岡崎 祐子

悠遊世界一人旅 おばちゃんバックパッカーが行く

インディオの色彩あふれる国 グァテマラ 

2005年12月15日〜2006年3月10日

目次
まえがき  1.メキシコシティ
 2.チャプルテペック公園  3.国立人類学博物館
 4.ソカロ周辺  5.ソチミルコ
 6.グアダルーペ寺院  7.ティオティワカン遺跡
 8.フリーダ・カーロ博物館  9.レオン・トロツキー博物館
10.テンプロ・マヨーロ 11.プロレス
12.タスコ 13.プエブラ
14.チョルーラ遺跡 15.オアハカ
16.ミトラ遺跡 17.モンテ・アルバン遺跡
18.パレンケ遺跡 19.メリダ
20.チェチェン・イツァー遺跡 21.カンクン
22.サン・クリストバル 23.サンファン・チャムラ
24.ケレタロ 25.グァナファト
26.サカテカス 27.モレーリア
28.バックアロ
まえがき
 メキシコを旅したのは2005年12月15日〜2006年3月10日まででその間キューバに10日間、グァテマラに1ヶ月間滞在したので、メキシコに滞在したのは実質1ヵ月半だった。
メキシコの旅について書くことを長年躊躇していた。理由はメキシコの旅の前半を撮影したカメラをキューバで盗まれてしまい、旅の半分の写真が残っていないからだ。しかし、LSCのメンバーでメキシコに行く人はあまりいないようなので、前半は文章だけでガマンしていただいて一応旅した記念にメキシコの感想を残しておこうと思った。
メキシコは日本の約5倍の広さで、中南米で最大の国。人口構成はメスティーソ60%、先住民25%、スペイン系15%で、アステカ文明やマヤ文明を引くインディオの文化とスペインの文化、キリスト教文化が交じり合って、独特の文化となっている。
中央部の殆どの都市は高度2000mほどに位置し、慣れるまでは高山病の影響で熟睡できなかった。気候は年間を通じで気温に大差はないが、一日の寒暖差は大きく、6〜9月が雨季、10〜5月が乾期で、滞在中は乾期で、雨天は2日のみだった。冬なのに昼間は気温30度にもなり、とても暑い。
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1.メキシコシティ
12月16日の夜、メキシコシティ着。上空から見るメキシコシティの夜景はただただぼうぼうと広がり、一体どこが町の中心とも分からない街の灯りが広がっているだけで、さすが人口2000万、世界一の大都市だと思った。     
メキシコシティーのカテドラル 美しいタイルの住宅
        
 カテドラルの内部        カテドラルのパイプオルガン       町中の重厚な建築物
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2.チャプルテペック公園
まずホテル近くのチャプルテペック公園に行く。一辺3kmほどある広大な公園の中に、美術館、博物館、城、植物園、大統領官邸などがある。チャプルテペック城は35年間も独裁政治を行ったディアス大統領の館で、今は国立歴史博物館になっており、メキシコシティを見下ろす最高の場所に建っている。
以前は2階に大統領夫妻が居住していたそうで、家具調度品もすばらしく、贅沢、豪華の極みで、屋上庭園まである。また館内にはシケイロスの革命を描いた大壁画がある。
近代美術館にはリベラ、シケイロス、ルフィーノ・タマヨの絵と有名なフリーダ・カーロの「二人のフリーダ」が展示されている。
公園内には出店がたくさんあり、様々なタコス(メキシコの餃子のような物)が売られていて、昼食にちょうどいい。噴水の横で50mもの高さの棒から悲しげな笛の音に合わせて4人の男性が頭を下にして宙づりになって回転しながら下りてくる。地上につくまで5分はかかるし、30分に1回ほど演技し、もらえるチップはほんのわずか。地方の祭りで行う物だそうだが、慣れているとはいえかなりきつそうで、見ていて悲しくなってしまう。
王宮の外観 チャペルテペック公園での牛の展示
シケイロスの壁画 回転しながら下りてくる男性達
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3.国立人類学博物館
この博物館はメキシコに行けば必見の価値がある。メキシコ国内のマヤ、アステカ遺跡の殆どのオリジナルがここに集められている。
広い中庭を中心に先住民文化からティオティワカンの復元の神殿、アステカ、オアハカ、マヤと時代順に展示され、2階は民族博物館になっていて、各時代、地方ごとに民族衣装や住宅、農機具など当時の生活が分かるように展示され、文化が生き生きと伝わってくる。
この博物館はペルーの国立博物館に並ぶすばらしい内容だ。
写真は全て自由に撮れるが、解説の殆どがスペイン語だったのは残念だった。
          博物館の入り口
ティオティワカン遺跡に残されていた壁画 アステカのカレンダー
当時のティオティワカンの復元模型 黄金のアクセサリー
男性像 女性像
生け贄の心臓を置く台座 祭り用の衣装
メキシコ女性のウィピル 当時の暮らし(オアカハ時代)
人骨と副葬品 インディオの絵画
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4.ソカロ周辺
         ソカロ広場
ソカロとはメキシコシティの中心のものすごく広い広場だ。クリスマス間近と日曜日が重なったのか広場と周辺の道路に軽く1000を越す店が出ていて、すごい人出ですれ違うのも大変なほどだ。さすが人口2000万の世界一の都市だけあって、どこに行っても人、人、人。
街のあちこちにキリスト生誕の人形が飾られ、カテドラルの中は礼拝者が多かった。





人出で賑わうソカロ クリスマス前の街の様子
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5.ソチミルコ
メキシコの郊外にあるソチミルコは、メキシコシティの大半が以前は湖だったと証明できるところだ。アステカ時代には広大な湖の中に石の神殿や宮殿が建っていたのだが、スペイン侵入後この湖は埋め立てられ、建築物を全て破壊し、神殿や宮殿に使用していた石でスペイン風の宮殿やカテドラルを建てた。
今、ソチミルコは多くの水路が残され、遊覧船が行きかい市民の憩いの場となっている。
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6.グアダルーペ寺院
メキシコ人の心の支えとなっているグアダルーペ聖母が祭られているメキシコカソリックの総本山だ。聖母は白人ではなく、インディオ風で色黒だ。
広大な敷地に旧教会と新教会があり、丘の上にはグアダルーペが奇跡を起こしたといわれる場所に伝説の教会があり敷地を一周するだけで疲れる。
新教会は3万人を収容するそうで、この日も座席はほぼ満席だった。1歳未満の子供を連れてきている人が多く、誕生の報告と祝福を受けるのだろう。皆熱心に祈っていた。
また、膝まづいたままで歩いてくる人もおり、石畳の上を一歩一歩顔を苦痛でゆがませながら祭壇まで進む。あれほどまでして願いが叶わなかったらどうするのだろうなんて俗物の私は考えてしまう。
神父も皆インディオで、来ている人も100%インディオで、貧しい人が多かった。白人に押し付けられた神を拝むことによって本当に心が満たされるのだろうか。
グァダルーペ寺院 旧教会
新教会 奇跡の丘からの眺め
新教会の内部 跪いて祭壇まで歩む
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7.ティオティワカン遺跡
メキシコ近郊のティオティワカン遺跡は紀元前2世紀に建てられた巨大なピラミッドだ。周辺には20万の人が暮らした当時としては、世界最大の都市だったそうだが、8世紀に忽然と消滅し、その理由も分からない。メキシコ最大の宗教国家とされているが、インカ文明と同様ティオティワカンの人々も数学、天文学に非常に優れていたにも拘らず文字を持たなかったので、未だに歴史の謎となっている。
有名なピラミッドとして月のピラミッドと太陽のピラミッドがある。月のピラミッドは高さ42m、底辺150m×130m、太陽のピラミッドは高さ65m、底辺225m×225mでどちらも40度ほどの傾斜の階段状のピラミッドで、中央に階段があり、頂上まで登れる。
また神殿や宮殿もあり、彫刻やレリーフも良い状態で保存されている。1km×2.5kmの敷地内には当時の人が暮らしていた住居跡も多く残っていて、往時の栄華が偲ばれる。
ティオティワカンの月のピラミッド ティオティワカンの太陽のピラミッド
月のピラミッドに登る 月のピラミッドから太陽のピラミッドを臨む
人口20万人の大都市だった住居跡 石を丹念に積み上げ固定している
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8.フリーダ・カーロ博物館
メキシコの女流画家フリーダ・カーロの生家が博物館となっている。フリーダの作品や着用した個性的な服、日用品が展示され、彼女の私生活が伺われて興味深い。ただ夫との間で傷ついていく彼女の心が痛ましく辛くなる。







      フリーダ・カーロ博物館
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9.レオン・トロツキー博物館
ロシアの革命家トロツキーが晩年を過ごし、殺害された家で、フリーダ・カーロの家の近くにある。トロツキーはレーニンの執拗な追跡を逃れて、地球を半周するほどの逃避行の後メキシコまでやって来て、リベラとフリーダの夫妻によってこの家に匿われ、周囲を高い塀で囲った中で、細心の注意をしつつ畑仕事やニワトリの世話をしてやっと一家の平安を得て暮らしていたが、ついにスパイによって見つけられ、一家全員がこの家の中で殺害された。
当時の暮らしぶりなどの写真を見て、晩年は本当に好々爺となっているトロツキーの顔が忘れられない。
スターリンはこれ程までに政敵を追い詰めなければならなかったのか。権力を持ったものの孤立、権力への執着を見せ付けられた。






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10.テンプロ・マヨーロ
ソカロの向かいの町の中にあるアステカ文明の遺跡。太古メキシコが海底にあったのが隆起し、今の高地となり、シティが出来るまでこの一帯が沼地であったことを証明する発掘品が多く展示されている。サンゴ、魚の化石や動物の骨、そして埋葬品の数々。アステカ時代の人々の暮らしが分かる模型などがあり、南北アメリカの西海岸が本当に隆起してロッキーやアンデスにまで成長したことが分かり、興味深かった。
発掘された遺跡の全景 市内観光バス
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11.プロレス
メキシコといえばプロレス。メキシコではレチャリブレという。
マリーナ・メキシコという1万人ほど入れるすごい規模の会場に見に行った。会場周辺はタコスやおつまみ、飲み物、プロレスグッズのマスク、フィギュアー、ブロマイドなどなどの店がびっしりで、試合開始前からもう熱気むんむんだ。
入場時になぜか水とカメラの電池を取り上げられる。多分フラッシュが試合の邪魔になるからなのだろう、絶対撮影禁止だそうだが皆、試合が始まると携帯でバチバチ撮っていた。この国もマイペンライ(タイ語 スペイン語では ?)の国だなあ。
試合の直前になると平日なのに殆ど満席。会場を売り子がグッズ、飲み物、お菓子、ピザを大声で売り歩く。アナウンスが始まるとウォーと会場全体がどよめく。この試合には同じホテルに泊まっていた日本人のレスラーも出ていて、彼は2試合目に出た。マスクなしのいい役の方をやって買ったが、もう一つ地味でアピールできない。すごく真面目そうな人で、努力もしているようだが、強いだけでは駄目で演技力がいる世界だと思った。
3試合目の小柄なウォレスというレスラーはすごい人気で、彼が動くたびに会場中がものすごい熱気に包まれる。動きが早く多くの技を持っている。しかし彼のチームは負けてしまった。そしたらものすごいブーイング。
4試合目は白と金のマスクの今人気絶頂のミキコというレスラーで、細身でカッコいい。彼も様々な技を見せるがやはり負けてしまった。悪役が勝つとすごいブーイングだ。
この入場者数と熱気は日本の比ではない。入場料は日本円で300〜1000円。サッカーとこのレチャリブレはメキシコ人にとって最高の娯楽のようだった。
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12.タスコ
      タスコのカテドラル
メキシコシティの南170kmにある銀鉱山の町で、山間の傾斜に作られた町並みがシルバーラッシュの時代を偲ばせて美しい。
この町はどこに行くにもきつい坂道をアップダウンしなければならず、町の人は狭い坂道をコレクティーボかタクシーで移動する。
町中には銀製品の店が軒を連ね、銀のアクセサリーも日本の半額以下で売っていて、デザインもしゃれたものが多い。またビーズの店も軒を連ね値段も安く日本で手に入らないビーズをたくさん買い込んでしまった。
この街のカテドラルは銀で大儲けした人が大金を投じて作り、町に寄贈したそうで、豪華この上なくこれ以上デコレーションの仕様がないほどの装飾で、4面の壁面全体がびっしりと装飾されている。そして朝夕澄んだ鐘の音を山間の町に響かせる。
町を下ると大きな市場があり、ポソーレというスープやトルティージャ付のシチューがとてもおいしい。
夜広場に行くと「きよし、この夜」の曲が音の悪いスピーカーから流されていて、貧しい人たちが神妙に聞き入っているのを見ると胸がキュンとなる。その後、子供たちが音楽に合わせて椅子取合戦を始めた。映画も娯楽もないこの町ではこんな事も実に楽しそうにやっている。
この町に住んでいる日本人と会い、メキシコ事情を聞いた。当時(2006年)はメキシコシティも周辺の町も不動産バブルで、ヨーロッパの寒い国の人たちが大勢押し寄せてきているそうだった。当時は南アメリカ、南アフリカ、メキシコなど暮らしやすそうな所は全てバブルに見舞われていたが、さて、今はどのようになっている事だろう。
カテドラルの内部 タスコの町並み
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13.プエブラ
      プエブラのホテル
一旦メキシコシティに戻り、シティの東120kmのプエブラに行った。途中乗っていたバスの前に乗用車が割り込んできて、衝突。乗用車の男性がバスの運転手に文句を言うと、乗っていた乗客の全員がバスの運転手の見方をし、ワイワイやり合う。冗談を言って大笑いしたり何とも陽気なこと。時間を取られることなど全く気にしなく楽しんでいる。1時間ほどしてレッカー車と警察が来て事情聴取すると、乗客が皆の電話番号と名前を書き、「何かあったら私たちが証言するからね」というような意味のことを言って運転手に渡していた。 あっという間にバスの中は連帯感に包まれる。メキシコ人は本当に面白い。しかし実際のところ事故が起きたとき殆どの人は眠っていたのだが。・・・
またこの国の人の運転はかなりひどい。レンタカーでの運転は一度や二度の事故は覚悟のうえでないといけないかも。
プエブラの町は交通の要衝として栄えた町で、歴史地区の建築物はすばらしい。泊まった安宿でさえ内部の装飾が昔のままに保存され、床と壁はタイルのモザイク、窓はステンドグラス、天井にはフレスコ画、階段の裏側までペイントされて、古きよき時代のプエブラが思い起こされる。
カテドラルはもちろんサント・ドミンゴ教会はすごい。これ以上の贅沢はないだろうと言わんばかりの金の装飾に様々な宝石がちりばめられている。当時のスペインの支配力を見せ付けられる。ホセ・ルイス博物館には織物で巨万の富を築いたホセ・ルイスが3代にわたってヨーロッパ、中国から収集した美術品が展示されている。
この日はクリスマスイブだった。カテドラルでは朝からミサが行われ、夜のミサには市民が座れないほど集まり、おごそかに行われた。
だが、ホテルではメキシコ人の一家が大声でしゃべり、笑い、ドアーを乱暴に開け閉めして一睡も出来なかったが、誰も文句を言わない。メキシコ人は自分たちも大いに楽しむ分、他人にも寛容なのだろう。
クリスマス当日カテドラルの周りを歩いてみたら、多くの露天が建ちすごい人出だ。しかし皆中流以下の人たちばかりで、金持ちは家でパーティーでもしているのだろうか。メキシコはすごい階級社会で、金持ちはスペイン系の白人とユダヤ人だそうだ。
通りではインディヘナのホームレスが何人も物乞いをしており、社会保障もない国の人たちの惨めさを感じた。だが1年後、日本やアメリカのLAに滞在した時も、多くのホームレスを目にするようになろうとはこの時は思いもよらなかった。
     
ホテル天井のフレスコ画        カテドラルの夜景
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14.チョルーラ遺跡
プエブラからバスで20分のチョルーラの遺跡に行った。この遺跡はもともとインディオが町を作り神殿を建て10万人の人が住んでいたところをスペイン人が全て破壊し、自分達の神殿や教会を建て、今もスペイン時代の黄色い美しい教会が建っている。破壊された後は現在もそのまま残されており、ちょっとした山のように見えるが、もともとはティオティワカンの太陽の神殿にも匹敵するピラミッドが建っていて、一部発掘された階段や壁が見られるようになっている。
また地下にも無数の通路があり、地下深くまで階段が続いている。ここの教会にもインディオの人たちがクリスマスという事もあり参拝に来ていたが、元の自分達の神殿を破壊して作られた教会に何の違和感も持たないのだろうか。
     
丘の上の教会         地下深く続く階段
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15.オアハカ
オアハカはメキシコ観光の目玉となっていて、ちょうどクリスマスと重なり、バスも2等しか取れず、ホテルも取るのにも苦労した。オアハカはインディヘナの占める割合が最も高く、コロニアル建築も美しく、インディヘナの文化が多く残っていて、民族衣装や刺繍に代表される民芸品も多く、世界遺産に指定されている。
町の中心は1日で歩いて回れるほどだが、地方色が豊かだ。この町もカテドラルよりサント・ドミンゴ教会が豪華絢爛、目を見張るばかりの金と宝石の装飾で、贅の極みだ。オアハカ博物館にはミトラ遺跡やモンテ・アルバン遺跡から発掘された金、真珠、メノウ、サンゴ,ヒスイなどで作られたアクセサリーがたくさん展示され、当時のインディオたちがなんと贅沢で優雅な暮らしをしていたのだろうと驚かされる。
ラソレター教会は最も市民に慕われている教会のようで、やはり聖母が現れた地に建てられたそうで、バロック様式で美しい。教会の周りにはたくさんの出店があり、日本の浅草の仲見世という感じだ。
市場は4カ所あり、ウィピルなどの民族衣装や刺繍のブラウスが山のように売られている。また食事もおいしくチョコレートをベースにしたソースで作ったモーレはメキシコ料理の最高傑作といわれていて、思いがけなくおいしく、糸のように裂けるチーズを挟んだサンドウィッチも本当においしい。
オアハカはメキシコ中で一番グルメな町と言われている。
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16.ミトラ遺跡
オアハカ近郊のサポテコ人が居住したミトラ遺跡は、宗教儀礼をとりおこなった場所で多くの生贄が捧げられ、墓になっている場所にはさすがのスペイン人も手をつけなかったそうで、美しいモザイクの建物が残っている。ピラミッド型の壁面に幾何学模様が施され、ペルー北部の遺跡に似ており、やはり地続きで影響を受けたのだろうか。
石灰石でもろいのだが、雨が少ないので良好な状態で保存されたのだと思う。
ここはとにかく暑い。陰らしい影もなくあまりの乾燥に息苦しく、のどはカラカラで帰る頃には殆ど声が出なくなり、この後10日間ほど全く声が出なくなった。スペイン語も出来ない上に英語の筆談のみで本当に苦労した。
南部の遺跡やユカタン半島の遺跡に行くときは、十分すぎるほどの水を持参することをお勧めします。
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17.モンテ・アルバン遺跡
紀元前500年ごろから建設された中央アメリカ最古の遺跡で、世界遺産となっている。規模も大きく中央のピラミッドは単なる祭壇と思われていたが、最近王の墓であることが分かり、たくさんの贅沢な副葬品が発見されオアハカ博物館に展示されている。
遺跡の石段はきつく、昔の人はこんな生活を平気でしていたのかと驚く。かつてはこの遺跡周辺に2万5千人ほどが生活していたそうで、天文台、球戯場、大ピラミッド、墓などが残っている。ここもやはり突然人々が去ってしまって長年眠ったままになっていた。
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18.パレンケ遺跡
パレンケ遺跡はユカタン半島の付け根にあり、マヤ最大の遺跡で800年もの間ジャングルに埋もれていたそうだ。ここも他の遺跡と同様、放棄されていたものをスペイン人の略奪にあったが、500棟以上ある遺跡のうち発掘されたものはほんの一部だそうだ。しかし王の墓がある碑文の神殿や赤や青で彩色された頭蓋骨のレリーフがある頭蓋骨の神殿、天文台のある宮殿など見事な建築が残されていて、マヤ文明の高度さと壮大さに圧倒される。
内部は1段が50cm以上ある階段また階段で、しかもこの地方はジャングルでとても湿度が高く、この遺跡めぐりはとても体力を消耗する。
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19.メリダ
ユカタン半島の北部の町で、やはりマヤ遺跡のチェチェン・イツァーへの入り口になっている町だ。
その日は新年。午前1時ごろまで爆竹がバンバン鳴り、時々大砲を撃つようなドーンという音が響き渡る。これは中国の新年以上にすさまじい。
メリダはユカタン半島の中心にも拘らず、特に何もない町だ。
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20.チェチェン・イツァー遺跡
セノーテ(泉)を中心に開発された都市で10世紀ごろに栄えた。
大神殿エルカスティージョは9段の階段ピラミッドで,春分と秋分には階段に竜が這っているように太陽の影が出来ることで有名だが、その他戦士の神殿や生贄を置くためのツォンパントリなど500m×2kmの中に多くの建物が残っている。
このエルカスティージョ神殿の階段の傾斜も非常にきびしくて、皆四つんばいになって登っているし、降りるときは座った姿勢でないと怖いのだが、私が登った3日後にアメリカ人の男性がこの階段から転げ落ち、以後エルカスティージョへ登ることは禁止になったとのことだ。
ここも本当に暑かった。冬でもこの暑さだから夏はとても見学できないだろう。遺跡めぐりは本当に体力を要する。
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21.カンクン
メキシコ有数のリゾート地だが、2006年当時はハリケーン、カタリーナの跡も生々しくかっての賑わいはなく寂れていた。細長く半島のように横たわるホテルゾーンも東側のホテルは全滅状態で、ハリケーンの猛威がいかばかりだったかと驚かされた。しかし、一部では大きなホテルチェーンが廃墟となったホテルを買い占めて、復旧工事が始まっていて、多分現在はかっての賑わいを取り戻していることだろう。
カンクンからキューバとグァテマラを回り、メキシコのサン・クリストバルからまたメキシコの旅を再開した。
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22.サン・クリストバル
グァテマラの国境近くにある町で、特に先住民が多く住んでいて、服装はグァテマラと似ている。高地なのでかなり寒く、山の中では霜が白く降りている。
町中は石畳の道路で整然として美しい。
この町のサン・ドミンゴ教会も豪華そうだが、全面修復中で内部は見られなかった。周辺はやはり民芸品の市が数え切れないほど立ち、刺繍もすばらしいがカラフルなマクラメ編みのベルトなどが高度な技術を駆使していてすばらしい。
サン・クリストバルのカテドラル サン・クリストバルの町並み
織物をする少女 美しい刺繍のワンピース
美しいアップリケ サン・クリストバル教会
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23.サンファン・チャムラ
ツアーで近郊の先住民の村、チャムラとシナカンタンの村に行った。これらの村では一切写真撮影禁止になっており面白い風習や宗教儀式があったが、殆ど撮影できず残念だった。
メキシコといっても高度が高くなると本当に寒い。前夜は毛布2枚、ふとん、寝袋にカイロ3個を貼っても寒かったし、チャムラの村も風が吹きすさび広場の真ん中で延々と説明するガイドを恨めしく思ったほどだ。
チャムラの村では日曜日に、マヤの先住民から伝わる儀式がそのまま行われていて、服装も独特の黒いコートや腰巻をまとい、評議員である男性が広場に輪になって座って何か議論している。
教会の中ではたくさんのローソクが立てられ、村人たちが松葉が敷かれた床にひざまづき熱心に祈っている。キリスト教が入ってきても完全に彼等流に同化された儀式になってしまっているのが面白かった。
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24.ケレタロ
サン・クリストバルから一気にメキシコシティの北200kmの町、ケレタロへ。この町は珍しくスペイン人と先住民が共存できた町で、町中に水道橋が通り美しい教会が多数あり、ここも世界遺産となっている。この町の近くにもグァナファトなど世界遺産の町があり、この一帯はアメリカのチャーターバスがたくさんやって来て観光客が多く、かなり観光ずれしている。
旧市街はコロニアルな町で、全て石畳で教会がいたるところに目に付く。
水道橋は1.2kmあり、夕日に映えて一服の絵のようだ。またサンタ・クルス修道院も青いステンドグラスが夕日を透かし、黒いシルエットの中に浮き上がって美しい。
水道橋のあるケレタロの町 緑の公園の中の地方歴史博物館
夕日に浮かぶサンタ・クルス修道院のシルエット 豪華な教会の祭壇
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25.グァナファト
この町も18世紀に銀の産出で潤い、メキシコで最も美しい街となり世界遺産となっている。バスはかっての坑道であった地下道を通って町中に入る。この地下道は今でも町の下を何ルートか走っていて、車の専用道路になっているが、この町の銀鉱の規模の大きさが分かる。
ここもコロニアルな作りで、どこを切り取っても絵になる風情がある。町にはメキシコ独立戦争の最初の舞台となったアロンディガ・デ・グラナディータスがあり、内部には独立戦争に関する壁画が描かれている。
ファレス劇場は古代ギリシャの神殿を思わせる作りで重厚で、夜毎オペラやコンサートが行われるそうだ。グァナファト大学は学舎前に壮大な階段を持つ芸術大学で、町の観光にも貢献している。その他いくつかの博物館があるが、曲がりくねった石畳の道を歩くのは飽きない。
夕方ケーブルで町を見下す丘に登り、日没から灯火がつくまで眺めたが、ライトアップされた中世の町並みの美しさは忘れがたい。
夜、教会前の広場で3つの楽団が演奏し、町を練り歩いていた。中世の騎士の服装をして10名くらいで歌いながら通りから通りを歩く。土地の人もたくさん夜の街に繰り出し町の中心は人であふれ返っている。スペイン系の人って本当に夜になると元気だ。
グァナファト遠景 地下道を通って町に入る
グァナファト大学 町の広場
ファレス劇場 町の小道
丘から町を見下ろす 丘からの夜景
夜の町を歌いながら歩く楽団
夜の町を歌いながら歩く楽団 公園で市民によるコンサート
町角の噴水 古い教会
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26.サカテカス
この町は今回のメキシコ旅行で訪れた最も北の町。メキシコの主だった町の殆どは広い国土の南部に集中していて、北部は山岳地帯となっており、交通の便もあまり良くない。ただサン・ディエゴから伸びる半島、バハ・カリフォルニアとチワワ鉄道には魅力があり、またいつの日か行ってみたい。
この町も銀で栄えた町だ。これまでの銀鉱の町の中でも最も栄えた町で、ひときわ壮麗で、有り余る金を注ぎ込んで出来上がった町という印象だ。バロック風の立派な建築物が至るところに見られ、ここも世界遺産になっている。
町は周囲を山に囲まれた盆地で、中心はたった1km四方で小じんまりとしている。
美しいドームを持つカテドラル、内部の装飾に圧倒されてしまうサント・ドミンゴ教会、博物館、劇場など贅を尽くした、むしろ反感さえ抱かせるほどの華麗さだ。
町外れにはエデン鉱坑という昔使った坑道の内部にトロッコで入って行ける。地下500〜600mも掘り下げて、銀や様々な輝石を採ったそうで多分劣悪な状況で鉱夫たちは働かされたのだろう。
町の南部には水道橋、そして闘牛場をホテルに改装したキンタ・レアルというおしゃれなホテルがある。かつての闘牛場を中庭にして、回りの観覧席部分を客室に改装し、水道橋を借景にした面白い作りだ。ホテルの前には美しい公園もあり、いつかは泊まってみたいホテルだ。
サカテカスの歴史地区はグァナファトより規模は大きいが、観光客はずっと少なく、観光で食べているという感じはしない。町全体がのんびりとして世界遺産の町としては観光地という雰囲気はない。
泊まった民宿は芸術家夫妻の家で、ご主人は典型的なメキシコ人といった感じの実におしゃべりで人懐っこい人。奥さんは対照的に静かで黙々と家事をこなし、絵を描いている。こんな内省的なメキシコ人もいるんだとメキシコ人を見る目も少し変わった。奥さんの絵のほうがずっと評価されているようで、どうやらご主人を養っているようだった。
サカテカスのカテドラル サカテカスのカテドラル
石造りの美しい町並み 市場も立派な建築物
エデン鉱坑へ トロッコで鉱坑へ
エデン鉱坑で採掘される輝石 ホテル キンタ・レアル
ホテル キンタ・レアル 町中を貫く水道橋
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27.モレーリア
朝10時のバスに乗り10時間かかってやっとサカテカスの町に着いた。途中いくつもの町に止まり、湖を2つ越え、野火の見える山を越え本当に長かった。
メキシコ北部は交通の便が悪く、南部のように直通で行くバスはないらしい。
ここも世界遺産になっているだけあって、石造りの美しい町だ。規模はかなり大きいが観光客は少なく、アメリカからの観光客はダラスやヒューストンから直接フライトやバスがあるサン・ミゲル・アジェンテやグァナファトに集中している。
石造りの碁盤の目の通りの建物は美しく立派だが、ただ昼間は暑くて歩けない。この町にも水道橋が残っているが、手入れが行き過ぎていて風情がない。
モレーリアの教会 モレーリアの町並み
モレーリアの町並み 公園で結婚式後の記念撮影
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28.バックアロ
バックアロは小さいが趣のある町だ。やはり石畳で石壁にランプが灯り、グァテマラのアンティグアにそっくりだ。ここから近くの湖の中にあるハニツィモ島という島に行ったが、最低。湖はドロ色だし、島に着くともういたるところ頂上に登る石段から頂上のわずかな空間まで全て土産物屋。しかもどの店も同じような物ばかり売っていて、この島特産の物など何もない。食事もまずい。
夕方バックアロの町を散歩した。ここは普通の民家の町並みが美しい。ランプが灯っていい雰囲気だ。日曜日のせいかすごい人出だ。9時を過ぎても何の目的もなくただ歩く。
公園でこの町の名物「老人の踊り」を見たが、木で出来た草履のようなものを履き、タップのように足を踏み鳴らすだけで、腰をかがめて杖を持って踊るので「老人の踊り」というようだが、たいした踊りではない。
キガロとツィンツンツェンという湖の近くの町に行った。「地球の歩き方」にキガロにはたくさんの民芸品があるというので行ってみたが、全くなく急に民芸品が無くなるはずもなく、きっとどこかの村と間違えていたのだろう。
ツィンツンツェンは通り全てが民芸品の店といった感じで、木彫り、草、麦わらの工芸品が殆どだった。
「歩き方」には載っていないが、町の中心の広場の奥にもう一つ広場があり、その奥に由緒ある教会があり、欧米の観光客がたくさん訪れていた。「歩き方」は時々重要な情報が漏れているし、特に宗教関係に弱いとこの時も思った。
3月になると昼間は本当に暑く、シエスタが必要になる。しかし薄紫の花が咲くジャカランタの大木が至るところに見られるメキシコ中部の地方都市は本当に美しく、見飽きることがない。
実質1ヵ月半のメキシコ旅行だったが、地方都市は本当に美しい。ただ、高地のため空気が薄く坂道が多いので、体力的には疲れるし、排気ガスにも悩まされた。
しかし、これらを差し引いても余りあるほどメキシコの地方都市は魅力的だ。各地方の色彩あふれる民族衣装や民芸品、活気あふれる市場、郷土料理そして美しい町並み。機会があればもう一度行ってみたい国の一つだが、次回はサン・ディエゴからバハ・カリフォルニアを通り、チワワ鉄道に乗ってみたいと思っているが、さていつの事になるのやら。
バックアロの全景 バックアロの町並み
バックアロの町並み ハニツィオ島の全景
名物「老人踊り」 町中でくつろぐ婦人
                            完
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