旅行記のフォーマット

大抜 一雄
平成20年6月27日〜7月5日

この滞在記は、関西ロングステイクラブの1ヶ月のバリ島お誘い旅行に短期間ご一緒させていただいた時の滞在記録である。(今回は個人参加となった)

滞在日程(H20年6月27日〜7月5日)

 滞在地  インドネシア バリ島 サヌール
  6月27日(金) 関空出発(11時)  ガルーダ航空
            デンパサール空港(16時40分)
            時差1時間
     28日(土) 生活体験巡り
            ハーティーズ(ショッピングセンター)
            マッシモ(イタリア料理昼食)  ベモ(乗合バス)乗車
     29日(日) 生活体験巡り マクロ(超大型スーパーへ買いだし)
            コピバリ(トラジャーコーヒー店)
            現地観光   ウルワット寺院とケチャダンス鑑賞
     30日(月) 現地観光(グループ)   1日観光タクシーで
            バロンダンス、タンパシリン、キンタマニ、ウブド見学
  7月 1日(火) 現地観光〔個人〕  バスでウブド観光とサイクリング
            ウブド散策、ゴアガシャ見学
     2日(水) 現地観光(個人)   1日観光タクシーで
             アユン寺院、ベラタン寺院、夕陽のタナロット寺院
     3日(木) 自由散策(サヌール)
            朝市、ハーディーズ(土産)、海岸散歩、ワポ(魚料理店)
     4日(金) 自由散策(サヌール海岸)
            グラスボード乗船、遊泳、滞在歓送迎会、空港へ〔9時〕
     5日(土) デンパサール出発〔0時30分
            関空着〔8時40分〕   上本町経由 帰宅(10時半)

1日目 バリ島への第1歩


夕刻〔4時半頃〕 デンパサール空港到着(飛行時間6時間40分)                     税関で待たされる。日本人が大勢。なかなか進まない。のんびりしているのだろうか。バッケージクライムで荷物を探していると,側にバリ人が。親切に荷物預かカードをみて,荷物を探してくれる。見つけると取り出して、入り口まで持っていこうとする。例の運び人。荷物を取り返すと日本語で「1000円」といってお金をしつこく要求。無視して皆さんのところ行くとついてこなかった。事前にこのバリ人運び屋の事を聞いておかないと払ってしまう。これからこの「1000円」に悩まされる。(1000円は約100,000ルピア、平均月収7000円の現地生活からすると1000円は高収入となる) 

宿舎〔アリッツビーチバンガロウ〕へ

 迎えの車で空港から40分で宿舎へ。途中の道路はバイクの多さにびっくり。2〜4人乗ったヘルメット集団が乗用車の横をすり抜ける。幼い子どもを夫婦の間に挟んで乗っている(ええ、危ない…!)。至る所で交通渋滞。乗用車もバイクも日本車が圧倒的。左側通行で右ハンドルは日本と同じ運転の方法である。
 夕食は宿舎の海辺のレストランでとる〔9名〕。初めてのバリ料理の味はどうか。ミーゴレン〔やきそば〕、ミークワ〔ラーメン〕を注文,ビンタンビールを飲む。日本人の口にあいそう。29度の気温。海辺の風が心地よい。目の前の海はインド洋。宿舎は、玄関近くでバリ風のコテージにて静かな佇まい。ベッド2つ、冷蔵庫、風呂、トイレ、電話、バルコニー付きで、快適で綺麗な部屋ではないが、宿泊料金を考えるとまずまずと言ったところか。電話の設置と湯の出るシャワーは今年からとのこと。〔1泊4000円朝食付き・今回はシングルで朝食付き1泊3300円〕ここで8日間一人でのんびりと暮らす事に。テレビはNHKが見られる。朝のニュースは1時間送れだが,いつもと同じ。NHK夜7時のニュース〔現地8時〕はうなぎの偽装問題が盛んに報じられていた。他のNHK放送は娯楽番組も含めて少しも面白くない。早く寝る事に決めた。

2日目 〔サヌールでの生活体験〕

 
 朝日 サヌールは朝日が拝めるバリ島
の有名な海岸とのこと。目の前の海か
ら朝日が昇ってくると言うことで6時には
起床。(起床は毎朝続けた)ホテルを出
て、側の海岸へ。もうインドネシア人の
観光客達が大勢集まっている。海に突
き出た砂浜の先に太陽がみえる。次第
に回りが赤々と染まってくる。雲が水平
線に多く,太陽の登る瞬間は見ることができなかったが、雲の切れ間から水平線のかなた明るく輝く太陽を拝む事が出来た〔6時50分頃〕。昇り始めたら,観光客はぞろぞろ帰っていく。それでも海岸通りは人でいっぱいで朝の賑わいをみせている。 
生活体験ツアーへ
 朝食のブブール(日本のおかゆ風…お腹に優しいバリ人の朝食)をすませて、10時滞在のため生活体験ツアーに出発した。男性二人〔高橋さんと私〕はサヌール海岸通りを歩いてバリの日用品を扱う大型スーパー・ハーディーズへ行く。海岸通りは服、木製品,果物等の店がずらっと並び日本人とみると声をかけてくる。急ぎ足早に通りすぎながら、途中で珍しい光景に出くわした。バンジャール(共同体)の葬儀である。金ぴかの高い荷台の前に大勢のバリ人男女が集まっている。中央の低い棺桶(荷台)にはヒンズー教僧侶が呪文を唱えている。夫に先立たれた女性なのか泣き崩れている女性が側にはいるが、回りの人達には悲壮感はない。棺桶からチラッと死者の指が見えた。濃い緑色をしていた〔3日程前にバイクの交通事故で亡くなったそうだ〕。棺桶(荷台)の側まで外部の者も行けるのだ。ヒンズー教では、死ぬ事は魂が神に召される事で悲しみではないとの事で祭事になるとのことだ。外部の人間にも寛大な所以である。葬儀の場を後にして、ハーディズへ直行する。
マンゴなど果物や牛乳・飲料水・瞬間湯沸し機(部屋には調理設備もポットも無い)等を購入、大マンゴは日本円では30円ほどで安い。物価の安さを初めて実感した。昼食場所へはベモ〔小型バス…6人相乗り〕を利用する。 街中走っている自由乗車の乗合バスだ。小型のライトバンで乗車口が閉まらなく、頭が天井につかえる。乗車口から外へ落っこちないかひやひやしながら乗る。それでも手軽な乗り物だ。乗車賃が交渉次第というところがおもしろい。バス代一人2000ルピア(約20円程)と安かった。  
 昼食は,サヌールで有名なイタリアレストラン〔マッシモ〕へ行く。2種類のピザとスパゲティとビールを注文。約1000円。安くておいしい料理に満腹外国料理店が多いのもバリの特色だ。
3時頃からはサヌールビーチを散歩
どこまでも白砂が続く,青空のビーチを2時間ばかり散策する。泳いでいる人は少ない。海岸では、欧米人がビーチのベンチに寝そべっている。通りを歩いていると必ず、笑顔でバリ人が声をかけてくる。片言の日本語で「ボートに乗らないか」「マッサージする?」「1000円,1000円」「キンタマ〔卑猥に〕知っているか?」(名所キンタマニの事)ひつこい客引きだ。客引きバリ人は海岸通りをずっとついてくる。
覚えたてのバリ語で「ジャラン、ジャラン(散歩の意味)」を連発、追っ払っている。「日本の何処から」「大阪知っているよ」とバリ人は人なつっこく、日本や日本語に関心があり、親日家の民族であるといえる。この事は、バリ復興の援助を日本がしてきた事によるのか、戦争中は日本の植民地だった事によるものなのか、歴史をみておこう。
 浜辺は欧米人が多い。バり島直ぐ近くのオーストラリア人観光客も多い。海岸で日光浴や読書を楽しんでいる。トップレスの若い女性達も惜しげもなく上を向いて胸をさらけ出して、日光浴をしている。これも、目の保養にいい。浜辺で全身マッササージをしてもらっている老若男女も多い。とにかく、遠浅の海岸、まぶしい太陽と白い砂浜、心地よい風、確かにバリで最初の保養地となったサヌールだけに、のんびり過ごすには最適の場所かも知れない。
 宿舎に帰って、NHKテレビをみる。九州で大雨、明日は近畿が大雨とのこと。家にも連絡をと思うが、夜の電話はインドネシアの交換手が出るとの事だ。「う〜ん、ややこしい。明日にしよう」と思った。夕食は、インドネシア料理を注文する。アヤムサティ(鳥の串焼き)、ガドガド(温野菜ピーナツソースかけ),ルンピア〔春巻き〕、サユルビジャ(緑野菜炒めもの)を食べる。やはり、どの料理も日本人には食べられものばかりでおいしく食べられた。常にどの料理にも使われているピリッと辛いチャペ〔とうがらし〕も慣れてしまえば、気にしなくなる食材である。

3日目  〔買いだしと個人観光〕

 大型スーパー〔マクロ〕へ出発
サヌールで1番大きなスーパーへ本日の親睦会の買出しに出かける。ベモ2台を借りきって。バリ風の大きな平屋の建物だが、中はコスコのようで日用品から電化用品、建築材料等、何でも揃っている建物。「へえ〜、バリにこんな建物あるの」といった感じ。物価は日本の5分の1程か。果物と水くらげ〔お母さんに御土産〕とビール1ケースを買って約800円ほど。皆さんは、豊富な野菜や魚などを購入。宿舎で料理をするとのこと(親睦夕食会にはご一緒できなかったが、終了間際にいただく事に)
 午後から海岸散歩〔2時間程〕に出かける。海岸の砂場で売り子の男性からジャジャン(バリ風の春巻き)を1000ルピア(約10円)で購入して食べる。ソースは甘く、ときにびっくりするほど辛いが、それでもおいしい食べ物だ。気に入ったおやつだ。ブラブラ散策後、両替の為、ホテルに帰る。1万円=84万ルピアの交換レート。良心的なコンビニの店だが、バリでは換金の際は、「悪気も無いがお金を間違えることがよくあるので注意を」との事を思い出して、慎重に換金した。紙幣を1枚1枚並べて間違い無いことを確認。4時の観光地ウルワット寺院への出発に備えた。
 この間、部屋からジャカルタ日本人学校の清水先生に電話でアタックした。日本人スタッフがいるので安心か。しかし、何回かけても通じない。インドネシアの交換手が出てくる。部屋からの電話のかけ方をフロントに聞くが要領得ず、ようやく通じる〔30分ほどもたもた〕。通話は、国内15分程なのに60万ルピア(約700円)かかった。これでは日本への通話はどうなる事やら。「何かあったら連絡してくるだろう。ま〜いい」と。
ウルワット寺院へ出発
 4時、専用タクシー〔運転手はディルバさん〕で夕陽とケチャダンスを見に、ウルワット寺院へ出発。ディルバさんが日本語も英語も混ぜて案内してくれる。オートバイが行き交う中、1時間ウルワット寺院に到着。猿が観光客のメガネを奪うので要注意と聞かされていたので、メガネを海にでも放られたら大変と始めから警戒する。参道には,もう既に猿が出没、参拝客のオートバイには猿がシートを掻き毟るので筵が座席にかぶせてある。私はメガネをはずし、キョロキョロしながら海が見える絶壁の寺院へいった。木の枝から、スキを見て女性観光客の帽子を引っ張る猿がいる。インド洋の断崖にあるヒンズー教寺院の境内には観光客が一杯。神聖な場所の為、入り口で黄色の布が配られ、腰に巻く。足が見える男性はスカートを貸してくれる。ケチャダンスは、対岸の岸壁で行われる。ディルバさんの案内で夕陽が沈む前にディルバさんの案内でダンス会場に行く。円形の会場では寺院をバックに夕陽とダンスが見える観客席を確保した。6時ごろにはもう満席、次から次へと観客が押し寄せる。夕暮れの中、勇壮かつ幻想的なケチャダンスが始まる。多人数の男子が「ケチャ、ケチャ」と体をくねらせながら踊りまくる。1時間の観劇はあっという間に過ぎる。終了後、踊り子と記念撮影が出きるとのこと、バッチリと記念撮影をしてもらった。帰りの参道をぞろぞろ帰る観客に混じって、まじかにくっきりと見える満天の空に南十字星が見えるとのことで、その星空の案内を聞いた。4文字に光っている星の1つだ。「ここは南半球なのだ」と強く感じた。7時過ぎにはホテルに戻り,夕食をとる。ディルバさんへ20万ルピアの運賃を支払う。安くて満足の観光となった。

4日目 グループ観光〔キンタマニからウブドへ〕

 山形,東京からのメンバーも加えて10名ほどで観光タクシーに分乗してバリ島観光地巡りに出かけた。9時出発、一路北へ。とうもろこし畑が続く、田園風景をながめながら。途中、若者達が荷台の上に一杯乗っているトラックやバスに出会う。バンジャ‐ルの祭礼に行く楽器の集団だろうか。
 バドブランでバロンダンス見学
 道路沿い駐車場に車がひしめきあっている。ダンス会場に入り、観客席の中段に席を取る。踊り子の登場するバロンンダンスは素晴らしかった。大きな黒目の動き、しなやかな手の動き、ゆったりとした時間が流れる。物語の構成で笑い有り、戦い有り、ちょっとエッチあり、ガランの響きをまじかに聞けて迫力満点の演奏だった。パンフレットを見ながら初めてバロン劇のストーリーが理解できた。
デガラン村のライステラス
 前方斜面に広がる棚田。もう稲の苗が植えられている。椰子の木が点在し、段段になった田んぼが広がる素朴でのどかな風景。何処からともなく、物売りの男女が近づき「1000円,1000円」を連発する。木像、シャツ、模型等を押しつけてくる。少女も混じっている。逃げるようにしてその場を離れるが、ずっと追って来る。
キンタマニでの眺望
 途中、石造仏の町、木製仏の町、金属仏、絵画の町…ようこんなに店があるなと思う。制作品が所せましと並べてある、うす暗い家の中で作品づくりに精を出している人、道端にただ座っている人、頭に篭をのせ裸足で歩いている女性……街角の風景も実に多様だ。
キンタマニで昼食。 店内は大勢のインドネシア人や外国人で溢れかえっている。眼前にバトツール山〔標高1717メートル〕の雄大な姿、そして横にはバトツール湖が大きく広がる雄大な景色〔パノラマ〕が広がっている。双眼鏡の出番だ。ここでも役立つ事請け合いだ。大きなカルデラ湖にて噴火した溶岩流の後が確認できる。山と湖の景色を満喫し、ここでバイキングスタイルの昼食となった。鶏や豚の肉料理が豊富だ。食後も外に出ると、ここでも「1000円」攻撃にあう。ここで初めて湖をバックに皆さんで記念撮影をとる。
 途中、コーヒー園に立ち寄る。大きな植物園で初めてココナツの茶色い実を見る。バリコーヒーの実を挽いている女性に臼を挽かせてもらった。ここでしかない大変珍しい椰子の実焼酎(50度の強い酒とのこと)を物好きと分っていても購入した。アメリカでも買ったきつい酒テキーラといっしょか。飲めるだろうか。

聖なる泉(タンバシリン)こんこんと湧き出す泉。漉き取っている水、この水に身体をつけて祈りをしている人々が大勢いる。バロンダンス等で水をかける劇の場面が、多くあったが、その重要な意味がわかった。水は聖水。黄色のタスキを腰に巻き、中に入る。寺院を散策していると、500人はいるだろうか、きらびやかな衣装を着た大勢の軍団が列を成して楽器を奏で坂道を降りてきた。葬儀の祭礼を準備しているとのことだ。葬儀は祭、ここでも文化の違いを垣間みることが出きる。

ウブドへ〔宮殿見学とマーケットの買い物巡り〕本日の最終目的地ウブドへ。サンアクシン宮殿へ。7月15日の葬儀に向けて宮殿一帯で準備が進行中だ。その様子を見学し宮殿に行った。民衆に根付いているヒンズー教の理解には役立つものだ。当日の大葬儀の際には帰国していていないのが残念。葬儀を飾る装飾品、牛の竹細工、棺桶を運び上げる大きな竹のやぐらが大勢の手で作成中であり、金銀キラキラした模様の中に華やかさがでている。王宮の方の死者を祭る葬儀であり、貧しい人達も一緒に祭る合同葬でも有るのだ。
 その後、王宮前のマーケットを散策。ずらっと並んだ店や。雑多な中に賑わいを見せている。早速「1000円,1000円」の声がかかる。日本人と直ぐ分るのだろか。高橋さんが木の製品を指差して「いくら」と聞くと店の女性が「12万ルピア」と言う。「高い,安くして〔バリ語でビザクラン〕」というと「6万ルピアに下げ直ぐに「5万でもいい」という。「下がるのだ、いくらなんだ」と言いたくなるが、このやり取りが又楽しい。冷やかしながら買わずに通りすぎる。(「あとで来る」の言葉「ナンティ」を言って通りすぎる)値はどんどん下がる。下げても何も悪くは無い。彼等も困ってはいない引率の高橋夫人によると、この買い物のやり取りを学んでほしいとのこと。「ヘえ」と感心する事しきりだったが、自分一人で何処まで出来るやら、心配も沸いてきたマーケットの体験であった。
 サヌールに帰る時間が遅くなるので、ここでウブドを離れた。ゆっくり,近くのゴアガシャの遺跡も寄らないし、ウブドの町もゆっくり散策できなかったので物足りなかったが、再度訪問する街にとの思いで車に乗った。(帰りの車で、サヌールからウブドまで定期バスがある事を知り、「バスなら,明日一人で行ってみよう」と言う気になった。)

5日目 ウブド観光(バス・サイクリング巡り)  楽しみも半減の巻

 朝の風景 目の前の浜辺をぼんやり眺めていると、砂浜にゆらゆら揺れている乗合ボートに向かって、波間を数人の男がバイクを運んでいる。生活物資を満載し、屋根に座る満員の人々、日本ではあり得ない生活の匂いがする光景である。
 今日は、定期バスに乗って再度(といっても昨日行った所だが)ウブドへ行く事にした。乗車券チケット販売所で往復の予約券を購入し(往復75000ルピア 800円ほど)10時15分出発した。
 バス乗車に 10人ほど乗せて一路バスはウブドへ.1時間程は田園風景を満喫。うとうと眠くなってきた所でウブドに到着。ここで、慌てて降りて、るるぶ別冊地図帖をバスに忘れてしまった。貴重な日本語記載の地図で本日の予定も記入していたのに,何たる事だ。別に現地のガイド地図をもらう。日本の旅行者を通していないので、親切な説明や案内はない。インフォーメションもないが、とにかく出発である。
 サイクリングを利用
 坂道の多いウブド。町の散策は自転車が快適(2軒目で2万ルピア・250円程)行くのが便利。観光客の車とバイクで道路もいっぱい。
自転車は小奇麗な店が並ぶ商店街をスイスイと進む。途中の通りでKマートで昼食のパン・牛乳・飲料水等を購入して、最初の美術館巡りに出発した。
 プル・ルキサン美術館〔バリの絵画が展示〕 バリの人々の生活溢れる独特の絵画が多数展示されている。バリの文化や土着の暮らしぶりが少しは理解できた。
 ザ・フランコ・ルネッサン美術館(肖像画を通して王族の暮らしぶりが分るバリ絵画)王宮風の美術館、バリに魅せられたスペイン人の画家の作品が多数飾ってある。エロチックな婦人像も多数あり、婦人はバリ人である。高級美術館といった感じである。ここでトロピカルジュースをいただく。ウブドの町から外れ、自転車での坂道はきつかったが、バリは美術が盛ん、やはり芸術の町だ。 
 バスの出発時間〔午後6時〕に乗り遅れては大変と、先に遠い仏教遺跡ゴアガシャに直行とばかり,東方面に向けサイクリングで出発した。途中、パンフ地図と双眼鏡片手にゴアガシャの道を尋ねながらの小さな旅であった。途中の田園風景見渡す限りの水田、バイクが横をどんどん通って行く。「ここで怪我をしたら大変だ」と思いながらも、それでもサイクリングは快適だ。郊外のウブドの町の風景も見所いっぱいだ。
ゴア・ガシャ
 ゴアガシャの駐車場端に自転車をおいて、入場料を払う(6000RP・65円程)。片言の日本語を話す若者が近寄ってきて、聖なる泉まで連れて行って「ここで手を洗え」と親切に案内してくれる。それでも、冗談も言いながらも、「案内するから50000RPを」と要求してくる。ていねいに断ってから,一人でまわる。それでも、ゴアガシャの暗闇の洞窟に一人で入るには少し勇気がいる。薄明かりの奥に悟りの断食場がある。どんな宗教的な謂れがあるのか、分らなかった。調べて見ておこう。
ついでに何でもみておこう
 再び、ウブドの町に帰る。途中、バリダンスの練習をしている寺院の前を通りかかった。
俄然興味が沸いてきて寺院の中へ入る。
〔学習体験〕。小・中学生らしき女子が20名程が若い女性指導者に厳しく注意されながらバリダンスを練習している。手の動き、目の動き、隊形移動,真剣な練習が続く。

 寺院を出て、飲みものを売っている店に立ち寄る
〔屋台体験〕マンゴジュースを頼む。
(5000RP・約60円)おいしさにホットする。バリ人が盛んに買いに来る繁盛している店だ。道端には店も並ぶ。屋台も通る。軒先には何するとも無く、腰をかけて座っている大人がやたらと目につく。昼間から何をしているのだろう。働かないのかな、と思ってしまう。道路に面した一軒の民家に子ども達7,8人がファミコンをして遊んでいるのが見えた。ここでも、ファミコンが大はやりか…観光地で物を売りにくる幼い子ども、裸足で道を歩いている子ども、バイクの荷台にしがみつくようにして乗っている子ども……生活は皆たくましいのかもしれない〔子ども文化〕・

 そして、人や車・バイクの絶えた裏通りへはいる(生活体験)。自転車ならではの行動だ。路地から路地へスイスイと移動できる。バリ風の石積みの家屋,門が続き、落ち着いた家並みをみる。何をして暮しているのだろう。民家にヒンズー教の石碑とチャナン〔供え物〕が必ず目につく。仏壇が玄関や庭にあるといった感じがする。
 
 再び、昨日行った王宮に入って見る。葬儀の準備は昨日と余り変化が無いようだが竹のやぐらはぐんと高くなっていた。隣のダンス会場では、バリダンスとガムランの楽器の練習が行われていた。間近かに聞く金ぴかのガムランの金属音が今も耳に残っている。トイレに行くと有料(1000RP)になっている、細かいお金無し,我慢しておく。
 ついでながら、バリ島での町のトイレは、ホテルを除いて入りづらいものがある。便所は少し広い空間で薄暗く、水洗式である。ただし、便器は小便用の蓋は有るが、側に水溜があり、使用を済ますと小バケツに水を汲んで流す仕組みである。大便のティシュは水に流すようになっている。ティシュペイパーは柔らかい製品でできている。落ちついて使用する気分にはなれない町のトイレである。

 この後、サイクリングも返して、バス停に直行した。絵画のスケッチに出かけておられた小林さんとも無事再会した。バスの待合所で「ええっ」と驚く事件が発生。何と、大事にポケットにしまっておいたホテルの貴重品入れ〔パスポート・現金・カードを預けていた〕の鍵が見当たらない。何回もポケットに手を入れたり、有料トイレで何回もポケットを触っていた事を思いだしたが、もう後の祭りだ。貴重品入れの鍵だけ気落ちし、疲れが倍増した気分になった。(経験しなくても良い旅行体験)疲れと落胆で、バスに乗って45分ひたすら眠ってしまった。(翌日、ホテル案内人のよしみさんにとりなしてもらって、50000RPの修理費を払って解決に)  一人旅と鍵の紛失…「楽しみと喜びも半分」で思いで深いバリ島の滞在日となった。
追加…・ウブドの町は、魅力有る町。衣服、装飾.美術工芸品…芸術が好きな人は1日歩いても飽き足らないだろう。但し、歩道は所々陥没,危険もあり、注意もいっぱい。

6日目 タクシーで1日観光〔アユン寺院からタナロット寺院へ〕

「せっかく来た,バリ島。短期滞在なら何でも見ておこう」とこの日もディルバさんに頼んで1日観光に出発した。〔東京の高橋さんも一緒に〕朝9時50分頃出発、タクシーに2人、ディルバさんの片言の日本語と英語を聞き分け、気分も晴れて〔鍵の件が解決のメドがついたので〕会話を楽しみながらの旅行となった。
 タマンアユン寺院へ  大きな池が目の前に有るヒンズー教第二の大寺院だ。大きな演舞場の建物をディルバさんに説明してもらった。竹の汲み合わせた頑丈な建物で雨が入らない竹屋根構造に感心した。外には、11層の搭がいくつもそびえている。最高峰アユン山に合わせているとのことだ。小さな搭も横に並び、美しい景観をかもし出している。
タマンアユン寺院を北上、途中は田園風景が広がる。三期作もしているのだろうか。青々と実っている田、稲刈りをしている田、苗を植えている田、椰子が目につく田、牛は余り見なかったが、南国にきた田園風景。途中ライステラス〔パチョン村〕に立ち寄る。日本では少なくなった美しい棚田風景だ。「1000円」の物売りがここでは1人も来なかったのが不思議だった。続いて、大きな湖ベラタン湖が見える峠の市場に到着した。昼間から人々で賑わっている。狭い駐車場に車もいっぱい。果物,野菜がうずたかく積まれている。イチゴもあるが、あまくなさそう。この季節は果物はあまりおいしくないようだ。湖が見える高台の店でバイキングを食べる。春巻き風バナナの揚げた食べ物がおいしかった。
 ベラタン寺院へ ベラタン湖の辺に有るベラタン寺院はお札にも描かれており有名。大きな神木が迎えてくれる。仏教の搭が敷地の隣にあり、ヒンズー教と混在している。ジャワ島は仏教の遺跡が多いことを考えると、バリはヒンズー教の世界としてどう広まったのか興味深い所だ。湖に浮かぶ11層の2つの搭はバリでも有数の名勝である。すばらしい光景である。持ってきた双眼鏡をここでも多いに活用した。境内で湖をバックに参拝者の人物画を描いている路上の画家がいた。少し迷ったが,参拝記念であり、めったに無い機会なので、描いてもらう事にした。例によって、先のインドネシアの若者が10万RPだったので,値下げ交渉をし、8万RPでOKした。10分間の作品は似ているかどうか、衆人監視の中、こちらも楽しみながらの時間を過ごした。
 ここから、バリ公園〔植物園〕に寄った。珍しい竹の群生植物園だ。バリでは、竹が柱など建造物の基礎だ。日本とは形も長さも大きく違う大きな竹ばかりだ。見ごたえのある熱帯植物、珍しい種類がいっぱいのサボテン公園も必見の場所だった。そして、一路南下、夕陽に間に合うように山間部から海岸部へのタナロット寺院をめざした。
タナロット寺院  タナロットの町に4時半頃到着。町はジャワ島からのフェリー客の乗り入れで混雑している。駐車場から寺院が見える対岸の場所に移動した。打ち寄せる波、思わず「インド洋だ」と叫んでしまった。 寺院は引き潮で対岸から側まで行ける。寺院の周りは,人でいっぱい。波が押し寄せる岩場までも人がいる。満ち潮では寺院が島になる。夕陽に映えれば綺麗なシルエットが見られる。

やわらかい砂で固まった岩盤。寺院をバックに夕陽が見える場所に移動する。
工芸品を売っている店の間を通って、テラスで休憩する。1時間ほど時間がある。珍しい椰子の実ジュースを頼んだ。椰子の実を割った中にストローがさしてある。
初体験だが、とにかく飲んで見が、甘味は少なく、さっぱりした味で格別においしいとは思わなかった。椰子の縁についている白い杏のようなものも削って食べた。
それでも、わんさとある椰子の実を見ていると、やはりここは南国だと強く思った。肝心の夕陽は、赤味がかってはいるが、水平線に雲が多く見えない残念な結果となった。この時期、朝も夕も水平線では雲が多いのだそうだ。車が一時で込むので早めに退散することにした。暗い夜道を道に慣れているディルバさんの車は飛ばして走る。途中、デンパサールの町へ入ると、バイクや車が往来激しく、人々が行き交っている。夜の8時ごろというのに。朝市が前の夜から朝の5時まで開かれるとのことだ。路上に野菜などが山積みされている。この活気が有名なデンパサールの朝市だそうだ。残念だが、中には入らず、車で素通りとなった。デンパサールもバリ島では大きな都市で魅力ある町であるとのこと、又の機会の訪問としよう。

7日目 サヌール自由散策

 帰国も迫り、クタ始め観光地巡りもまだ行けていないが、ここらで一休み、宿泊地サヌール散策と海岸での休養日に当てることにした。
 朝、5時過ぎ、サヌールの朝市に行ってみようと起きる。ホテル内は、まだ電気が消えていて暗く、ホテルを出て歩くも薄暗い海岸通りは不気味で歩けない。「こらあかん」と引返す。「朝市の賑わいは是非みたらいい」と進められていたが断念することにした。それでも,あきらめきれず,場所だけでも確認をと、朝食は,毎回のブブールをやめてパン食で食事の気分転換をした後,朝食後の自由散策に再びサヌール市場を目指して行く事にした。
 改めて街角をブラブラ歩きながら,サヌール市場に到着した。もう賑わいは無く、店じまいをしている店も多かったが、路地を歩き回った。薄暗い電灯の中で、人がうごめいている。布地や食料品が所せましと並べられている。一人で歩くに勇気がいるが、結構楽しかった。(この市場は、この日の夜に皆さんと魚料理店WAPOに行った帰りに再び寄る事になる。この時は夕食時の賑わいがあった。)
 このあと、再びスーパー・ハーディへみやげ物を買いに歩いて行った。バリ人店員は盛んにスパ用の品を進めてくるので、石鹸を買うことにした。更に、前回の訪問で値段をみていた木製品の小箱に入ったコーヒもお土産に選んだ。みやげ物を買うにはバリをしっかり理解していなければと改めて認識した。
午後から海水パンツに履き替えて、海岸へ行く。海岸は、遠浅の海、ずっと沖まで続いている。かなり沖に行っても足首まで。沖から、海岸の砂浜を見た景色は又抜群である。青々とした空に,長々と続く白い砂浜がまぶしい。

8日目 サヌール海岸で休息

最終日の朝日も早起きして見に行った。 6時35分頃水平線に2〜3分だけ朝日が昇るのが見える。広がる朝焼けの空、その後厚い雲の中に太陽が入る。7月に入り、朝日を見にくるインドネシアの学生も授業が始まって少なく、ホテル前の海岸通の喧騒も少ない。晴れ渡った海辺を前にして、すがすがしい風を受け、快適に過ごしてきた朝食の時間も今日で最後となった。

 10時頃から一人海岸に出る。滞在期間は海辺での企画を組んでいなかったので、「せっかくきたバリ島、マリンスポーツに挑戦」は「一人では出来ないな」と尻ごみが優先。浅瀬で一人乗りカヌーもあったが、沖に連れて行ってくれるグラスボードに乗る事にした。1時間のクルーズで珊瑚の海底を満喫。水に濁りが見えたが、それでも熱帯魚が泳ぐ海底は素晴らしい。韓国人の若者達は直ぐ側で潜っている。シュノーケルをつけて潜れるそうだが,「潜ったら楽しいだろうな」と思いつつ、グラスボードは一人の乗船であり、一人で泳いでも楽しくないので始めから予定していなかった。
 昼食はビーチでナシゴレンを注文した。ビールを飲んですっかりいい気持ちになった。食事が終わって、海岸散歩中に、すごく綺麗なバリ美人が寄ってきて「マサージ」という。硬くなった足先の皮膚を指差し、マサージして綺麗にしてあげると迫ってくる。あちらこちらで、ヨーロッパ人の男女がマッサージをしてもらっている。「これも経験か」と思ったが、「今硬い皮膚が削られても、しばらくすると又硬くなるのが私の足先」と思い直して止める事にした。バリ島といえば、スパとマリンスポーツと観光がメインだが〔これは日本人観光客だけかも。ヨーロッパ人は避暑のみとのこと〕 このスパ〔男は当然かもしれないが、マサージも含めて〕もマリンスポーツも9日間で経験できなかったが、次の機会があれば挑戦してみたいものだ。
 この日も,海岸の砂浜で祭礼の儀式があった。バンジャール(村の共同体)のあつまりであろうか。ガムランの楽器を盛んに演奏する男性達、葬儀用の登りや旗、御供え物などを持って遠浅になった海に向かって沖へと歩き出す男女・子ども達の一団が続く。私達には分らない生活にしみ込んだ宗教的行事なのだ。
 夜は、参加者皆さん一緒で大阪から来るご夫妻の歓迎会と私の送別会を一緒にした夕食会をしてもらった。「ショートステイではあったが、バリ島での生活体験をさせていただき感謝しています」とお礼の挨拶をさせて頂いた。
 9時の出発にて、ホテル前で、まさみオーナー夫人や大変お世話になった従業員のよしみさんの見送りを受け、空港へ出発〔運転手に2000RPのチップ〕となった。到着時には良く分らなかったデンパザール空港の様子も一人で手続きするとなるとはっきり見えてくる。いつも海外旅行は、家内任せの旅ではあったが、ボーとしていたら乗り遅れる、帰れないとなると、しっかりするものだ。夜中の0時30分〔9日目〕、機内で若いカップルに混じって一人旅の日本人も目にし(「あんな年配の人でも一人でバリ島に行っている!」)、スカーフを巻いた若いインドネシア人女性たちの団体(「何で多くのインドネシア女性が大阪に行くの?」)に目を向けながら、ガルーダ航空機が無事飛び立った時はホットした気分と短期間の旅行とはいえ有意義な旅行となったバリ旅行が終わる安堵した気分にもなった。6時間半の大阪―バリは遠くない距離である。

滞在記を終えて
  滞在中は夕食後に時間がたっぷりあったので、寝る前にその日の出来事をメモしておいた。そのメモをまとめたのがこの滞在記である。
9日間での駆け足のバリ滞在記である。
 今回の旅行の目的は、退職後の老後生活にロングステイが生かせるか、経験して見る事にあった。9日間の滞在で、確かにバリ島は魅力的な場所である事が分った。物価は安いし、気候は日本の季節と比較すると申し分ないし、年金生活でも十分暮していけるところでもある。豊かな自然に囲まれてのんびり過ごしながら、人々の文化に触れ、芸術や文化を楽しむにふさわしい場所であろう。短期滞在にて十分その良さを満喫する事ができた。しかし、どっぷりと生活するとなると別である。風土、治安、生活環境等、現地になじめるものかどうか。今後も各地のロングステイ候補地を探りながら、夫婦そろってショートステイも含めたバリ島での生活も考えられる。
私達夫婦は、3年間,アメリカ合衆国(ワシントン州)で暮した経験がある。旅行で訪れるのとそこに住みつくのとでは得る経験が根本的に違う事も体験した。しかし、現地の生活や文化・歴史までには関わりがほとんどなかった。仕事で赴任している生活だったからだろう。ロングステイは現地に入り込み、生活をするのだ。年金生活をする中で、どんな場所でゆとりや楽しみがある生活が出来るか、私たち夫婦には大きなテーマだ。そんな面から今回のバリ島滞在の成果も含めて、夫婦でしっかりと今後のロングステイを考えていきたい。                                            
 

このページのトップへ     旅行記目次へ     関西HPトップへ