると判ってから、アフリカから黒人をドレイとして大量に連れて来て、現在のスペイン系の白人と黒人、そして混血した人達から成り立っている。
 世界中の殆どの国で、白人は白人以外、特に黒人とは混住しない傾向にあるが、この国ではそれが見られなく、一つの通りに黒人の家、白人の家が隣り合わせになり、完全な混住になっていた。
 また一般の社会でも出世などで差別があるようには見えなかった。
 たった10日間の滞在で深く知りようもないが、南アフリカではいまだに残る歴然とした差別を見た目には、黒人達はとても明るくおおらかにのびのび暮らしているように感じた。
 そして教育は全て無料、だから国民の殆ど全てが義務教育を受けているし、識字率も高い。また医療費も全て無料。町の中で立派な美しい建物は殆どが病院であったし、医療水準の実際のところはわからないが、周辺の国に医師を派遣したりもしているそうだ。
 こんな経済状態に置かれても、最低限の保障があるから国民の大部分は底抜けに明るく、酒と音楽と言う楽しみがあるから何とかこの国は持ちこたえているのだろうか。
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12.エピローグ「キューバの今後は」
  今南米が大きく動いている。アメリカの直近にありながら中南米の多くの国が左傾化してきている。
革命以来、社会主義を貫いてきたキューバが、仮にカストロが政権の座を降りたからと言って、方向を変えることはまずないだろう。ソ連崩壊後苦しい道のりを歩んできたキューバにも今多くの仲間が出来たのだ。
 キューバ一国ならアメリカも何らかの手を下すことは出来るだろうが、今となっては手を出せない状態だろう。
 またアメリカはイラク、イラン、北朝鮮問題と難題を抱え、中南米にまでとても手が回らない。
 そのような中で中南米の国々が今後どのような動きを見せるのか。そしてその中でキューバがどのような役割を演じ、どのように流れていくのか。とても興味深くて目が離せない。
 この文が会報に載るころ、カストロが健在かどうかも分からないが、今後もキューバおよび中南米に注目していくとことになるだろう。
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