(アルゼンチン・チリ・ペル-・おまけのブラジル・ウルグアイ)
期 間 : H21年2月18(水)~3月23日(月)・・・34日間
奥田 知巳・詳子
―イグアスの滝・パタゴニア・ぐるり“ペル-”周遊の旅― |
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はじめに 旅好きな人なら一度は訪れて見たいー南米大陸- 明治の終わりごろ、新天地を求め、夢を抱き、多くの人達が移民として渡った“南米の地”。 今も脈々と、日系3世、4世の人達が暮らすかの地に…、何時か旅してみたいと思っていました。 ツア-で旅した人に尋ねると“飛行時間が長い、乗継に、時差に、高山病に・…”、「疲れた!!」という。 個人旅行の話をすると、スペイン語は全く駄目、英語も片言となると、「南米はやめとき…」と忠告される始末。でも…、やっぱり“ゆっくり・のんびり自分の足で大地を、世界最南端の町を、地球の裏側を…、しっかり歩いて見たい!!“ と、素人もすなる“個人旅行”というものを、「地球の歩き方」の本2冊と、少しだけの”ネットの知識”を活用し旅することにしました。 旅の準備 ―航空券・宿泊予約― 先ずは”航空券”、H旅行社の窓口で、希望の旅行スケジュ-ルで見積もってもらいました。関空発もある、又、マイルを貯めており、”ノースウエスト航空”を希望するも、「米国での乗継便が悪く、アメリカで一泊しなければならない…」とのこと。代わりに、デルタ航空利用で見積もって貰うと、とんでもない高額になるようなので断 念。次に、ネットで検索。東京にあるT社が見積もりも素早く、安く、南米事情にも詳しい。応対も丁寧…にも関 わらず、初めてのネット購入に不安があり、大阪のI社に(何かトラブル時には相談できる?)決めました。 しかし、担当者は南米の見積もりは初めて?とも思われるぐらい“南米事情”に疎いよう思われた。 当初の見積もりで、T社と比較するとかなり高い。南米間の航空会社変更で(T社と同じ、AR航空→LA航空に変更)、かなりコストダウン。(ブエノス⇔ウシュアイア間はAR航空しか運航していない。) 又、担当者から、“飛行機の予約はしていても、早めに空港へ行かないと“オ-バ・ブッキング”で乗れないこともある。 “リコンファ-ムが必要”と、各航空会社の電話番号も教えて貰いました。(スペイン語?英語?でどうやって電話する?…) 更に、出発前から、飛行機の発着空港や大幅な時間の変更メ-ルが再々ありました。 さらに、更に…、米国へ2回(乗継で)入国するので(往路・帰路)、”ESTA”申請も2回必要という。実際は、自分でESTA申請しながら、1回の申請で2年間有効と記載あり、担当者が間違っている事に気付いたが…。 (後日談ですが、九州・関西・名古屋などからの、個人旅行の人達との情報交換で”南米旅行”に関しては、大手旅行社でさえ、スタッフは何も知らない…、で意見が一致。関空からノ-スウエスト航空利用で、米国宿泊せず来た人もいた。) 宿泊に関しては、主に“地球の歩き方”のホテル情報で、”英語が通じる、多少通じる” を優先に( スペイン語しか通じない宿が多い)、ネット予約。約3か月半の準備期間を得て、ようやく“旅”の準備完了。 いざ、“旅立ち” 種々不安材料を抱えながらも、出発の日を迎えました。 旅の行程 伊丹⇒成田(ダラス経由)⇒ブエノスアイレス⇒イグアスの滝(3泊) ⇒パタゴニアへ イグアス⇒ブエノス⇒エル・カラファテ(AR・2泊) →プエルト・ナタレス(チリ・2泊) →プンタ・アレ-ナス(チリ・1泊)→ウシュアイア(AR・3泊) ⇒ブエノスアイレス(3泊) ⇒ペル-へ ブエノスアイレス⇒リマ⇒クスコ(1泊) →マチュピチュ(3泊)→クスコ(2泊) →プ-ノ(3泊)→アレキ-パ(2泊)→ナスカ[2泊] →リマ(3泊)⇒(マイアミ・シカゴ経由)成田⇒伊丹 注 ⇒・・・飛行機利用 →・・・バス利用 旅の総費用:735,474円(一人分) 内訳 航空運賃:425,140円(229,140円+196,000円) アメリカン航空:229,140円 ( 航空運賃:17,4000円・ 空港税:9,100円・サ-・チャ-ジ:44,000円・ 空港使用料:2,040円) AR航空運賃:36,800円 :ブエノス→ウスアイア(料金:31,200円・空港税等5,600円) LA航空運賃:159,200円 :ブエノス→イグアス往復・ウスアイア→ウエノス 73,200円(料金:62,000円・ 空港税など5,600円) ブエノス→リマ→クスコ:86,000円(料金:79,200円・空港税等6,800円) 宿泊費・交通費・食費など:310,334円 ①宿泊費:98,666円(30泊1人分 1泊当たり1人/2,960円) ※アルゼンチン・チリ14泊(119,213円/2人)※ペル-16泊(78,119円/2人) ②現地バス・列車・ツア-料金・公園、博物館入園料など:116,865円(AR:60、681円・ペル-:56,184円) ③食費:39,000円((AR:21,000円・ペル-:1 8,000円) ④その他(本・絵葉書・切手・写真代など):46,548円(AR:23,115円・ペル-:23,433円) ⑤保険(損保ジャパン):9、255円(18、510円/2人分) ※南米間での飛行機利用が多く、総費用の大半が航空運賃となった。利用する航空会社によりかなり差がある ようだ。 *航空運賃参考資料 T社見積もり(コンチネンタル航空利用)…404,530円(214,800円+189,730円) コンチネンタル航空*214800円(サ-チャ-ジ46,000円含む)+国内線・ブエノス→リマ→クスコの国際線 (189,730円) H社見積もり(デルタ航空利用)492,390円(253,690円+238,700円) デルタ航空:253,690円(サーチャ-ジ28,600円含む)+国内線・ブエノス→リマ→クスコの国際線(238,700円) アメリカン航空利用時の最初の見積もり:457,640円(229,140円+228,500円) アメリカン航空(229,140円+国内線・ブエノス→リマ→クスコの国際線(228,500円) (ブエノス⇔イグアス往復・ブエノス→ウシュアイア)…105,700円(AR航空)→73,200円(LA航空)に変更 (*サーチャ-ジ一律に12,000円↓・3社とも伊丹→成田までの航空券含む) - イグアス、パタゴニア編 - (チリ・アルゼンチンの南緯40度以南の地域を言う)(2月19日~3月8日) まずは、アルゼンチン・ブエノス・アイレス着、そしてイグアスへ 2月19日朝、9:55分ブエノスに到着。伊丹空港から22時間(乗り継ぎ時間を含めると、30時間)の飛行機の旅。 更に乗継し、13:30分発イグアスへ直行予定。(合計24時間の飛行時間、伊丹出発から35時間の経過となる。) ブエノスでの乗り継ぎは3時間半あり、”のんびり”の筈だったが…、なんと日本出発直前に、“乗り継ぎ”は、エセイサ国際空港→ホルヘ・ニュ-ベリ空港(主に国内線運行)へタクシ-(約40分要、約4,500円)で移動することが判明した。(更に、“リコンファ-ム”を忘れると乗れないことあり。空港には早めに行かないと、チケットがないことがあるなど…南米航空事情の説明もあり。) 大急ぎで、入国手続き、そして荷物を受け取るや否や、$を“アルゼンチンペソ”に両替。即、レミ-ス(大型タクシ-)を予約。 12時30分、無事“ホルヘ・ニュ-ベリ”空港着。 ぎりぎりの手続きにも関わらず?イグアス行きの航空券も無事ゲット。 少し時間の余裕もできたので、これから乗る予定全ての飛行機 を“リコンファ-ム”をすることにした。 カウンタ-で、「リコンファ-ム、プり-ズ」と、e-チケットを示しながら尋ねるも、「ノ-」と、別の窓口へ行くように言われる。 別のカウンタ-で、再度「リコンファ-ム、プり-ズ」を繰り返すも、「ノ-」という。 ここで南米旅行に備えて購入した”電子辞書”のお出まし。始めに尋ねたカウンタ-で、辞書を示し確認する と、「オ-、レコンフィルマ-ル?OK」と言いながら、チケットの確認をしてくれた。 (空港の職員ならリコンファ-ムで通じて欲しいが…)まあ、ともかく、2週間先に乗る飛行機の“リコンフィル・マル”全て完了。 しかし…、また、又、アクシデント!!発生。 22日乗る予定の、イグアス→ブエノスアイレス→エル・カラファテ便が、“ブエノスアイレス”での乗り継ぎは、国内線の同じホルヘ・ニュ-ベリ空港であったのに…、2月?から全ての便が、国際線の発着する“エセイサ-空港”に変更なったと言う。 (この件は出発前、時間の変更と共に、エセイサ国際空港→国内空港への変更メ-ルあり。又、出発前日に、再度国際線→国内線に戻ったと電話連絡あり。)片言英語でその旨話すも、“変更に変わりはない”と、気の毒そうに言ってくれる。 (それから3日後、イグアスからの乗り継ぎ時、今度は時間に余裕があるので、タクシ-((4,500円要)は使わずミニバスで国際空港に移動した。 当日に、国際線→国内線に変更になった?と思われる”ゲ-ト”は、臨時に急遽設けられた感じで、まるで迷路。探すのに大変で時間も大幅に遅れた。) ”リコンファ-ム”とは、発着時間・空港の変更・欠航などの確認をすることらしい。 また、eチケットの自分の予約が、名簿に載っているかどうかの確認でもあるようだ。(画面を見て、全ての予約が名簿に記載されていると、教えてくれた。) (後日、旅行者の1人が、”チケットを持っているのに、名簿漏れ?で乗れなかった、と話していた。) “リコンファ-ム”は空港の、各航空会社の窓口でした方がスム-ズ。(…こんなややこしい事、とても電話で問い合わせられる訳がない。) 1.イグアスの滝は―アルゼンチンそしてブラジル側からも― ブラジル入国には“ビザ”が必要という。「地球の歩き方」には“原則としてビザが必要”とある。せっかく、遠路はるばる来たのだから、やはりブラジル側からも”滝”を見たい。私達の泊まるホステルの直ぐ前が、”イミグレ”。…でも、ビザ取得には半日必要との情報もあり。 アルゼンチンからバスでブラジルを通過し、“友情の橋”を経て、パラグアイに入る場合はビザ不要という。 まず、バスでパラグアイに行ってみる事にした。 パラグアイ行きバス乗車後、15分も走ると全員下ろされ、アルゼンチンの出国スタンプを押してもらう。(ブラジル入国審査はない。) また同じバスに乗り、ブラジル通過→(友情の橋を渡り)パラグアイへ。 (このままブラジル側のイグアスの滝に行けるかも…)と、無知かつ大胆に、イグアス川にかかる“友情の橋”をテクテク歩いてブラジルへ引き返した。 しかし、そこにはブラジルの係員が待機。“入国審査”で引っかかってしまった。 ”ビザ“がないこと、”アルゼンチンからブラジルへの入国スタンプがないなど…さんざん絞られたが…、 「バスでブラジルを通り、橋を渡りパラグアイに行った。そして、パラグアイから橋を歩いて来た。 ブラジルには行く予定がないので、“ビザ“を持っていない。このまま橋を引き返し、パラグアイからバスでアルゼンチンに帰りたい。OK?」 と、片言英語で交渉し(ブラジルはポルトガル語?)、すたこら歩いてパラグアイへ引き返した。 そして、パラグアイ(バスでブラジル通過)→アルゼンチンへ無事帰国。
―それから2時間後のお昼、アルゼンチンからブラジル側の滝へ― 「ブラジルには行かない。」と、断言して口の根の渇く間もなく、アルゼンチンを再度出国し、ブラジルへ。 ブラジルのバスターミナルで乗り換えし1時間30分(時差1時間あり)、今度は、誰に咎められることなくブラジル側の滝へ到着。 入場ゲ-トに着くと、「こんにちわ」「どこから来た?」などと、係員が笑顔で話しかけてくれる。 早速、国立公園入園ゲートから2階建バスで移動。 始め遠く流れ落ちる滝を見た時、(…ナイアガラの滝には負けるのでは?)と、一瞬思った。 でも、それはすぐに打ち消された。歩道橋を、展望台を、端からはしまでゆっくり歩いていると…、改めて、スケ-ルの大きさに驚く。 滝の全景が、歩くほどに拡がる。一体どこまで広がるのだろう…。 滝の落ちる水際に、滝壺近くに進み、水しぶきをあびるボート。ずぶぬれになり歓声をあげる人たち。その傍でのんびり水浴びを楽しむ人… まさにここは、大自然真っただ中のパラダイス!! 滝の上流を流れるイグアス川は、ひろく、広く、どこまでも…、拡がる。悠々と、おだやかに流れ、あちこちの滝の上流へと、ごく自然に集められ流れている。これらの大きな川の流れは、水は、いったいどこから集まってくるのだろう。 イグアスのこの河を、緩やかに流れる“同じ水”が…、ドッドと轟音を響かせ落下する”滝の水”とは到底結びつかない。 落下する滝の“動”と川面の“静”のアンバランスさに、言い表せない自然の大きさに、改めて感動した一日だ った。 “ブラジル側の滝は、迫力ではアルゼンチン側に劣る”と、いわれる。明日の、”アルゼンチン”側からのアプロ-チが楽しみ…。
翌日、アルゼンチン・イグアス滝へ(9:30~17:30まで過ごす) 8:30分バスで入園ゲ-トへ。そして公園内を鉄道で移動し、先ずは、イグアスのハイライト”悪魔の のどぶえ”へ 昨日感嘆したブラジル側からの“滝”と、また、一味も二味も違う。”悪魔の のどぶえ”誰が名つけたのだろう。ネーミングが素晴らしい。 轟音とともに、ドドッと吸い込まれ、のみ込まれそう…まさしく“悪魔”の水しぶき。 “悪魔”に引き込まれたら…どう足掻いても、ただの泡屑にすぎない。滝が落下するさまは、激しく、力強く、迫力満点、…を通り越して“怖い”。 そんな滝を優しく演出しているのが、イグアスの滝にかかる”虹の橋”だという。そして、滝の岩にしっかりへばり付いた“水草”が、太陽の光を受け、落下する滝の表面を、 “エメラルドグリン”に、鮮やかに染めて いる。 昨日歩いた対岸の、ブラジル側の滝や遊歩道の景色を、大小300もあるというイグアスの滝を、上から、下からと何回も…、夕方近くまで巡り歩いた。 イグアスの滝での一日を満喫して、公園のゲートでバスを待っていると、 “アンケ-ト”に協力して欲しい係員がいう。 (どこから来たか、どのアトラクションに参加したか、係員は親切か、幾らお金を使ったかなど…)。 また、入場者が誰もいない展示館に入ると、2人の係員が「日本から来た?」と、口々に聞くので、頷くと、一人の係員が「私の勝ち!」 と、言わんばかりの表情。どうやら、こんな展示館まで来るのは”日本人”ではない。と、思ったようだ。 何組かの疲れた顔した、日本の団体観光客は見かけたが、”悪魔の のどぶえ”のビュ-ポイントを離れると、もう見当たらない。 夕暮れ時まで一日中、のんびり過ごしている日本人が珍しかったのかも知れない。 ブラジルの、アルゼンチン側の”イグアスの滝”を今日も満喫!!(大きな失敗が一つ、おいしいハムドッグを半分、アナグマに盗まれたこと。) 改めて“個人旅行”の素晴らしさを実感した。
2、イグアス→ブエノス→エル・カラファテ(パタゴニア)へ いよいよ今日から”パタゴニア”ブエノスでの飛行機の乗り継ぎは順調。(国内線→国際線の飛行場へバスで2時間の移動) 朝9:30にイグアスを出発し、都合4時間の飛行時間なのに、丸一日を費やしての移動日となった。 エル・カラファテ着20:10分(ブエノスと時差が-1時間の為、実際は19:10分。当初は、15時にエル・カラファテに到着予定だった。) ホテル着後、翌日の氷河ツア-と、2日後のプンタ・アレ-ナス(チリ)のバスを無事予約。 ロス・グラシアレス国立公園へ(ペリト・モレノ氷河、ウプサラ氷河ツア-) 7:00、朝の空気は冷たい。ホテル前で、氷河ツア-のバスピック・アップを待つ。フロントのおじさん、見かねて何回も旅行社に電話してくれる。 「1分すると来るらしい… 」との返事らしいが、おじさんは「5分かも…?」といたずらぽく笑う。結局10分後の8:00に漸くバスピック・アップ。 1時間待たされ、バス→船(ブンタ・バンデ-ラで乗船)の1日氷河ツア-へ。 船が出港するとすぐ、そこには、真っ青な氷河の分身“氷の塊”がぽかぽか浮かんでいる。セコ氷河→スペガッツイ-ニ氷河→ペリト・モレノ氷河… ここロス・グラシアレス国立公園は、南極、グリンランドに次ぐ氷河面積があるという。 ペリト・モレノ氷河では、氷河の崩落、巨大な氷塊が轟音とともに崩落していく様を見る事が出来ると、期待していたが…、 残念なことに当日は、ほんの小さな崩落しか見る事は出来なかった。 しかし、船上から、数々の(大きいもので47個もあるという)氷河を、氷河が造り上げたU字谷、氷河に削られた険しい山々を。 ツア-客一同、歓声をあげ、飽きることなく見入っていた。
―彫刻の“うみ”そして 白い雲・青い空―そこはまるでメルヘンの世界。 ネオ-ジ氷河で下船し暫く歩く。そして氷河を真じかに見る。崩落し、浮かぶ氷塊。船は、氷塊がポカポカ浮かぶ中を、氷河のそば近くまで進んでいく。そこは、まさしく“彫刻の湖”どこまでも…青い水面、太陽の光を受け輝く薄い水色の、真っ青な、エメラルド色の、濃いグリ-ンの氷塊が…、 切り立ったように険しく削られた、途轍もなくでかい氷塊が、デーンと浮かぶさまは、まさに“彫刻のうみ”芸術作品のオンパレ-ド。 “空”も負けていない。 青く、あおく澄み切った空、 “雲”がまた素晴らしい!! ホットケ-キ?魔女?ユ-ホ?いるか?…、いろんなものを連想させてくれる“真っ白な雲”そこはまるでメルヘンの世界!! 自然が織りなす“空と海の自然の芸術”。こんなにも空が青く、雲が透くように真っ白い…、初めて目にした光景。空と雲のコントラストが鮮やかだ。 夕方、ホテルからニメス湖まで歩いた。 みどり色に染まるニメス湖に、チリフラミンゴ?や無数の水鳥が塒に帰る準備中のようだ。 親切なフロントのおじさん、ミケランジェロホテルも良かった。明日は“エル・カラファテ”ともお別れ…。
3 エル・カラファテからプエルト・ナタレス(チリ)へ AM8:30バス定刻に発車。 座席指定されているとも知らず、(…前の方の席を)、と早めにバス停へ。バスはほぼ満席、今日も日本人は私達だけ。 カラファテを後にすると、広い、広い草原が、地平線が…どこまでも続く。暫く走ると、プエルト・ナタレスから来たバスと出会い、運転手さんが交代。 車窓風景は、再び、広い草原、チリフラミンゴが群れる湖が、羊やグアナコ、ダチョウが…と、小さな変化を楽 しむ。 “雲“と”空“は昨日の氷河ツア-の時とまるで同じ。 大空の空間には、さまざまな形の”雲の造形・芸術作品“。 …今日も“メルヘンの世界”と、うっとりしていると… PM1:00 全員下ろされ、アルゼンチンの出国カ-ド提出。(イグアスでは→ブラジルへ出国時は、パスポ-トを見せただけ…) バス乗車前、チリ入国カードを渡される。5分も走ると、“チリのイミグレ”で下車。取敢えず、入国カ-ドを急いで記入し提出。 まず、検疫で、「イグアスに行った」と、言うと、「イエロカ-ドは?」「下痢・熱?」と、次々質問。入国審査も無事済み、バスに乗り込もうとすると、さあ大変!! なんと、バスの座席の、トランクに預けた荷物全てが放り出してある。(それも,鈍な私達がラストだ。)荷物コントロ-ルに通し、(無事終了?)の筈が…、 「これは何か?」と、呼び止められた。コントロ-ルに写る、リンゴ2個を示すので、「アップル、アップル、プリ-ズ」、と、没収してくれと言っているのに…、 検疫カ-ドで、麻薬も、動植物など…生ものを持っていないと、虚偽の申告をしたので書き直せという。 新たに書きなおし、「これでOK?」と、リンゴを返してもらおうとすると、「ノ-」と、リンゴは没収されてしまった。 “チリ”での入国手続きは、ハプニングあり大変だった。“リンゴを食べておけば…”と、悔やまれたが…、 でも、係員は一つ一つ間違いを丁寧に教えてくれ、親切だった。 14:30分着 プエルト、ナタレス到着 明日のパイネ国立公園ツア-と、2日後のプンタ・アレ-ナス行き・3日後のウシュアイア行きのバスのチケット購入
パイネ国立公園ツア- 7:30分ホテルでピックアップして貰う。マイクロバスで19名、ほぼ満席。 今日も日本人は他にいない。南米では、何時もスペイン語と英語のガイド。始め、スペインからの旅行者が多い?と思ったが…、 考えてみると、南米の国の大半が話す言葉はスペイン語。勿論国内旅行や隣の国から来た人もスペイン語を話すのだから、スペイン語のガイドが主なのだ。 何時も「スパニッシュ?イングリシュ?」と聞かれ、「イングリシュ」と一応返すが…。英語もとんちんかんに理解している事が多い。 英語も、スペイン語も勉強しとけばよかった…、本当に悔やまれる。 でも、雄大な大自然の中では説明も何もいらない。 氷河の歴史や面積などを説明されても…、と、強がって みる。 “国立公園”の主役は全て氷河。(山梨県とほぼ同面積に大きな氷河だけで47個あるらしい。) 氷河で削られた鋭いト-レス・デル・パイネ峰の雄姿や、パイネ・グランデ山の峰々のすぐ側を歩いていると、ガイドなんていらない。 氷河で削られ、切り立ったそれらの山々が、厳しい大自然であると証明し、又、太陽の輝きを受けるだけでと、大自然の優しさをも教えてくれる。 燦々と輝く太陽の日差しを受け、高山植物の可憐な花々が、草原にグアナコが群れ…、夢心地で歩いている時…だった。 突然、パイネ峰が目前に…、そして、パイネの峰をバックに従えて“可愛い狐”が私達を出迎えてくれた。 一瞬時間が止まったかのような―光景、 青い空、白くふんわり浮かぶ雲、今日も変わらない。 氷河が流れ、薄水色、エメラルドグリン、コバルトブル-…と湖もきらきら輝いている。 パイネ国立公園では、2~3日間の、1週間のトレッキングコースがあるという。(後日ペル-で会った学生さん、昨年トレッキングを楽しんだと言う) 一日ぽっきりで帰るのかと思うと…本当に残念だ。
4.パイネからプンタ・アレ-ナスへ 今日の移動はバスで,約3時間、10時発とゆっくりした出発。ネットで(海外で初めての試み)ブエノスでのタンゴショ-を申し込むことにした。 エル・カラファテで出会った若者が、お勧めのタンゴショ-のアドレスを送信してくれた。彼は”ロス生まれ、ブエノスで英語の教師をしている日本人。 母親が日本語の教師の関係で?とてもきれいな日本語を話す。ブエノスでは、日本語入力の出来るパソコンもあるという。 しかし、ここのホステルのパソコンでは、日本語入力は無理だった。彼にはロ-マ字でメ-ルを送り、次にタンゴショ-の申込み。 タンゴショ-のお店のホームペ-ジを開き、入力開始したが… Nombres→名前を入力するのを、(人数を聞かれている?)→2Personと入力 Pais→Japan と入力するのを(カード?現金?で払うのか聞かれている?)→Cashと入力 Feche decumpleans…(生年月日らしい)の所で入力を迷っていると、ホスタルのスタッフが来てくれた。 「何かお手伝いは?」と言いながら、画面をチェックして、入力の間違いを指摘してくれた。 “申し込み希望月日”と”e-mail”アドレスの入力だけは合っていると教えてくれた。 もし、こちらの名前も入力せず、間違いだらけのメ-ルを送信していたら…メールを見たお店の人は??? 親切なスタッフがいて、本当に良かった。
13:20 プンタ・アレ-ナス着 ホテル着後フロントにて、4時からの“ペンギン営巣地ツア-”を依頼する。しかし、「今日は、風が強く船が出ない。明日の9時という」 「明日は、ウシュアイアに行くので今夜行きたい 」と希望する。あちこち問い合わせてくれたが、返事がなかなか来ない。 その内、直接旅行社に走り、交渉してくれ、大型の船がでるからタクシ-で港まで行くよう手配してくれた。 船に乗り、1時間40分、オトウエイ湾にあるペンギン営巣地へ。 島に着くと、遊歩道に沿って頂上まで歩いた。 ペンギンは、島で巣を作り、目下子育ての最中らしい。餌とりツア-に?群れて出かけるペンギン達。魚取りツア-も終わり、陸にあがるペンギンの群れ、何時も家族で、集団で一緒に泳ぎ、行動しているようだ。 ペンギンがあんなに上手に?クロ-ル?犬かき?して泳ぐのを始めて知った。泳ぎの名手らしい。1000km離れた南極までも泳ぐという。 1時間ペンギン島の中を歩き、又船で港へ(20:20分到着) 港に着くと、出迎えの大型バスやマイクロバスが何台も待機している。しかし、タクシ-で、遅れて参加した私達の席はないらしい。 タクシ-が待ってくれていると思ったのに…、一台もない。走ってもいない。街迄4kmはある。仕方ないのでテクテク歩き始める。 たまに通るタクシ-を見ると、手をあげた。ひたすら歩きながら、何回も手を上げた。 すると、タクシ-が一台、お客さんが乗っていたが、止まってくれた。どうやら、お客さんが地元の人らしく、暗い中を歩く私たちを見て 同情して?乗せてくれたようだ。運賃も割り勘?にしてくれたのか安かった。 ホテルのフロントの女性、タクシ-の運転手さん…、チリの人は本当に親切な人ばかり。 夜遅くに食べた、シーフ-ドス-プの味も最高に美味しかった!!
5、世界最南端の街ウシュアイア(アルゼンチン)へ 9:05 定刻にバス出発。途中、プエルト・ナタレスから来た14~15人のお客を乗せほぼ満席。 プエルト・ナタレスで同じホステルに泊っていた女性と再度出会う。 彼女とは、パタゴニアに来て初めて出会った日本からの旅行者。サンチャゴ→パタゴニア→ブエノス→パラグアイ→イグアス→サンチャゴ そして、イ-スタ島の一人旅を楽しんでいると言う。 マゼラン海峡をフェリ-で渡り、バスはどこまでも続く草原をひたすら走る。 14:50、チリ出国スタンプ(入国時と違い、簡単だった。)、直後アルゼンチン入国手続きでは、荷物コントロ-ル検査もあり、ブラジルからの出入国時とは随分違う。まるで、チリ式の出入国手続きに合わせたみたいだ。 ウシュアイアが近づいてくると、車窓の景色も大きく変わった。平原からいきなり山岳地帯に、油田、石炭…と、今までと随分違う。 年間を通して強風が吹き、夏でも平均気温は9度前後という、すぐそこに森林限界が迫る、久々の山岳地帯だ。 19:20分、ウシュアイア到着。街は急斜面の坂道に家が建つ。転げ落ちそうな急坂道を、荷物を引っ張りながらホテルへ。
ビーグル水道クル-ズ ハ-バトン牧場ツア-ヘ ツア-のチケット売り場で、昨日の日本の女性に出会い、一緒にツア-に参加することになる。 彼女は英語堪能、スペイン語も理解できるようで、助かった。 まず、ビ-グル水道を(ダ-ウインが乗った船の名前に由来していると言う)通り、アザラシ・ペンギン‣鵜などの住む島へ。 一昨日のペンギン島とは、ペンギンの数、規模も随分違う。でも、アザラシは初めてで珍しかった。海の中で泳ぐのも上手だ。 次は、ハ-バトン牧場へ、英語のガイドさんが私達日本人3人の為に案内してくれた。 ヤマナス(原住民)の住居、50年前使われていた羊毛、材木製剤所などを見学。 ここは、強風の為今にも横たわりそうな“南極ブナ”が有名だが…、この自然に湾曲した木を利用し、船の先端部分に使うという。 途中、スペイン語ツア-に参加している、スペイン人の旅行者に、突然流暢な日本語で話しかけられ、 びっくり! あまりに、きれいな日本語なので、「何故日本語がそんなに上手なのですか?」と、尋ねると、 「賢いからです。」と、言われてしまった。日本には住んだことはないと言う。旅では訪れたが…。 (日本語は優しい? 6年間は英語勉強した筈なのに…。私も、一度で良いから“賢いからです”と、言ってみたい!!) “横たわりそうな南極 ぶな”の近くでは、少し風もあり、寒かったが…、 今日のハ-バトン牧場は、ぽかぽか陽気な好天に恵まれ、のんびりハイキングを楽しむことができた。
ティエル・デル・フェデ国立公園ハイキング、そして地球の果て号へ 翌日、先ず、「地球の果て号」に乗車し、その後に国立公園内をトレッキングする為に早めにバス停に行った。 そこで、客待ちのミニバス(ペル-人)に呼び止められ、寒いから車に乗れと言われる。 暫くして、又別のミニバスに、言われるままに乗り換える。5~6人集まり、やっと出発したかと思うと…、ホテルやユ-スなどのお客をピイク・アップしていく。約束の場所が分からない、客が来ていない…。何回も同じところを捜し走るので、出発時間が大幅に遅れてしまった。 運転手さんは、携帯で“地球の果て号”の駅に、「遅れる」と連絡してくれてはいたが…。駅に着くと、汽車は既に出発!! 先にトレッキングして、汽車には帰りに乗れという。 (早めにホテルを出て、地球の果て号に乗り、後は、ゆっくりと時間いっぱいトレッキングを楽しみたかった のに…)結局、“汽車”の時間・帰りのバスの時間の関係から、ロカ湖周辺は2時間足らずしか歩けなかった。それも、時間を気にしながら…、 更に、生憎雨にも遭う始末。バス停に急いで歩いていると、朝、最初によび止められ,乗った、ペル-人の運転手さんの車が止まった。 朝、不手際で汽車に遅れたことに、文句言おうとしたら、「やあ、又会いましたね」と、握手を求め、バスに早く乗れという。 そして、まるで朝の不手際を取り戻すかのように、 “地球の果て号”に往復乗車できるよう、始め乗車予定だった駅まで送ってくれ、又迎えに来てくれた。 朝の“怒り”もどうやら治まり…今日もいい日だったと!! ツア-の後、「世界の果て博物館」を見学していると、チリからの旅行者“マルゲリ-タさん”に呼び止めら れる。彼女とは2日前、ウシュアイアに来る途中のフエリ-で、話しかけられた。娘さんが藤沢におり、日本に旅行したことがある…と。 あまりに、偶然の再会を記念し、写真撮影と、メ-ル交換。サンチャゴで、日本での再開を約束する。
6、ウシュアイアから再びブエノスアイレスへ ウシュアイア空港 高台にあるホテルからウシュアイアの飛行場はよく見える。 わずか3~4か月の夏季に旅行者は集中するらしく、早めにチェックアウトを済ませ飛行場へ。(夏もう終わり?全体に街は閑散とした感じだったが…) 12:05発の飛行機の為、今一度街を眺めながら飛行場の周りを歩いてみる。 “飛行場”が海に面していて“風”が確かに強い。初めて、“風のパタゴニア”を実感した。 小さな飛行場で、飛行機の発着も少ないのに、ゲ-ト変更や時間の変更?(12:05の予定が12:45発になる。)があり、随分待たされる。しかし、荷物チェックも済み、乗り込む段になって、Tax(空港使用料)を払っていないことを指摘され大慌て!! 係員にチケットを見せ、走り、25ペソ(約800円)払い、航空券に(レシ-トよりお粗末な薄い紙)Taxの押印を。 ブエノス着、17:10分(時差+1時間あり)3時間の飛行時間にも関わらず、今日も移動に一日費やした。 ホステル到着後、タンゴショ-や、シティ-ツア-の予約を依頼する。 しかし、「今夜のショ-は満席、予約電話は明日の朝に…」という。(始め、15時ホステル到着。タンゴショ-、ツア-などの手配できる筈だった。) (遅くなったのだから仕方ない、と、諦めかけていたが…、目についたのが“パソコン”,念の為メ-ルが届いていないか開いて見る事にした。 (タンゴショ-の予約、5日前にメ-ルをしたが返信メ-ルがなかった。) ところが、ここのパソコン、メールアドレスを入力しようとすると、どこか変?? “キ-”アルファベトの文字が殆ど消えている。「文字が消えている」キ-・ボ-ドを交換して欲しいと頼むも「ノ-???」仕方ないので、電子辞書のキ-・ボ-ドを参考に入力。すると、なんと“タンゴショ-の予約が取れていた!!” (…開演まで、1時間しかない)、荷物を置き、”カフェ・トルト-ニ“まで急いだ。 (後で気づいたのだが…、3台のパソコンは、キ-・ボ-ドの文字は消えているが、皆画面を見ながらのブラインドタッチ…、誰も文句言わない筈だ) タンゴショ-、そして“タンゴを踊る???-” カフェ・トルトーニタンゴショー 始めて、努力してメ-ルをした成果?”カフェ・トルト-ニ“でのタンゴショ-は素晴らしかった。 お店に着き、予約している旨告げると、テ-ブルへ案内してくれる。市内最古のカフェ-バ、レトロなお店なはずなのに…落ち着かない。皆おいしそうに食べ、飲み、会話を楽しんでいるが、ウエイタ-は注文を聞いてくれない。お腹もすき、落ち着かずキョロキョロしていると、「何かお手伝いしましょうか?」と、一人の女性が聞いてくれ、(韓国の人だが日本語上手い。)何か注文したらいいとメニュ-を貰ってくれた。が、直に地下のショ-会場へ案内された。 1時間30分、今度は食事にもありつけ、“ショ-”は、本当に素晴らしかった。 50人~60人足らずの小さな劇場、舞台は程よい広さ。バイオリン、ピアノ、チェロそしてバンドネオンの生演奏をバックに、舞台いっぱいに、激しく、荒々しいステップ、タ-ンが繰り広げられる。タンゴ、タンゴ…、歌声が、バイオリンがバンドネオンの、どこか哀愁を帯びた音色が…。 最後に客席から、「アメリカ!フランス!カナダ!ドイツ!スイス!ニュ-ジ…」と、自分の国の名前を高らかに紹介していく。 私達も負けずに、「ハポーン」と、劇場いっぱいに声を響かせた。 ブエノスでの2日目は、シティツア-へ。国会議事堂→大統領府→国立美術館→エビ-タ像→カミニ-ト地区… カミニ-ト地区では、昨夜のタンゴショ-を思い出させてくれた。夜はショ-で賑わうらしく、あちこちのお店で生演奏と、 ”二人だけのタンゴショ-”、それともデモストレ-ション?華麗にポ-ズを決めて見せてくれる。 小径に並ぶ家々の壁やテラスのカラフルな原色が、路上でのタンゴと、とてもマッチする。
ブエノス3日目は、郊外の“チグレ”へ。 ブエノスアイレス郊外 チグレ のどかな”パタゴニア”を旅した後のブエノスの街(車と舗装のとれたデコボコ道…)は少々疲れる。 ブエノスからチグレまで電車で40分、街を抜けると静かな田園風景が広がる。チグレのデルタ地帯を抜けると、そこはもうウルグアイ。 週末には家族連れが、釣り、ボ-ト遊びやクル-ジング、ピクニックを楽しむという。 パラナ川が複雑に入り組むデルタ地帯を、50人~60人乗りの船で、ゆっくりクル-ジングした。 船は公共の船らしく、コ-ヒ、おかし付きで約800円(1時間のクル-ズ)と安い。 電車賃も往復約80円(パタゴニアでのツア-料金・宿泊費用などを考えると驚く。) 川辺の両サイドはみずみずしい緑の森、遥かウルグアイまでこのデルタ地帯が続くらしい。可愛らしいカラフルな別荘が建ち並ぶ。 船着き場には、ボ-トが思い思いに係留し週末のバカンスを待っているかのようだ。 しかし、やたらと“Vender”の看板が目に付く。 壊れた船着場、船、家、いかにも空家みたいな…、あちこち買い手を求める“Vender”の看板を見て少々複雑だった。 いよいよ楽しかったアルゼンチンともお別れ、明日はペル-へ向かう。
(ペルー編に続く) |