2005年12月15日〜2006年3月10日
メキシコの旅について書くことを長年躊躇していた。理由はメキシコの旅の前半を撮影したカメラをキューバで盗まれてしまい、旅の半分の写真が残っていないからだ。しかし、LSCのメンバーでメキシコに行く人はあまりいないようなので、前半は文章だけでガマンしていただいて一応旅した記念にメキシコの感想を残しておこうと思った。 メキシコは日本の約5倍の広さで、中南米で最大の国。人口構成はメスティーソ60%、先住民25%、スペイン系15%で、アステカ文明やマヤ文明を引くインディオの文化とスペインの文化、キリスト教文化が交じり合って、独特の文化となっている。 中央部の殆どの都市は高度2000mほどに位置し、慣れるまでは高山病の影響で熟睡できなかった。気候は年間を通じで気温に大差はないが、一日の寒暖差は大きく、6〜9月が雨季、10〜5月が乾期で、滞在中は乾期で、雨天は2日のみだった。冬なのに昼間は気温30度にもなり、とても暑い。 (目次へ)
以前は2階に大統領夫妻が居住していたそうで、家具調度品もすばらしく、贅沢、豪華の極みで、屋上庭園まである。また館内にはシケイロスの革命を描いた大壁画がある。 近代美術館にはリベラ、シケイロス、ルフィーノ・タマヨの絵と有名なフリーダ・カーロの「二人のフリーダ」が展示されている。 公園内には出店がたくさんあり、様々なタコス(メキシコの餃子のような物)が売られていて、昼食にちょうどいい。噴水の横で50mもの高さの棒から悲しげな笛の音に合わせて4人の男性が頭を下にして宙づりになって回転しながら下りてくる。地上につくまで5分はかかるし、30分に1回ほど演技し、もらえるチップはほんのわずか。地方の祭りで行う物だそうだが、慣れているとはいえかなりきつそうで、見ていて悲しくなってしまう。
広い中庭を中心に先住民文化からティオティワカンの復元の神殿、アステカ、オアハカ、マヤと時代順に展示され、2階は民族博物館になっていて、各時代、地方ごとに民族衣装や住宅、農機具など当時の生活が分かるように展示され、文化が生き生きと伝わってくる。 この博物館はペルーの国立博物館に並ぶすばらしい内容だ。 写真は全て自由に撮れるが、解説の殆どがスペイン語だったのは残念だった。 博物館の入り口
ソカロとはメキシコシティの中心のものすごく広い広場だ。クリスマス間近と日曜日が重なったのか広場と周辺の道路に軽く1000を越す店が出ていて、すごい人出ですれ違うのも大変なほどだ。さすが人口2000万の世界一の都市だけあって、どこに行っても人、人、人。 街のあちこちにキリスト生誕の人形が飾られ、カテドラルの中は礼拝者が多かった。
今、ソチミルコは多くの水路が残され、遊覧船が行きかい市民の憩いの場となっている。 (目次へ)
広大な敷地に旧教会と新教会があり、丘の上にはグアダルーペが奇跡を起こしたといわれる場所に伝説の教会があり敷地を一周するだけで疲れる。 新教会は3万人を収容するそうで、この日も座席はほぼ満席だった。1歳未満の子供を連れてきている人が多く、誕生の報告と祝福を受けるのだろう。皆熱心に祈っていた。 また、膝まづいたままで歩いてくる人もおり、石畳の上を一歩一歩顔を苦痛でゆがませながら祭壇まで進む。あれほどまでして願いが叶わなかったらどうするのだろうなんて俗物の私は考えてしまう。 神父も皆インディオで、来ている人も100%インディオで、貧しい人が多かった。白人に押し付けられた神を拝むことによって本当に心が満たされるのだろうか。
有名なピラミッドとして月のピラミッドと太陽のピラミッドがある。月のピラミッドは高さ42m、底辺150m×130m、太陽のピラミッドは高さ65m、底辺225m×225mでどちらも40度ほどの傾斜の階段状のピラミッドで、中央に階段があり、頂上まで登れる。 また神殿や宮殿もあり、彫刻やレリーフも良い状態で保存されている。1km×2.5kmの敷地内には当時の人が暮らしていた住居跡も多く残っていて、往時の栄華が偲ばれる。
フリーダ・カーロ博物館 (目次へ)
当時の暮らしぶりなどの写真を見て、晩年は本当に好々爺となっているトロツキーの顔が忘れられない。 スターリンはこれ程までに政敵を追い詰めなければならなかったのか。権力を持ったものの孤立、権力への執着を見せ付けられた。 (目次へ)
マリーナ・メキシコという1万人ほど入れるすごい規模の会場に見に行った。会場周辺はタコスやおつまみ、飲み物、プロレスグッズのマスク、フィギュアー、ブロマイドなどなどの店がびっしりで、試合開始前からもう熱気むんむんだ。 入場時になぜか水とカメラの電池を取り上げられる。多分フラッシュが試合の邪魔になるからなのだろう、絶対撮影禁止だそうだが皆、試合が始まると携帯でバチバチ撮っていた。この国もマイペンライ(タイ語 スペイン語では ?)の国だなあ。 試合の直前になると平日なのに殆ど満席。会場を売り子がグッズ、飲み物、お菓子、ピザを大声で売り歩く。アナウンスが始まるとウォーと会場全体がどよめく。この試合には同じホテルに泊まっていた日本人のレスラーも出ていて、彼は2試合目に出た。マスクなしのいい役の方をやって買ったが、もう一つ地味でアピールできない。すごく真面目そうな人で、努力もしているようだが、強いだけでは駄目で演技力がいる世界だと思った。 3試合目の小柄なウォレスというレスラーはすごい人気で、彼が動くたびに会場中がものすごい熱気に包まれる。動きが早く多くの技を持っている。しかし彼のチームは負けてしまった。そしたらものすごいブーイング。 4試合目は白と金のマスクの今人気絶頂のミキコというレスラーで、細身でカッコいい。彼も様々な技を見せるがやはり負けてしまった。悪役が勝つとすごいブーイングだ。 この入場者数と熱気は日本の比ではない。入場料は日本円で300〜1000円。サッカーとこのレチャリブレはメキシコ人にとって最高の娯楽のようだった。 (目次へ)
メキシコシティの南170kmにある銀鉱山の町で、山間の傾斜に作られた町並みがシルバーラッシュの時代を偲ばせて美しい。 この町はどこに行くにもきつい坂道をアップダウンしなければならず、町の人は狭い坂道をコレクティーボかタクシーで移動する。 町中には銀製品の店が軒を連ね、銀のアクセサリーも日本の半額以下で売っていて、デザインもしゃれたものが多い。またビーズの店も軒を連ね値段も安く日本で手に入らないビーズをたくさん買い込んでしまった。 この街のカテドラルは銀で大儲けした人が大金を投じて作り、町に寄贈したそうで、豪華この上なくこれ以上デコレーションの仕様がないほどの装飾で、4面の壁面全体がびっしりと装飾されている。そして朝夕澄んだ鐘の音を山間の町に響かせる。 町を下ると大きな市場があり、ポソーレというスープやトルティージャ付のシチューがとてもおいしい。 夜広場に行くと「きよし、この夜」の曲が音の悪いスピーカーから流されていて、貧しい人たちが神妙に聞き入っているのを見ると胸がキュンとなる。その後、子供たちが音楽に合わせて椅子取合戦を始めた。映画も娯楽もないこの町ではこんな事も実に楽しそうにやっている。 この町に住んでいる日本人と会い、メキシコ事情を聞いた。当時(2006年)はメキシコシティも周辺の町も不動産バブルで、ヨーロッパの寒い国の人たちが大勢押し寄せてきているそうだった。当時は南アメリカ、南アフリカ、メキシコなど暮らしやすそうな所は全てバブルに見舞われていたが、さて、今はどのようになっている事だろう。
一旦メキシコシティに戻り、シティの東120kmのプエブラに行った。途中乗っていたバスの前に乗用車が割り込んできて、衝突。乗用車の男性がバスの運転手に文句を言うと、乗っていた乗客の全員がバスの運転手の見方をし、ワイワイやり合う。冗談を言って大笑いしたり何とも陽気なこと。時間を取られることなど全く気にしなく楽しんでいる。1時間ほどしてレッカー車と警察が来て事情聴取すると、乗客が皆の電話番号と名前を書き、「何かあったら私たちが証言するからね」というような意味のことを言って運転手に渡していた。 あっという間にバスの中は連帯感に包まれる。メキシコ人は本当に面白い。しかし実際のところ事故が起きたとき殆どの人は眠っていたのだが。・・・ またこの国の人の運転はかなりひどい。レンタカーでの運転は一度や二度の事故は覚悟のうえでないといけないかも。 プエブラの町は交通の要衝として栄えた町で、歴史地区の建築物はすばらしい。泊まった安宿でさえ内部の装飾が昔のままに保存され、床と壁はタイルのモザイク、窓はステンドグラス、天井にはフレスコ画、階段の裏側までペイントされて、古きよき時代のプエブラが思い起こされる。 カテドラルはもちろんサント・ドミンゴ教会はすごい。これ以上の贅沢はないだろうと言わんばかりの金の装飾に様々な宝石がちりばめられている。当時のスペインの支配力を見せ付けられる。ホセ・ルイス博物館には織物で巨万の富を築いたホセ・ルイスが3代にわたってヨーロッパ、中国から収集した美術品が展示されている。 この日はクリスマスイブだった。カテドラルでは朝からミサが行われ、夜のミサには市民が座れないほど集まり、おごそかに行われた。 だが、ホテルではメキシコ人の一家が大声でしゃべり、笑い、ドアーを乱暴に開け閉めして一睡も出来なかったが、誰も文句を言わない。メキシコ人は自分たちも大いに楽しむ分、他人にも寛容なのだろう。 クリスマス当日カテドラルの周りを歩いてみたら、多くの露天が建ちすごい人出だ。しかし皆中流以下の人たちばかりで、金持ちは家でパーティーでもしているのだろうか。メキシコはすごい階級社会で、金持ちはスペイン系の白人とユダヤ人だそうだ。 通りではインディヘナのホームレスが何人も物乞いをしており、社会保障もない国の人たちの惨めさを感じた。だが1年後、日本やアメリカのLAに滞在した時も、多くのホームレスを目にするようになろうとはこの時は思いもよらなかった。
また地下にも無数の通路があり、地下深くまで階段が続いている。ここの教会にもインディオの人たちがクリスマスという事もあり参拝に来ていたが、元の自分達の神殿を破壊して作られた教会に何の違和感も持たないのだろうか。
町の中心は1日で歩いて回れるほどだが、地方色が豊かだ。この町もカテドラルよりサント・ドミンゴ教会が豪華絢爛、目を見張るばかりの金と宝石の装飾で、贅の極みだ。オアハカ博物館にはミトラ遺跡やモンテ・アルバン遺跡から発掘された金、真珠、メノウ、サンゴ,ヒスイなどで作られたアクセサリーがたくさん展示され、当時のインディオたちがなんと贅沢で優雅な暮らしをしていたのだろうと驚かされる。 ラソレター教会は最も市民に慕われている教会のようで、やはり聖母が現れた地に建てられたそうで、バロック様式で美しい。教会の周りにはたくさんの出店があり、日本の浅草の仲見世という感じだ。 市場は4カ所あり、ウィピルなどの民族衣装や刺繍のブラウスが山のように売られている。また食事もおいしくチョコレートをベースにしたソースで作ったモーレはメキシコ料理の最高傑作といわれていて、思いがけなくおいしく、糸のように裂けるチーズを挟んだサンドウィッチも本当においしい。 オアハカはメキシコ中で一番グルメな町と言われている。 (目次へ)
石灰石でもろいのだが、雨が少ないので良好な状態で保存されたのだと思う。 ここはとにかく暑い。陰らしい影もなくあまりの乾燥に息苦しく、のどはカラカラで帰る頃には殆ど声が出なくなり、この後10日間ほど全く声が出なくなった。スペイン語も出来ない上に英語の筆談のみで本当に苦労した。 南部の遺跡やユカタン半島の遺跡に行くときは、十分すぎるほどの水を持参することをお勧めします。 (目次へ)
遺跡の石段はきつく、昔の人はこんな生活を平気でしていたのかと驚く。かつてはこの遺跡周辺に2万5千人ほどが生活していたそうで、天文台、球戯場、大ピラミッド、墓などが残っている。ここもやはり突然人々が去ってしまって長年眠ったままになっていた。 (目次へ)
内部は1段が50cm以上ある階段また階段で、しかもこの地方はジャングルでとても湿度が高く、この遺跡めぐりはとても体力を消耗する。 (目次へ)
その日は新年。午前1時ごろまで爆竹がバンバン鳴り、時々大砲を撃つようなドーンという音が響き渡る。これは中国の新年以上にすさまじい。 メリダはユカタン半島の中心にも拘らず、特に何もない町だ。 (目次へ)
大神殿エルカスティージョは9段の階段ピラミッドで,春分と秋分には階段に竜が這っているように太陽の影が出来ることで有名だが、その他戦士の神殿や生贄を置くためのツォンパントリなど500m×2kmの中に多くの建物が残っている。 このエルカスティージョ神殿の階段の傾斜も非常にきびしくて、皆四つんばいになって登っているし、降りるときは座った姿勢でないと怖いのだが、私が登った3日後にアメリカ人の男性がこの階段から転げ落ち、以後エルカスティージョへ登ることは禁止になったとのことだ。 ここも本当に暑かった。冬でもこの暑さだから夏はとても見学できないだろう。遺跡めぐりは本当に体力を要する。 (目次へ)
カンクンからキューバとグァテマラを回り、メキシコのサン・クリストバルからまたメキシコの旅を再開した。 (目次へ)
町中は石畳の道路で整然として美しい。 この町のサン・ドミンゴ教会も豪華そうだが、全面修復中で内部は見られなかった。周辺はやはり民芸品の市が数え切れないほど立ち、刺繍もすばらしいがカラフルなマクラメ編みのベルトなどが高度な技術を駆使していてすばらしい。
メキシコといっても高度が高くなると本当に寒い。前夜は毛布2枚、ふとん、寝袋にカイロ3個を貼っても寒かったし、チャムラの村も風が吹きすさび広場の真ん中で延々と説明するガイドを恨めしく思ったほどだ。 チャムラの村では日曜日に、マヤの先住民から伝わる儀式がそのまま行われていて、服装も独特の黒いコートや腰巻をまとい、評議員である男性が広場に輪になって座って何か議論している。 教会の中ではたくさんのローソクが立てられ、村人たちが松葉が敷かれた床にひざまづき熱心に祈っている。キリスト教が入ってきても完全に彼等流に同化された儀式になってしまっているのが面白かった。 (目次へ)
旧市街はコロニアルな町で、全て石畳で教会がいたるところに目に付く。 水道橋は1.2kmあり、夕日に映えて一服の絵のようだ。またサンタ・クルス修道院も青いステンドグラスが夕日を透かし、黒いシルエットの中に浮き上がって美しい。
ここもコロニアルな作りで、どこを切り取っても絵になる風情がある。町にはメキシコ独立戦争の最初の舞台となったアロンディガ・デ・グラナディータスがあり、内部には独立戦争に関する壁画が描かれている。 ファレス劇場は古代ギリシャの神殿を思わせる作りで重厚で、夜毎オペラやコンサートが行われるそうだ。グァナファト大学は学舎前に壮大な階段を持つ芸術大学で、町の観光にも貢献している。その他いくつかの博物館があるが、曲がりくねった石畳の道を歩くのは飽きない。 夕方ケーブルで町を見下す丘に登り、日没から灯火がつくまで眺めたが、ライトアップされた中世の町並みの美しさは忘れがたい。 夜、教会前の広場で3つの楽団が演奏し、町を練り歩いていた。中世の騎士の服装をして10名くらいで歌いながら通りから通りを歩く。土地の人もたくさん夜の街に繰り出し町の中心は人であふれ返っている。スペイン系の人って本当に夜になると元気だ。
この町も銀で栄えた町だ。これまでの銀鉱の町の中でも最も栄えた町で、ひときわ壮麗で、有り余る金を注ぎ込んで出来上がった町という印象だ。バロック風の立派な建築物が至るところに見られ、ここも世界遺産になっている。 町は周囲を山に囲まれた盆地で、中心はたった1km四方で小じんまりとしている。 美しいドームを持つカテドラル、内部の装飾に圧倒されてしまうサント・ドミンゴ教会、博物館、劇場など贅を尽くした、むしろ反感さえ抱かせるほどの華麗さだ。 町外れにはエデン鉱坑という昔使った坑道の内部にトロッコで入って行ける。地下500〜600mも掘り下げて、銀や様々な輝石を採ったそうで多分劣悪な状況で鉱夫たちは働かされたのだろう。 町の南部には水道橋、そして闘牛場をホテルに改装したキンタ・レアルというおしゃれなホテルがある。かつての闘牛場を中庭にして、回りの観覧席部分を客室に改装し、水道橋を借景にした面白い作りだ。ホテルの前には美しい公園もあり、いつかは泊まってみたいホテルだ。 サカテカスの歴史地区はグァナファトより規模は大きいが、観光客はずっと少なく、観光で食べているという感じはしない。町全体がのんびりとして世界遺産の町としては観光地という雰囲気はない。 泊まった民宿は芸術家夫妻の家で、ご主人は典型的なメキシコ人といった感じの実におしゃべりで人懐っこい人。奥さんは対照的に静かで黙々と家事をこなし、絵を描いている。こんな内省的なメキシコ人もいるんだとメキシコ人を見る目も少し変わった。奥さんの絵のほうがずっと評価されているようで、どうやらご主人を養っているようだった。
メキシコ北部は交通の便が悪く、南部のように直通で行くバスはないらしい。 ここも世界遺産になっているだけあって、石造りの美しい町だ。規模はかなり大きいが観光客は少なく、アメリカからの観光客はダラスやヒューストンから直接フライトやバスがあるサン・ミゲル・アジェンテやグァナファトに集中している。 石造りの碁盤の目の通りの建物は美しく立派だが、ただ昼間は暑くて歩けない。この町にも水道橋が残っているが、手入れが行き過ぎていて風情がない。
夕方バックアロの町を散歩した。ここは普通の民家の町並みが美しい。ランプが灯っていい雰囲気だ。日曜日のせいかすごい人出だ。9時を過ぎても何の目的もなくただ歩く。 公園でこの町の名物「老人の踊り」を見たが、木で出来た草履のようなものを履き、タップのように足を踏み鳴らすだけで、腰をかがめて杖を持って踊るので「老人の踊り」というようだが、たいした踊りではない。 キガロとツィンツンツェンという湖の近くの町に行った。「地球の歩き方」にキガロにはたくさんの民芸品があるというので行ってみたが、全くなく急に民芸品が無くなるはずもなく、きっとどこかの村と間違えていたのだろう。 ツィンツンツェンは通り全てが民芸品の店といった感じで、木彫り、草、麦わらの工芸品が殆どだった。 「歩き方」には載っていないが、町の中心の広場の奥にもう一つ広場があり、その奥に由緒ある教会があり、欧米の観光客がたくさん訪れていた。「歩き方」は時々重要な情報が漏れているし、特に宗教関係に弱いとこの時も思った。 3月になると昼間は本当に暑く、シエスタが必要になる。しかし薄紫の花が咲くジャカランタの大木が至るところに見られるメキシコ中部の地方都市は本当に美しく、見飽きることがない。 実質1ヵ月半のメキシコ旅行だったが、地方都市は本当に美しい。ただ、高地のため空気が薄く坂道が多いので、体力的には疲れるし、排気ガスにも悩まされた。 しかし、これらを差し引いても余りあるほどメキシコの地方都市は魅力的だ。各地方の色彩あふれる民族衣装や民芸品、活気あふれる市場、郷土料理そして美しい町並み。機会があればもう一度行ってみたい国の一つだが、次回はサン・ディエゴからバハ・カリフォルニアを通り、チワワ鉄道に乗ってみたいと思っているが、さていつの事になるのやら。
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